びいどろ

 少し歩くと、黒塗りの車が停まっていた。四つの丸が重なるエンブレム。名前を知らずとも、それが高級車であろうことくらいは遥にも分かった。さらにそれがびいどろからの送迎車だと理解したのは、運転席に座っていたのがあのポマードの男性だったからだ。

 

「すみません。お待たせしてしまって」

「見つかって良かったです。さ、行きますよ」

 

 革のシートに揺られながら、あまり島の雰囲気には合わない車だな、と遥は思った。

 びいどろは普段はガラス工房だが、時々来る観光客用に民宿も営んでいるという。

 十五分程走ると、車は砂利の敷かれた空き地に停まった。

 

「到着いたしました。どうぞ、足元お気をつけて」

 

 ポマードの男性は車の扉を開けると、涼子と遥の荷物を手に前を歩いた。

 遥は地図を確認する。

 

「カナリア村で寝泊まりできる場所はここだけみたいですね」

「お客さんも時々来る程度で、メインはガラス作りですもの」

 

 この日は少し風が強く、木造の建物はカタカタと音を立てて震えていた。ガラスの張られた引き戸を力強く引くと、ポマードの男性は帰ってきたことを大声で知らせる。

 

「お客さまがいらっしゃったよ」

「はいはい、お待ちください。ようこそ。ここの女将の長谷川はせがわみのりといいます」

 

 柔らかい笑顔と訛りのあるゆっくりとした口調で現れたみのりは、前掛けで手を拭いながら玄関の式台に正座した。

 

「遠いところからわざわざ、お疲れ様でございます。荷物はお部屋に運んでおきますね。手狭ですがゆっくりなさってください。朝食はお済みで?」

 

 遥はぶんぶんと首を横に振った。その様子を見たみのりは優しく微笑み、式台を降りてすぐ右横にある別の扉を引いた。

 

「こちらにご用意しますので。少し座ってお待ちください」

 

 そう言って、みのりは部屋の奥へと消えていった。後に続いて入ると、すでに昆布の出汁のいい香りが漂っていて二人の胃を刺激する。

 コンクリートの床に木のテーブルと椅子が二組あり、壁に打ち付けられた板の上にはガラス細工がいくつも飾られていた。

 

「涼子さん! めちゃめちゃいいじゃないですか! この匂いは焼き魚と味噌汁、ご飯は炊きたてですよ、絶対。湯気の香りを感じます」

「頭の中ご飯一色ね。棚のガラスを見なさいよ。この芸術を」

 

 涼子は棚のガラスを手に取った。描かれた花の模様は、じっと見つめているとうごめくかのように細かく、角度の違いで青にも緑にも見える。

 

「これ、なんていう花なのかしら。蓮に似てる……不思議な色」

「それはこの島に咲く『伝説の花』を模して描かれているんですよ」

 

 すぐに戻ってきたみのりは配膳しながらそう答えた。

 

「やった、鯖だ! いただきます!」

「あの。伝説の花って?」

 

 食事に夢中な遥を横目に、涼子はみのりに尋ねる。

 

「カエルレアの花。遥か昔、この島に咲いていたと言われている花です。その花びらを口にすれば、永遠の命が得られる。そんな言い伝えがあります」

 

 みのりは涼子にも食事を勧め、自分も腰を下ろして話しはじめた。





 昔々、アンクという名の青年がいました。彼は毎日山を掘り、人々の暮らしの糧となる資源を集め、畑仕事にも熱心に取り組みます。心優しいアンクは村の人気者でした。

 しかし。皆が白髪の老人になっても、アンクは青年のまま。アンクは世にも珍しい不老不死だったのです。

 時が経つにつれて、人々はアンクを拒絶し、更にはアンクを責め立てました。自分だけが神に愛されている、ずるいと。

 人々に白い目で見られながらもアンクは山を掘り続け、資源を集め、畑を耕しました。

 やがて大地は広がり、アンクは友の鳥と神からもらった愛、そして掘って集めたガラスを持って旅に出ることにします。

 永遠に終わらない、苦しみの旅の始まりです。




「アンクは旅の途中で鳥も愛もガラスも失い、代わりにカエルレアの花を得ます。そして、もと居た村へと帰る。アンクはカエルレアの花を栽培し、幾多の薬草も含めた広大な花園を造って、そこでたった一人永遠に暮らしていく……そんなような昔話です」

 

 みのりは涼子の手にするガラス細工を見ながら、クスッと笑う。

 

「不老不死とか伝説とか、そういう背景がある方が神秘的でしょう? ガラスや水晶なんかには、エピソードがある方が人は好きですから」

 

 要するに売れる、ということだ。

 

「その不老不死の青年は、今でもこの島に存在するのでしょうか?」

「え?」

 

 遥の質問にみのりは不意をつかれた。

 

「そのアンクという青年は『不老不死』なのですから、いまでも生きて存在するのでは?」

「ああ、いやだ。作り話ですよ、桃太郎なんかと一緒の」

 

 みのりは笑う。遥はみのりの顔を少し見た後、茶碗のそばに箸をそろえて置いた。

 

「ですね。ご馳走様でした!」

 

 おかわりまでして完食した遥は、満足そうに手を合わせると食器を重ねた。

 

「もしかして、壁書村の不老不死の方を訪ねに来られましたか」

 

 遥と涼子が声の方に振り返ると、先程のポマードの男性が扉の前に立っていた。

 

亮二りょうじ! 挨拶もなしに。ごめんなさいね、うちのひとり息子なんです」

 

 亮二は軽く頭を下げたあと、整えられた髪をそっと撫でた。

 

「あなたの言った通り、この島には今も存在しますよ、不老不死の人間」

 

 亮二の得意げな表情に、涼子も遥も胡散臭さを感じ取る。

 

「壁書村で墓守をしている、清八せいはちって人です。もう八〇歳近いってのに見た目は半分以下。毎日経を唱えて、飲まず食わずでも生きられるって話です」

 

 遥は尋ねる。

 

「不老というのはそうですが、不死はわからないのでは? 八〇歳くらいまで生きる人は、今の時代そう珍しくないでしょう」

「それは、清八には不思議な力があって」


 その時。亮二の言葉を遮るように、みのりが手を打ち鳴らした。


「いい加減にしなさい! 昼過ぎの船に乗せるガラスはもう積んだのかい? さっさと準備しな!」

 

 みのりには似合わない大声を聞いて、亮二はそそくさと出ていってしまった。

 

「本当にもう、言われなきゃ何もしないんだから」

 

 目元を押さえ俯くみのりに、遥は訊いた。

 

「不躾な質問なんですが、ガラスというのはその……結構、儲かるものなのでしょうか」

「まあ、ものによりけりです。手頃なものもあれば、クリスタルガラスなんかはもちろん高価ですし」

「高級車が買えるくらいに?」

「……ああ」

 

 遥の質問の意味がわかり、みのりは笑う。

 

「亮二の車、あれは泡銭あぶくぜにです。なんでも馬のレースで当たったとか言って。最初は信じられなかったけれど、見たら本当に数字がぴったり合っていて。あんな子にも運があるんだなあって」

「当たったのは最近のことですか?」

「そうそう。浮かれて写真付きのメッセージなんか送ってきて。ちょうど一ヶ月くらい前だったかしら。まあ、もう少しも残っていないだろうけど」

 

 みのりはスマートフォンの画面を遥に見せた。

 そこには数字とカタカナ表記の馬の名前が載っていて、件名に『大当たり!!』と書かれた亮二からのメッセージがあった。

 

「さっきの亮二の話。あれは忘れた方がいい。壁書村は特殊な村です。清八さんのことは、そっとしておいてあげて」

 

 変な空気が流れる。沈黙が部屋を満たす前に、二人は部屋に行くことにした。


 部屋は階段を上がってすぐ左側の扉だ。短い廊下があって、ガラスの引き戸を開けると十畳ほどの和室があった。

 

「みのりさん、なんか知ってそうだったわね」

「ですね。涼子さんノートを貰えますか」

 

 遥はノートを畳に広げ、改めて整理する。



 背に八の形を持つ呪われし赤子

 歳八つで死す

 常人以上の治癒力あり

 主死す時血に触れしものもまた死す

 主に認められし者不老不死を賜りけり



「この一行目と三行目は、奈々ちゃんに当てはまります。奈々ちゃんは今七歳だと言っていましたから、もしかしたら二行目も。最後の二行の主死す時の『あるじ』とは誰のことかも気になります。血に触れては死んでしまうが、認められれば不老不死になれる」

 

 遥はノートをペンでトントン叩きながら、少し黙った。

 このノートが松永家の家政婦である初枝の鞄から見つかり、蔵田と初枝は顔見知り以上の関係。『摂取者』になるため、佐伯佳奈の殺害を計画。宣告者と摂取者。栄介、洋平、博史の名前。不老不死の条件——

 

 そこまで考えたところで、遥はゴロンと畳に横になった。

 

「……眠い」

「え?」

「分かんないことが多すぎて、眠いですね。お腹もいっぱいだし……あ、そういえば結局会いませんでしたね。船に乗っていたっていう、もう一人の乗客」

「降りる時も見当たらなかったし、キャンセルでもしたのかしらね」

 

 遥は天井を見つめながらしばらく考えたあと、がばっと勢いよく起き上がった。


「とりあえず壁書村に行ってみませんか」

「なによ、急に」

「どんな場所なのか、どこまで閉鎖的なのか気になります。まさか入ったが最後、出られなかったりして」

「な、なによそれ。馬鹿ねえ……」

 

 涼子はそう言って大袈裟に笑うが、おもむろにパワーストーンのような腕輪をそっと、左手に通した。

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