2-2 商店街の定理 ~2回戦 商店街のアイドル・池波香子 戦~

 明智は突然の試合開始に少しばかり躊躇する。



「……ガール、もしかしてここでやる? なんかうるさいの来てるけど、やって大丈夫……?」



「やるしかないでしょう。後ろから他にも色々来てるし、あと、まだ2回戦だから、体力キープしないと……何食べてるんですか?」



 よく見ると実況をしている柴田の他にもファンらしき下は男子高校生、同級生らしい女子高生、上は老人まで、十数人が池波いけなみ香子きょうこ――”スズメ刺しの香子”を取り巻くように応援している。



「ビッグカツとね、ヤングドーナツ。これヒデトの好物だから……ガールも食べたい? 食べたくならない?」



「ならないです。早く始めましょう……」



 本将棋のプロ棋士候補でもある香子は、不敵にも明智の差し入れを無視し、ペットボトルのお茶をゴクゴクと嚥下すると、早ジャンケンを開始、結果、先攻が明智と決まった。



 チェスクロックのカウントが120秒から開始される。



<さあ! これで板橋のアイドル、池波香子選手が山を組むぞぉ……次はどんなイリュージョンを見せてくれるんでしょうか……!!?>



「ガール……後ろ、うるさい……うるさくない?」



「うるさいですよね……さっさと終わらせましょう。あとアイドルとか言ってるけど、色々新聞とかSNSに載せるためにメディアが盛ってるだけですから……そして、私が勝ちます」



 香子は駒の裏側に規則性のある並べ方をさせながら、淡々と90秒以上を費やしていく。それ、という呟くような掛け声とともに、山が完成した。



「”九十九つづら折り、浄蓮じょうれんの滝、右四間みぎしけん”」



「……なっ、それってジャパニーズ・ハイク?!」



 駒はいろは坂のようにいくつかの列に分かれ、その中央に王と玉が斜めになって加わっている。現時点では頑張れば一列丸ごと取れるように見える。



 もちろん、「右四間」という言葉は全く関係ないようで、香子の後手番での狙いが何かも分かりにくい。



<おーっとここで、出ました! スズメ刺しの香子、渾身の俳句です! それとも川柳か?! そして右四間はどこにあるのか! どこいったぁ――!!?>



「「香子! きょうこ! きょ・う・こ!」」



 香子がしかめ面をしているのを見て、思わず明智が声をかける。



「ヒデト思うんだけど……ギャラリーがさ、すっげぇうるさい……うるさくない……?」



「えぇ……」



 明智はまず、明らかに「取れる」と思える向かって香子側で横に広がる列から4枚を、摺り寄せるようにして獲得した。





1ターン目 先手 明智ヒデト:金桂歩2 6点

1ターン目 後手 池波香子:0点 



(そちらをあえて取るか……これは……強敵――?)



 香子は一瞬驚いた表情をするも、明智が既に押しており、チェスクロックの秒は30から刻まれていく。



<明智選手、6点を取った。しかし、ここでスズメ刺しの香子、反撃に出ます!>



「せいっ……!」



 香子が縦に伸びた駒の列を奥から内側に食い込ませるように細い中指を引くと、2枚目から先の駒4枚が垂直に立ち、そのままの状態で香子側の盤外へと落ちた。



<出た~!! これぞ香子のスズメ刺し! 先ほどの「寸止めのヤス」こと大島おおしま安啓やすひろ選手もこれにやられたんですよね~>



(このガール……物理法則知ってる。これって結構ヒデト、ヤバいかも……?)



(まさか髪が……?! 危なかった……!)



1ターン目 後手 池波香子:金銀銀歩2 8点

1ターン目 先手 明智ヒデト:金桂歩2 6点



 実は先ほど香子の長く伸びた髪が将棋盤のスレスレのところまで垂れ下がっており、もう少しで香子が「反則負け」になるところだった。



 このゲーム、男女平等なようで、なかなか女性やお洒落には厳しい。



「ガール、さっき髪、危なくなかった? サクラ、ちょっと髪のゴム貸して」



「えっ……はい」



「これでさぁ……髪、留めるといいよ。しっかりまとめて、ギュッと結んでね……あ、もっと下の方、そうそう……良い感じ」



 ピッ、ピッ……



 明智が香子に指示しているうちに持ち時間が10秒を切ってアラームが1秒刻みに鳴っていく。


 

 明智は自分の手前に横に伸びる列をそのまま残し、山の脇にある4枚を素早く確実に盤の下へと落としていった。



2ターン目 先手 明智ヒデト:金金桂歩5 11点 

2ターン目 後手 池波香子:金銀銀歩2 8点



<おっとここで明智選手、現役女子高生の池波選手にうっかり惚れてしまったのか、優しさが出てしまったか~?! スコアを落とし始めましたね!>



(手では私が勝っている……恐らく技術でも……だけど、このおっさんの優しさは引っかかる……まあいい、向かって後ろにある列を一気に取っておっさんとの差を付けるだけ……!!)



 香子はそれほど座高が高い訳でもない。立ち上がり、確実にと、奥にある列へと手を伸ばし、一気に今度は1枚の駒で角を含む5枚の駒を立てて、右側へと突き破って落とすことに成功した。



<出ました、香子のスズメ刺し! 一気に6枚の駒が……!!>



「ガール……ヒデト思うんだけど……そこ、触れてない?」



「えっ……?!」



 明智が将棋盤の横を指さし、何かを指摘する。



「審判、どう……? 触れた? 触れてない……?」



 負けて審判をしている金髪の男――古賀が、明智の指摘に回答した。



「確かに今のは触れたな。髪の束が、将棋盤に。つまり、これは反則デスゲームだぜ……」



 勝負で現在使用している指とその指が含まれる手(手首から上)以外の身体の一部が駒や盤に触れた場合、即失格となる……それが規則である。



「そう、これってさぁ、ヒデト思うんだけど……物理学と心理学両方あるよね。髪って長いと邪魔。だから束ねると、解放感みたいなのが出てくる。でもさぁ……結局遠心力が働くと、まあ、油断もするし、当たっちゃうよね」



2ターン目 後手 ●池波香子:角金銀銀香香歩5 20点 (反則負け) 

3ターン目 先手 〇明智ヒデト:金金桂歩5 11点 





<なんと! 明智選手の指摘どおり、池波選手の束ねられた髪が将棋盤に触れてしまい反則! あの優しさは完全にフェイクだったのかー?! 明智選手汚い! それにしても汚いですね!>



「「汚ったねえな、コイツ! 許すな! SNSに晒すぞ!」」



「「見ろよ、こいつ犯罪者みてえな恰好してるぞ!」」



 あちこちから野次が飛ぶ。



「あの、明智さん、でしたよね? 自分から髪を結ぶように勧めておいて、それで髪が当たったら反則負けで、勝ったつもり? 汚いです。それで五段ですか? せめて、騙したことを、謝ってくださいよ。それでも将棋崩しのプレイヤーですか、良い歳した大人の?!!」



「ガール……あのさぁ……」



 明智は指を振り、外した髪ゴムを明智に投げつけて泣きながら赤面して髪を振り乱している香子に言う。



「ヒデト思うんだけど……汚いとか綺麗とか、そういうのないから。悪いけどこれ、勝負だから。これぐらいで怒ってたら人生やってけないよ……人間さぁ、生き残るために何でもする。ヒデトもアメリカの治安悪いエリアいて色々やられた。でもね……必ずやられたら、やり返してきた。だから、ガール……もっと強くなろうぜ。それで強くなったらさ、やり返しにダイブしてきな。ヒデト、いつでも受けて立つからさぁ……」



 明智は例の塾の名前の入った名刺を香子に渡したが、彼女は涙目のまま無言で睨みつけると、立ち去っていった。



「あの……やっぱり明智先生の、今の手って汚いと思います」



 サクラが髪ゴムを髪につけ直しながら、そう言った。



「汚いかもね……でも、思うんだけど、ヒデトのプレイって、必ずサクラの人生で役に立つんじゃないかって、思うの。だからさ、見るといいよ……折角の休みなんだから、ヒデトの本当の意味での強さをさ……」



 さっそく、準々決勝の相手の男が筋肉隆々の腕を回しながら、こちらに向かってきている。



 何かの料理人らしき帽子……



 明智はその勢いに思わず身を構え、対戦モードに入った。

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