第19話 柔らかな熱


「風邪などの病魔の症状はない。嘔吐をきっかけに、身体が自分の限界に気づいたのだろう」


 再び来てくれた医師は、敷き布団の上で横になっているカルアにそう診断した。


「眠らねば、身体は一向に休められんぞ」


 様子を見に来た医師はそう言って、叱りながらも労わる様にカルアの肩を優しく叩いた。

 カルアの目の下の隈は一向に薄まる気配はない。

 徐々に町の環境に慣れれば、カルアは眠る事ができるようになるのでは、とルクスエは淡い希望を抱いた事もある。それとなく眠り易くなるように、安眠効果のあるとされるお茶の肌触りの良い寝間着に替える等、カルアに提供していた。しかし、やはりと言うべきか、一番の問題は彼の心にある。


「……すいません。睡眠は、上手く取れないんです」

「そうか。では、ルクスエ」

「は、はい?」


 様子を見守っていたルクスエは、唐突に呼ばれた事に驚いて肩がビクリと震わせた。


「今晩から、この子の布団に入って一緒に眠りなさい」

「なぜ?!」


 突拍子もない指示にルクスエは声を上げ、カルアも言葉が出ないほどに目を丸くした。


「他者の心音や息遣いは、時に安心感を与える。この子の場合、周囲を警戒し過ぎて気を休められないようだ。戦士であるおまえが傍に居ると分かれば、多少は休められるだろう」

「これでも、二階で布団を並べて一緒に寝てはいます」


 それで充分だろ、と言うようにルクスエは反論したが、医師はなぜか嬉しそうにする。


「おぉ、空間を共有する事に慣れておるなら、好都合だ。もっと距離を縮め、おまえが抱き着く位に身を寄せ合えと言っておるのだ。ほれ、子羊達が良くやるだろう?」

「い、言いたい事は分かりますが……」


 反論が反論にならなかった。

 群れの中、母羊にぴったりと寄り添い、安心しきった様子で眠る子羊。その姿を見たことはあるが、あれを真似ろと言われても……

 ルクスエは気恥ずかしくなり、言葉を見失う。カルアに目線を送ると、彼の手はぎゅっと強く毛布を握っていた。

 多少気を許せる仲になったとしても、誰かが密着する程に一緒に居ては怖いだろう。


「ん? おまえ達は恋仲ではないのか?」


 躊躇うルクスエを見て、医師は不思議そうに言った。

 時間が止まったかのようにルクスエは硬直する。


「この子が吐いてしまった時も、熱を出した時も、おまえの戸惑いようと言ったら。まるで、死の病にかかった妻を助けて欲しいと懇願するようだったぞ」


「えっ、お、俺は」


「婚姻が無くとも、おまえが一人に執着するもんだから、儂はてっきり」


「ちょ、ちょっと待ってください! 何を言い出すのですか!?」


 全く持って無自覚のルクスエは、いつになく慌て、訳が分からず顔を赤くしながら医師の発言を止めた。


「お、俺とカルアはそのような関係ではありません! 確かにラダンから来た方と結婚する予定ではいましたが、今は違います!」

「今は違っても、未来は分からんだろう」


 医師は心底楽しそうに、取り乱すルクスエを見ている。

 この医師は、テムンの大伯父である。カルアに対しては〈怪物に効く薬があるなら、知りたい位だ〉と冗談交じりに言うほど、意に介さずに患者として接している。

 隣町にも診療所があるため、エンテムの町にいない日も多いが、町長である妹と一緒にルクスエの成長を見守って来た。なので、ルクスエの事を何かと気にかけ、時に配慮はあるが遠慮のない言葉を浴びせてくる。


「カルアはルクスエの事をどう思っておるかね?」

「えっ、あの……」

「彼は熱があるんですよ!」


 戸惑うカルアを庇おうとするその様を見て医師はおおいに笑うと、ルクスエの肩を叩いた。


「まぁ、ものは試しだ。これでだめなら、別の方法を用意する」

「先ほど仰られた療法は、やる前提なのですか」

「当然だ」


 嘘をついても直ぐにバレるとルクスエが項垂れる中、医師はカルアの方を向く。


「カルア。見ての通り、こいつはおまえに悪さをするような男じゃない。安心しなさい。もっと頼りなさい」


 その言葉にカルアは口を噤んだ。ルクスエとは違い、医師は答えを待っている。


「……できる限り、善処します」


 弱々しい答えに、医師は満足した様子で頷いた。

 薬については明日のカルアの容体次第となり、ルクスエは医師を見送るために共に一階へと降りた。


「ルクスエ」


 玄関まで到着した時、医師は彼をまっすぐに見る。


「はい。なんでしょうか?」

「あの子は、ようやくおまえに警戒心を解き始めたようだな」


 そうなのだろうか。会話の回数は増えたが、常に距離は一定に保たれているのでよく分からない。ルクスエは肯定できず、迷いを見せる。


「生き物は、自分の弱さを見せないように強がるものだ」


 弱肉強食の世界では、弱いものを強いものが食べ、命を繋ぐ。実際にはどの生物にも生存戦略があり、毒を持つ、あえて小さくなる、擬態するなど、力よる強い弱いでは推し測れない。最後まで生き残ったもの、〈強い〉と称される方が正しいとも考えられる。

 医師の言っているのは、同種同士による競争からくるものだ。弱っている様子を相手に察せられると攻撃を受け、時に命を落とし、縄張りを奪われる恐れがある。より良い餌場を持つ為、血を繋ぐ為、野生の世界では同種同士の争いは幾度も発声する。

 理性が強いとされる人間もまた、動物の枠組みだ。弱いものは虐げられ、より良い土地や資源を得る為に戦争を起こす。理性がある為に思考は複雑化し、支配欲、自己顕示欲、性欲、快楽、それらを満たす為に、時に命を奪い、奪わずとも纏わりつくように加害が行われる。


「あの子が不調の姿を見せられるようになったのは、おまえが安全と分かったからだ」


 カルアは弱々しい姿だが、決して弱音を吐くことも、自らを悲観視せず、気丈であり続けている。いっそ壊れてしまった方が楽だっただろう。それでも彼は、強くあり続けた。

 それは感服し敬意を覚える程ではあるが、ルクスエは不安だった。その反動が、彼の心と体に何を及ぼすのか分からないからだ。


「大事にしてやりなさい。そして、多くの人から愛されていると自覚させてやりなさい」

「はい。努力します」


 迷いない言葉を聞き、医師は満足そうに笑みを浮かべると、自身の診療所へと戻って行った。

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