第21話 ありがとう
目を覚ますと、そこはベッドの上だった。頭の横にあるハート型のクッション、天井に取り付けられた丸い照明、子供の頃からずっと手放せずにいるボロボロになったキャラもののブランケット。我が家だ。
上半身に肌寒さを感じて起きる上がると、下着姿の自身の体が目に入った。
「……あぁ、そう言えばお願いしたんだった」
独り言を呟いて、ブランケットを引きずりながら浴室へ。自分ではわからないが、誰かさんに匂いのことを言われたため、念入りに洗う。
直線に切られた肩は、なだらかな曲線を取り戻していた。少し麻痺しているが、痛みはない。元通りになっている以上、文句を言うべきではないだろう。
パジャマを着て、リビングへ。
親に頼んで一人暮らしさせてもらっているムスビの家は、1LDK風呂トイレ別であり、故に高額物件である。高校生の一人暮らしでここまで……というか、普通に考えて、高校生の一人暮らしもおかしいのだが。
「お腹すいた……」
冷蔵庫を漁る前にテレビをつけて、数日前に作り置きしていた分の料理をレンジは入れた。
ニュースの音が流れ、画面左上は8:36を示していた。水曜日だから学校はあるものの、精神的にも肉体的にも疲労しており、遅刻も確定。ゆったり準備をして、十時頃に登校しよう。
そんな現実的なことを考えていると、ニュースに見知った顔が載っていた。見知ったと言っても、たった一日ばかりの関係であったが、それでも、忘れられない人だった。
『ドラマ「刺し薔薇」や映画「この手に触れて」などで知られている女優の
やはり、と思ってしまう。
あれは夢ではなかった。夢であれば良かったのに、そうはならなかった。
『洒落頂さんは、予定されていた舞台の公演も中止となり、出演予定だった役者の——』
それを聞いた時。
結の目から、一筋の涙が流れた。
「なんだ、舞台の予定あったんじゃないですか」
教えてくれなかったのは、きっと、生き残ったら誘ってくれたからなのかな。
そんなことを考えて、怒りも不甲斐なさも喪失感も忘れて、泣きじゃくった。
「おはよう」
「おっ、ムスビやっと来たなー。優等生のくせに遅刻なんてらしくないじゃん。どしたん?」
「そんなことよりさ、ムスビちゃん。シャレたん死んじゃったの知ってる?」
最初に話しかけてきた子が
「……うん。悲しいね」
「なんであたしを無視するんだよ」
「私、映画の試写会にも言ってね、握手してもらったんだよ。だから、なんて言うか、悲しいねって」
「そうなんだ。あ、『この手に触れて』って映画? ニュースでやってたよ」
「おーい聞いてんのかぁ」
凛が二人の会話に割り込もうとするも、津凪は話続ける。
「それじゃあ、舞台やるって話も知ってるでしょ。前にさ、みんなで行きたいねって話したの覚えてる?」
「え、あの話ってシャラクさんの舞台のことだったの?」
「「……シャラク?」」
あ、やべ。
思わずプレイヤーネームの方で呼んじゃったが、それが洒落頂のことを言っているのは明白だろう。愛称は「シャレたん」らしいけれど、それでも伝わるはずだ。
「ごめん忘れて」
「それでねっ、行こうとしてた舞台中止になっちゃって、映画とかドラマも延期になるのいっぱいあるんだって」
「へぇ、そうなんだ。……あ、リンちゃんも見たい映画あるって言ってたよね。もしかしてそれも」
「いや、あたしのはアニメだから関係ない」
「ヒュー、リンちゃんオッタク〜」
「ふざけんなよツナギお前」
「じょ、冗談じゃーん……」
変なところに地雷がある凛と、踏んでからしか地雷に気づかない津凪の会話を聞いて、クスリと笑う。
こんな生産性のない会話が、自分が普通なのだと思い出させてくれる。あれが夢だったのではないかと、未だに悩ませてくれる。
ただ、もう見ないふりはしない。あれは現実に起きたことで、実際に人が死んで、自分も死ぬところで……自分は彼女を助けられなかったのだ。
「あ、次の授業、美術に変更らしいよ! 早く移動しないとっ!」
「ごめんねツナギちゃん、私、職員室に遅刻したこと報告してこないとだから」
「えー、そんなのマジメにやってる人いないよぉ〜」
「それは、私もやらない理由にはならないから。ごめんね、先に行ってて」
「んー……わかった。それじゃまたね、ムスビちゃん。リンちゃん行こ!」
「あ、あたしも。ちょっとトイレ行きたいから、先生には適当に言っといて」
「えぇ!? なんで! なら私も行くよ!」
「先生に怒られるぞぉ」
「うぅ……二人で私のことハブってサボるとかは無しだからねっ! 絶対来てね!」
「「はいはい」」
泣く泣く美術室まで走り、教室から出た頃には予鈴が鳴っていたが、あの愛くるしさがあれば数分の遅刻など許されてしまうだろう。
そんなことを思ってカバンを机に置くと、凛かじっと見ていることに気がついた。
「どうしたの?」
「……ムスビ、なんかあった?」
「あぁ……生まれて初めて遅刻して、先生に怒られたりするのかなって、ちょっとドキドキしてはいるかな」
「そう言うんじゃなくて」
ふざけながら言った本音は、きっぱりと否定された。本音ではあったものの、心の中がそれだけでないことは、わかりきっているのだろう。
凛の、怒るような心配するような表情が、つい最近似たものを見た覚えがあって、とっさに目を逸らしてしまう。
「今はまだ、話してくれとは言わなけどさ、あんたがずっとそんな感じなら、強引にでも話を聞くつもりだよ」
その目には、あの時のあの人と同じ、決心するような強さがある。
「あたしは、あんたを傷つけてでも近くに居たい。できればツナギと、三人で」
(……恵まれたな、友達に)
どこか漠然とした喪失感がある中で、その言葉にどれだけ救われたのか、きっと凛は知らないのだろう。「傷ついてるなら言ってよ、慰めてあげるからさ」くらいのニュアンスだったのだろう。
枯らしてきた涙は出てこないが、それでも漏れたのは、薄く小さな感謝の言葉だった。
「ありがとう」
自分が言ったことを思い出して恥ずかしくなったのだろう。「そんだけだから無理すんなよ」と念押ししてから、逃げるように教室から出ていった。
「本当に、良い友達を持ったな……」
その独り言は、きっと本人に言うべきなのだろうが、それを言ってしまえば凛のように羞恥してしまうだろうから、言わなくて正解だったかもしれない。
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