追憶――表情
《竜脈術》の修練は二段階に大別される。
第一段階では基礎体力の強化にマナの絶対量の底上げ、および操作技術の向上。それが終わると第二段階――すなわち《竜脈術》習得への挑戦が本格的に始まる。
この日、レオノティスはマナの量を底上げする訓練を受けていた。
『レオ、頑張れー!』
アイビーの声援に応える余裕もなく、レオノティスは必死の形相でドラセナの猛攻を受け続ける。
少しでもマナを出し惜しみすれば次の一撃でやられかねず、否応なしに常に全力でマナを放出し続けなければならない。マナの乏しい人間族にとっては、まさに地獄の修練だ。
『――あっ……』
がくりと。全身からマナどころか力まで抜け、レオノティスは自分の体重すら支え切れずにのめった。
ぐにゃりと歪みながら、地面が迫ってくる。
何とか手を突こうとするよりも先に、しかし、ドラセナの柔らかな腕に受け止められた。
ドラセナは細腕でレオノティスの身を容易く反転させ、仰向けに寝かせる。
『す、すまん……』
『気にしないでください』
そっけない言葉を受けながら、レオノティスは青々とした葉から除く抜けるような空を見た。
まるで、ドラセナの背のように遠い空を。
何せ修練でほぼ同量のマナを消費したはずなのに、ドラセナは汗の一滴すらかいていない。いや……そもそも《竜脈術師》である彼女の本領は、マナでなく竜脈にこそあるのだ。
今の自分では、百回挑んだところで一勝たりともできないだろう。
――遠いな……
《竜師》という存在は、空の向こうほどに遠い。
自分も傭兵としてそれなりに名を知られているつもりだが……そんな傭兵たちの話など、ドラセナの力の前ではどんぐりの背比べも同然。
それこそ、次元が違うのだろう。
《竜脈術師》になれば、少しは近付くことができるのだろうか?
マナ欠乏時特有の倦怠感を覚えながらそんなことを考えていると、アイビーが水を差し出してきた。
『お疲れさま! あれはきつそうだねえ……』
『ああ……初めてやったけど、かなりこたえるな』
『継続時間は五分ちょうどでした。人間族としては素晴らしい記録です』
飲んだ水が五臓六腑へ染み渡る感覚に思わず呆けているところへ、ドラセナが抑揚のない口調で告げる。
『人間族としては、って……さっきのは何分耐えればクリアなんだ?』
『最低でも三十分。それくらいできなければ、ここから先は修練になりませんので』
『さ、三十分……』
ドラセナからとんでもない数字が返ってきて、レオノティスは危うく意識を失いかける。
『だから、人間族には不可能だと忠告しました。今からでも諦めた方がよいのでは』
『いーや、諦めねえ。こんなことで諦めるくらいだったら、《竜脈術》を覚えるなんて最初から言わねえよ』
『…………』
どうしてそこまでするのか、やっぱり理解できない。
ドラセナの表情にはちっとも変化がないが、レオノティスは何となくそう思っているような気がした。
『では少し休憩にしましょう。マナを回復させたら、同じ修練を反復します』
ドラセナはくすぶっているであろう疑問を口に出すわけでもなく、淡々と提案する。
『あ、じゃあこれみんなで食べてよ。ちょうどお昼だし』
休憩と聞いて、アイビーが持っていたバスケットを開ける。
『無理言って病院の厨房を貸してもらって、サンドウィッチ作ったんだ! ドラセナは甘いのが好きって聞いたからフルーツサンドもあるよ!』
『お前なあ……ここにいる時点で言ってもしゃーない気がするけど、病人は療養するのが仕事なんだぞ?』
レオノティスは一応釘を刺しながら起き上がり、バスケットからたまごサンドを取り出す。
『分かってはいるんだけど、
『流行り病ってのはマナを吸われる病気なんだろ? だったらリルムリット王国よりかは竜神圏にいた方がいいだろうさ。マナも竜脈も断然多いからね』
とすると、長の予想がズバリ的中したわけだ。むしろここまで顕著に表れるとは期待していなかったので、予想外というべきか。
『それにさ、病は気からっていうでしょ。気分転換気分転換!』
『お前の場合は時間配分が逆転して、じっとしてる方が気分転換になってるんじゃないか?』
『うっ……』レオノティスの指摘に声をつまらせ、『い、いいから食べてみてよ! ほら、ヴィステもドラセナも!』
『ああ、そんじゃ相伴にあずかるとしようかね』
パクリと一口かぶりつくと、ヴィステマールは驚きのあまり『んっ?』と声を上げた。
『こいつは中々いけるね。誰に教えてもらったんだい?』
『故郷のお店のおばちゃんから少しだけ教わったの。後は自己流でちょいちょいっとね』
『お前、器用だもんな。アイビーのリースだっていつの間にか俺より上手くなってるし』
『アイビーのリース?』
『ん。レオが初めて私にくれたプレゼントなんだ!』
ヴィステマールが疑問符を浮かべると、アイビーは嬉々として答える。
『元々はレオが傭兵の副業でリースを作って売ってたんだけど、私がその仕事を覚えて引き継いだんだ。ちなみに私の名前もそこから取ったんだよ』
『へえ、思い出の品ってわけか。いいじゃないか』
『ん! だから私、アイビーって名前が大好きなんだ!』
と、アイビーが未だ手を付けずにいるドラセナに気付く。
『ねね、ドラセナも食べてみて? オリジナルには敵わないかもだけど、今回のは結構上手にできたかな~って思うんだ』
『……そうですね。では私もいただきます』
再度促され、ようやくドラセナもフルーツサンドを口に運ぶ。
『どうかな? どうかなっ?』
『美味しいわ』
ハイテンションで迫るアイビーへ、ドラセナはいつも通り抑揚なく答える。するとアイビーは自分の口端を指で引き上げ、笑顔を作ってみせた。
『ドラセナ、そういう時は笑顔!』
『え?』
『美味しいもの食べると嬉しくならない? みんなで食べると楽しくならない? そういう時は、こうやって笑うの』
アイビーは戸惑うドラセナの唇へ人差し指をあて、両端を引き上げて笑顔を作らせる。
そんなアイビーに、ドラセナは力なく俯く。
『人の上に立つ者は、安易に感情を表へ出すべきではない。そう、教わったから』
教わった、とは恐らく子供の頃に彼女を指導した教育係にだろう。
《竜師》を指導者・為政者と見るなら、その考えは間違ってはいないのかもしれない。
『んー。ドラセナはそういうの、合わないと思うけどなあ』
しかしアイビーはそんなことお構いなしに、思ったことをそのまま口にする。
『合わない……?』
きっと初めて言われたのだろう。表情こそ変わっていないものの、ドラセナはかなり驚いているように思えた。
『ねえ、レオはどう思う?』
『合わないっていうとなんだけど、無理に言うこと聞く必要もない気がするな』
話を振られ、早くも一つ目のサンドウィッチを食べ終えたレオノティスも概ね同意する。
『竜人族と人間族で感覚が違うのかもだけど、リルムリット王国の先代の女王だったアリシアはいつも穏やかに笑ってたらしい。威厳とかからは遠くなるけど、親近感が湧くってんで人気はあったみたいだ』
『そう、なのですか?』
『ん。決める時はきっちり決めてたんだろうけどさ。それもまたギャップがあって魅力的に映るのかもな。優しいけど、ここ一番ってとこは女王として動くというか』
事実アリシアは平時こそ温和だったが、いざ民を守る戦にあっては自ら前線へ赴き、磨き抜いた《精霊術》をもって獅子の如く勇戦したという。
その姿勢はアリシアの子であり、現女王でもあるアイリスにも受け継がれている。
『今までずっとそうしてきたんだから、いきなり変えるのは難しいかもしれねえけどさ。《竜師》だって、嬉しい時や楽しい時は素直に笑っていいと思うぞ』
『そうそう。ドラセナはすっごく可愛いんだから、笑ってなきゃ損だと思うな~』
『私が、カワイイ…………?』
以前の「カゾク」よろしく、異民族の言語のように反芻する。
『あれ、人から言われない?』
『《竜師》に面と向かって可愛いなんて言う奴、そうそういないだろうねえ。美しいとかならまだしも』
苦笑いするヴィステマールに、アイビーは「そういうもんかあ」と嘆息する。
『でも私は可愛いと思うよ。笑ってると、もっともっと可愛い! レオだって可愛い女の子の方が好きだもんねー』
『誤解を招く言い方をするんじゃねえこら』
調子に乗るアイビーをひっ捕まえ、頭をげんこつでぐりぐりしてやる。
『痛いいたいいたーい! じゃあレオは、ドラセナは笑わない方がいいって思ってるのっ?』
『それは……』
ドラセナと目が合うと、戸惑うような顔が返ってくる。
レオノティスは大きく息をつき、
『また別の話だろうがー!』
『ごもっとも~!』
ぐりぐりの速度をさらに上げてやると、涙目になったアイビーが「まいった、まいったからもうやめて~!」とぺちぺち手を叩いてきたので、仕方なく解放してやる。
そんな二人の様子に、ドラセナが小さく笑う。
『あ、今の顔!』
『えっ?』
アイビーにずいっと寄られ、ドラセナは目をぱちくりさせる。
『やっぱりドラセナってば笑うと可愛い~! ねね、もう一回笑ってみて!』
『笑っていません』
そっぽを向くドラセナの前で、レオノティスとアイビーはわざとらしく顔を見合わせる。
『ね、レオ。さっきの絶対笑ってたよね』
『ああ。完全に笑ってたな』
『笑ってませんっ』
『あ! 怒ってムキになった顔も可愛い~!』
『可愛いって――お、怒ってもいません』
『ぷっ……』
取り繕うようにすまし顔を作るドラセナがおかしくて、レオノティスはつい噴き出してしまった。
『なぜ笑うのです! ……もういいです』
今度は拗ねてしまったので、レオノティスは苦笑いしてサンドウィッチを差し出す。
『よしよし、こっちもやるから機嫌直してくれ。って、俺が作ったわけじゃねえけど』
『直すも何も、怒っていませんから』
『そうだったな。それじゃあ修練に付き合ってもらってる礼ってことで。朝からずっと付き合ってくれてんだ、あんたも腹減ってるだろ』
ドラセナはほんの少しだけ恨めしそうな視線を寄越し、そこで目を見開いた。
『あなた、その腕……』
目線の先では、レオノティスの腕がわずかに震えていた。かなり重度なマナ欠乏の症状だ。
『……なんでもねえよ。いいから早く受け取ってくれ』
『震えが出るくらいなのに、なんでもないわけないでしょう。さあ、すぐにマナを共有化してください』
ドラセナはレオノティスの腕に触れ、ゆっくりとマナを注ぎ始めた。
『すまん。……やっぱ優しいんだな』
『私は竜神様の指示に従って、あなたをサポートしているだけです』
『本当にそうだったら、マナ欠乏に気付いた時あんな心配そうな顔しねえさ』
相変わらずつれないドラセナに、レオノティスはゆっくりと言葉を選んで返す。
『……そう思いたいなら、好きにしてください』
『あーそうさせてもらう。ありがとな、ドラセナ』
『…………』
慣れない笑顔を向けると、ドラセナはむずがゆそうな顔を背けてマナを注ぎ続けた。
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