異世界で守護神(ゴールキーパー)はじめました
カジカガエル
人間のサッカーの思い出
人間のサッカーでの私の公式戦出場回数は五試合。
都内の私立校、
一年目は部活づくりと基礎練習に費やし、二年生の春に全国高校総合体育大会、いわゆるインターハイの東京予選に出場した。
ポジションはゴールキーパー。
公式戦は初めてだったが、この時点での私の身長は196センチに達していて、ポジション適性が高かった。
フォワードとして敵ゴール前でポストプレーをするという方向性もあったのだけれど、結局私以外にキーパー向きの選手がいなかった。
無名校同士の対戦となった一回戦と二回戦を勝ち進んだ私達は三回戦目で全国最強クラスの強豪
初出場の新造チームに太刀打ちできる相手ではない。ボロボロに負けることになるだろうが、とにかく精一杯やろうと覚悟し試合に挑んだ。
後に控えるライバル校や別のリーグ戦の試合を考慮し、白星学園は主力を温存していたが、それでも桁違いの戦闘力を見せつける。
開始数十秒でピッチを制圧。前半だけで一六本ものシュートを撃ち込んで来た。
インターハイの試合時間は通常の四十五分ハーフではなく三十五分ハーフなので、二分に一発近い頻度でシュートを打たれている。
けれど、失点はゼロ。
サッカーをやっているとは思えないサイクルでボールが飛んで来たが、反応できないシュートも、止められないシュートもなかった。
二メートル近い身長から来る手足の長さに生来の反応速度、バレエや乗馬で養った柔軟性とバランス感覚が思わぬ場面で噛み合って全てのボールをキャッチ、あるいははじき返すことができた。
対戦相手の白星学園はもちろん、味方の恵泉付属の選手たちも目を丸くする展開だったが、私自身も驚いていた。
体格だけなら大会ナンバーワンなのは自覚していたので、中堅校くらいまでなら通用するかも知れないと思っていたが、アンダー17の日本代表選手まで擁する強豪の白星学園に太刀打ちできるとは夢にも思わなかった。
一対一からドリブル突破を仕掛けられる場面もあったが、これも普通に足元で対応し、クリアできてしまった。
猛烈に攻めてはいるが無得点、という状況を打破すべく白星学園は主力選手を投入したが、それでもスコアは動かない。
嫌なタイミングや角度からのシュートは増えたが、対応できない場面はなかった。
いわゆるフロー、もしくはゾーンと言われるような集中状態に入っていたのか、気がつけば三五シュート三五セーブという記録を残し、試合終了の笛が鳴っていた。
延長はなし。PK戦でも全てのシュートを止め、最後は私自身がゴールを決めて優勝候補の白星学園を打ち破った。
次の試合は準々決勝。
やはり格上の高校が相手だったが、この試合も〇点に抑えることができた。
最後は相手の疲労と焦りを突いてフォワードがゴールを奪い一対〇で準決勝進出。
準決勝の相手は白星学園とならぶ優勝候補の一角、
戦力の温存はせず最初からベストメンバーを投入してきたが、これも防ぎ切ることができた。
二九シュート二九セーブ。
〇対〇でPK戦に突入。
今回は双方五人ともゴールを外しサドンデスにもつれ込んだ。
神経戦のような戦いの末に恵泉付属の十人目のキッカーがゴールを奪い、決勝進出の権利を手に入れた。
決勝の相手は最後のシード校となる
全国トップクラスの強豪である白星学園と宗鉄高校を完封して勝ち上がったことで高校サッカーばかりか日本代表の関係者やスポーツ関係の記者やライターなども注目する試合となっていたそうだ。
けれど、恵泉付属高校女子サッカー部はそこで決勝の辞退を宣言し、廃部となった。
その異様な快進撃と退場劇は一時ネットで話題となり、部員の飲酒喫煙が判明した、あるいはドーピングが発覚した。身長二メートルの巨大GKがトランスジェンダーだったなど、失礼で真偽不明の噂は色々と流れたが、そのまま続報もなく忘れられることになった。
外部の人間はもちろん、当事者である女子サッカー部員たちにすら正確な理由を知らされることなく強行された解散劇。
真相は、私の父からの圧力だった。
私の名前は
女子サッカー日本代表の愛称と同じ名前だが、単純に大和撫子という言葉からとっただけらしい。
父の名は二木
世界的なエレクトロニクス企業として知られるフタツギグループの会長だった。
フタツギの創業者一族の長男として生まれ、日本の最上流層として生きてきた父にとって十六歳で一九六センチに達した私の超高身長は、深刻な懸案事項だった。
名家である二木家の娘としては、あまりにも大きすぎる。
あまりにも異様過ぎると。
そんな私が女子サッカーの世界で注目を集め始める。
それは懸案事項を通り越し、重大事件そのものだった。
もちろん最初に許可はとっていたが、ここまで大きな注目を浴びることになるのは想定外だったのだろう。
驚き、激昂した父は恵泉付属が所属する恵泉グループのスポーツ部長に連絡を取り、女子サッカー部に決勝戦を辞退させた上、廃部とするように要請した。
フタツギは恵泉グループの出資者であり、卒業生の有力な就職先でもあった。
恵泉の首脳陣は、父の要請のほとんどを即座に受け容れた。
学校側から決勝辞退、及び廃部の決定を伝えられたのは決勝の前日。
大した努力もしていないのにまぐれで勝ち上がり、強豪チームを相手に見苦しい試合を繰り返す女子サッカー部の活動は恵泉大学グループの品位を著しく汚すものだという滅茶苦茶な理由だった。
理不尽極まりないが、その決定を出したのは恵泉大学グループ全体の首脳部であり、方針に従わなければ女子サッカー部関係者は恵泉大学への内部進学はさせないと脅され、屈服させられる格好になった。
弁護士などに相談し、出るところに出れば、あるいはどうにかなったかも知れないが、恵泉付属高校女子サッカー部の大半は発起人である友人の熱意に押され、付き合いや協力の形で部に参加していた。
メンバー全員の進学を棒に振るリスクを犯してまで戦い抜くのは不可能だった。
そうして恵泉付属高校女子サッカー部は解散し、人間のサッカーにおける私の選手生命も終わった。
女子サッカー部の廃部の真相を知ったのは決勝の翌日。
父からの電話で恵泉付属から箱根山中の寄宿学校に転校するよう命じられた時だった。
最後の希望をかけ、女子サッカー部の廃部を撤回させられないかと相談したところ。
「女子サッカー部は私が恵泉のスポーツ部長に言って廃部にさせた。恵泉のような名門に女子サッカーなどという下品な競技は相応しくない」
という言葉が返ってきた。
それでようやく、理解できた。
父のせいだった。
私のせいだったと。
「指導的な立場の生徒や教員は退学、免職にするように要求したが、さすがにそこまではと言われてな。恵泉の指導部は温情的だった。逆恨みなどするな。これ以上わきまえないことをするようなら、今度こそ関係者全員の将来が閉ざされることになる」
そこから先の言葉は、覚えていない。
はっきりとした殺意が湧いたことは覚えているが、電話越しではどうしようもなかった。
また、真相を理解した瞬間は怒りが先行したものの、すぐ罪悪感に苛まれるようになった。
実際に圧力をかけたのは私の父だが、女子サッカー部に私が関与しなければ、こんなことにはならなかった。
女子サッカーにかけた友人の思いを踏みにじることにはならなかった。
そんな感情に支配された私は、結局父の命令通り、箱根の寄宿学校へ移ることになった。
恵泉の友人たちから、あるいは自分の過ちから、逃げ出すような格好で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます