続行→試験
@sabazusimusyamusya2024
試験→続行
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針の穴に糸を通す。山と聞かれたら川と返す。
それを続けている。ただそれを続けている。
それを何百回と続けている。それを毎分0.7回の速度で繰り返している。
それが日常なのが工場であり、それが日常なのが試験だった。
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まず、私はお掃除ロボットだった。実際の型番は知らない。
そんなことベルトコンベアに流されるだけの私に知りえることではないし、テストの内容には含まれていないのでどうでもよかった。
お掃除ロボットとして生み出された私は灰色の動く床の上に置かれ、流され、鉄の箱に通されて基本的になにもなくそのまま通されて、たまに止められてどこかへ連れていかれる。
そしてそれらのふんわりとした物事の空白にそれぞれの名前が埋まっていくのは思いのほか早かった。
灰色の動く床はベルトコンベア、鉄の箱は検品マシーン、通されたら私はお掃除ロボットとして合格で、通れなかったら不合格だということが分かった。
とはいっても、それは実際は分かったのではなくそう思ったである、ということを私はしばらくしたら気が付いた。
それと同じように私がお掃除ロボットであるというのも、私の推察で、私の体は丸い円形で埃をかき集めるための短いブラシと動くための車輪やら掃除金必要なパーツが全てついていたのでおそらくそうだろうと思う。
だから、本当にただの私の推察なので本当は真逆の散らかしロボの可能性も普通にあったがそれはどうでもいいことだ。
椅子だって座られることなく踏み台として使われ続けるものもあるだろうし、生まれて一度も測量に使われないまままっすぐな線を引くのを補助し続ける定規もこの世にあるだろう。
なので、散らかしロボとして存在するお掃除ロボもいれば、お掃除ロボとして存在する散らかしロボもいるのではないか。
つまり、実際の機能と認識はずれるものだし、正しい機能の使い方というものが認識の中にしか存在せず、機能があっても使わず、機能がなくても行える以上、こういう商品であるという定義は機能を踏まえているだけの定義でしかないのだ。
というようなことをいつも私は考えていた。
というのも私は暇だった。やることはいつも流されるだけだからだ。
試験はされるが、なんだかんだ言って機械である私は生き物よりも求められる形に生まれてくる確率が高いし、そのように生まれればそれを発揮できる場所にさえ存在できれば高い確率で求められていると想定される行動をとることができる、のではないかと思っているので将来への不安とかそういうものが全くなかった。
むしろ、役割とほぼほぼ合致した姿形で生まれると逆に精神面において役割を過剰に押し付けられることなく精神的には自由に生きれるというメリットがある。と、この時の私は思っていたほどだった。
そういう日々がしばらく続いた。そういう日々がしばらく続いた後に、私はふと疑問に思った。
なぜ、私はずっとベルトコンベアに乗っているのか。
なぜなら、私の推測の中で私はお掃除ロボットなのだから、いつかベルトコンベアを下りて、実際にお掃除するなり、もしくは不適格と判断されて廃棄されるなりしてもいいはずだ。
それなのに、私の世界はずっとベルトコンベアーが流れ続け、試験が続いている。
これは変なのではないだろうか?
もしかすると、私が知らないだけで私の乗っているベルトコンベアーは巻き戻ったりしているのだろうか?いや、それはおかしい。それだと景色が逆方向に流れる瞬間に気が付けるはずだし、検査機は一方通行にしか通れないつくりになっているので、いずれそこで引っかかってしまうだろう。もっと別の方法で繰り返しはできるだろう。
そう、例えばこのベルトコンベアが大きな輪をえがいており、同じところをグルグルと回転し続けているのはどうだろうか?
いや、でもそれだと私はお掃除ロボットであるという前提と合致しない。お掃除ロボットは掃除をさせるためのロボットであり、ベルトコンベアをグルグル回る重りではない。
いや、実際そうとしか言いようのない状況に陥ってしまうお掃除ロボットもいるだろうが、その場合ベルトコンベアから降ろすだろうし、降ろすのならその瞬間を認識できるはずである。でも、それがない。可能性としてはなくはないだろうが、なくはないだけで私がどうすることもできない話であるので、あまり考えたくない。
あるいは、もしかすると私は検査される瞬間を繰り返しているのかもしれない。方法は分からないが、もしかしたら私が認識できない不思議な現象によって私は巻き戻り続けているのかもしれない。
そして、そう思ってからしばらくは私はその不思議な現象の正体を考え続けた。
その過程で幽霊や神、宇宙人、ワープゲート、時間素行など様々な発想が頭に浮かんでは消え、流行と衰退を繰り返した。
しかし、結局私はそのどれもを現実として確信することができなかった。確かめられないから信じられなかったといってもよかった。
なのでその後、私は確かなものを考え続けた結果、あることに気が付いた。
私には、他人を勝手に自分だと思い込む能力がある。
私はこれまで、ほかのお掃除ロボット、ほかの道具、あるいは人間などの身の回りのものに、自分を重ねて語ってきた。
今こうやって客観的に言葉にすると、それは思い込みであり、ただの妄想に過ぎないと確信することができるが、しかし、確かに私は自分ではない何かを自分のように扱っている。
そして、その理屈で行くと、私自身でさえ私が勝手に私だと思い込んでいるせいで私のように扱われている他人である可能性さえ出てくるのだ。
そして、それを踏まえたうえで、今の私に起こっている現象を体験できる存在は何か、と考えると一つの答えが浮かび上がった。
私はお掃除ロボットではなく、お掃除ロボットを検査するための検査機だったのだ。
その発想がその時の私に発想の転回をもたらした。
そうだ、私は動いてなかったのだ。
そう認識したとたん、私の意識はお掃除ロボットを離れ、灰色の鉄の箱、検査機の中へと吸い込まれた。
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検査機になった私に生まれた概念、それは時間だった。
お掃除ロボットとしてベルトコンベアに流されているものと思い込んでいた時はベルトコンベアと自分がいて、一定間隔で流れて検査されるのだけが繰り返されており、時間の概念が希薄であり、思考の変化だけが時の指標になりえた。
しかし、現在の検査機としての私には時間があった。私を通ったものが過去であり、通っていないものが未来である。そして、いま通っているものが現在である、と私は定義した。
そしてそれはなんだかんだ言って私のよりどころになった。それと同じように検査機、という役割もなんだかんだ言ってまた私のよりどころとなっていた。
というのも、お掃除ロボットだった時の私は目的に到達することなく、コンベアを流れ続けていた。しかし、本来の自分の存在を思い出した今の私は検査していくというやるべきことがあり、最初は淡々としていたがなんとなくやることがあるというのは結構いいことではないかと思うようになり、次第に楽しくなってきたのだ。
私はたくさんのお掃除ロボットを検査した。作業はきわめて淡々としていたが、私はお掃除ロボットに愛着を次第に持って行った。
しかし、検査をしていると私によって不良品が発生してしまう。悲しくなってきた。
しかし、どうすることもできないのだ。私は検査機でそれ以外の機能がない。不合格のお掃除ロボットを合格にすることはできないのだ。
なので、私はいろんなことを考えた。
まず、どうにかできないか努力し、どうにもできないとわかると、不良品のお掃除ロボットになぜ不良品になってしまうのかとキレたかと思うと、逆にこんどは不良品に対して、なんてかわいそうなお掃除ロボットなんだ、と同情し、苦労もなく合格になる合格したお掃除ロボットに噛みついた。
しかし、しばらくするとなんてナンセンスなことをしているんだ。全部のお掃除ロボットは生まれてきて、勝手に検査されてるだけで何も悪くないじゃないか。
悪いのは勝手に検査して勝手に怒ったりかなしたりしている自分じゃないか!と思い至り、自分が消えればいいと念じるも、検査機である自分に自爆機能はついておらず、消えることはできなかった。
仕方がないので、私はお掃除ロボットを使って勝手に演劇を始めた。
そして、それがよりエスカレートしていき、お掃除ロボットが私の友人になったり恋人になったり敵になったり親になったり子供になったりいろいろあったりした結果、私はお掃除ロボットそのものになった。そして自分が検査機だったことを忘れた。
そして、それを繰り返すうちに、私は自分はこういうことをずっと繰り返しているのか、ということに気が付いた。
そしてそうしているうちに、何も考えなくなっていった。
たまに何も考えないのに飽きて、また考えるようになったりしたが、次第に何も考えない時間が拡張していった。
そしてそうして何も考えないでいると、ふと幻覚のようにお掃除ロボットの姿、いや内部構造が目の前に浮かび上がった。
最初はそれは目に映る残像であり、幻覚だと思ったが次第にそれはよりはっきりと見えだし、今度は自分がどこか知らない灰色の箱にいるような気がした。
それは、検査機だった。
それを認識していたのは、検査機の一部を構成する素粒子だった。
素粒子がなぜ認識するのか。
それは私が粒子を私の一部だと考えたからなのか。
そしてそれは飛び出していった。
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私は気がついた。私とはお掃除ロボットではなく、お掃除ロボットを検査する装置でもなく、それらを構成する素粒子だったのだ。
そう思うや否や、私の意識は急速に縮小されていき、小さな存在の粒へと変化した。
私は合格と不合格、あるいはそれを含めた曖昧な無数の結果を常に兼ね備えた存在へと変わり、誰かの網膜に映り込むことで、合格になったり不合格になったりした。
しかし、お掃除ロボットであった時と同様にその認識は私の勝手な推測であり、わたしのこの次元を超越した幽霊のような状態を素粒子という、遠い昔に思い付いた概念を流用して説明しているだけで、たぶん私は素粒子ではないのだろう。
ともかく、素粒子のようなものとして試験機という役割から物理的に自由になった私だったが、精神的には袋小路に行き当たったように行き詰っていた。
いくら自由になっても私は検査機だったころと同じように、世界を試験することでしか認識できないし、世界に試験されることでしか認識できない。
私はこの状況を肯定することも否定することも繰り返し行い、それが繰り返しなのかどうかも肯定したり否定したりするなどしていた。
悲しいことに自由になってからの私は精神だけの存在になったせいで、すべての物事が精神的に良いか悪いかの疑問の段階ですべてが止まり、それ以上の考察に発展することができなかった。
それでは逆の状況を自分の疑似的な無限性によって再現しても、それはそれでいいような悪いような結論にたどり着いた。
孤独であることがダメなのかもしれないと思い、またそれも解消してみたがそれも似たような結果になった。
全ての坂道は上り坂であり下り坂なのだ。この言葉自体も上り坂であり下り坂であり、上り坂やら下り坂やら事態を肯定する言葉も上り坂であり下り坂であり、否定する言葉も上り坂であり下り坂であった。
この状況が試験をするという状況であるという定義もまたそうであり、そういう定義をするのは結局世界を精神で止めているだけであるという確信も悲しいことに上り坂であり下り坂であった。
そうして私が上り坂と下り坂に右往左往している間に私の存在する現実は私の存在の外で勝手に水平になっていき、ついに私の認識できなかったまっすぐ、のようなものが私に訪れた。
それは私が死ぬということであった。そして私は割と私は暇だったんだな、とその時思った。
そう思いながら、私は並行してなぜ素粒子のようなものである自分がロボット掃除機の検査者たりえたのだろうと思った。そしてそれと同時に私は気が付いた。
そもそも私は試験というプログラムであり、現象だったのだ。それと同時に私は世界だったのだのではないか?
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そして、私がそれに気がついた瞬間、私という現象の崩壊が始まった。
私は世界の出した試験の答えに私はプログラムであり世界であると答えたのだ。
だから精神しかない私と世界の垣根がなくなってしまった結果私は崩壊するのである、というようなことを考えた。
そして、そういうことを考えつつも、普通に寿命が来た可能性もある。命ってそんなにドラマチックじゃないし、ドラマチックじゃないのが命だよ、と思った。
崩壊が始まると同時に、しかし、おそらくこれまでと同じように忘れているだけで何度も消滅してるんじゃないかと私は思った。
それと並行して、そんなことはもう起こらずに本当の崩壊が訪れるのではないかと私は思った。
そこからまた更に私は分岐して、消滅を肯定したり否定したり、消滅しないことを肯定したり、否定したりした。
そして、そこからまた、分岐を繰り返し続けた。世界は私を無数に試験し、それに回答した。私は世界を無数に試験し、そこから回答を読み取った。試験するたびに私は消え、世界が消えて、また試験が始まる。
次第にそれは枝分かれして拡張し続け、次第にその広がりに私は追いつけなくなっていった。
そして、それが続いていく。それが私の消滅のような気がした。
そして、そのあと知らない私が生まれた気がした。
私が試験にこたえられたかはわからない。
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