朝鮮科挙夜話
高麗楼*鶏林書笈
一
風呂敷包み、日除け用の傘に筵…。
「準備万端、出掛けるとするか」
荷物を背負うと彼は家を出た。空には有明の月が浮かんでいた。
「開始時間には十分間に合うが、科場には出来るだけ早く入った方がいいだろう」
彼は歩みを早めた。
貧しい身形をしているが、彼は士大夫家の子息である。かつては朝廷で活躍するような人物を何人も出したが、政変その他ですっかり落ちぶれてしまい、彼が生まれた頃は日々食べていくだけでやっとの生活だった。
それに加えて疫病によって親兄弟も亡くなり、彼は天涯孤独の身の上になってしまった。
それでも彼は士人としての矜持を忘れず、出仕して国家と民のために尽くそうと日々学問に勤しんでいた。
そして、これまで何度か官吏登用試験である科挙を受けたのだが、合格には至らなかった。
自身の力不足であるのは承知しているのだが、納得し難い面もあった。
日が登り始め、彼は都に近付きつつあった。
周囲には、彼同様、風呂敷包みや日傘、筵を抱えた人々が見られ始めた。彼らは三、四人の小集団を成していた。
今日(こんにち)、科挙を受ける者の大半はこのように数人を引き連れていて、彼のように受験者一人で科場入りする者はごく少数だった。
受験者は、席取りや雑事をする者、答案を作成する者、答案を清書する者を引き連れていた。本人に能力が無くても、こうした者たちを雇える者は合格が可能なのである。
逆に雇えない者は、全てを自分一人でせねばならず、学力以外の負担も大きかった。
本来、科挙は一人で受けるものだったはず、朝鮮はいつからこのようになってしまったのだろうか。
彼は嘆いたが、致し方ないことだった。そして、今回、落ちた場合、彼は雇われる側になるつもりだった。
いつの間にか、都に入り、科場に辿り着いた。
既に場所取りが始まっていた。荷物を担いだ彼も走り出し、その渦中に飛び込んでいった。
運良くいい場所を取れた彼は筵を広げ、日傘を広げて文房具を並べた。
全てが終わったところで、試験開始となり受験生或いはその従者たちは正面の壁に貼られた課題を見に行き、答案用紙を受け取った。
前方の席にいた彼は素早く課題を見て答案用紙を受け取る。答案用紙も数が限られていて遅れると得られないのである。それゆえ前方に席を取る必要があるのであった。
彼は墨を擦りながら課題を頭の中でまとめていった。そして、一文字一文字丁寧に答案に記していった。
集められた答案用紙を採点官は、一枚一枚目を通していった。
「毎度のことながら、同じような内容ばかりですね」
一人の採点官が言うと、
「そりゃそうですよ、“専門業者”たちが書いているのですから」
と別の採点官が苦笑しながら応じた。
採点官はもちろんのこと、朝廷の人々も科挙受験者本人が回答をしていないことを知っていた。
「おや、これは…」
採点官が手にしたのは彼の答案だった。
「内容は荒削りですが、独自の視点で記されていますね」
「文字も勢いがあり、風格がありますね」
採点官たちは彼の答案に合格点を与えた。
その後、彼は最終選考まで残り、念願の官吏になった。
彼は初心を忘れず、国と民のために生涯を尽くしたのだった。
朝鮮科挙夜話 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu
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