第31話 問いかけは出来ず


 話し合いの後ルクスエとカルアは、旧見張り小屋でお茶を飲み、一息ついていた。


「今日は大変だったな」

「そうですね。とても緊張しました」


 カルアは苦笑し、お茶を一口飲んだ。


「でも大変だったのは、ルクスエさんの方ではありませんか? 帰って来て、すぐに会議だったのですから」

「これ位は平気だ。竜を討伐して解体した後、商談や配当金の話し合いに参加する事もあったからな」

「休憩する間もなく、ですか?」

「肉や油は鮮度が命だからな。加工も早い方が良い」


 可食に向かない竜の肉もあるが、中にはその脂肪が油として活用できる種類もいる。石鹸、洗剤、蝋燭などに加工されるが、竜の種類によっては傷みやすい脂肪もあるので、業者と急いで商談を成立させなければならない。それだけでなく、〈○○の角を4本欲しい〉などの商業組合からの注文で戦士達が素材を持ち寄る場合があり、体力仕事の後でも話し合う必要があった。


「俺よりも、町長の方が大変なはずだ。聖地から帰って早々の話し合いだったからな」


 神から遣わされた聖人が産まれ、そして天へと昇ったとされる宗教の聖地。聖人が生きていたとされる時代の古い城壁が今なお残り、神殿が建てられ、毎日信者たちが祈りを捧げにやって来る。

 聖地にただ向かうのであれば、エンテムから最短で10日ほどの距離だ。しかし、巡礼は聖人の歩んだ道を辿る旅であり、各地で祈りを捧げ、通常の倍以上掛かけてゆっくりと行われる。

 カルアがエンテムへ到着した時、アタリスは帰ろうと動き出したばかりであった。帰りもまた巡礼であり、敬虔な信者である彼女は教えを守りつつも、20日と言う速さでエンテムに戻ってきた。高齢の身でありながら、過酷な巡礼を達成させただけでなく、帰還直後にも関わらず町長としての役割を果たした。


「疲れを一切見せず、場を取り仕切るなんて感服いたします」


 誰に対しても臆さず、対等に扱う器の大きさをアタリスから感じ取っていた。素直に尊敬の念を覚えると共に、ルクスエの懐の深さは彼女譲りであると分かり、カルアは微笑ましく思う。彼がアタリスについて語った時、母を想う息子の表情をしていたからだ。


「ところで、ルクスエさんはレトの町に急いで行かれていましたが、何かあったのですか?」

「あっ、要件を伝え忘れていたか。実は、ある物を取りに行っていたんだ」


 ルクスエはそう言って、部屋の片隅に置かれていた荷物を取る為に立ち上がる。

 そして大きな風呂敷に包まれた木箱をカルアの前に置き、その結び目を解いた。


「レトの町に住む細工師に、カルアの装飾品を依頼していたんだ。ようやく修理が終わったから、確認してくれ」


 細工師がルクスエに対して行ったように、5つの木箱を絨毯の上に並べ、蓋を開けると綿の布に包まれた装飾品を取り出す。


「わぁ……見違えるほどに、綺麗になりましたね」


 布と共に装飾品を一つ一つ慎重に持ち上げ、カルアは目を輝かせる。

 白い肌の頬に僅かな赤みが増し、喜んでいることが伺える。目を細め静かに微笑むその姿に、ルクスエもまた嬉しく思った。


「何から何まで、ありがとうございます。ルクスエさんにはお世話になってばかりで、きちんとしたお礼が出来たらいいのですが……」

「これから町を守るのに、カルアの力を借りるんだ。世話になるのはこっちの方だから、気にしないでくれ」

「ルクスエさん個人にお礼がしたいんです。ずっと守ってくださっているのに、刺繍しかお返しができていませんから」


 カルアはそう言って、丁寧に包みと共に耳飾りを箱の中に入れた。


「なにか、私にできる事はありませんか?」


 あの夜と同じように、カルアは問いかける。

 彼の地の淀みに侵され、暗い影を落としていたあの時とは違い、その眼差しは真っすぐでいて美しい。ルクスエは引き込まれる様な感覚を覚える。

 左は金、右は緑の、今は宝石のように透き通る瞳は、唯一無二と言って差し支えない。

 女とも男とも明言し難い其の体。幻想の世界の住民と相まみえる様な、非現実。

 ただ一人だけ。その人に見つめられ、自分は特別な存在であると錯覚する。逸話の中の人々が畏れ、魅了され、壊し壊され、逃げた理由が、カルアに恋するルクスエは分かった気がした。


「そうだな……これからしばらくは一緒に行動するから、少し違うかもしれないが……」


 しかし目の前にいるのは、逸話の〈忌み子〉ではなく〈カルア〉だ。真実と嘘を混ぜ合わせ、演出によって膨張された存在ではない。

 聡明で、繊細で、穏やかで、優しく気丈な人を追い込みたくはない。

 一方通行の妄想と過度な期待は、カルアを苦しめるのをルクスエは理解している。


「こうして一緒に過ごしてもらえるだけで、俺は充分満たされているよ」

「本当に、それだけで良いんですか?」


 彼の導き出した答えに、カルアは少し不安げに確認をする。


「あぁ、それで充分だ。ここが俺の居場所なんだって思えて、安心する」

 できる限り優しい声音で、微笑みながら頷いた。


「ルクスエさんにとって、私と過ごす時間が〈居場所〉……」


 噛み締める様にカルアは呟き、白い頬にさらに紅が差す。


「こんな私でも、お役に立てるなんて嬉しいです」

「カルアは充分なくらい働いてくれているよ。そんな言い方はしないでくれ」


 ルクスエは気づいていた。この20日間で、旧見張り小屋が独り暮らしていた時よりも綺麗になっているのだ。

 自分達の出入りや風によって運ばれた砂によって生じる床のざらつきが無くなり、窓ガラスや棚の上、部屋の角に溜まる汚れや埃は消え、くすんでいた絨毯は元の色を取り戻している。毛布や布団は定期的に埃が払われ、天日干しにしてくれているのか柔らかく、ふかふかで寝心地が良くなっている。

 ルクスエも独り暮らしの時に掃除は行っていたが、面倒になり見て見ぬふりをして誤魔化していた部分があった。広い家なのでアイアラの協力もあってこそだと思うが、まずカルアが率先して動かなければ綺麗に出来なかった。


 日常は、当たり前ではない。いつ、どこで崩れるか分からない。幼き日に其れを痛い程に体験したルクスエは、小さな変化も見逃さず、カルアの心遣いに感謝をする。


「あぁ、そうだ。装飾品を保管する場所を決めないといけないな」


 だから、黄金の竜についてカルアに訊くのが怖い。彼の過去を知るのが怖い。

 この日常を失いたくない。

 彼は人間で、そうではないのに、訊いた瞬間に呪いが解けて、姿を消してしまいそうな気さえする。

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