外典 1-3 話が予想外の方向に

いったい何がどうなっているんだ。


 顎の下を手で拭った。ジワリと嫌な汗をかいていた。


 一辻ゆうこを振り切ったのは良いものの、同じクラスで隣の席だから顔を合せずに済む方法が思いつかない。取り合えず、今日のところは午後の授業を全部サボろうと決めた。一晩頭を冷やせば彼女も落ち着くかも知れない。


 屋上の定位置である給水タンクの上に登って一息ついた。今どきのJKというのは、ああいった感じなのだろうか。

 いやいや、そんな筈はあるまい。今までコレまであんな極端な女生徒にはお目にかかった事がなかった。あの子が普通じゃ無いのは間違いなかろう。


 しかしコレからどうしたものか。

 今日はこのまま姿を隠してはぐらかせるが、明日以降も同じ調子で来られたら面倒だ。厄介ですらある。業務に差しさわりが出かねない。


 タンクの上で胡座をかき、腕組みして小首を傾げ、何とかならぬモノかと考えていたら「こんな所に居た」と声がした。ふと見下ろして見たら見慣れない男子が笑いながら見上げていた。「誰?」と問うたら「クラスメイトの顔も忘れちゃったのかい」と言われた。


 ああ、そう言われたら見かけたような気もする。悪かったわね、転入したてで皆の顔と名前を憶えていないのだと返事をした。


「そっちに登っていっていいかい?」


「良いわよ。ちょうど降りる所だったから」


「連れないね」


「こんな所に何の用?屋上は立ち入り禁止の筈だったけれど」


「きみが登っていったのを見かけんで追いかけたんだよ」


「授業をサボって、悪い子」


「きみと一緒じゃないか」


「まぁそうね」


「一辻に迫られて一目散に逃げていたからね。気に為ったんだよ」


「見てたの」


「あんな場所で不用心だよ二人とも。二階にあるボクらの教室の真下じゃないか」


「そう言えばそうね」


 あたしはぴょんとタンクの上から飛び降りて彼の横に立つと「じゃあ、あたしは行くからごゆっくり」と言って脇を擦り抜けようとした。だが、待ってと腕を取られた。


「なに?手を放して欲しいんだけど」


 男子は「ゴメン」と慌てて手を放したが、ちょっと待って欲しいと両掌を開いてジェスチャーをした。


「悪かったよ。でも一言云っておきたい事があって。だからきみを追いかけてきたんだよ」


 何故なにゆえ、と言おうとして不意に何かが閃いた。なんだろうこの既視感。嫌な予感がする。


「名前を憶えていないって言っていたね。ボクは二階堂裕也。邑﨑さん、きみの事が好きです」


「・・・・なんで?」


 予感は当たったが全然嬉しくなかった。


「好きっていう気持ちに理由は要らないと思うな」


 当然至極といった面持ちで、そのくせ頬を赤らめてはにかんで居た。止めてくれと思った。そしてブルータスおまえもかと言ってやりたかった。


「転入して来た最初の挨拶の時、あっと思ったんだ。この女性ひとが好きになるべき人だ。運命の人なんだ、って」


「タダの勘違いだと思う」


「構わない。本当じゃなくったって極まれれば本物になると思うんだ。ほら、恋愛って言うのは思い込みと勘違いだって言うじゃないか」


 誰だ、そんな迷惑千万な与太を振りまいたヤツは。年頃の少年少女はパッション激しいから本気にするだろうが。


「突然の事でゴメン。返事は直ぐじゃなくてもいい。でも友人から始めるというのはどうかな」


「それは振られた後に口にする台詞ね。そして先回りありがとう、手間が省けたわ」


「そんな連れないコト言わないでさ」


「五月蠅いわね、遠回しに迷惑だと言ってるのよ。じゃあこれで」


 くるりと踵を返すと「お願いだからちょっと待って」とまた腕を取るものだから、半身で振り返ってその額にデコピンをかましてやった。

「くお」と奇妙な悲鳴を上げると、頭を抱えてうずくまった。その隙を逃さず速攻でダッシュ。

 屋上の出入り口に飛び込んで一気に階段を駆け下りた。

 結構いい音がしたが手加減したので怪我はして居ないと思う。

 いや、或いはちょっとばかりは切れたかも。


 かなり塩な対応だったが彼は特に悪くは無い。単純にあたしの虫の居所が悪かったダケだ。運が悪かったのだと諦めてもらおう。世の中にはコレよりも不条理な出来事は山とある。これも経験の内だ。


 彼を振り切ったであろうと思しき辺りで足を緩め、どの辺りで時間を潰そうかと歩き始めたとき、廊下の角から男性教師が現われた。

 しまったと思った。以前あたしがあしらった若い数学教師だったからだ。開口一番「こんな場所で何をして居る」と咎めらた。


「授業中だぞ。抜け出したのか」


「トイレに行く最中です。我慢出来なかったので」


「女子トイレなら今しがたきみが通り過ぎた所に在るが」


 ちっ、そうだったか。何てついてない。


「まあいい、きみには少し言っておきたいことが在った」


 待ってくれ、こんな場所でお説教か。まぁ、相談室や職員室に連れ込まれるよりは余程良いが。


「身構えなくとも小言の類いじゃ無い。実は先日の授業での指摘は悪くないと思い直した。特に異性から真っ向意見されるなんて滅多にない経験だった」


「そうでしたか。期せずして経験値稼げましたね。ではあたしは授業に戻りますので」


 何か厄介ごとの臭いがした。とっとと退散するに限る。


「待ちなさい、話の途中だ。きみは意中の人は居るかな」


「何の話ですか」


「そしてどのような異性が好ましいだろうか」


 話が予想外の方向に進んでいる気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る