少女冒険奇譚

佐藤山猫

第1話


 ある村外れに、姉妹が仲睦まじく暮らしていました。

 姉は昼夜問わず細々とした稼ぎを得て、妹は病弱ながら内職を行い家計を助けていました。

 両親はいませんでしたが、二人は互いを思い合い、手を取り合って暮らしていました。


 ある日、妹が重い病気になりました。


 見たこともない病だと村医は早々に匙を投げました。それが村人たちには呪いとして映りました。

 関わりにならないように。

 姉は村に得ていた仕事を全て失いました。


 蓄えは心許なく、妹の側から片時も離れたくない気持ちもありました。

 姉は、外出も食事も必要最低限に抑えました。


 何日か経ちました。

 妹の病状は一向に快復の気配を見せず、一日中昏睡したように眠る日々が続いていました。

 森に木の実を採りに行った折、姉は旅の医師と名乗る男に出会いました。

 燻んだ黄金色をした蛇を一匹連れた、慇懃で胡散くさくもある男でした。

 藁にもすがる思いで、姉は妹を診るように頼みました。


 妹を診察して男が言うには、いくつかの特別な薬を調合すれば、治る可能性があるということでした。


 姉は迷いませんでした。


 男が挙げた材料は三つ。魔山羊の大角、人魚の血、そして古代の磨石。

 在処まで書き記されたメモ紙を携えて、姉は冒険に出たのです。


 まずはギルドに寄ると良いと聞かされていました。


 森を抜け、丘を越えた先に町があります。

 小さな町でした。

 ここで、姉は冒険者ギルドを訪ねました。

 まずは魔山羊の大角を求めてのことです。


「知らねえな。そんなもん」


 手で払われ、姉は肩を落として町を後にしました。

 より大きな町に出ても駄目でした。数珠繋ぎのように、何軒もギルドを辿りました。


「ガキがこんなところに来てんじゃねぇよ」


 悪態をつかれることもあり、


「貴重な品ですから、何年もかけて払わないといけませんよ」


 誑かされて娼館に売られかけることもありました。


 だから、姉が大角を手に入れることができたのは、奇跡と言う他ありません。


「魔山羊の大角は、身体から切り取った途端に燻んで色褪せ、まもなく塵となって消えちまうんだ」


 魔山羊を麻酔矢で昏倒させた狩人は、姉に伝えました。


「接合するんだ。あんたに。私ならできる。だがな、嬢ちゃん。覚悟はあんのかい?」


 覚悟、という言葉の意味を、その裏の意味まで丹念に噛み砕いて飲み込んで、姉は納得して乞いました。

 逡巡までに費やした時間、表情。対面する少女の覚悟を確かに感じ取って、狩人は大角を切断すると、姉の額にあてがいました。

 大角の断面に噴き上がる鮮血から、姉は一切目を逸らしませんでした。

 狩人の術によって、姉の額にのめり込むように接着された大角。


 行く人は姉を魔族と謗りました。人と魔物の合いの子だと噂し、忌み嫌いました。

 世界が裏返ったみたいでした。

 

 元より、故郷にいた時分から、ある程度孤独には慣れているつもりでした。

 それでも、枕を濡らす夜には、空の暗いところを見上げて、見えなくても光っている星々に想いを馳せるのでした。


 姉は旅を続けました。

 故郷に妹が待っているのです。


 海に出ました。

 昼も夜も問わず、海に開いた洞窟で人魚の浮上を待っていました。


 どれほど心待ちにしたことでしょう。


 現れた人魚に、姉は血を求めました。


「条件次第ね」


 人魚は姉を試すように見上げました。


「どれくらい必要なの?」

「ほんの数滴あれば」

「分かったわ」


 人魚は小指の先を噛み切って、瓶に血を注ぎ入れてくれました。

 姉は固く蓋を締めます。


「でも引き換えはしっかりもらうわよ」


 人魚は悪戯な笑みを浮かべました。

 そして、姉の足を掴んで海に引き摺り込みます。


「仲間になるの。人魚の仲間に」


 姉の太腿に甘く歯を立てながら、人魚は人魚の世界に誘います。

 海に浸かった姉の両脚は、あっという間に人魚のような鰭に転じてしまいました。

 姉の両脚が変じたのを見届けると、妖精のような笑顔を浮かべて、人魚は深海に消えていきました。

 姉は途方に暮れながら、それでも冒険へ決意を改めました。

 故郷に妹が待っているのです。


 額に大角、下半身は魚、人魚の赤い血が入った瓶を後生大事に抱えて、メモ紙を強く握りしめて。

 姉は海を泳ぎ、河を遡上し、陸に上がってはアシカのように這って磨石を求めました。


 そうして辿り着いた魔女の下で、姉は引き換えに魂を差し出すよう求められました。


「人の魂が無くなれば、お前は身も心も魔物に成り果てる」


 紫煙を燻らせ、魔女は残酷に姉を見下ろします。


「どうせお前はもうヒトじゃない。魔物だ」


 魔女はカラカラと快活に笑いました。


「2本も魔山羊の角を生やし、下半身は人魚の鰭だろう? これでヒトだと言えるのかい?」


 既にして人の両脚は無く、ここまで来るのに這って進むしかなかったことを姉は思い出していました。

 どの道、決意は固めているのです。


「……少しは躊躇ってくれないと、面白くないねえ」


 魔女は下手くそな喜劇を観ている気分になりました。


 興醒めした魔女は、取引を全うするなり叩き出して小屋の扉を締め切りました。


 古代の磨石を手に入れ、一路故郷の村へ来た道をひた走ります。

 メモ紙はもう必要ありません。腹の足しにしてしまいました。

 前脚を使って重たい身体を引きずり、泳ぐには向かない上半身を携えて河海を渡り、遠くに町を望みながら丘を越え森を抜けます。

 泥だらけになりながら、ついに村外れの小さな家に辿り着きました。


 めぇぇぇぇ!


 変わり果てた声で、変わり果てた姿で、戻ってきたことを知らせました。

 戸が開きます。






 








 妹は完全に快復しました。

 目を覚ました時、そこには姉の姿はありませんでした。

 村に出て探しましたが、姉の姿はどこにもありませんでした。


 奇跡が起こったと、村人は妹を囲んで祀りました。

 奇跡なんかでは無いことを、妹はちゃんと聞いていました。


 ついに姉は見つかりませんでした。


 妹は時折、空の暗いところを見上げて、見えなくても光っている星々に想いを馳せました。

 きっと同じ夜空を見上げている存在があると信じて。


 さらに何年も経ち、妹はすっかり元気になり、健康に育ちました。病弱だったのが嘘のようです。

 村を出て、近郊の街に引っ越していました。かつて、彼女の姉も訪れた街です。この街で冒険者ギルド職員の仕事を得ていました。


 ある日、妹は噂を耳にしました。


 遥か大洋の島に、魚の下半身と角の折れた山羊の上半身を合わせ持つ、巨大なアシカのようなシルエットの魔物がいる、と。


 妹は冒険に出ました。

 姉に再び会うために。

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