あなたに私は愛せません
ペンのひと.
第1話
初婚相手の子爵令息カイルは、新婦であるはずのフランシアを冷たくねめつけて言った――「フランシア、お前を愛することはない」と。
「修道院育ちのお前と結婚したのは、父上から教会に貸しを作っておけと言われたからだ。修女の洗礼を受けて体の閉じたお前に、女としての価値なんかあるわけないじゃないか。まったく、子すら生めないんじゃ話にもならん。贅沢な花嫁衣装を着させてもらっただけでもありがたく思ってくれ」
その純白のドレスはフランシアの蜂蜜色のまとめ髪と実によく似合っており、見る者が見れば、それはどこから涌くとも知れぬ彼女の内面的な輝きが衣となったようにさえ映ったかもしれない。
しかしその輝きは、いま底なしの苛立ちに蠢めくカイル・モペックの黒瞳の中でついえる。
まったく忌々しい、とカイルは思う。
戦災孤児あがりの修女をモペック子爵家の次男が娶るとなれば、地元世間からは善行として大いに尊敬される。低能な軍人どもが各地でいまだ魔物たちと戦争を続けるこの時代の、感動のご当地物語として領民どもは熱烈に支持するだろう。
それに何より、教会勢力に恩を売っておけば子爵家としては大いに意義がある。
宗教と政治。
無知で敬虔な信徒どもの多い町村を支配する上では、これが実に重要だからだ。
俺だってそんなことはわかってるさ、父上に言われるまでもなく、な。
貴族なんだよ、俺は。脳味噌まで筋肉でできた学のない軍人どもとは違う。
この肩を戦場から舞ってくる塵芥に汚すことなく生き抜いてやる自信はある。
だがあと三年、三年もだぞ。
閉じた体のこの女と、夫婦でいなければならない。
「むろん、俺とお前の閨は別々だ。閉じたその体で、せいぜい白い結婚をつらぬくがいい。当家モペックに疵をつけんために、三年は囲ってやる。地元の世間体としても、教会の戒律としても、法的にだってそれで十分だろう。三年たったら父上に断るまでもなく、お前の奉仕怠慢を理由に即刻離婚だからな」
かたや――。
投げつけるようなその冷たい宣告を澄んだ瞳で受けとめ、フランシアは静々と睫毛を伏せると、細く白いあごを小さくひいた。
立場上、彼女は返す言葉を持たなかった。
教会の修女たちには、子爵家からの潤沢な寄付金を得るためしっかり新妻として務めよと口酸っぱく念を押されている。ある修女などは、「閉じた体でもできることはあるでしょ?」と言って笑った。
保護した戦災孤児フランシアを立派な修女に育てあげ、ついには子爵家への輿入れまで果たしたことに、いまや修道院の誰もがそれを我が功績とうたい浮きたっていた。然るべき褒賞を受けとるときだと。
だから冷遇極まる三年を、フランシアはただ耐えた。
その間、カイルは悪びれもせず愛人を作って時を過ごした。ひどく酒に酔った日などは、愛人たちとの房事の最中にフランシアを呼びつけて、「よく見ろ、これがお前のしたことだ」と据わった目で言った。
フランシアは自室へ戻ると、カイルが遊びほうけているために一向に片付かない執務をこなして夜を明かした。読み書きは苦ではなかった。戦時中でもあり、使用人の人手も多くはなかったので、朝になると邸の掃除や庭の手入れも自分でやった。手をかければかけただけ、庭の植物たちはいきいきと美しく育ってくれた。
いずれにせよ三年がたつ。
フランシアは子爵令息カイルに離縁され、ついに邸を追われるときが来た。
去る前に、礼儀としてモペック子爵にもご挨拶をと申し出たが、カイルにはいまさら必要ないと突っぱねられた。
最後のさいご、満足そうに「これでせいせいするな」とカイルは鼻を鳴らした。
戦災孤児であるフランシアの帰る場所は、修道院の寮をおいて他にない。
保護される前の記憶は、この一帯でもありふれた自分の名以外に何ひとつないのだから。
思い起こせる最も古い記憶、その光景は――。
戦禍に荒れ果てた、見知らぬ村。
その片隅で、血染めの衣服に凍える幼い自分。
夜明け。
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