花見 1
十和の仕立ては花見の席に間に合った。
「あら、いいじゃない」
月白を一目見るなり、赤城が褒めた。墨色の御召着物に
「馬子にも衣裳。ちゃんとした着物を着ていると、ちゃんとりっぱに見えるわね。
羽織も裏地がいいわねえ。十和ちゃんの思いつき?」
「はい、私が子供の頃に着ていた着物で。絵柄が気に入っていたので取ってあったんです」
羽織も着物と同じ生地で作られているので一見地味だが、裏地は明るい。淡い玉子色で、月とうさぎの絵がある。
ついでに作った道中財布は、月と雪輪模様。どちらも月白の名前にちなんでいた。
「履物も買ってありますし、これで準備万端です」
万端といったものの、十和はさらにつけ足した。
「月白様、よければ毛並みのお手入れをさせていただけませんか?
私、お手入れはとても得意なんです。つやつやにさせてください」
近頃、月白は十和に着替えをわざわざ手伝わせてくれるようになった。
食事は一緒だが給仕もさせてくれるし、何か飲み物が欲しいと頼まれることもある。
ひょっとしたらと提案してみたが、これは断られた。
(やっぱり他人に触られるのはお嫌いなのね。予想はしていたけど)
十和は物欲しそうに月白の狐耳や尻尾を霊視する。
(月白様の真っ白な毛並み。いつか触らせていただきたいわ)
そもそも毛皮に触ること自体が好きな十和は、熱く切ないため息を漏らした。
「いつでもお命じくださいね。私、妖術が使えもしないくせに霊力だけはムダにあるので。お分けしますから」
「……あなたは明日から手伝いだから。よく休んだ方がいい」
月白が気遣うと、赤城もうなずいた。
「そうね、明日は花見の手伝いですもの。今日はもう寝た方がいいわ。
十和ちゃん、夜もこれやってたでしょ。根の詰め過ぎはよくないわよ」
「勝手にやっていただけですから。月白様は羽織はいらないとおっしゃっていましたし、お財布も私が勝手に作っただけですから」
しかし、他人から指摘されると、今まで意識していなかった疲れが体にかぶさってきた。小さくあくびをもらす。
「ほらほら、明日は早いからもう寝て。行き、御殿まではアタシが送っていくからね」
「はい。では、おやすみなさい」
翌朝、十和は赤城に送られ御殿に赴いた。
大座敷にはたくさんの妖狐が集まっていた。
花見は親睦会を兼ねており、天遊の傘下にある妖狐が大勢招かれる。御殿の者たちだけでは手が足りないので、一部の参加者が準備を手伝うことになっているのだ。たいてい新人やヌシの妻たちがその役を担う。
十和はきょろきょろと周囲を見回した。今まで花見に参加しても、準備には参加したことがなかったので新鮮だった。
「今日はよろしくお願いします」
ヌシの妻と思しき女性たちを見つけ、十和は緊張しながらお辞儀した。あわてられる。
「十和様、おそれ多いですわ。天遊様のお嬢様にそんなふうに頭を下げられては」
「私は家を出た身ですので。これからは同じように接してくださいませ」
そもそも半人半妖の半端者。天遊の娘であるおかげで優遇されているということが身に染みている。十和は深々と頭を下げた。
妖狐たちは謙虚な態度にほほ笑む。
「では、そのように。今日は一日がんばりましょうね」
「十和様、結婚なされたのですわよね。おめでとうございます。
いかが? 生活がまるで違うからとまどわれているのではない?」
「とまどうこともございますけれど、周りに助けられながら楽しくやっています」
作らなくても十和は自然と笑顔がこぼれた。
嫁いでから、十和は十分に休息と栄養が取れているので、顔も体つきも以前よりふっくらして女性らしくなっている。
「ご主人は、あの御方でしょ。五尾の。月白様。……大丈夫です?」
「大丈夫、というのは……?」
「襲ってきた大蛇にわざと食べられて腹の中から身を裂いたとか、子狐をおとりに妖魔を退治したとか。その、ちょっと怖い印象あるのものだから」
月白の手段を選ばない活躍ぶりに、頬が引きつった。十和は初耳だ。
「ええと、私個人としてはお優しい方という印象です。親切にして下さいますから」
奥方たちが「本当に?」と疑っていることがありありと感じ取れた。世間と十和の認識にはかなりの差があった。
楽しく雑談に興じていると、御殿の女中頭がやってきて人々に仕事を割りふりはじめた。十和はてっきりヌシの妻たちと同じ仕事を割りふられると思っていたが、違った。
「十和様は豊乃様のところへ」
一人だけ違う。他の妖狐たちは眉をひそめた。女中頭には聞こえないよう、ひそひそと言葉を交わす。
「十和さんはきっと豊乃様の身の回りのお世話ね」
「明日の花見に向けて自分だけ磨きをかけておこうというわけね」
「たかだか二尾のくせに。何様かしら」
たかだかと見下しながらも表立っていえないのは、豊乃の力を認めているからだ。
豊乃は天遊の妻である他、自分の子供たちを有力な妖狐と結婚させ、後ろ盾としていた。
自身に力はなくとも実質的な権限は握っている。したたかな妖狐だった。
「家を出た後もそんな私用に使われて。大変ね」
妖狐たちに気の毒がられつつ、十和は豊乃の元へ参上した。大方の予想通り、豊乃の身の手入れを命じられる。
「湯を使う。供をせよ」
挨拶も雑談もなく、横柄にそっけなく豊乃は命じてきた。
十和は黙って、言われるがまま豊乃に奉仕する。自身の霊力を流し込みながら。
(行事の前はよくこうしてお父様のお世話をしたわね)
元々美しい父が自分の霊力でさらに美しくなるのは、十和にとって誇らしいことだった。楽しいお役目だった。
しかし今の相手は豊乃。邪険にされている相手に奉仕をするのは愉快なことではない。
(これが月白様だったらいいのに)
十和は心の中でそっと、ないものねだりをした。
「十和、来ていたの。後でわたくしもよろしくね」
豊乃のお世話が終わって部屋を辞すと、今度は義姉の吉乃に呼ばれた。
十和は控えめに難色を示す。
「お姉様、私もお花見の準備を手伝わないといけないので」
「そっちが終わってからでいいわ。明日の朝早くでいいから」
ここで嫌といえない自分を情けなく思いながら、十和はうなずいた。
機嫌を損ねると、また先日のように妖術で嫌がらせをされるかもしれない。
翌朝早く、準備で疲れた体を引きずって吉乃の手入れをする。途中で許嫁の黒松がやって来て、吉乃に桜のつまみ細工がついたかんざしを差し出した。
「まあ、かわいい! ありがとう、黒松様。今日のために買ってきてくれたのね」
「先日一緒に出掛けられなかった詫びにな」
「あら……そういうことなら、これは返しますわ。わたくしまだ怒っておりますのよ。黒松様に今日着る着物を選んでいただきたかったのに」
「仕事だったんだよ。許せって。吉乃なら何でも似合うよ」
黒松は手慣れたしぐさで吉乃を抱き寄せ、髪に口を寄せた。
下女同然にいないものとされている十和は、所在なく視線を泳がせる。
(もうちょっとでお姉様の支度は終わるのだから。後にしてくれればいいのに)
仲睦まじい様子を嫌というほど見せつけられ、十和は胸中おだやかでなかった。
自分を愛してくれる父親がいなくなって以降、だれかに愛され大事にされている吉乃を見るのは辛い。今はそれに別の辛さも加わっていた。
(本当の夫婦だったら……月白様も私をこんなふうに抱き寄せたりしてくれたのかしら)
またもないものねだりだ。十和はぷるぷると頭をふる。望み過ぎだと自分を戒めて、甘い想像を頭から追い出した。
「そういえば十和、あいつこの前、妖都で警邏に連行されてたな」
あいつ、とは月白のことだろう。
黒松の持ち出した話題に、十和は頬を赤くする。
「人妻に無理にいい寄ったらしいじゃないか。色事には淡白そうに見えるのに、意外とそうでもないんだな。おまえと結婚したばっかりだってのにお盛んなことで」
黒松はにやにや笑っておもしろがっている。とんだ誤解だ。
「違います、黒松様。実はあれは私のせいなのです。
月白様が私を迎えに来てくださったとき、私、幻術にかかっていて……月白様が鬼に見えたのです。ですので、思わず手ひどく拒絶してしまって」
黒松は目を点にした。一拍おいて、笑い出す。
「はははっ、自分の妻にフラれて不審者扱いされて番所送りか。とんだ笑い話だな!」
「十和。あなたってひどいことするわねえ」
何食わぬ顔で吉乃もくすくす笑う。
(吉乃お姉様のしわざでしょう!)
声高に叫びたいが、反省も謝罪もしないだろう。十和はぐっと奥歯を噛んだ。黙って吉乃の髪を結う。黒松の贈ったかんざしを使って。
「まあまあね。ごくろうさま。あなたも着替えるんでしょ? となり使っていいわよ」
「お借りいたします」
ほうっと息を吐く。やっと自分の身支度だ。持ってきた花見用の着物に着替える。
ふすま一枚をへだてて、吉乃と黒松の会話が聞こえてきた。
「聞いて、黒松様。あの野良犬さん、呉服屋で十和の下男と間違えられていたのよ」
「俺が手代でもそう思うだろうな」
「今日はちゃんとしてくるのかしら? いつもと同じで来たら、お母様にいって二人一緒に帰ってもらいましょ」
「その時は俺の着物でも貸してやるさ。こんな楽しい日に、いくらなんでも気の毒だ」
「そうね、貸してあげましょう。かわいそうですものね」
聞きたくもない陰口が聞こえてきて、十和は胸がむかむかした。
(なによ。好き放題。二人して)
自分のことは我慢できても、月白についてとやかくいわれるのは腹が立って仕方ない。
(月白様は少し突飛で変わった所がおありだけれど……別にふつうだわ。
口数少ないけれど、話すときは話すし。怖い面もあるようだけど、優しい面だってあるし)
ぎゅっと帯を締めて、十和は心の中で叫ぶ。
(いいわ、月白様の良さは私だけがわかっていれば。だれに何といわれたって気にするものですか!)
帯の結び目ほど固く誓って、十和は縁側に出た。もうやってきているだろう月白を探しに行こうとして、すぐに呼び止められる。
「十和」
中庭に、月白が立っていた。見た瞬間に嬉しくなる。
(よかった。いらないと言っていらしたけど、羽織も持ってきてくださっている)
こうして明るい日の下で見ると、思っていた以上のできばえだった。
白い肌が濃色に映えているのはもちろんのこと、長めにあつらえた羽織が細身の長身をより引き立たせている。
髪もきちんと整えられており、涼やかな目元があらわになっていた。羽織を肩に引っ掛けただけの着こなしが軽やかだ。
一調子でなく濃淡のある墨色の着物は、さながら月にかかる薄雲のよう。今日の月白は雲居の月を思わせる佳麗さだった。
「だれ……?」
十和につづいて縁側に出てきた黒松と吉乃が、ぽかんと見惚れる。
「お待たせいたしました」
「……霊気が薄い」
いうなり、月白は十和を抱き寄せた。
突然のことに、十和は突然のことに声も出ない。
一体何とうろたえるが、やがて分かった。霊力を分けてくれているのだ。
「一時の効果だが。楽になったか?」
「……とても」
十和は溜まっていた疲労を一気に忘れた。
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