第4話 勧誘
女性が一歩近づいてくる。白い制服に胸元のエンブレム、どこからどう見てもダンジョンレスキュー隊の隊員だ。その姿が目に入った瞬間、俺は自然と背筋を伸ばした。
彼女は俺の目をじっと見つめ、感心したような表情で口を開いた。
「あなたが助けたのね。迷宮の中で、あの子を見つけたのは」
その言葉に周囲がさらにざわめく。注目が集まる中、俺は気恥ずかしさを隠し切れず、視線をわずかにそらした。
「いや……たまたま見つけただけです」
謙遜するように答えると、女性の口元に柔らかな笑みが浮かんだ。だが、その目は真剣で、俺の言葉をただの謙遜として流さない強さがあった。
「たまたま、ね。それでも、普通の人ができることじゃないわ」
その言葉には、敬意と興味が混じっていた。俺は何と答えるべきか分からず、口をつぐむ。たまたまだった。光る足跡を見つけなければ、あのすすり泣きの声が聞こえなければ、リナを見つけることもなかっただろう。けれど、彼女の真剣な目が、その「たまたま」という言葉を単なる偶然で片付けるのを拒んでいるように思えた。
「本当に、たまたまだったんです。俺にはそんな特別な力なんて……」
なんとか言葉を絞り出すと、彼女は少し首を傾けて考えるような仕草を見せた。
「そう思うのも無理はないけれど……」
彼女の視線が鋭さを帯びる。その瞬間、胸の奥が妙な感覚に襲われた。迷宮の中で感じた奇妙な熱と似ているような、不思議な感覚だった。
「私たちレスキュー隊がどれだけ訓練しても、迷宮で行方不明者を見つけるのは簡単じゃない。それを成し遂げたあなたが“たまたま”と言うなら、その偶然には特別な何かがあるはずよ」
彼女の言葉には確信があった。俺は無言のまま彼女を見つめるしかなかった。確かに、迷宮の中で俺の頭に浮かんだ道筋や光る足跡の存在は、普通ではなかった。それが何なのか、今の俺には分からない。
リナがそんな俺の袖を引っ張った。
「お兄ちゃんはすごいんだよ。迷宮の中でずっと私を守ってくれたんだから」
彼女の誇らしげな声に、周囲の人々がざわざわとさらに注目を強める。
「本当に、この人が迷宮から子供を助け出したのか?」
「すごいな……普通の人じゃありえないだろ」
そんな声が聞こえてくる中、女性はひときわ興味深そうに俺を見つめたままだった。
「もしよかったら、少し話を聞かせてもらえないかしら。あなたがどうやってリナちゃんを見つけたのか……詳しく」
彼女のその問いに、俺は戸惑いながらも、小さく頷いた。自分でも整理がつかないこの状況を、話すことで少しでも明らかにできるかもしれない、そんな気がしたからだ。
***
白い制服の女性は、俺の説明を聞いてもなお、その感心したような表情を崩さなかった。その目は真剣で、俺が謙遜した言葉を単純には受け取らない何かが込められている。
「たまたまだなんて、そんな風に自分を卑下しなくてもいいわ」
彼女は柔らかく微笑みながら言ったが、その声には力強さがあった。
「あなたが迷宮で感じたもの……その感覚は、私たちにはないものよ」
「感覚……ですか?」
その言葉に思わず聞き返していた。迷宮の中で起きたことを振り返る。胸の奥で感じた熱、視界が明るくなり、頭の中に浮かんだ道筋。それが何だったのかは分からない。ただ、彼女が言う「感覚」と自分の体験が繋がっている気がした。
「ダンジョンレスキュー隊は、迷宮で命を救うための専門部隊よ。でも、私たちでも、迷宮で迷子を確実に見つけ出すなんて簡単じゃない。あなたがその子を見つけられたのは、特別な何かがあったからでしょう?」
彼女の視線が鋭く俺を捉える。特別な何か――俺にはそんなものがあるとは思えなかった。ただ必死に声を追い、足跡を辿っただけだ。
「……俺は、ただ、見えた道を進んだだけです。本当に、それだけで……」
正直にそう答えると、彼女は少し首を傾げ、興味深そうに微笑んだ。
「その“見えた道”が大切なのよ。私たちは専門の機材や経験を使って迷宮を探索するけれど、あなたみたいに“直感で道を見つける”なんてことはできない。それがどんな仕組みかは分からないけれど、その力を磨けば、もっと多くの命を救えるかもしれないわ」
彼女の言葉が胸に響く。迷宮の中での自分の行動が、ただの偶然ではないと強調されるたび、心の中で何かがざわついた。
「……でも、俺にはそんな力があるなんて思えません。今日は本当に、たまたま運が良かっただけで……」
再び謙遜するように言ったが、彼女は静かに首を振った。
「そういう風に思うのも無理はないわね。でも、それでも興味はあるんじゃないかしら?自分の力がどこまで通用するのかを試してみたいって」
彼女の言葉に、一瞬だけ息を呑んだ。迷宮の中で感じたあの熱が再び胸の奥でくすぶるような感覚がした。
「私たちダンジョンレスキュー隊は、迷宮での救助活動を専門としたチーム。迷宮での探索者や迷子の命を救うために、日々訓練しているわ。私の名前は結城美穂。この街にある第13分隊の隊長をしているの」
彼女――結城美穂の説明を聞きながら、心の中である種の高揚感が湧いてきた。迷宮で命を救う仕事――それは俺が冒険者試験に何度も挑んで目指していたものとは違う形でありながら、どこか心を惹かれる響きがあった。
「興味があるなら、試してみない?あなたの力がどれほどのものなのか、私たちと一緒に見極めてみましょう」
その誘いに、俺は言葉を失った。ダンジョンレスキュー隊に? 俺が? ありえないと思う一方で、心のどこかで、その提案を拒む理由が見つからなかった。胸の中でくすぶる熱が、背中を押してくるような感覚がする。
「どうかしら?」
結城美穂の真っ直ぐな視線に、俺は自分の中で答えを探していた。結城美穂の言葉が胸の奥に響き、俺は思わず彼女を見返した。信じられない。迷宮の中でただ必死に動いただけの俺が、ダンジョンレスキュー隊に誘われるなんて。
「本当に……俺でいいんですか?」
驚きと戸惑いを隠せないまま、思わずそう尋ねた。俺みたいな普通の人間に、そんな特別な役割が務まるとは思えなかったからだ。
美穂は少し微笑むと、真剣な眼差しで俺を見据えながら言葉を続けた。
「迷宮の中で人を探し出せる力――それは私たちでも簡単に得られるものじゃない。稀有な才能よ。それを持っているあなたなら、きっと多くの命を救えるわ」
その断言に、俺はまた言葉を失った。迷宮の中での出来事が「稀有な才能」と呼ばれるものだなんて、自分では考えたこともなかった。ただ必死で足跡を追い、泣き声を目指して進んだだけ。それが、そんな大層な言葉で語られるものだなんて。
でも、彼女の目には疑いがなかった。俺が自分を否定しようとすればするほど、その目に宿る確信が大きく見えてくるようだった。
「……本当に俺が、そんなことを……」
胸の中で言葉が途切れる。けれど、その時ふと迷宮の中での出来事が頭に浮かんだ。あの奇妙な熱、頭の中に浮かんだ道筋、そしてそれに従ったことでリナを無事に助け出せたこと――それが偶然だとはどうしても思えなかった。
「もしかしたら……これが俺のやるべきことかもしれない」
その考えが胸の中で少しずつ形を成していく。冒険者試験に落ち続け、何度も挫折した俺が、ここで初めて何かを成し遂げられた気がする。それが救助という形であれ、迷宮で人を助ける力を持っているというのなら、それを試してみる価値があるんじゃないか――そんな思いが胸に灯った。
結城美穂は俺の迷いを見透かすように、静かに微笑んで言葉を添えた。
「あなたがどうするかは、あなたが決めればいい。ただ、今のあなたにはその力がある。それを試してみるかどうか――選択肢は、目の前にあるわ」
その言葉に、俺は再び彼女の真剣な眼差しを見つめた。自分の中で何かが変わり始めているのを、確かに感じた瞬間だった。
結城美穂は真剣な表情のまま、静かに口を開いた。
「ダンジョンレスキュー隊について、少し説明させてね」
その言葉に、俺は無言で頷いた。迷宮の中で命を救う活動がどんなものなのか、具体的には何も知らない。ただ、その場に立つだけで背筋が伸びるような気がした。
「レスキュー隊は、迷宮での救助を専門とするチームよ。迷宮は宝を探す探索者にとって魅力的な場所だけど、同時に危険も多い。迷宮の中で道に迷う、モンスターに襲われる、あるいはトラップに引っかかる――そんな緊急事態が頻繁に起こるの」
美穂の言葉は静かだったが、その中に含まれる現実の重さがひしひしと伝わってきた。
「私たちはそうした状況で、行方不明者を探し出し、無事に迷宮から連れ出すことを目的として活動しているわ。道を知る能力、迷宮の構造を読む力、そして何より、迅速に動ける判断力が求められる。簡単なことではないけれど、人の命を救うために必要な力よ」
その言葉を聞きながら、迷宮の中で感じたあの不思議な感覚を思い出した。自分が持っているのかもしれない力が、このレスキュー活動で役に立つのだろうか――そんな思いが胸の中でざわめき始める。
「明日、試験を受けに来てみない?」
唐突に告げられたその言葉に、俺は驚いて彼女を見つめた。
「試験……ですか?」
「ええ、明日。うちの分隊で簡単な適性試験をやるわ。今のあなたの力がどこまで通用するのか見てみたいの。それに、もし適性があると分かれば、すぐにでも正式に隊員として迎える準備ができるわ」
美穂の目には確信の光が宿っていた。その言葉には躊躇がなく、俺の背中を押そうとしているのがはっきりと分かった。
「でも……俺なんかが、本当に?」
「もちろんよ。あなたにはその力があるわ。あの子を救い出せたことが、その証明でしょう?迷宮で人を見つけ出せる力――それだけでレスキュー隊として必要な才能を十分に持っていると思うわ」
その言葉を聞くたびに胸の奥が熱くなる。俺にできるだろうか?その不安はあったものの、彼女の言葉が押し寄せるたびに、それを試してみたいという思いが大きくなっていく。
「……分かりました。試験、受けてみます」
少し緊張しながらも、俺は小さく頷いた。その瞬間、美穂が柔らかな微笑みを浮かべた。
「よかった。じゃあ、明日、ダンジョンレスキュー隊第13分隊の施設に来て。詳細はここに書いてあるわ」
そう言って渡された小さなカードには、施設の住所と集合時間が記されていた。俺はそれを慎重に受け取ると、しっかりとポケットにしまい込んだ。
「待ってるわ。楽しみにしてるから」
美穂の言葉に、俺はもう一度小さく頷いた。胸の奥に広がる不安と希望が入り混じる中で、初めて自分が新しい一歩を踏み出そうとしていることを実感していた。
リナとその母親が再び感謝の言葉を述べてくれた。母親は涙ながらに何度も頭を下げ、リナは小さな手を振りながら、何度も「ありがとう」と繰り返している。その姿を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「本当にありがとうございました……一生忘れません」
母親が深く頭を下げる姿に、俺は慌てて手を振った。
「いや、俺ができることをしただけです。無事で本当に良かった」
最後にもう一度リナの頭を撫でると、彼女は照れたように小さく笑い、母親と手をつないで去っていった。二人の姿が見えなくなるまで見送った後、ようやく深い息をつく。胸の中に残ったのは、救えたという実感と、その裏側にある自分への疑問だった。
夜、部屋に戻り、静けさに包まれると、迷宮の中での出来事が頭を巡り始める。
「あれは……一体何だったんだろう」
ベッドに腰掛けながら、迷宮での感覚を思い返す。胸の奥で感じたあの熱、頭の中に自然と浮かんできた道筋、そしてそれに従ったことでリナを無事に助け出せたこと――すべてが現実離れしていた。
「俺が持っているものなのか?あの力が本当に……」
自分でも信じられない部分は多かったが、現実としてリナを救えたのは事実だ。結城美穂が言った「稀有な才能」という言葉が頭をよぎるたび、胸の中で静かに何かが燃える感覚がした。
迷宮の中で感じた熱と決して無関係ではない。あの感覚は自分の中にある力が目覚めた瞬間だったのだろうか?
手を広げ、指先をじっと見つめながら、静かに考える。
「もし、俺にできることがあるなら……」
その思いが徐々に形を成していく。何度も失敗し、何度も挫折した。けれど、初めて人の役に立てた実感がここにある。俺が持っている力が、本当に誰かを救えるものなら、それを試さない理由はない。
「これが……俺にできることなのかもしれない」
ベッドに背を預け、静かに決意を固めた。明日の試験、今度は失敗しない。初めて手にした自分の可能性を信じて、俺は新しい一歩を踏み出すことを心に誓った。
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