一般的核家族生体展示
矢向 亜紀
(1)
今日から私の父が博物館に展示される。話題性と夏休みという時期が相まって、博物館はひどく混んでいた。行列は大きな公園の一番奥にある博物館から始まり、最寄り駅までとぐろを巻く巨大な蛇みたいだ。
博物館の入り口付近には、プラカードを掲げ声を上げる人たちの姿が見える。今更騒いでも、仕方ないのに。
「人生は見世物ではない!」
「国の蛮行を許すな!」
喧騒を横目に、私と母は館内へ入る。切れ目なく続く行列に沿って、常設展の間をのろのろ進む。時間の矢は、展示の中を過去から現在に向かって飛んでいく。太古の地球を我が物顔で歩いていた首長竜の復元骨格が空を舞い、剝製の動物たちが群れを成し、古めかしい土器が並び、ただの石に見える隕石が鎮座する。ここにあるのは貴重で特別なものばかり。
立ちっぱなしで足が棒になりかけた頃、ようやく時間の矢は現代を射抜いた。案内板が高らかに告げる。
『一般的核家族生体展示』
私の父は、博物館の一番奥に展示されていた。
大方の予想に反して、地球の人口はとっくにピークを過ぎて減り始めているらしい。テレビの中で賢い大人たちはこう言った。
「これは非常に難しい問題です。今後も議論を続ける必要があります」
諸外国は自国を維持するため、人口問題の解消だけでなく生活様式や大衆文化の保存を政策に取り入れた。父の展示が決まったのも、海外に倣った取り組みによる。父は“展示に値するもっとも普通の一般的成人男性”として国に太鼓判を押され、招集された。
もちろん、当初は『一般的核家族生体展示』に対する反対運動が全国で起きた。だけどある日、それにうんざりした国の偉い人はこう言い放った。
「既に多くの国で運用されています。未来のために、わが国でも導入すべきです」
国際社会の一員として、日本も同じことをしなくては。そうやって言い続ければ、普通の人は次第に矛を収める。今やノアの方舟は、世界に一つではちっとも足りない。
家族三人で過ごす最後の夜、父は得意料理の炒飯を作った。夕食の席で、私は今まで何度も父に聞いてきたことを繰り返す。
「お父さんさあ、これ結局どうやって作るの? 明日から食べられなくなっちゃうよ」
「うーん。適当に炒めて塩コショウするだけだよ。誰にでもできる」
いつも通りに答えた後、父はふと思い出したように明るい声を上げた。
「そうだ! 一番大事な調味料は家族愛だよ。それを入れてる」
「……あなた、明日から大丈夫? 他の二人に嫌われないようにね」
呆れた声色の母に、父は困ったようにふやけた笑みを浮かべて言い返す。
「疑ってるな? 俺、嘘は言ってないぞ?」
「はいはい」
どんなに適当に作っても、父の炒飯はその日の気分で味が変わるようなことはない。それは最後の日でも同じ。彼の機嫌も天気も関係なく、米はパラパラで、卵は黄金に輝いていた。
翌朝、父は近所の人たちに見送られて家を出た。それを眺めながら私は、最後の夜に父が私だけにこぼした言葉を思い出していた。みんなが叫ぶ「おめでとう」にかき消されそうだったけど、今も私の耳の奥には、父の声がぽつんと残っている。
展示室内の照明は暗く、その中に据えられた硝子張りの大きな箱だけが白々とまぶしい。図解によると、箱は正方形を縦横三×三の九等分にした間取り。正方形の真ん中から十字に伸びる空間は、リビングや食卓といった共有スペース。見物客の目に触れない正方形の角の一つが、バスルームやトイレなどの水回り。
他の三つの角は個室だ。最初に見えた部屋には、サッカー選手のポスターやゲーム機、ポテトチップス、ブレザーの制服。展示のキャプション曰く、あれは『一般的男子高校生〈息子〉の部屋』。次の部屋の壁には海外の街の写真が数枚貼られ、作業机の横には立てかけられたヨガマット。ここは『一般的成人女性〈母〉の部屋』。そして最後の部屋には、壁際に置かれた本棚、お気に入りの置時計。どれもこれも、見覚えあるものばかり。ここは紛れもなく私の父の部屋。いや、違う。『一般的成人男性〈父〉の部屋』。
人混みに遮られていた視界が抜けて、箱の中央が見えた。どこにでもいそうな男の子は、白いTシャツにハーフパンツ姿。紙パックの麦茶を三つのカップに注いでいる。後から出てきたのは、何の変哲もない女性。きっと展示室を出たら、私たちは彼女の顔を忘れてしまう。
「本当に、普通の人だね」
今までほとんど口を開かなかった母がぽつんとつぶやく。硝子越しの照明が、平均より少しだけ背が高い母の顔を白々と撫でていた。
やや奥まった位置にある台所に、誰かの背中が見えた。見間違えるはずもない。くるりと振り返ったのは、一般的成人男性。
「お父さん」
彼は両手に皿を持っていた。盛られているのは炒飯だ。彼の機嫌も天気も関係なく、米はパラパラで、卵は黄金に輝く炒飯。父は、新しい家族のためにとっておきの得意料理を披露した。集められた張りぼての家族も、私たちと同じように喜ぶだろうと信じて。あの箱の中で、父は本当の家族みたいに振る舞うと決めたらしい。
私は博物館の年間パスポートを買い、夏休みの間は毎日『一般的核家族生体展示』へ足を運んだ。
展示が始まってしばらくは、『一般的核家族生体展示』を巡るニュースが連日世間を騒がせた。三人のでたらめな本名をインターネットで拡散した誰かや、一般的成人女性の夫を騙る詐欺師が逮捕された。SNS上では、快適そうな彼らの生活を羨む、または妬む投稿が時に無意味な議論を呼んだ。だけど熱狂は夏が終わる頃にはすっかり冷めて、行列は幻みたいに消えた。プラカードを持って叫んでいた人たちは、今頃何に抗議しているんだろう。
夏休み明け、放課後の博物館は静まり返っている。〈父〉はパソコンに向かって作業し、テレビから流れるサッカー中継に時折視線を送る。いつの間にサッカーファンになったんだろう。〈母〉は自室で資料とにらめっこ。合間に手を伸ばすのは、〈息子〉の部屋にあるのと同じ銘柄のポテトチップスだ。〈息子〉は自室で腕立て伏せに精を出す。〈父〉が見ているのと同じサッカー中継をタブレットで流しながら。
毎日毎日、私は展示室に置かれたベンチに座って一般的核家族を眺めた。不自然に創られた家族が、箱の中でゆっくりと何かになる様子を。
展示が始まってから三ヶ月が経った頃、母は私に笑顔で打ち明けた。
「彼氏ができたの」
配偶者が『一般的核家族生体展示』に参加している場合、合法的に重婚が可能らしい。だからこれも不倫ではないと、母は久しぶりの恋に浮かれた声色で続ける。そうして、私が知る限り一番綺麗に笑った。
展示が始まって半年、〈母〉の部屋の電気が消された。硝子にはこんな用紙が貼られていた。
『都合により、一般的成人女性〈母〉の展示を中止しています』
残された〈父〉と〈息子〉は二人で穏やかに暮らしていたけど、明るい表情の〈父〉に比べて〈息子〉は浮かない顔だ。
展示が始まっておよそ一年。〈母〉が戻って来た時、彼女の腕の中には赤ん坊がいた。〈息子〉の部屋だった一角にはベビーベッドが置かれ、可愛らしい天使が舞うモビールが天井からつるされている。ここは『一般的新生児〈娘〉の部屋』。その証拠に、一般的男子高校生は姿を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。