門から溢れ出る死
二代目征夷大将軍は結論した。自分の代では無理だ。間引くしかないと。
俵藤太と陰陽師は結論した。自分の代では無理だ。次に託すため弱体化させるしかないと。
怪物殺しと狐の子が結論した。今決着を求めなければ世が滅ぶと。
紛れもなく世界最強の者達が率いていた、最盛期の軍勢が存在してなお世の荒廃を招いた暗黒門が異世界で解き放たれた。
黒い渦だ。浜辺にいるルラノーア国の兵士五万人をすっぽりと吸い込んでしまえる程に大きな渦。
ソレから何かが這い出ようとしていた。
死人のように青白い肌。顔には余裕な脂肪など欠片もなく目が窪み、手足はやたらと細長い。そのくせ腹は妙に突き出ている人間が、四つん這いで犬や虫の様に手足を動かせている。
「な、なんだ?」
風景を遮断するように現れた黒渦に気を取られた兵士達は、突き出た腹が地面に擦れてもお構いなしに這う人型に気が付いていない。
しかしそれもすぐ解決する。
「ギャアアアアアアアアア!」
様子見をするように現れた人型が空を眺めた後、僅かしか生えていない髪の毛を振り回して叫ぶ。
「ギャアア!」
「ギャアアアアア!」
すると叫び声が渦の中から続く。続く。続き続ける。
その異様な大合唱は当然兵士達も認識し、予想外な事態に慌てて銃を向けた。
奇妙な人型が豆粒の様に見えていた兵士達だが、豆粒は点に。点は線に。線は……溢れた。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアア!』
五万を容易く超える大合唱。地鳴りの如き音が障害物に乏しい海岸に轟くと、人型が獲物に向かって殺到した。
ルラノーア国の不運は数多い。
軍の目的は戦争ではなく犯罪者の逮捕を行う警察の補助であり、基本的に発砲は指定された部隊の役割であると通達されていたこと。
兵士達も弓矢には気を付けていたがその程度の認識だったこと。
これらが合わさり、ほぼ遠出の認識で実戦を想定していなかったこと。
更には……。
「……大王。本当にこれが?」
「この軍の総責任者だと思う」
星熊という名の大男が困惑したように、あるいはがっかりしたように肉の塊に視線を向けていた。
軍の責任者である中将が、政治的な配慮から白石の目の前にいたため、真っ先に肉塊になったことは最たる不運だろう。
そのせいで初動をどうするのか決められない僅かな空白が生まれ、一時的ながら軍は完全に麻痺してしまった。
「そりゃ連中みたいなのは無理だよ星熊君」
「むう……」
「あああああ⁉」
肩を竦める白石の言葉に星熊が唸る。
熊という名前が付いている通り、筋骨隆々で巌のような顔をしている男が唸ると、それだけで周囲の人間は恐慌を起こした。
なにせスーツ姿の警察の首を引き千切り、中将の頭に拳を振り下ろしただけで原型を留めない肉塊にしてしまった怪物なのだ。
特に命令はなかったが生存本能に突き動かされた兵士達は、星熊に向けて小銃を構え引き金を引いた。
高速で発射された弾は回転しながら星熊の毛むくじゃらな体に着弾し、皮膚を突き破って内臓をぐちゃぐちゃに……しなかった。
「あ?」
代わりに鬱陶しい虫を追い払うような動作で星熊が腕を振るうと、これ以上なく張りつめてから裂けたワイヤーに切断され、体がバラバラになった様な惨殺死体が出来上がった。
確かに星熊の体に銃弾は命中した。
しかし僅かに体を仰け反らせただけで、命を失うどころか平然と殺戮を続け、付近にいた兵士達は警察と中将を護衛する役目を全うするどころか、己の命を散らしてしまった。
「……脆い上に軟弱すぎる」
「やっぱ平安の人間はおかしいよね。俺の臓物は飛び出たけどお前も死ねって連中ばっかりとか」
陳腐な表現だが死ねばそのまま死ぬ兵士達に、星熊は平安の世を思い出し比べてしまう。だが白石に言わせれば、死んでいるのにそのまま死なず道連れにしようとする荒武者ばかりだった平安の世は、おかしいの一言だった。
「撃て! 撃てええええええ!」
一方、四つん這いの人型の群れをようやく排除する敵と定めたルラノーア国軍が射撃命令を下した。
しかしながら命令とは若干言い難く、確固たる指揮系統がないまま現場が独自判断して発せられた叫びに等しい。
つまり、実戦経験が皆無なルラノーア国軍全体の命令ではなかったため、射撃命令に従おうとした者と、慌ててしっかりした配置場所に戻ろうとした者が混在した結果、即座に撃つには味方が邪魔だという事態があちこちで起こった。
まあ……なにもかも上手くいったと仮定してもどうにもならないのだが。
「ギャッ⁉」
「ギヤアア!」
五万人全てが銃器を所持している訳ではなく、混乱し切っていてもかなり纏まった数の銃撃が行われ、夥しい弾が四つん這いの人型……餓鬼に命中する。
すると星熊と違い、餓鬼の手足が捥げ、体には穴が開き、頭は弾けて瞬く間に浜はドロドロとした濁った血で汚れていく。
それがどうした。
腕がバラバラだろうが体に穴が開こうが頭が弾けようが、生きているのならなんの問題もない。命の灯が消えていないのならば進み続けるだけ。
仲間が死のうがそれを乗り越え、手足がなくなり動きが鈍った味方も乗り越える。手足がないなら腹で這う。
「ギャアアアアアアアアアアアアア!」
なにより叫ぶ餓鬼、その数既に十万。
「撃てええええええええええええ!」
青白い肌に血の赤を纏わせた濁流は、硬直して射撃しか行えなくなっているルラノーア国軍の先頭に……大口を開けて噛みついた。
「ぎゃあああああああああ⁉」
「ひいいいいいいいいいいい⁉」
比喩的表現ではなく言葉通り、裂けたような口を開いた餓鬼は、鋭い歯を光らせて人間の首に噛みつき、頸動脈もろとも食い千切る。
銃で撃たれた? 構わず食う。爆発に巻き込まれた? 構わず食う。手榴弾のピンが外れた? 構わず食う。ナイフが刺さった? 構わず食う。
ただただ食べる。餓鬼にはそれしかない。それだけしか考えられない。
戦闘やら近代戦やら航空支援だの、難しいことなど一切必要ない。食欲というあまりにも純粋で、原初の戦う理由に突き動かされている餓鬼は、己の死すら気にせず突撃し続ける。
ここにルラノーア国史上初めて、恐怖を一切持たず愚直な前進しかできない存在との物量戦が引き起こされた。
「どうなっている⁉」
「あれはいったいなんだ⁉」
洋上にいたせいでかなり反応が遅れた輸送船や戦闘艦の乗組員達は、自軍が蟻に群がられている様な光景を受け入れられず混乱に陥っていた。
「兵を回収しろ! 急げ!」
そんな中でも指揮官達は、自軍の回収を命じたが逆を言えばそれしか出来ない。
ミサイルを発射できる戦闘艦も僅かながら参加していたものの、彼らが想定していなかった圧倒的物量による超接近戦が繰り広げられている海岸では、威力が大きすぎるため味方を巻き込まずに攻撃することは不可能だった。
「いやだいやだいぎゃ⁉」
その間にも海岸では悲劇が生まれていた。
餓鬼は脆いため次から次に死んでいき屍の壁が作り上げられていくが、ルラノーア国兵の目の前でその壁を乗り越える新たな餓鬼が這い上る。
そして物量頼りの飽和攻撃など想定していない現代軍は、小銃が弾切れを起こした瞬間に餓鬼に押し倒され、新たな屍が生み出されていった。
撃つ。餓鬼が死ぬ。
撃つ。餓鬼が死ぬ。
撃つ。餓鬼が死ぬ。
発砲炎が消える。銃に弾がなくなる。
その僅かな隙間に餓鬼が体をねじ込む。
兵が死ぬ。
撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。
餓鬼が死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
銃にではなく弾倉そのものがなくなる。
空白に餓鬼が雪崩れ込む。
兵が死ぬ死ぬ死ぬ。
「やれ! 俺達がやるしかないんだ! 殺せ!」
そんな地獄の中でも、ルラノーア軍の数少ない戦車と攻撃ヘリは活躍していた。
島の国には過剰すぎると判断されだが、現地の人間に科学とルラノーア国の威容を教え込むため投入された戦車は当然ながら餓鬼の歯を通さず、ヘリに至ってはそもそも空中にいるため届かない。
そのお陰で戦車は主砲や同軸機銃、攻撃ヘリは重機関銃をばら撒いていたのだが……やはり弾が足りない。
「くそったれ! くそったれ!」
十万を超え始めた物量との戦いで、攻撃ヘリや戦車に搭載できる弾薬の量など誤差に等しい。
ヘリコプターのパイロットは単なる空中のおもちゃとなった事実に悪態を吐きながら、地上で伸ばされる味方の手を振り切って母艦に戻る。
「ひき殺せ! 行け行け行け!」
逆に戦車は弾が尽きても、まだひき殺すという手段があったためエンジンを唸らせ、餓鬼の群れに突撃する。
ある程度、その目論見は上手くいった。
群れ過ぎて戦車を避けられなかった餓鬼はキャタピラに圧し潰されて地面の染みになり、その周囲では確かな戦果を残していた。
それを許さない個体さえいなければ。
「え?」
地獄の真っただ中に相応しくないポカンとした声が戦車の中で漏れた。
「むん!」
気合を入れた大男、星熊がいつの間にか戦車の前に躍り出て、真っ正面から体当たりした。
いやそれだけではない。星熊が戦車を掴むと対戦車攻撃を想定している筈の正面装甲が僅かに砕け、がっちりと握られてしまう。
いやいやそれだけではない。なんと戦車は止まるどころか一瞬で車体後部が浮き、主砲の先がつっかえ棒のように地面に触れてしまう。
いやいやいや……。
「おお!」
誰が想像するだろうか。
五十トン以上の主力戦車が、人型の生命体に止められただけではなく持ち上げられ、更にはひっくり返されてしまうなど……。
「む……」
だが星熊にとって予想外だったのは、重すぎる車体を持ち上げたせいで自身の体が砂浜に沈み、余計な手間が増えたことだけだった。
「つまり相撲で戦車は金時以下ということが証明されたっと……やっぱ金時っておかしいわ」
流木に腰掛けた白石は、遠くからその光景を眺めて人間の範疇に収まらない英雄が、星熊をぶん投げた光景を思い出し、白目を剥きそうになっていた。
「やはりこうなったのね」
「やあ弓香。こうなったねえ」
そんな白石の隣に美女が座る。
チハヤ、ミキと同じく巫女装束を纏った女は二人に比べて最も背が高い代わりに、女性的な豊かさとはあまり縁がなく、凛とした雰囲気はしなやかな女武者という言葉を連想させる。
そして白い前髪は額の中頃で真横に切られ、後ろ髪は肩の辺りで同じく真横に切られている。
だがなにより特徴的なのは、髪と同じ白い布で目と額を隠していることか。それでもなお鼻の位置と瑞々しい唇、シミ一つない頬の構成から彼女が美女だと分かるだろう。
それが弓香と名乗っている女だった。
「向こうは怪物達を殺す為に数度の出兵。こちらはそれを全部防いで自然休戦。と言ったところかしら?」
「まあそんなところかな。ミサイルってのは対宿敵結界を貫けないだろうし」
「その紙は?」
「受け取り拒否された宣戦布告文書」
「向こうへ行って渡してきましょうか?」
「海岸から首都まで更地になるのは止めといたほうがいいかなって」
「勝者が生き、敗者が死ぬ。国民全員が選んだ代表が軍を送ってきたなら、責任を取るべき全員を殺す必要があるのでは? それが戦争を起こせる者を選ぶ責任だと思うのだけれど」
「ふむ……その考えもあるかな。まあ全員が死ぬまで戦うって感じなら、付き合うつもりでいいんじゃない?」
「そう。それにしても門が騒がしいわね」
「海に縁がある新人が出ようとしてるみたいだけどちょっと、いや、かなり過剰だから押し留めてる」
「新人? 名は?」
「名……遭難なんちゃら? いや違ったかな……普通に平安真っただ中の基準でもヤバイ権能を持ってるんだよね」
屍の山。血の河が生み出されている真っ最中でも、弓香と白石は普段通りの口調で会話を続け、今後の予定を考えていた。
「逃げろおおおおおおおおお!」
「どうして、どうしてこんなことに……神様……神様……」
「ああ腕がああああああ!」
悲劇であり喜劇だ。
虐殺者を逮捕して、何の抵抗もない国を保護するつもりでやって来た兵士達は海岸で息絶え、その血は波で洗い流される。なんとか揚陸艇や輸送ヘリに乗り込めて生き残った者達は、神の敵が引き起こした惨劇に恐怖して震えていた。
そこに善意という傲慢も、真に勇気ある者の姿も何処にもない。あるのは人という脆弱性の露呈だ。
国家と世界に善悪、建て前、形式を持ち込むのは後世の仕事だ。勝利すれば生き残り敗北すれば死ぬという今現在の大前提を忘れた愚か者は、一つの派遣軍がほぼ壊滅する形で幕を閉じるのであった。
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