第6話 恐い人




『桔梗大太刀の鞘を抜けるんだからよお。貴様ならできるできる楽勝だってえの』


 食事時間、休憩時間、就寝時間、詳細な説明、詳細な気遣い。

 そんな概念はきっと抜け落ちているのだろう。

 具体的には全く覚えていないのだが。

 ただもう止めたい、逃げ出したい、父ちゃんの処に帰りたい。

 一瞬一瞬に泣きながら切望しては心身魂を酷使する地獄の特訓の合間に。


 気が付けば、食事を取っていて。

 気が付けば、休憩を取っていて。

 気が付けば、就寝を取っていて。

 気が付けば、大学に行っていて。

 気が付けば、父ちゃんに会っていて。


 目まぐるしい生活なんて生易しいもんじゃない。

 血液だったり、骨だったり、筋肉だったり、脂肪だったり、神経だったり、毛だったり。

 どこかしらの身体の一部が薄く削ぎ落されては、これから生きていく中で絶対に継ぎ足される事はない未知の細胞が新しく継ぎ足されていく。いや、削ぎ落された薄さよりも遥かに濃く深く広く大きい未知の細胞が、体形を変えないように、馴染むように強制的に叩き込まれていく。


 全部が全部入れ替われば、

 自分が自分でなくなれば、

 この戦闘生物に少しでも近づく事ができるのだろうか。

 時々、ふと、そう考えた。




 選ばれた人間なんだよ。

 闇の世界の住民なのに、顔面、体形、着物同様に、声も目も煌めかせながら、律希りつきさんは言う。

 ダークヒーローだぜと、恥ずかしげもなく、臆面もなく。

 律希さんの邸から一歩でも出れば、律希さんを狙う何某らが襲いかかってくる。

 人型も居れば、獣人も居れば、魚人も居れば、植物を模した者も居れば、鉱物を模した者も居れば、形容がしようがない者も居て、多種多様だ。

 人型のみの自分の世界に居たら絶対に出会い様がない生物がわんさかだ。


『あの人は最強で最恐なんだ』


 或る意味穢れがないと言うべきか、純粋無垢と言うべきか。

 闘う事が心底好きなのだろう。心底誇りなのだろう。心底生き甲斐なのだろう。

 あの笑顔を見たら、どうしたってそう思ってしまう。

 ああ。分かる。部下の人たちの言葉が。

 強くて、恐い。多分、どの世界の生物の何よりも。

 なのに、


『天使と巨人と悪魔を桔梗大太刀から解放したら、俺は死の恐怖から解放される。自由に生きれるんだ。暖と一緒に大学に行ってみたいんだ。ひひ。な。いいだろ。俺たちはもう友達だちだしな』


 どっぷりと、

 闇の世界に浸かっているのに、

 闇の世界に望んで居るはずなのに、

 死の恐怖を楽しんでいるはずなのに、

 そんな事を笑って言う律希さんが分からなかった。

 その笑顔は、律希さんを狙うあらゆる生物を殺害していくものと全く変わりようがなかった。


 一時の気紛れなのだろう。

 一時の興味本位なのだろう。

 どうしたって、律希さんは闇の世界に戻って行く、帰って行く。

 貴様の世界は飽きたと言って。


 出会った時から、律希さんの印象は変わらない。

 恐い人だった。












「逃げ出さなかったねえ。えらいえらい」


 オークション会場の三階席、主催者のみが出入りする事ができる個室にて。


さん、のゑさん」


 だんはロケットランチャーすら無傷で撥ね返す防弾壁を綺麗にくり抜いた桔梗大太刀を、腰に携えていた鞘に納め、呼んだ。

 律希が親父と呼び、このオークションの主催者でもある男性、木の実と、シックな革張りのソファに座っている木の実の膝に乗っては肩に腕を回す、下半身は煌びやかな鱗で覆い尽くされ、上半身は天女の羽衣を軽く羽織って、亜麻色の波打つ長髪の人型の男性に変化している人魚、卯のゑの名を。

 そして、深々と頭を下げたのであった。











(2024.12.30)



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