第2話 ヒロインはヴィラン
僕の大声に気づき、コタツに入っている、猫と母さんと妹が、僕の方に振り向いた。
「海斗、起きたのね? 心配したのよ、こっちきなさい」
母さんが僕を呼んだ。
「…………………」
どうやら海の中で見た、あの白い大きな猫は、本物の猫ではなかったようだ。
猫のきぐるみを着た『ただの人間』だった。
(ゆ、夢だと思っていたのに、現実にいた……。本物じゃなかったけど……)
猫のきぐるみを着た人物を、まじまじと見る。
(じゃ、じゃあ、夢だと思っていたアレは現実で……。僕は本当に自殺したのか? そして目の前にいる猫に助けられ、ウチまで運ばれてきたのか?)
真実に困惑し、体が硬直してしまう。
「――――――」
母さんが 僕に何か話しかけているようだが、頭の中が真っ白になった僕には、その声はほとんど届いてはいなかった。
立ち尽くしたままの僕に、猫のきぐるみを着た人物がコタツから立ち上がり近付いてきた。
『 ドクン。』
心臓が、猫が一歩一歩 近づいてくるたびに激しく鼓動した。
(ぼ、僕はいったい、どうすればいいんだ? この命の恩人で、僕の自殺を邪魔をしたこの猫を……。ぼ、僕はいったい、どう対処すればいいんだ?)
混乱し、頭の中がグチャグチャになった僕の目の前に、猫が来た。
(き、きたァ! コイツはいったい、僕に何をするつもりなんだ?)
『 ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。 』
心臓が張り裂けんばかりに鼓動していく。
僕を見つめる猫が、自身の顔を近づけてきた。
『 ドックン――ッ。』
心臓が大きく飛び跳ね、まぶたをバチッと閉じる。
『トン』
おでこに軽い衝撃が走り、ゆっくりと開けると、目の前には、猫のきぐるみの顔の部分があった。
猫は自身のおでこを、僕のおでこに当てていたのだ。
当てながら猫は優しい声で囁いた。
「よかったニャ、ご主人様がご無事で……。猫は心配したニャ……」
その優しい声が耳に透き通り癒される。
思いやる暖かい心が、おでこを通じて伝わってきた。
本当に猫は、僕を心配しているようだった。
「――はッ!」
癒されている自分に気づき、気恥ずかしさのあまり両手で押しのける。
「だ、誰がご主人様だよォ、この猫野郎ォ! おまえェ、よくも邪魔してくれたなァ! 僕の【じさ】――」
【自殺】と言いかけた口を閉ざした。
(こ、ここで、自殺という単語を口にする訳にはいかない。ここには母さんと妹もいるんだ……)
自殺することを悟られないように、この一週間 この家で過ごしてきたのだ。
だから僕が自殺することは、絶対に母さん達には バレてはいけないのだ。
「 痛ッ! 」
頭に強い衝撃が走った。
母さんが僕の頭に『チョップ』したのだ。
あきれながら母さんはつげる。
「まったく……あなたって子は、海斗。『命の恩人』に お礼くらい言えないの?」
( 命 の恩 人ッ! まさか、この猫野郎、僕が自殺したことを母さんに?)
バラされた焦燥感とイラ立ちで、拳を強く握りしめる。
(クソッ、あれだけ悟られないように、この家で過ごしてきたのに……! せっかく、自殺を事故にみせかけるように計画してきたのに……なんてことだ、クソったれッ!)
バラした猫に対する怒りで全身がうち震え、拳をさらに強く握りしめる。
(こ、このォ……クソネコ野郎ォ……!)
殺意に近い感情を込めて猫を睨む。
それに気づいて猫は、照れたポーズで甘ったるい声を吐き出した。
「照れるニャぁーご主人様ぁ。そんな愛視線でぇ……」
(殺視線だよッ、このポジティブ猫がッ!)
ふぅー、ふぅー、と荒い呼吸を整えて、母さんにたどたどしく聞いた。
「か、母さんは……き、聞いたの、この猫から?」
悲しげな表情で母さんは――。
「ええ、聞きましたとも……。まさかあなたが、あんなことをするなんてねぇ……母さん悲しい……」
細い指で涙をぬぐう。
(クソォッ、バレたッ! 母さんに【僕が自殺したこと】が、バレたァッ! 母さんだけには、絶対バレたくなかったのに……! これから僕はどうすればいいんだ? このまま自殺もできず、『価値』のないまま 死を迎えなければならないのか?)
やるせなさに暮れる僕に、母さんがとんでもないことを言う。
「まったく、まさかあなたが【覗き】をするなんてねぇ……」
「へっ?」(い、いまなんて言った、母さん? ノゾキ? 自殺じゃなくて、覗き? はぁ? はぁ? はぁ?)
意味がわからず混乱し、思考がグチャグチャになった。
「か、母さん……ちょ、ちょっといい? 僕がナニをしたって、えっ? えっ? えっ?」
白い目を僕に向け。
「とぼけちゃって、もうっ。猫ちゃんから聞いたわよ。あなたが酔っ払って、この猫ちゃんの【裸を覗いた】ってことをね」
「 はああああああああああッ! 」 (なんだって? 意味がわからない? この母さんは何を言っているのだろう? 僕が覗き? はァ? はァ? はァ?)
「それがバレて逃げだして、逃げる途中 バナナの皮でスッ転んで、道路で頭を打って気絶して、車に轢かれそうなところを、猫ちゃんが助けてくれたんでしょ? 違うの?」
「………………。ハイ。ソウデス」
無表情で答えた。
そして母さんにバレないように猫を睨みつける。
( こ の ォ、ク ソ 猫 ヤ ロォーッ! なんてことを母さんに言ってやがるゥ! まったくのデタラメじゃねーかッ! おまえのどこに覗く要素があるッ? 10万円くれても覗かねェよォ、マジで!)
自殺がバレるより、覗きをしていた事がバレる方がマシだと思い、とっさに『ハイ』と答えたが、死ぬ前にあらぬ汚名を着せた猫に対して、殺意に近い感情を覚える。
母さんは両手を合わせ。
「ごめんね、猫ちゃん。うちのバカ息子が 『中身』を覗いちゃって。それなのに助けてもらったうえ、ウチまで送ってくれるなんて、あなた良い猫ね」
偉そうな態度で猫は胸を張った。
「ニャ。ご主人様を助けるのは、ペットの務めニャ♪」
(オマエのような駄猫を飼った覚えはないッ!)
「ペット? 猫ちゃんはさっきから、海斗のことを ご主人様って呼んでいるけど、もしかしてそういう『恋人プレイ』?」
「ちげェーよッ! なんでこんなクソ猫野郎とォ!」
反射的に反論。
母さんは嬉しそうに笑う。
「まあ、照れちゃってぇ、もうっ。可愛いわねぇー初々しいわねぇー。でも、恋人だからって 覗きが許される訳じゃないわよ、海斗。ちゃんと結婚するまで、そういうことは我慢しないと」
(い、いつの時代の人間だよ、母さん……。意外と貞操観念が強すぎる……)
「か、母さんはいいのかよ? 息子がさ、こんな変態きぐるみ野郎と恋人でさ?」
「ん? そんなこと気にしているの。もちろんいいわよ、愛さえあればね。変態でも猫でも、母さんなんでも受け入れちゃいますよ。息子の幸せを祈ってねっ」
(祈るなら否定してくださいッ!)
心の中で土下座した。
だが、想いは通じず、母さんは深く頭を下げた。
「猫ちゃん。どうかうちの不束な息子を、これからも 末永くよろしくお願いします」
「はいニャ」
「~~~~~~~~~~~~~~っ!」
絶句。
(だ、ダメだ……この母親……。理解ある良い母親だけど、ありすぎて逆にダメだ。どんな変人でも受け入れてしまう。親としても人としても最高だけど、怪しい宗教にダマされるタイプだ)
きっと、宇宙人のきぐるみを着た教祖にでも騙されるだろう。
本気で僕は、僕の死後の母さんのことを心配した。
横でのほほんと突っ立っている猫をジロリと睨み。
(それにしても、この猫ヤロォー、散々ウソ吹きやがってェ……! 自殺をバラされるよりマシだが、こんな変態きぐるみ野郎と付き合った事にされたまま 死にたくないぞ……)
「はぁー……死にてぇ……」
現状に焦燥し切って、がっくりと肩を落とした。そんな僕に、中学2年の妹 静香が近づいてきた。
「ねぇ、兄さん? 聞きたいことがあるの」
「ん? なんだ、静香」(めずらしいな? こいつから僕に話しかけてくるなんて。普段はおとなしく、僕とほとんど会話すらしないのに……)
疑問符を浮かべる僕に、妹はたどたどしく。
「兄さん。この人……【男なの女なの】どっち?」
「へっ?」(そういえば、どっちなんだ? ……でも、男か………そうだっ! 男ということにしておけば、僕の覗きの罪は【帳消し】になるんじゃないか? そうだ、男にしとけ。 そうすれば、死ぬ前の僕への汚名を一つ返上できる!)
「男だ」
「 ええええええええェッ! 」
(ん? 無愛想で おとなしいコイツがどうしたんだ?)
再度 疑問符を浮かべる僕に、妹は口をパクパクと。
「じゃ、じゃあ、兄さんは……【男の人と恋人】なの?」
「――しっ!」 (しまったァァァァァァァ――ッ! 恋人と勘違いされていることを忘れてた! 男と答えれば覗きの罪は返上できても、別の汚名が挽回されてしまう。少し考えればわかることなのに、アホなのかァ僕は? むしろ、こっちのほうがダメージがでかいぞ)
母さんは 男が好きになってしまった息子に対して、にっこりと微笑みかける。
「いいじゃない。変態でも きぐるみでも 男でも。愛さえあればねっ」
(よくなぁぁぁ――――――いッ!)
さすが物分かりのいい母親だ。なんでもかんでも受け入れてしまう。
頼むから否定してください。
心の中で土下座した。
弱りきった僕の精神に、妹が満面の笑顔で大ダメージを与える。
「兄さんって、【ホモ】なんだねっ」
( げ っ ふ っ! )
心の中で吐血した。
身体がグラグラとぶれて、卒倒しそうになる。
(し、死にてぇ……。妹にホモにされたぁ……)
なんて事だ。
死ぬ前の僕に、汚名がどんどん蓄積されていく。
(くそぉっ! 今日 自殺してれば、こんな目にあわずに済んだのに……)
死ねなかったことを本気で悔やむ。
瞳をキラキラとさせて妹がつめ寄ってきた。
「ねぇーねぇーねぇー兄さん! じゃあ カップリングは? 兄×猫? それとも猫×兄? どっち? どっちが攻めで、どっちが受けなの? ねぇー教えてよ、兄さん?」
いつも無表情でそっけない妹が 元気ハツラツに聞いてくる。
知りたくなかった妹の一面を垣間 見てしまう。
(どっちも 嫌だァァァッ! どうか静香様、お願いしますゥ! せめて兄の文字を ○とか伏字にしてください!)
「じゃあ仕方ないね、猫×兄でいいねっ? ねっ、決定っ!」
(なにが 仕方ないだっ! メチャメチャおまえ好みで決めているじゃあないか!)
妹が腐女子だと知り、やるせない思いに駆られた。
(知りたくなかったぁ……死ぬ前にそんな事実……)
「はぁ~死にてぇ……」
がっくりとうなだれる僕に、腐女子の妹が満面の笑顔を投げかける。
「わたしね、前から兄さんは【ホモ】だって思っていたの」
( やめろおおおおおおおッ、これ以上 僕を傷つけるのはッ! いつからおまえの中で僕はホモにされてた? 最悪だぁ……! 妹にずっとそんな目で見られていたなんて……。真面目に死にたくなる……)
蓄積された僕への精神ダメージは、死の運命が決まった時よりも重いかもしれない。
今日、僕は何回 死にたいと思うのだろう?
できれば自殺するまで思いたくない、コリゴリだ。
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