第21話

 ――それから、しばらくの時が経ち。

 迎えた、夏休み。


 蝉の声に包まれた、水鶴神社の石鳥居の前。そばに立つ松林の木陰の中。


 待ち合わせに指定されたその場所で、ヨサリは落ち着かない気持ちで立っている。


 いくら日陰とはいえ、真夏の日差しに熱された空気と触れているだけで、蒸されているかのようだった。足元のアスファルトからは、ジリジリと肌を焦がすような熱が伝わってくる。


 時折、ささやかな風が吹き抜けていく。が、生温くて汗も引かない。


 こんな風でも、普段の着崩した着物ならば多少は涼しいのだが、と思う。黒一色のポロシャツにベージュのスラックス、という今の格好では、風すら入ってこなくて窮屈なばかりだ。


 肩にかけた竹刀袋を汗ばんだ手で背負い直し、いつもは腰から下げている重みを感じながら、空を見上げる。


 すがすがしい鮮やかな青色の中、もくもくと膨らんだまばゆい入道雲。


 ヨサリがこうして待ち合わせしているのは、とある親睦会に潜入するためである。

 発端は、定期試験の直前。あの「口の中に黒い卒塔婆が生えている女」に出会ってから数日後のことだった。




 その日の講義を終えた後、ハルとヨサリは真っ直ぐ水鶴神社へと向かった。


 蓮見から「お願いしたいことがあるの」と呼び出されたのだ。


 出迎えた蓮見は、二人を社務所の応接間に通すやいなや、単刀直入に言う。


「『自然を見つめる会』の親睦会に、一緒に来てほしいの」

「し、自然を……親睦会……?」

「うん。佳純から――例の、口の中に黒い卒塔婆が生えているっていう子から、誘われてて」


 首を傾げたハルに、蓮見は順を追って話し始める。


 森下佳純もりしたかすみは、蓮見と同じゼミに所属する、大学に入ってから知り合った友人だという。


 先のカフェテリアでの一件以来、彼女についてそれとなく調べていた蓮見は、普段活動しているテニス部の他に「自然を見つめる会」というサークルにも所属していることを知った。


 それが、どうにも怪しいようなのだ。


 森下に話を聞いてみても


「自然の中で自分と向き合いましょ~みたいな感じぃ? つっても、やってることは森の中でウォーキングとか、バーベキューとか。結構楽しいよ?」


 と、あっけらかんと話すばかりで、実態が判然としない。


 本当にそれだけならばよくある自己啓発サークルなのだが、クラブハウスの一角にある「自然を見つめる会」の部屋を通りがけに覗いてしまってからというもの、不信感が拭えないのだという。


 その部屋の隅に置かれていたのは……ただならぬ気配を感じる、何かの祭壇らしきもの。


「それで、そのサークルが夏休みに親睦会として、『みたかのもりキャンプ場』でバーベキューをやるみたいで。サークル外の人でも大歓迎だから、是非彼氏くんも一緒にって、しつこくて……」


 言いながら、蓮見が申し訳なさげに目を伏せる。


「えっ? もしかして俺、誤解されっぱなしなんスか?」

「ご、ごめん。何度も言ってるんだけど、聞いてくれなくて」

「いえ、そんな! 俺の方こそ!」


 ピッタリと手を合わせた蓮見に、ハルは顔の前に両手を立て、慌てたように首を横に振った。


「でも、そう思ってくれてるってことは……俺が参加しても不自然じゃない……?」

「うん。いい口実になると思う」


 蓮見は力強くうなずくと、迷いのない口調で言う。


「わたしも、参加したいと思ってる。どうして佳純の中に黒い卒塔婆があるのか、『自然を見つめる会』が何なのか、確かめたいから。……だけど、一人だとちょっと心細くて。ハルくんとヨサリさんが一緒なら心強いんだけど、どうかな?」

「任せてくださいよ! な、ヨサリ!」

「あぁ。勿論だ」


 そういう訳で、三人は夏休みに行われる「自然を見つめる会」の親睦会へ潜入することになった。


 ……のだが。


 今後の予定を話し合い解散となった後、ヨサリは一人、社殿の隣にそびえるイチョウの巨木に背を預けていた。


 快諾したものの、己に何が出来ようか、と考え込んでいたのである。


 親睦会に潜入し、森下やサークルメンバーたちから情報を得るのならば、そばで目を光らせ、直接話を聞くのがいいだろう。


 しかし、それは不可能だ。


 そもそも、獄卒であるヨサリは、亡者や怪異を相手取るのが本分である。これまでやってきた護衛の真似事ならまだしも、潜入調査となると、人間の目からは見えないヨサリに出来ることは限られてくる。


 かといって、それを蓮見に任せるのは不安が拭えないし、何でも顔に出てしまうハルは論外である。


 となれば、残る方法は――。


 その時、頭上からバサリと羽ばたく音がした。


 たちまち、大きな白い翼を広げた一羽の鶴が降りてきて、ヨサリの目の前にやってくる。


「水鶴殿」

「やぁ、ヨサリ。話は聞いたか?」

「えぇ。喜んで力になりますよ。……なれるかは分かりませんが」

「はっはっは、謙遜とは珍しい。おぬしほど頼もしいものはおるまいに」


 いえ、本心ですが。そうは思ったが、楽しそうに畳んだ羽を揺らしている鶴を見て、言わないことにした。わざわざ明かすのも野暮だろう。


 そんなヨサリの内心を知ってか知らずか、鶴はどこか言い聞かせるような、静かな声で言う。


「まぁ、そう心配するな。万が一の対処は千鶴に教えてある」

「教えるって、どうやって? 彼女、見えないでしょう」

「いやなに、ちょいと夢枕にな」

「……なるほど」


 立ったのか、夢枕に。


 ヨサリの気配も感じ取れる蓮見のことだ、夢の中に現われた鶴の言葉を受け取ることも可能なのだろう。蓮見が「自然を見つめる会」への警戒を強めているのも、それが理由の一つかもしれない。


 すると、鶴は黒く細長い足でこちらへ一歩近づき、細長い首を伸ばしてくる。


 そのまま、ヨサリの腰に下がっている刀へ――無意識に刀のつかを撫でていた左手の下まで、くちばしを寄せると。


「では、頼んだぞ」


 そう言ってつばをつついた。


 キン、キン、と辺りに響く、綺麗な金属音。


 それを聞き届けた鶴は、白い羽をはばたかせながら、満足げに飛び去ってしまう。


 ふと、残されたヨサリの左手に伝わってくる、水のように清らかなひんやりとした気配。


 ……そんな片手間に加護を与えるのはおやめください。




 そうして迎えた、「自然を見つめる会」の親睦会当日。


 程なくして、待ち合わせ場所の石鳥居の前に男が一人、のんびりとした足取りでやってくる。


 ゆったりとしたシルエットの半袖シャツに、足首が見える丈のワイドパンツ。少し寝癖のついた、ふわふわの白茶色の髪。見慣れた、大きい瞳のせいで少し幼く見える顔。ハルである。


 ハルは、ヨサリを見つけるなり、口をあんぐりと開けて立ち止まった。


「……え?」

「何だ」

「えっ? その声、その顔……ア、アンタまさか、ヨサリか?!」

「そうだが」

「誰ぇ?!」

「今自分で言ったろう」


 まぁ、無理もないか。


 着ているのはいつもの着物ではないし、腰に刀も下げていない。


 今のヨサリの姿は、人と同じように化けた「人間としての姿」である。人間たちの目にもはっきりと見え、声も届き、現代社会にいても目立たない洋装の姿。人に化けられる妖怪サザキから教えられるがまま、会得した姿だった。

 ……まさか、こうして役に立つ時が来るとは思わなかったが。


 するとそこへ、境内へと続く石階段の上から、軽やかな足音が降りてくる。


 スラリとした印象の紺のパンツを履いた足を弾ませ、夏らしい涼しげなストライブのシャツを着た肩の上で、癖のない黒髪を艶やかに揺らして。少し急ぎ足にやってきた蓮見は、手首に着けた赤い腕時計をチラッと確かめてから言う。


「ハルくん、おはよう。待たせちゃった?」

「あっ?! 蓮見先輩、おはようごさいます! いいところに!」

「おいっ」


 見てくれ、と言わんばかりに肩を掴まれたヨサリは、無理矢理ハルの隣に立たされる。


 たちまち、きょとんと首を傾げる蓮見。が、気配を感じたのか、すぐに思い至ったようで。


「……もしかして、貴方がヨサリさん?」

「あぁ。そうか、姿を見るのは初めてか」


 初めてこちらを真っ直ぐに向いた視線に大きく首を縦に振れば、蓮見は嬉しそうに頬をほころばせる。


 そうして二人で挨拶を交わしていると、ハルがヨサリを見つめながら、その周りをぐるぐると回り始めた。じっとしていられないらしい。犬か、お前は。


「お、おぉ~~……!」

「……何なんだ、さっきから。不自然なところがあれば直すから、遠慮無く言え。得意だろう?」

「いや、おかしいとかじゃなくて。新鮮で」

「はぁ、新鮮」


 曖昧にうなずいたところで、ふと後頭部に視線を感じて気が付く。


 普段は長い黒髪を頭の後ろで一つに束ねているが、今はすっかり散切りだ。


 ヨサリは思わず、随分すっきりとした自分のうなじを撫でた。


「……現代では、髪の長い男は目立つだろう」

「あぁ、そういう」

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