ギルマスはダンジョンクリア報酬ではありません
雲丹屋
悪質な魔神のダンジョンで幸せを願うな
「ギルマス〜、ホープダンジョンのクリア者が出たそうですよ〜」
冒険者ギルドの職員がノックもせずにギルドマスターの執務室に駆け込んできた。本人は、慌てているのだろうが、元がのんびりした奴で、喋り方に緊張感がないので緊急事態に聞こえない。
しかし、こいつが駆け込んでくる時点で相当ではある。実のところ、ホープダンジョンのクリアは20年ぶりの快挙だ。現場はお祭り騒ぎだろう。
「そうかそうか。やっとクリアしたか。それは地元冒険者ギルドのマスターとして、一言お祝いを言いに行ってやらないとな」
このときのために用意しておいた酒瓶を手に、フラリと現場に行く。
ホープダンジョンの入口は、ギルドハウスからそれほど遠くない。元々、ダンジョンにアタックする冒険者のために作られたのが、ここの支部だからだ。
ダンジョンというのは、世界に点在する魔物の洞窟である。大変危険だが、貴重な宝物や魔法薬の原料などを入手できることから、冒険者と呼ばれる無謀な命
場所によって固有の特徴があるのだが、多くの場合、一番奥にそのダンジョンの主である魔神がおり、そこまでたどり着いて生還すると、ダンジョンをクリアしたとみなされる。
ホープダンジョンは、最奥に行くのがアホほど難しくて、浅い層で入手できる品でもそこそこ食っていけるので、アタック人数が多い割にぜんぜんクリア者が出ないダンジョンだ。ここの最奥にいる魔神は訪れたものの望みを叶えてくれるが、基本的に性格が悪い。たどり着きはしたものの"生還"していない奴がそれなりにいるのだろうと私は推測していた。
「さて、どんな顔で帰ってきたのかな」
ダンジョンの入口の前には、地元の冒険者が集まっていた。人の輪の真ん中にいるのは、まだ若い余所者の冒険者だ。
……いや、冒険者風の装備は身につけてはいるが、明らかに身分が高そうなナリである。貴族、それも食い詰めていないちゃんとした貴族だろう。
そんな奴がダンジョンアタックなんかするな。アホか。
クリアしたということは、よほどの腕利きでバカ強いに違いないが、それだけの身分と実力があるなら、こんなところに来ないで、自分の家で貴族としての本分に専念していたほうが、絶対に良い。
とはいえ、冒険者ギルドのマスターとしては、そんなことを言うわけにもいかないので、私は説教臭い思いは飲み込んで、笑顔を浮かべた。
「やぁやぁ、ホープをクリアしたんだって? ここの魔神は性格悪かっただろう」
にこやかに声をかけると、地元の冒険者達が皆、驚いて振り返った。私がギルドハウスから出張ってくるのは珍しいからだろう。……笑顔の方が珍しいからだとは思いたくないが、目をむいて凝視してくる奴が何人もいるのでそっちかもしれない。ほっとけ。ボケ。
歩を進めると、自然に中央にいたクリア者までの人垣が割れた。
「地元冒険者ギルドのマスターとして、一言お祝いを述べさせてもらうよ」
お貴族様であろう若いのは、こちらを見ると、そのエメラルドグリーンの目を大きく見開いて、口をパクパクさせた。
「おめでとう。望みは叶ったのかな。良かったら一杯飲みながら話をしないか?」
リボンの付いた酒瓶を見せると、エメラルドグリーンの目から涙が溢れてこぼれた。
はは。驚いてる。驚いてる。
「望みは……今、叶った」
呆然としていた相手は、そう一言呟くと、突然こちらに突進して、何を思ったのか両手でガッツリ抱きしめてきた。
ちょ、おま、現役ダンジョンクリア者の全力の抱擁って、それなんてベアハッグ。
うっかり避けそこねた自分は、まったく身動き取れないまま、相手からグリグリと頭を擦付けられた。
「待て、落ち着け。離せ」
「やっと手に入れた。もう、離さない」
とんだ世迷言をほざいた挙げ句、コイツはよりによって衆人環視の中でキスしてきやがった。
バカ野郎! ギルドマスターはダンジョンクリアの報酬じゃねーぞ!!
§§§
私はホープダンジョンで死にかけたことがある。
まだ10代を出たかどうかの頃だ。私は冒険者としてはかなり優秀だったので、正直いい気になってイキっていた。
ホープをクリアしてやると息巻いた挙げ句、最後に油断をして、つまらないミスのせいで怪我をした。洞窟の中で冷たい岩にもたれ、ただ死ぬのを待っていたとき、そいつは現れた。
突然、空中にキラキラと光の粉が散ったかと思うと、眼の前に輝く金髪の超絶美形が出現したのだ。死にかけで朦朧としている頭は、ああ、冒険者の守護天使がお迎えに来てくれたのか、と頭の悪い結論を出した。
「お迎えか? 悪いな、手間かけさせて」
なんで自分のような特に善人でも聖人でもなんでもない奴に、天国から天使が来てくれたのかはわからなかったが、とりあえず地の底で誰にも思われることもなく一人死ぬのは、ちょっと寂しいなと思っていた最中だったので、ありがたかった。
近寄りがたい美貌の金髪の天使は、冷静に周囲を見回した後、私を見下ろして優雅に微笑んだ。
それはちょっと戸惑うほどの変化で、まるで目の前で大輪の花が一気に咲いたかのようだった。
天使はかがみ込んで、両手をそっと私の頬に添えた。
「ああ……生きている。本物だ。今すぐ連れて帰りたい」
……かなりヤバイ感じで、正直、引いた。
これは天使ではなくて、ダンジョンの魔物かもしれない。
「生きたまま喰われるのは勘弁なんだけど……もうじき死ぬから、喰うならそれからにしてくれないか」
「あなたを食べてしまいたいのは山々だが、死体を冒涜する趣味はない」
そう言うと、天使っぽい魔物(仮)は、魔法薬らしきものを取り出して、傷にかけると、何やら呪文を唱えた。
治癒魔法と言うやつだ。あっという間に痛みが消えた。
幼少期から祝福を受けた高位の聖職者が使用する類の魔法である。こいつが魔物だとしたら、随分たちが悪い魔物だろう。
「あなたには生きていて欲しい」
え?これ、生きたまま喰うために怪我を直されたのか? そんな悪趣味な。
「治療の礼は言う。だがお前に大人しく自分を差し出す気はないぞ」
脇に置いていた剣をそっと手で探りながら、相手から離れようと身構えれば、苦笑された。
「今、差し出されたら本当に持って帰りたくなっちゃって困るけれど、そう警戒されるのもつらいなぁ。信用できないかもしれないけれど、私はあなたを助けに来たんだ」
そうしてその魔物じみた天使は私の名を呼んだ。その声が、その表情が、あまりにもこれまで自分が欲しくても手に入れたことのない感情に溢れていたために、私はつい、相手を受け入れてしまった。
そうやって私を散々魅了した挙げ句、そのたちの悪い魔天使は、ほんのひととき私を翻弄しただけで、朝露のように消えてしまった。
なんとかダンジョンから生還した私は、二度とこのダンジョンに入らないために、冒険者から足を洗って、隣国に渡った。
冒険者としてはかなり優秀だった自覚はあるが、冒険者稼業で生きていく気はなくなっていたので、私は街外れの聖堂の掃除係になった。
敷地内にある小さな小屋に住んで、聖堂やその庭園や墓地の清掃をする仕事だ。
ある夜のこと。
赤子を抱えた若い女が数人の無頼者に追われて逃げ込んできた。
無頼者達は返り討ちにしたが、若い女も怪我を負っており、まもなく息絶えた。
私は赤子を抱えて困惑したが、捨てるわけにも殺すわけにもいかず、仕方なく育てた。
そう。仕方なくだ。
清らかに生きてきた聖堂の爺さま方は子育てには何の役にも立たなかった。単に可愛い可愛いと言うだけの爺バカに囲まれて、私は赤子相手に大苦戦したが、幸い信心深い近所のお婆さん方が見かねて協力してくれたので、なんとかそれなりに子供を育てることができた。
私の養い子は、愛らしく素直で優しくて賢くて、皆に愛されてすくすくと育った。
よくできた子が近所の悪ガキから妬まれて、"墓場の掃除屋の子"と揶揄されているのを知ったときには、腸が煮えくり返ったが、たしかに自分はそういう身分だったし、自分の養い子であるうちは、この子はどれほど優秀でも、そういう評価しか受けられないのだろうとも気づいた。
「お前の将来のことも考えてやらないとな。いつまでもここで暮らすというわけにもいかないだろう」
「ずっとここで一緒に暮らす!」
「そういうわけにもいかないさ」
「イヤだ! ずっと一緒がいい!」
「お前はお前の幸せを手に入れないと」
「ちゃんと幸せだからいい!!」
私にしっかりしがみついて、グリグリと頭を擦り付ける子の背中をあやしていると、ついつい問題を先延ばしにしたくなってしまう。
家庭的愛情というものに縁のなかった自分にとっては、この養い子の存在は冷静な思考に対する甘い毒のようなものだった。
それでも別れはやってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます