その恋は、砂糖より甘い愛になる
奏 舞音
01 断り続けた告白
「ごめんなさい。やっぱり、原さんのことは好きになれません」
この台詞を言うのは何度目だろうか。
すらりとした長身でスーツがよく似合う黒髪の男は、いつものように泣いていた。
「……分かりました。何度も、すみません。矢田さんが僕を好きじゃなくても、僕は矢田さんのこと、本気で好きです」
「原さん……」
もういい加減諦めてほしい。
そう言おうとした時、原は訴えるような目を向けてきた。
「どうしても諦められないんです。迷惑をかけないようにしますから、まだ好きでいてもいいですか?」
由美はこの一言に弱くて、また頷いてしまった。
押しに弱いタイプではないのだが、原の想いはどうしても断りきれない。
もし原のことを知らず、友人に同じようなことを相談されたら、いつかストーカーになりそうで怖いからすぐにやめておけと止めたはずだ。
(他人の感情を私がどうにかできるものでもないし……それに)
「来週、新作のケーキが発売します。もしよければまた来てくださいね」
「絶対行きます!」
涙目のまま、原は由美に笑顔を向け、背を向けた。
町の片隅にある小さなケーキ屋――ゆうら。
由美はそこで働いている。
そして、原はゆうらの常連客で、彼が常連になるきっかけを作ったのは自分だ。
(こんなことになるなら、あの時声をかけるんじゃなかったかな……)
ある日の夕方、由美が店の前を掃除していた時に、生気のない顔で立ち尽くしていた原を見つけた。
なんだか放っておけなくて、由美は思わず声をかけたのだ。
「あの〜、大丈夫ですか?」
「……こんなところに立っていては、迷惑ですよね。すみません、すぐに消えますから」
「いえ、そうじゃなくて……ちょっと待ってください!」
申し訳なさそうに謝り、立ち去ろうとする原を引き留めて、由美は急いで店の中からあるものをとってきた。
「どうぞ!」
「え?」
「はい、あーん」
由美は、原の口元に試食のひと口を差し出した。
「あー……ん!? おいしい」
死んだ魚のような目をしていた原が、シフォンケーキのしっとりとした食感と生クリームの甘みに目を輝かせた。
「落ち込んだ時は、甘いものに限りますよね。ぜひ、ケーキ屋ゆうらに寄っていきませんか?」
これが、原との出会いだった。
それからというもの、原は毎週のようにケーキを買いに来るようになり、その頻度も徐々に増えていった。
今ではほぼ毎日仕事帰りにゆうらに寄るのが日課になっている。
原はいつも楽しそうにケーキを選んで、幸せそうに帰っていく。
そんな姿を見るのが由美も好きだった。
初対面の時の姿が信じられないほど、生き生きとしているから。
(やっぱり、ケーキは最高だよね)
甘いものが大好きな由美にとって、ケーキ屋で働くのは天職だ。
とはいえ、パティシエとしてはまだ新米で、いつか自分の店を持つという目標に向かって日々頑張っているところだ。
由美にとって、ケーキは甘い夢であり、幸せそのもの。
辛い現実を一時でも忘れられる、人を笑顔にするケーキを届けたい。
そういう想いを持って由美はゆうらで働いている。
だから、原が笑顔になってくれたことが本当に嬉しかったのだ。
出会ったのは春だったのに、もう冬になろうとしている。
このまま、ただの店員と客の関係であれば、それでよかった。
しかし、原はどういうわけか由美のことを好きになってしまい、ある日告白してきたのだ。
『僕は、ゆうらのケーキが好きです。でも、矢田さんの方がもっと好きになってしまいました』
原のことはかっこいいと思うし、優しい人だと知っている。
けれど、由美は結婚願望もなく、恋人がほしいとも思っていない。
そもそも、恋愛感情がどういうものなのか分からないし、男性への苦手意識の方が強い。
(人を好きになるって、どんな感じなんだろう……)
好意は踏みにじられて、愛は裏切られるもの。
由美の母は父に浮気されて離婚した。
父は母の他に二人も女を作っていたらしい。
それがよほどショックだったのだろう。
母は、思春期の由美にきつく言い聞かせるように言った。
「いい? 由美。男に好かれるのはいい。相手にしなきゃいいんだからね。でも、好きになったらいけないよ。恋愛に溺れる人間は馬鹿をみるからね」
母の教えを守り、告白をされても誰とも付き合わず、恋に憧れや夢を抱くこともなく、由美の青春時代は過ぎていった。
影では「高嶺の花気取り」だと嗤われていたことも知っている。
それでも、由美にとっては母の言葉の方が心に響いていた。
恋をしたら、傷つくことが増えるだけ。
恋愛体質の友人たちを見ていてもそう思う。
結婚したら、もっと悩みは増えていく。
夫との関係だけではなく、義両親との付き合い、子育てのことだって、考えることは山ほどある。
愛だけでは生きていけない。
漫画や小説のような甘いだけの恋なんて存在しないのだ。
だから、由美は二十六歳になった今でも恋愛をするつもりは一切なかった。
原に最初に告白されたときも、いつものように断った。
いつもと違っていたのは、原は断り続けている今でも由美のことを好きだということだ。
好きになれないとはっきり言っているにも関わらず。
(私のどこがそんなに好きなんだろう……?)
接客業だから笑顔で対応しているし、由美は仕事と割り切っている。
好きになってもらった自分はつくりものかもしれない。
顔が好みなのだろうか。
気になって、一度聞いてみたことがある。
「原さん、もし本当の私がとんでもない悪女だったらどうするんですか?」
「悪女でもかまいませんよ。どんな矢田さんでも大好きな自信がありますから」
「騙されて、傷つけられても?」
「はい。少しでも矢田さんの傍にいられるなら、それが僕の幸せです」
「……原さんって、変わってますね。ちょっと怖いですよ」
「自分でもびっくりです。こんなに誰かを好きになったことはないので」
ただただ好きで、愛おしい。
目に入れても痛くない存在。
それが原にとっての由美なのだ。
家族でもない他人をそんな風に想えるなんて、純粋にすごいことだ。
(お母さん……私、原さんなら信じてもいい気がしてきたよ)
ずっと断り続けていたけれど、次の新作ケーキ発売日にデートに誘ってみよう。
もっと原のことを知ることができれば、好きという気持ちが分かるかもしれない。
母はずっと父を恨んで、男はみんな浮気するものだと思っているが、そうじゃない人もいる。
由美は原に出会ってそう思えた。
まっすぐに好きだと伝えてくれることが、こんなにも嬉しくて、幸せなんだということを教えてくれた。
「私も、同じように原さんのことを好きになってみたい……」
恋愛感情はまだわからない。
それでも、知りたいと思った。
その相手は原がいい。
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