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  • 2への応援コメント

     確か、自殺とか孤独死とかの現場の遺品処分をする業者のことでしたか。
     死者への敬意(礼儀というべきか)が感じられました。

     お通夜にて親戚縁者が故人の事を思い出し語り合うのが供養になるのなら、この作品のように彼らが故人に想いを馳せるのも供養になるのかもしれません。個人を知る縁者が居ない事自体あり得るのでしょうから、猶更に。
     と言っても、彼らにとっても全く知らない他人であるわけで、その死を直視することに覚悟も必要なのだろうなと思いました。

    「たぶん、いるにしても静かにしていてくれると思いますよ。きっと」
     この考え方好きです。
     遺品の整理を通して、そう言えるほどに故人のことを知れたなら、とても意義のある仕事なのだろうなと思うし、
     孤独死したからって皆が皆他人に悪意を抱くわけでもあるまいに、何をそんなに怖がる必要があるんだ?とも。

    作者からの返信

    お読みいただきありがとうございました。
    葬儀は哀しい行事という一方で、故人の思い出を偲び、記憶の中で生かすための儀式でもあります。201号室の老人は、生前の不幸と責任ゆえに、その機会が与えられなかった。そういう(表現を選ばなければ)落伍した人を、大きな道の片隅に拾い上げ、終わりを確かに確認させるための網として、特殊清掃があるのかもしれないと思います。

    アパートに残るのは何もない201号室。もし新たな人がここに引っ越してきても、この部屋で少し前まで生きて、死んだ老人を意識することはないし、老人の霊がいても大して不満は言わないと思います。Cたちが、孤独死という(我々の生にも比較的近い距離の出来事かもしれませんが)非日常から、日常に戻す仕事を忠実にこなした結果でしょう。匂いに包まれる厄介な仕事でも、誰かがやらなくてはならないことです。