離縁された猫耳侯爵令嬢は、隣国の王子に溺愛される

滝久 礼都

第1話 来たくて来たわけではありません

「王太子妃リリディア・ベルンシュタイン、もとい侯爵令嬢リリディア・ルーゼンヴェルク。そなたの王家の品位を貶める行動の数々、到底許容できぬ。本日たった今を持って、そなたを離縁し王宮からの追放を言い渡す。早々に立ち去れ!」


 朝食の用意がなされたテーブルの向こう側に腰掛けた、王国の王太子ラドクリフ・ベルンシュタインはその第一声をリリディアに投げかけた。

 

(まだ『おはよう』の挨拶もしていないのに……)


 珍しく朝食の席に呼ばれたと思ってはいたが、その理由が『離婚宣告』とは……いくらなんでも非常識ではないだろうか。

 

「殿下、朝からそのようなことをおっしゃっては、お可哀想ですわ」

 いつからそこにいたのだろうか?

 王太子のお気に入り、タチアナ・ボルヴィック伯爵令嬢がいつの間にかラドクリフ殿下のそばに立っていた。扇子で口元を隠しているのは、嘲笑わらいこらえているのだろうか?


「今日中に出て行けなんて、さすがにお気の毒すぎます。せめて明日の朝までということにしてあげてはいかがでしょう?」


(殿下は『今日中に出て行け』なんて一言も言ってない気がするけど……)

 

「うむ、そうだな。それでは明日の朝まで猶予ゆうよをやろう。早々に支度を始めよ」


「殿下……」

 タチアナが何やら、こしょこしょと殿下に耳打ちする。殿下はその耳打ちに首を縦に振った。


「それからリリディア、王宮でのことは何ひとつ他言してはならない。もし他言すれば……必ず追っ手を差し向け、お前の口をふさがせる。いいな?」


 「は、はい……殿下。殿下がご病気だったことは誰にも言いません」

 

 王太子が重い心臓病を患っていたことは、王宮内の秘密とされていた。そのことを口外したら刺客でも送られるのだろうか……

 

「いいか、決して漏らすなよ……お前のようなケモノを、病気を治すためとは言え一度は王宮の一員にしたのだ。光栄に思え」


「……私は、来たくて来たわけではありません…」

 思わずリリディアはつぶやいた。


「なんてことを! 薄汚い獣の分際で、一瞬でも王宮の一員になれたことだけでも身に余る光栄でしょう?」

 

 (薄汚いケモノ……)

 

 リリディアは思い出していた。

 

 辺境の侯爵家の古い館の一室が、彼女の唯一の空間だった。

 

 戦争で怪我をした父の侯爵を母が助け、それが縁で父と母は結婚した。結婚後、静かな辺境の領地での暮らしは穏やかに流れ、やがてリリディアが誕生する。

 だが、そののんびりとした生活もリリディアが5歳の時に終わりを告げた。


 母が何者かにさらわれたのだ。

 

 父が所用で出かけた晩、屋敷は黒いフードを被った数人の男に襲われた。

 リリディアは機転を利かせた母にクロゼットの中に隠されて無事だったが、母はその男たちにさらわれてしまった。

 

 父はその後狂ったように母を探し回ったが、やがてうつろな顔で酒を飲んで暴れるようになり、ある日怪我をして病院に行ったきり帰らなかった。父の従者の話では、王都の侯爵家に引き取られたのだそうだ。

 

 屋敷で働いていた使用人は次々といなくなり、最後まで面倒を見てくれた乳母もリリディアが11才の時に出て行った。

 

 馬一頭と山羊、鶏などの家畜と彼女だけが空っぽな家に残された。

 荒れ果てていく館の一室で少女が一人で生活していることは、周囲の人々にはほとんど知られておらず、リリディアは生きるために必死に考えた。

 始めは家の中にある物を少しずつ持ち出しては、近隣の人々に食べ物と交換してもらったりして飢えをしのいだ。

 

 だが、彼女には不思議な力があった。リリディア自身自覚していなかったのだが、それは思わぬ時に発現する。

 その年、雨が降らず日照りが続き、作物が枯れて農民たちはみな困っていた。

 

 それを見たリリディアは、そっと近づいて作物に手をかざした。すると、見る間に植物が生き返って元気になったではないか。リリディアは夜の闇に紛れて畑の作物を生き返らせて歩いた。

 

 リリディアには、人間、動物、植物……生き物の病気や怪我を治癒ヒールする不思議な能力があったのだ。

 思えば母も同じ能力者だったのだろうか。その力で、戦場で怪我を負った父を治したのだろう。

 リリディアの馬も山羊も鶏も皆、元気で長生きし彼女を支えた。庭のリンゴの木もたわわに実をつけ、余ったリンゴは市場で売ったり、ジャムにして保存食とした。

 

 裏庭の日当たりの良いところにも畑を耕し、せっせと種を蒔いた。

 やがてそれは見事な野菜を実らせた。リリディアがその手で作る野菜は、みな立派に大きく育つのだ。

 リリディアは野菜やリンゴ、卵を売って何とか日々の暮らしには困らなくなった。


 そうしてたった一人の静かな田舎での生活が続くかと思われた頃、突然王都の父侯爵から手紙が届いたのだ。

 

 手紙には『近々そちらに迎えの馬車をやるので、支度をして待っているように』と書かれていた。


(お父様は私のことを忘れたわけではなかったのだわ! もう二度とお会いできないかもしれないと思っていたのに……)


 リリディアは嬉しくて、いままでのひとりぼっちの生活から救われた気がして、はやる気持ちで迎えの馬車を待った。

 

 数日後、 迎えの馬車はやって来て、従者が言葉少なにリリディアに告げる。

 

「お嬢様、お迎えに参りました。王都で旦那様と奥方様、それにご姉弟きょうだいの皆様がお待ちです。どうぞ、お乗りください」

 

「お、奥方様って? それに姉弟きょうだい……?」

 驚くリリディアに従者は静かに告げる。

 

「旦那様は、王都でご再婚なさいました。ご兄弟は奥方様の連れ子のお嬢様と、ご再婚後にお生まれになったお坊ちゃまです」


(お父様、再婚なさっていたのね。……私のことなんか、忘れるはずだわ。それなら、何故今ごろ私を?)

 

 

 三日三晩馬車に揺られ、王都にある侯爵邸に着いた。


 久しぶりの再会に胸をときめかせたリリディアの前に現れたのは、継母ままははとその子供達だった。


「初めてお目にかかります……私リリディア・ルーゼンヴェルクと申します」

 そう自己紹介したリリディアに最初に投げかけられた言葉は、


「まあ、なんてみすぼらしい!」

 という義母の一言だった。


「おかあさま、この汚い娘が私の妹って本当ですの?」

 義母のそばに立つ、美しくあでやかなドレスをまとった令嬢が言った。


「仕方ないわね、こんな芋娘でも侯爵の血を継いでいることに変わりはないわ。この娘を差し出せば莫大な褒章ほうしょうがもらえるのだから……」

 義母はそう言うと、召使いたちに命じた。

 

「この娘を隅々まで洗って、なんとか人前に出せるようにするのよ!」


 数時間後、着ていた物を身包み剥がされお風呂でゴシゴシ洗われた後、ドレスを着せられた。

 それは、今まで見たこともないような光沢のあるクリームイエローのドレスだった。

 ドレスにはふんだんにレースと刺繍が施され、肌触りも素晴らしい物だった。


 かかとのある靴は履き慣れないので、歩くのによろよろしてしまうのだが、見せられた鏡の中のリリディアは、いつも見ていた自分とは全くの別人だった。


「支度できたかしら?」

 そう言って部屋に入って来たのは、先ほど義母の隣に立っていた美しい令嬢だった。

「ふうん……馬子にも衣装ね、私のお下がりだけど。……いいわ、連れて来て」


 リリディアは召使いに手を引かれて、別の部屋に連れて行かれる。その部屋で待っていたのはリリディアの父侯爵だった。


「リリディア、よく来てくれた。来てもらってすぐこんなことを聞いて申し訳ないが、お前の “治癒能力ちゆのうりょく” は変わっていないか?」

 

 「え?」

 リリディアは驚いた。父の前でその能力を示したことはなかったはずなのだが……

 「お前の母親が、『この子には私にも劣らない治癒ちゆの力がある』と言っていた。どうだ、その力を見せてくれぬか?」

 

 父侯爵はそう言うと、リリディアの前に近くにいた従者を立たせ、腰にはいていた剣を抜くと従者の上に振り下ろした。


 「うわあっ!」

 従者は叫び声を挙げて床に崩れ落ちた。父侯爵は平然とそれを見下ろすと、リリディアを促して言った。


 「リリディア、この者を治癒ちゆせよ」

 「…………」

 リリディアは今自分の目の前で起きたことが信じられなかったが、倒れている男に近寄るとその手をかざした。

 キラキラした光が手からこぼれるように男の上に降り注いでゆく。


 すると青ざめた男の顔に赤みがさし、傷口がどんどんくっついて、肉が盛り上がり薄い線になって、すうっと消えていった。

 「やはりな、母親と同じだな……」

 父侯爵は従者の傷が消えていくのを見守ったのち、リリディアをまじまじと見て言った。


 「耳が生えるところもそっくりだな……尻尾もあるのか?」

 

 リリディアの頭に大きな猫の耳が生えていた。

 「どうして……どうして、こんなことを……」

 

 リリディアの顔がつらそうにゆがむ……追い打ちをかけるように父侯爵が言った。

 「おまえは侯爵家の令嬢として、王太子と結婚するのだ」

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