【アップ】2024年1月7日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】2024年1月7日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/live/aEGtwvm7970?app=desktop&feature=share


前奏

招詞 ヨハネの黙示録4章11節

頌 栄 たたえよ、主の民[こ改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り(週報裏面)

十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教 

子どもと親のカテキズム問69

「安息日のめぐみ」

こどもさんびか

きょうはひかりが[改2(1節)]

牧 会 祈祷

讃 美 歌 75番

聖書

ローマの信徒への手紙8章31~39節(新約P285)

申命記26章5~11節 (旧約P320)

説 教

「ただ一つの慰め~ここにある愛と生と祈り」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 355番

使 徒 信条

聖餐式

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄 543番

祝 祷

報 告



讃美歌~♬


讃美歌第75番「ものみなこぞりて」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=VfgDnZRUxAk


1.

ものみなこぞりて、みかみをたたえよ、

ハレルヤ、ハレルヤ。

光のもとなる 日を造りましし、

みかみをたたえよ、

ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。

2.

月かげさやかに み空にかがやく、

ハレルヤ、ハレルヤ。

きらめく星をも、静かにみちびく

みかみをたたえよ、

ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。

3.

小川の流れは ほめごとささやく、

ハレルヤ、ハレルヤ。

実りも豊けき、大地を与えし

みかみをたたえよ。

ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。

4.

世の悩みも死も いかで恐るべき、

ハレルヤ、ハレルヤ。

たがいに助くる 心を賜いし

みかみをたたえよ。

ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。


讃美歌355番(歌詞付)54年版「主をあおぎみれば」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=3TA-CK23XSE


1

主を仰ぎ見れば 古きわれは

現世(うつしよ)と共に 速く去りゆき

われならぬわれの あらわれきて

見ずや天地ぞ あらたまれる

2

うつくしの都 エルサレムは

今こそくだりて われに来つれ

主ともに在(いま)せば つきぬさちは

きよき河のごと 湧きてながる

3

うるわし慕わし とこ世の国

うららに恵みの 日かげ照れば

生命の木の実は みのり繁く

もはや死の影も なやみもなし

4

つゆだに功の あらぬ身をも

潔めてみくにの 世嗣(よつぎ)となし

黄金のみとのに 住ませたもう

わが主の愛こそ かぎりなけれ



2024年1月7日 礼拝説教 中心聖句


わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。

ローマの信徒への手紙 8 章 32節


あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。

申命記26章5節

-

はじめに

主の定められた年の始め、「ただ一つの慰め」を、命の言葉から共に学びたい。

「わたしたちのただ一つの慰め」は何か、と、ハイデルベルク信仰問答は問う。この「慰め」とは、一時の気休めではなく、主イエス・キリストの内に、罪と悲惨からの救いにあずかり、救いの恵みへの感謝の応答を、真実に表すこと。信仰と生活のすべて。その中心的な教えは、「わたしが生きるにも死ぬにも、体も魂も、自分自身のものではなく、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものである、ということ」(ハイデルベルク信仰問答コンペンディウム問1)。主イエスは、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と問い、「神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るときに、その者は恥じる」と預言された(マルコ8章35,38節)。十字架の言葉を恥じることなく、自分の十字架を負って主に従うことを求めること、それは、ただ一つの信仰による自己奉献(献身)。

「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまずに死に渡された方」とは、目に見える苦難の中で、御子を与えてくださった、唯一まことの神において、将来の希望を望む思いと考えを抱く、使徒の眼差しの中心にあるお方。そして、このお方が、「御子の一緒にすべてのものをわたしたちに恵みとして与えてくださる」。「だれが神に選ばれた者たちを訴えるのか」。決してできない。それは、唯一の審判者である神ご自身が、「彼らを義とする」方であるから。「だれがわたしたちを罪に定めることができるか」。だれもできない。それは、復活の主が、敵を足台とされるほどに、固く、義の守りの中に留めておられるから。「だれが、わたしたちをキリストの愛から引き離すのか」。「艱難か、苦しみか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か」。いずれもあり得ない。「キリストの愛」とは、キリストへの愛か、キリストからの愛か、いずれにも解される。いずれにしても、このキリストの愛が、公然と証しされるとき、わたしたちは、必ず苦難に直面する。それは、世の小羊となられたお方と同様に、キリストの群れ、選ばれた民、召し集められた者たち(エクレシア)

である教会の負うべき苦難そのもの。「あなたのためにわたしたちは一日中死にさらされ、屠られる羊のようにみなされている」と書いているとおり(詩編44編23節)。今、わたしたちが、苦難に遭っているなら、それは、信仰を捨てていないから。しかし、本来的に、信仰を与え、奪うお方は、ただ唯一の神のみ。むしろ「信仰の薄い」「無きに等しい」ほどの者をも、主は、憐れんでくださって、ご自身の民として、わたしたちに将来の栄光を約束する。

「にもかかわらず、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方のゆえに、これらすべてにおいて勝利してなお余りがある」。「なぜなら、わたしはこう確信するから」「死も、生命も、御使いたちも、支配者たちも、現在のものも、将来のものも、力あるものも、崇高なものも、深淵なものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」。これほどまでに、キリストのものとされた者たちの愛と生と祈りは、常時、たしかな、この慰めと希望の中にある。

おわりに

主が与えてくださった初物をささげる時、求められた信仰告白は、出エジプトと約束の地カナンでの祝福。キリストの贖いと祝福を告白する、今日、献身の誓いを新たに。



(Mynote)

二〇二四年一月七日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。今日は年明けて最初の礼拝である。

(子供メッセージ)

『子供と親のカテキズム 問六九』

「第四戒で、神様は私達に何を求めて居られますか。」

「私達の安息日は、キリストが復活された日曜日です。神様は、この日を主(しゅ)の日として、特別に取り分け、教会で礼拝を捧げ、救いの祝福を喜び、清く休んで六日間の歩みに備える事を求めて居られます。安息日の恵みに励まされて、私達は御国を目指して神様と共に歩みます。」

イエス様は「誰でも疲れた人は、私の元に来なさい。休ませてあげよう」と全ての人々に言われた。またイエス様と共に歩んだ弟子達は安息日に、人を助ける働きをして居た。それを見た当時の人々がイエス様を非難した。安息日に働いたからである。でもイエス様は「神様があなた達にして下さって居る事を考えなさい」と諭され、神様は何時(いつ)でも変わらず人々を養って下さる事を教えられた。

(公同礼拝)

『ローマ人への手紙』(第八章三一〜三九節)

『申命記』(第二六章五〜一一節)

「もし、神が私達の味方であるなら、誰が私達に敵し得ようか。御自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、私達全ての者の為に死に渡された方が、どうして、御子のみならず万物をも賜らない事があろうか。誰が、神の選ばれた者達を訴えるのか。神は彼等を義とされるのである。誰が、私達を罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、甦って、神の右に座し、又、私達の為に執り成して下さるのである。誰が、キリストの愛から私達を離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣(つるぎ)か。『私達はあなたの為に終日、死に定められて居り、屠られる羊の様に見られて居る』と書いてある通りである。しかし、私達を愛して下さった方に依って、私達は、これら全ての事に於いて勝ち得て余りが在る。私は確信する。死も生(せい)も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力有るものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、私達の主キリスト・イエスに於ける神の愛から、私達を引き離す事は出来ないのである。」(『ローマ人への手紙』第八章三一〜三九節)

今この世情に於いて、戦争や地震による犠牲と被害、悲しみと絶望に苛まれる人達が居る。他にも飢饉や困難、患難とそれに伴う不安・恐怖・苦しみとにより、生きる(生かされる)事がどうでも辛(つら)く悩ましく、嫌になってしまう人達が在る。その時に、目の前に在る救いは何か?心の中を支配する救いは何か?何を救いとして求め続けるか?これは全ての人にとって現実の、切羽詰まった問題に成る。

神様の事、イエス・キリストの事に就いて、どれだけの人が「本気で救い主・救いと見る事が出来るか?」これが真剣に問われる。

人はとかく目に見える物事・触れる事が出来る物事に弱く、それに全身全霊を以て救いを求める。しかし同時にメディアにも救いを求める事があり、そのメディアは手に掴めるものでないけども、現実に於いて「確かなもの」と認め、救いの代替物として捉える上で、そのメディアにさえ救いを求める事をする。矛盾しながらでもそうではないか?気休めを求め、枯れては又求める。この繰り返しは虚しいものにあり、その理由は「全て人間が造って居るもの」だからである。「人から出るものは全て限りが有る」。共感でき、そのとき自分が求める救いの形に似たものを求め、その「自分の理想に似た救い」を模倣するメディアに心身を寄せて、それを「自分にとっての本当の救い」と本気で信じ、その一生を賭けよう(懸けよう)とする人も在る。

神様に依る救い、キリストに依る救いを求める場合、このメディアと一旦自分を断ち切る事が大事に在る。聖書を自分の目と心で読み、神様とイエス様に自分の体感と心を以て向き合い、そこでこそ糧を得る様に祈り願い、神様とイエス様と自分の一対一の関係に於いて初めて救いを求める。この事が永遠の救いに繋がり、人は神様から与えられるその満たし・救いに依ってしか、乾かない、永遠の救いに与る事は出来ないのである。

この世でどれだけ栄華を得ても、どれだけ世界に君臨し覇権を牛耳り、その独裁の下(もと)でステータスを上げ、立場と権力と財産を高めても、その一秒後に死んでは何にも成らない。死の向こうにその君臨も覇権もステータスも立場も権力も財産も持って行けず、寧ろその地上でその人が為した言動により、神様に裁かれる事になる。その時にこそ、どれだけの平安がその人の内と外とに在るかである。この問題を、人は日常で非常に軽視し易い。クリスチャンにもこの事は問われる。

讃美歌を歌う時でも、聖書を読む時でも、どれだけ本気で神様とイエス様に向かい、自分を吟味し、自分の罪を思い知りつつ、それによる神様からの救いを感謝しながら、歌い、読む事が出来て居るか?これはとても大事な事である。信仰に直結する事柄に在り、普段の自分の在り方、クリスチャンならクリスチャンとしての在り方が問われるのである。讃美歌が作られた当時の人々にとって、その詞(うた)を歌う事は命懸けの場合があった。当時、イエス様が活動された場所を始め福音宣教が伝えられた時代には、キリストの真実を伝える上で迫害され、捕縛され、鞭打たれ、挙句は殺される者達が多かった。イエス様を始め十二弟子達、そして福音に活動した者達の内から殉教した者達は、メインに活動した者達の殆どに在る。詰りそれだけ当時から暫くその後に掛けて、イスラエル・ユダヤが多くの民族から迫害され滅ぼされ掛けた様に、福音を伝える事、延いて讃美歌を歌う事さえ命懸けであった。

しかしこの『ローマ人への手紙』と『申命記』の両箇所に於いて、先ず福音に生かされる者達が「イエスに於ける神の愛から、私達を引き離す事は出来ない」とはっきり断定して居る。詰り「それでも勝利する」と言う事を証明し、その事を本気で信じる強さの事を語って居る。この事をどれだけ「本当だ」と信じる事が出来るか?その時に必要なのが「自分にとっての本当の救いが何なのか?」と言う事の究極であり、その究極を普段からどの様な救いに見て居るか?…が問題になる。

大抵の人は世間(俗世である人の世)と妥協する。神様はその救いを求める点に於いて「人の世と妥協してはならない」と教えた(『ローマ人への手紙』第一二章二節)。教会は昔から人の世間に「殺され続けた存在」である。それでも妥協せず、己の牙城を信仰に於いて守る様に努力し、その経過と結果を護られて居るのは聖霊の働きであり、神様の御力である。世間と妥協すると言うのは諦めであり、闘いに無い。この闘いとは自分の罪と信仰の理想との闘いに在り、悪魔と神様に創られた自分との闘いに在る。

人は苦境に陥ると、本当に容易く信仰を捨てようとする。そこで悔い改め「やはり何が何でも神様に救われたい!」と神様の下(もと)に立ち返る者と、本当に信仰を捨てる者とに別れる事もある。しかしその両者の場合であっても、神様が全ての人に与える恵みと愛の姿と内実は一つも変わらず、同じくその後も全ての人が救われるその機会・時間・空間を設け、与えて下さって居る。この事を憶え、常に神様に立ち返る信仰の在り方を自分に考え、必ずその信仰に依り自分が救われる事を神様に祈り願い続ける事が、全ての人にとって大事と成る。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教13 「神さまの愛に気づく」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=BOsMPGzP8a0&t=10s


「主のことばによって、天の万象は造られた」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=thOuZl_JnJc


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)




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【アップ】2024年1月7日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります 天川裕司 @tenkawayuji

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