ぎゃらん堂へようこそ番外編  あのコがみている

ユッキー

あのコがみている

 殺してしまった。あのコを。

 あのコがいけないんだ。ボクを裏切ったから。

 あんなに愛し合ったのに。

 ボクだけを見てって言ったのに。


 ザアアア……

 朝からの大雨が夜になっても続いている。

 ボクは夜道を傘を差して歩くあのコを掴まえて、この橋の下に連れ込んだ。すぐそばを増水した川がゴオゴオ流れている。

 二人きりで話をしたかったから勇気を出しただけなのに、騒ぐから口を塞いだ。それでも暴れるから首を絞めたら、やっとボクを見てくれた。

 涙を流しながら見つめてくれた。

 苦しそうに「どうして…?」って、初めて口を聞いてくれた。

 だからボクは笑って言ったんだ。「キミがボク以外の男に笑いかけてたからお仕置きだよ」って。あれは確か会社の同僚だったな。

「あなた…だれ……?」だって?イヤだなあ、キミの恋人じゃないか。いいよ、その潤んだ目。

 もっと見つめてくれ──


「ひと…ごろし……」


 ……何だよ。せっかくボクを見てくれたのに。

 何でそんな目で見るんだよ。

 恋人に向かってそんな、汚いモノを見る様な目をするなんて……やめなよ。


 やめろ。


 見るな。


 そんな目で見るな。


 ふざけんな。


 キミはボクを睨み付けたまま、息をしなくなった。

 口から泡を吹き、血を流し、顔中を皺だらけに歪ませて……醜い。何だコイツ。


 ザアアア……


 あれ、あのコは?ボクの恋人はどこに行った?

 目の前のこの醜い女は誰だ?

 何だよ、見るなよ。


 見るな。


 足元に仰向けに崩れ落ちたその醜い塊が、いつまでもボクを見ている。物凄く腹が立ったので、近くにあった鉄パイプを手に取った。護岸工事用のモノだろうが、雨を除けて何本もまとめて置いてあったのだ。

 その鉄パイプを醜い塊の目を狙って何度も叩き付ける。


 見るな。

 見るな見るな見るな。

 見るな見るな見るな見るな見るな見るな。


 そのうち潰れて赤黒く染まって、ようやく目が気にならなくなった。ボクは満足して、何だか分からない塊を蹴飛ばして川に落とした。辺りは雨で真っ暗、人通りも無く誰も見ていない。川の流れも速いから、塊は適当に流れていくだろう。さっさと背を向けてその場を離れる。

 あの醜い目を早く忘れたかった。



 ザアアア……

 翌日の夜になっても雨は続いていた。

 あまりの雨量に川が氾濫して、付近の住宅は床下浸水の被害に遭ったらしい。ボクがコンビニのバイトを終えて帰ると、自宅アパートの周辺も水浸しだった。確かにウチも川には近いが、ここら辺まで水が来たのは初めてだ。ずぶ濡れになった靴に新聞紙を詰め込んでから、貰った賞味期限切れの弁当を食べ始めた。スマホをいじって、こっそり撮ったあのコの写真を眺める。

 今頃どうしてるかな。もうウチに帰ってるかな?同僚や友達に向けてたこのキラキラした目…こんな目でボクも見て欲しいなあ……またマンションまで行ってみようか。でもオートロックだから、エントランスに入る時か出てきた時じゃないと逢えないんだよな。もう帰って寝ちゃってると明日の朝まで待たなきゃいけない。こんな雨の中じゃ寒いなあ……

 ふと見たら、ネットの地域ニュースに若い女の死体が川の下流に流れ着いたって出ていた。ふーん…橋から落ちたのかな?えっと、警察も事故と事件の両面から捜査してるけど遺体は損傷が激しく、体の一部は流されて無くなってる、か……


 視線を感じた。


 窓の外から誰かが見てる。

 思わず閉まったカーテンをじっと見た。ここはアパートの一階で窓の外は私道だから、別におかしくはない。だけど……

 ザアアア……

 雨音が響く。

 こんな雨の夜に、誰かが立ち止まってボクの部屋を見たりするだろうか?こんなボロアパートに興味が?

 しばらく黙ってカーテンを睨んでいたが、遂に我慢できなくなった。そろそろと近付いて、カーテンの端を少しめくってみる。

 真っ暗でよく見えない。

 もう少し捲る。近くの街灯がボンヤリと照らしているので、誰かいればシルエットくらいは見えるはずだが……誰もいない。

 思い切ってカーテンを開き、窓も開ける。


 ザアアア……


 雨音が強くなる。

 誰もいない。

「…気のせいか……」


 ザアアア……


 ……いや。


 ザアアア……


 やっぱり、見てる。

 誰だ…?


 ザアアア……


 見てる。


 ザアアア……


 …この視線……?

 どこかで………


 ザアアア……


 ザアアアア……


 …あのコか……?


 キラキラした目。

 あのコが見ている……?


 ザアアアアア………


 いや、殺した。

 あのコは、殺した。

 ボクが殺した。


 キラキラした目が涙で潤み、睨み付ける。

 潰れて、赤黒く染まる。

 

 ザアアアアアアア………


 赤黒いドロリとした液体の中で、濁った目が見ている。


 あのコが、見ている。


 ザアアアアアアアア…………


 見る…な……


 ザアアアアアアアアアア……………


 見るな……


 ザアアアアアアアアアアアア…………………


 見るなっ…!


 ザアアアアアアアアアアアアアア………………………


 見るな見るな見るなっ………


 ザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア………………………………


 見るなああああああっ…………!



「──その男は交番に駆け込んできて、自分が一方的に好意を寄せて付きまとっていた女性を殺して、川に流した事を自白しました。ずっと『見るな見るな』と錯乱状態で言っている事も所々辻褄が合っていなかったのですが、遺体の状態や死亡推定時刻が供述通りだった事から警察は男を犯人と断定、逮捕に至ったのです……」


 淡々と語る真見まみの言葉に、皆息を呑んで聞き入っていた。体育館の中は暖房が利いているはずだが、さっきからゾクゾクと寒気がする。

 十二月最後の日曜日。今日は少年野球チーム〈シラトリ野球部〉が、小学校の体育館を借りて納会を開催していた。納会とは、一般的には会社や組織がその年の成果を振り返り来年度への意気込みを新たにする為の集会の事で、プロ野球の球団でも毎年盛大に行なわれている。シラトリ野球部でも毎年催されていて、一年間の大会の総括や個人成績の表彰、引退する六年生を送るセレモニー、更に昼食後にはバッティンググローブやボール等の賞品が当たるバスケットボールや卓球のゲーム大会もある一大イベントだった。

 その納会に今年縁があったオレと真見もゲストとして呼ばれたのだが、ちょうど今日はオレ達が勤める整骨院〈ぎゃらん堂〉の患者の予約が午前しか入っていなかったので、午後から参加させてもらっている。それでゲーム大会の後、せっかくだからオレ達にも何か挨拶をして欲しいとお願いされた。そこでオレは柔道整復師らしく冬休みの自主トレに良いストレッチを教えたが、真見の番になると子供達から一斉に声が上がったのだ──『怖いお話して!』と。彼らにとって夏休み以来、真見はすっかり鍼灸師ではなく『怪談のお姉さん』なのである。

 その怪談のお姉さんが『じゃあ軽めのをひとつ』と始めたのが今の話なのだが……軽めか?


「その男はずっと『見てるんだ、あのコが見てるっ…』と訴え続けていたのですが──」


 しかもまだ続いてた。


「あまりにしつこいので念の為、警察は男の部屋の窓の外を一応調べました。

 誰かがいた形跡はありません。

 足跡なんかも無い。

 ただ、鑑識の一人が妙なモノを見付けました。それは泥に埋もれていたんですが、パッと見は丸くて白いボールで、何だか糸みたいなモノが絡まってて……」


 丸くて白いボール……?

 嫌な予感がする。

 見回せば子供達も顔を歪めている。

 たぶん、オレと同じ事を考えて……


 真見は長い前髪を左手でゆっくりと掻き上げて、その眠たげな左目・・を見せた。


それ・・は、川に流されて無くなっていた女性の遺体・・一部・・でした。

 男は本当に見られていたんですね。


 その、泥だらけの小さな眼球ボールに……」


「ひいっ…」と声にならない悲鳴が上がる。

 オレも思わずゾクッとのけぞった。


 ココンッ……


 子供達が一斉に振り向く。

 皆の視線の先に、白い小さなボールが転がっていった。

「わあっ!」「きゃあっ!」

 オレはすぐに謝る。

「あ、ゴメンっ……さっき卓球で使ったの、ビビってポケットから落っことして……」

「もうっ、かおるちゃんセンセっ…」

「ビックリさせないで!」

 オレがブーイングの嵐に晒される中、真見は足元まで転がったボールをヒョイと摘み上げる。 

「男の部屋の前までこんな風に流されてきたんだとしたら、それが人間の執念ってモノかもしれませんね……」

 そう言って怪談のお姉さんは、薄く笑った。

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