第2話 スカベンジャー

「また、あの頃の夢か……」


 灰色髪の青年はガラクタが転がる手狭な掘立て小屋の中で横たわっていた。背はそこまで高くない。だが、黒色のマントルから覗く体躯は痩せてはいたが少しの男らしさが垣間見える。


「もう7年経つんだぞ……」


 グレイは16歳になっていた。まだどこか、あどけなさが残る年齢にも関わらず、目つきは鋭く、光がない。右腕に装備した鉄製の腕甲に写る彼の灰色の瞳は更に強く濁っている。


 彼は視界を邪魔する前髪を掻き上げた。艶のない灰色髪は首元まで伸びている。


「あれから、もう7年も経つのかよ……」


 グレイは息を吐くと、ユラユラと立ち上がり小屋を出る。

 針葉樹に囲われた深い森。穏やかな風と木漏れ日も、澄み切った空気も彼には日常で目に留まることはない。

 グレイは淀んだ瞳のまま、小屋の前に停めた荷車を押し始めた。


 しばらくして、小川に辿り着く。踏みつけるものが腐葉土から小石に変わり、木々に囲まれた景色は拓けて青空が見える。数百メートル先の上流には深緑の山が聳えていた。

 グレイはそんな周囲に視線を向けることはなく、足元の轍を見つめている。その終点は川淵で、慣れたように彼はそこに荷車を止めると、荷台を覆うボロ布を剥いだ。


 まるで煙が巻き上がるように、清涼な川辺の空気が一瞬澱む。グレイの瞳に映るのは荷台いっぱいに積まれた武器と防具。その一つ一つが赤黒い血に塗れ、強烈な鉄の匂いを放っている。


「だいぶ凝固してるな……無理にでも昨晩にやっておくべきだったか? いや、それは危険か……」


 彼は荷台から一本の剣を手に取ると、それを清流につけて血を洗う。皿を洗う料理人のように手際良く、時にはボロ布で汚れをこそぎ落とし、次々と積荷から死の痕跡をこそぎ落としていく。そうして、全ての積荷を洗い終える頃には太陽は一番高い所にまで昇っていた。


「時間がかかったな……」


 そう言って、彼はまた積荷を荷台に乗せて歩み出す。川を離れて森の中へ。轍に沿って進んでいく。特に何もない、誰とも出会わない静寂の森の中。鉄が軽くぶつかり合う音と車輪が軋む音のみがグレイの耳に残る。木々のせせらぎや鳥の囀りも聞こえるのだが、彼はそれを聴こうとはしない。


 そうして、しばらくすると森を抜ける。周囲の景色は殺風景な平地に変わり草花しかなく、またさらに進むと開墾された田畑に変わる。その頃にはもう、足元の轍の先に町が見え始めていた。


「今日も賑わってやがる……」


 木造建築が並ぶ人口100人ほどの小さな集落は、宿場町として栄えていた。住人の殆どが旅人相手の商売を生業とし、点在する宿屋の部屋数は人口よりも多くある。その8割が常に埋まるほど、この町には多くの人間が滞在する。


 そんな町に入るとグレイは迷いなく活気ある通りを進んでいく。

 娼婦や男娼に酔っ払い、露天商など様々な人々がそれぞれの理由で言葉を張り上げていた。活気があると言うには下品で、喧騒と言うには節度のある作られた騒がしさ。それをグレイは横目に進むと、すぐに町の中心部へ辿り着く。二つの大通りが交差するそこは広場になっており、中央には剣を掲げる騎士の石像が鎮座していた。

 グレイはそんな広場に脇目も振らず、とある店舗の前で立ち止まった。窓からは白髪の老婆が顔を出し、煙草を吹かしている。看板には武具屋と書かれていた。


「遅かったじゃないか、死体漁りスカベンジャー


 煙を吐きながら老婆はそう言って、奥に引っ込んだかと思えば、すぐに扉を開けて姿を現す。背筋が伸びた小柄な老婆は煤で汚れた革エプロンを身に纏い、革手袋を身につけていた。

 グレイは荷車を停めると老婆に向かい言葉を投げる。


「たまにはこのくらいの時間も良いだろ? で、爺さんの具合はどうよ?」


「薬が効いてるみたいでね、歩くくらいならできるようになったわ。でももう、金槌は二度と振れないみたいだね。それなのに何をするでもなく工房でボーッとして、こっちには近づきもしない」


 そう言って老婆はまた煙草を吸い、顔を逸らして煙を吐く。吐ききったかと思えば老婆は更に言葉を続ける。


「まぁ無理もない。店に並ぶ商品は殆どが中古品で、他人が造った武器・防具さ。それに爺さんが手がけた武器だって、持ち主を守りきれずにこうして戻ってくるんだ。作り手としては屈辱だろうね」

 

 老婆の視線の先にはグレイの荷車があった。

 その様子を見たグレイは煙草の煙に目を映しながら口を開く。


「それでも生きていくには金が必要だからな。だからこうしてお互い、をしてるわけだ。婆さんも大変だろうが煙草もほどほどにな」


「なんだい、今日はやけに優しいね。私にとっちゃ、ほどほどってのは満足するまでって意味だよ。そんなことより取引だ。いつもの金額でそれを買い取るが良いかい?」


 そう言って老婆はグレイが運んできた積荷に近づくと、それを覆ったボロ布を捲る。煙草を吸いながら小さく頷くと、老婆は懐から拳ほどの布袋を取り出した。


「ああ、もちろん。いつも通り、積荷は店内に運んでやるよ」


 グレイはこのようにして収入を得ていた。死体から持ち物を剥ぎ、血を洗い流してから店に卸す。 

 年老いて鍛治生産のできなくなった武具屋。原材料の仕入れが安定しない装飾屋。そして、弁だけで商売を成り立たせているチンケな雑貨屋が彼の主な顧客だ。

 現地民と競合せず、この町の狭い市場を荒らすわけでもない。小さいが、確かな需要を満たす存在として、外様なりに彼は生きている。




 そうして、グレイは空になった荷車を引いて元来た道を歩んでいく。道中でグレイは露店から塩漬け肉や野菜などの食料品を買い、軽い荷車に少しの荷物を乗せていく。仕事終わりの人間にしてはやけにその表情は暗く、懐の報酬は重たいまま。彼はその大通りで目立つ娼婦にも酒場にも視線を向けることはない。明るい空の下で彼だけが影のように静かで、歓楽を演出する周囲の労働者達も、まるで彼だけは見えていないかのように紛い物の光の中へ誘い込もうとはしない。


 大通りの終わりが見える。町の出口が近づいて来る。

 そんな時、グレイの足を止めたのは若い男の声であった。


死体漁りスカベンジャー!!」


 この町で、グレイはそう呼ばれている。

 それは、彼がそれ以外の何者でもなく、またそれ以上の人間になろうとはしないからだ。


 灰となったグレイは、種火のような使命を胸にこの土地に留まっている。

 それを誰にも悟らせず、静かにひっそりと燻るように、彼は死の近くで生きていた。

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