翼のない竜脈術師

@Haruka_N_K

 リルムリット王国王都・リルムフェスタ上空。

 天まで届かんばかりに高くそびえる竜樹りゅうじゅへ向かい、一頭の飛竜が眩い銀の翼で風を切り空を駆けている。竜の背では無翼の男と有翼の女が並んで片膝をつき、決戦の時を耽々と待っている。

「必ず守ってあげるからね……」

 誓うように翼持つ女・ドラセナが、白基調の軍服と編み込んだ長い銀髪をなびかせ呟く。柳のような腰からすらりと伸びた銀翼が、鈍色の空に美しく透過する。

「…………」

 翼のない男・レオノティスは、ドラセナの決意を無言で反芻していた。

 傭兵が好むラフな装備に烏羽色のミリタリーコートという出で立ちは、彼が少なくとも堅気ではないことを示している。ドラセナとは対照的な黒の短髪が、彼の内心を象徴するかのように風に弄ばれる。

 レオノティスは間を持たせるように、眼下の景色へ目をやった。

 通い慣れた街がひどくくたびれて見えるのは、空を覆う分厚い灰色の雲のせいだろうか。

 いや、それだけではあるまいとレオノティスは視線を竜樹へ移す。

 国家の象徴であるかのように、王城と並びそびえ立つ大樹。だがその葉は大半が枯れ落ち、生命力も感じられない。

 竜樹は生命の源であるマナや竜脈りゅうみゃくを生成して大地へ流す、いわば命の樹。その竜樹が衰弱しているせいで、この一帯の大地そのものもまた枯れようとしている。

 しかしレオノティスはそれも無理からぬことだろうと浅く嘆息する。

 この地は、マナを消耗し過ぎたのだ。

 それでもここは、俺にとってたった一つの――

 飛竜の甲高い鳴き声に、レオノティス思考が断ち切られる。

 垂直に近い角度で下降が始まると速度が一段と上がり、痛覚すら感じるほどに風の抵抗が増していく。

 みるみるうちに鮮明になっていく地表の様子に、レオノティスは思わず喉を鳴らす。

「あれが全部リルムリット王国軍の兵士か……」

 襲撃に備えてか。王城から竜樹一帯にかけて、数え切れないほどの兵が配置されている。

「レオ」ドラセナが声をかける。「レオだけこのまま飛竜と引き返してもいいんだよ。今ならまだ間に合うし、私は一人でも大丈夫」

 悲壮なまでの決意を秘め、そんなことを恐らく本心から言ってのける。

 自分はこの状況で、単騎で吶喊することができるだろうか? そう考えると、レオノティスは彼女へ尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

「冗談。どこまでも付き合うさ」

「……ん。ありがと」

 飛竜が地面に最も近付いた瞬間、二人はタイミングを合わせて飛び降りた。

 警備隊が慌てて戦闘態勢をとるが、時すでに遅し。

「《昂翼海化フェザード・マトリクス》」

 声とともにドラセナの翼が伸長し、辺りが白銀の羽根を模した竜脈で覆われていく。

 勇壮な翼がはためくたびに輝く羽根が舞い散り、それに触れた兵士たちが糸の切れた人形のようにばたばたと昏倒していく。

 二人ははらりと舞う羽根をクッション代わりに着地。累々たる兵士たちには目もくれず、竜樹へ向かって駆け出した。もたもたしていてはさらに敵の増援がやってくる。早さこそがこの作戦を成功させる鍵だ。

 レオノティスはドラセナの数歩前を先行し、右手の腕輪へマナを浴びせた。

「《神託の剣オラクル・ソード》」

 シルバーの腕輪にあしらわれた紅玉が輝きを増し、紅蓮のマナが長剣の形をなす。

 レオノティスは顕現した剣を薙ぎ払いマナを放射、立ち塞がる兵たちを一撃で露のように払ってしまう。

 この尋常ならざる力は、マナを用いて発動する《精霊術せいれいじゅつ》の賜物。

 ある者は炎を自在に躍らせ、ある者は水禍を引き起こす――人により素養は様々だが、一様に言えるのは常軌を逸した力を獲得するということ。

 マナを操る才は「マナの祝福」と呼ばれ、マナの祝福のもと《精霊術》を行使する《精霊術師せいれいじゅつし》は、戦乱の世において力なき者の畏怖と敬意を集める。

 レオノティスが得意とする《精霊術》は、身につけた腕輪からマナで長剣を生成する《神託の剣》。マナの質・量に応じて切れ味を高め、剣先からマナを放出することで中距離戦までカバーできる術だ。

 遮るもののなくなった石畳を風の如く進んでいくと、竜樹に併設された機械群の全容があらわになっていく。

 竜樹の幹を囲むように設置されたドーナツ状の機械から、竜樹や大地へ伸びるいくつものパイプ。さらに内部を大量のマナが流れることで生じる不気味な振動もあいまって、その姿は巨大な蠢くムカデを想起させる。

 歪に蠕動しながらマナを吸収する破壊目標の姿に、ドラセナが顔をしかめた。

「あれがマナ吸引施設。セルフィール帝国が開発した、竜樹からマナを吸い上げる機械よ」

 ドラセナの不愉快そうな視線の先。白銀の全身鎧に身を包んだ男が、施設を守るように偉丈夫然と待ち構えていた。カーマインのマントを羽織った背には翼こそないものの、竜人族りゅうじんぞくの血を引く男の証である角が耳の上から黒髪を掻き分け伸びている。年の頃はレオノティスの一回り上といったところだが、口元に蓄えた髭が年齢以上の威厳と重圧感を与える。

「精鋭からなる竜樹の警備部隊を鎧袖一触か。さすがは《竜師りゅうし》といったところだな」

 腹の底まで重たく響いてくるような声が発せられる。ただ相対しているだけだというのに、レオノティスは手のひらがじっとりと汗ばんでいくのを感じた。

「残念ね、エルギス。こんな形であなたと再会するなんて」

 男――エルギスは同感だと言わんばかりに、ドラセナの言葉に深く頷く。

「そう思うなら退いてはもらえまいか? 貴公は大恩ある相手。できることなら戦いたくはない」

「そっちこそ、そう思うならこの施設を停止して。そうすればすぐにでも退くわ」

「それはできぬ。今この施設を停止することは、我が国に多大な損害を与えることと同義」

「私も、竜樹を守り抜くと竜神りゅうじん様へ誓いを立てた身。はいそうですかとおめおめ引き下がるわけにはいかないの。どうしても聞き入れられないのなら……」

「――愚問!」

 みなまで言うなとエルギスは声を張り上げ、戦意をあらわにする。打ち震える空気の中、レオノティスは愛刀を手にドラセナを庇うように前へ出た。

「久しいな、レオノティス。お前の内に才を見出し、マナの使い方を伝授して以来か」

 エルギスはほんの少しだけ口角を上げ、しかしすぐにまた口を固く結ぶ。

「そのお前がなぜ、ドラセナの側にいる? 騎士になりたいという願いは偽りだったのか?」

「そうじゃねえ。そうじゃねえ、けど……」

 言い淀むレオノティスへ、エルギスは刺すような視線をやる。

「けど、なんだ? 女王直属護衛は、王国軍の中で最も誇り高き最精鋭部隊。この国で騎士を志す者全てにとっての目標。その地位よりも、優先すべきものがあったと?」

「……少なくとも、俺にとっては」

 それは間違いない。迷いなく言い切れる。

 しかしエルギスはレオノティスの心根まで見透かしたように、興醒めだといわんばかりに小さく息を吐く。

「そうして騎士の道に背を向けた結果、何もなすところなく終わったようだな。今のお前の、その腑抜けた面を見れば聞かずとも分かる」

「…………っ」

「知ったふうな口を利かないで」

 ただ唇を噛むレオノティスの代わりに、ドラセナが抗弁する。

「彼は自分の意志で選択して、努力して……結果から逃げずに、現実を受け止めている。それがどれほど困難で尊いことか、あなたもよく知っているはず」

「……何もかも、詮無いこと」

 エルギスは力なく首を横に振り、その眼に覇気を戻す。

 それだけで、重力が増したような気さえする。

「かつての弟子といえど……いや、なればこそ手心は加えまい」

「俺も……これ以上なくしちまうわけにはいかねえんだ!」

「ならばその意志と武でもって押し通ってみせろ!」

 レオノティスは応と気炎を上げ、重心を下げて獣のように突進した。簡単に間合いを侵して剣を横一文字に薙ぎ払うも、半歩引いたエルギスに回避される。

 だがまだ終わらない。その動きを読んでいたレオノティスは、同じく半歩踏み込んだ。マナにより強化された腕力を唸らせ、間髪入れずに下段からの切り上げへ繋げる。

(これならかわせねえ!)

「……っ!?」

 捉えた。そう確信していたレオノティスは、あまりの出来事に我が目を疑った。

 エルギスが、逆袈裟の剣を止めていたのだ。それも籠手や盾の類を使ったわけではない。ただ、指で白刃を挟んだだけ。

「ぐ、うぅ……!」

 距離を取ろうとするも、剣は押しても引いてもビクともしない。やがてエルギスは無造作に剣を放すと、口元に小さく笑い皴を作った。直後、その姿がレオノティスの視界から消失する。

「中々に厳しい修練を積んだと見える。マナの量も質も、以前とは段違いだ」

「っ!!」

 突如背後からかけられた声に、レオノティスは総毛立ちながらも振り返りざまに剣を払う。が、刃が声の位置へ到達するころには、エルギスは元の場所に悠然と佇んでいた。

「く、そ……っ!」

 常人には光の筋としか認識されない剣閃を見切り、巨石をも両断する一撃を止める。

 容易い相手とは思っていなかったが、やはりエルギスは強過ぎる。

 まだほとんど動いていないというのに、緊張感と危機感からレオノティスの背を汗が伝う。

「しかし、まだまだ発展途上」

 エルギスは右手を天に向かって突き上げ、遥かなる高みから絶対者の如くレオノティスを見下ろす。

「弱者を虐げる刃は持たぬ。が、手向かうのであれば話は別だ」

 途端。昏い空から色という色が削り取られ、漆黒に塗り潰されていく。

「な、なんだありゃあ……!?」

「《竜師》ドラセナとこのエルギス・アーヴァインの戦いに、半端な使い手が割って入るなど笑止千万。死の淵で己の不明を悔いるがいい」

 ついで光彩を奪われた夜空から、大小様々な黒槍が垂れ下がるように顕現されていく。視界を埋め尽くさんばかりに並ぶ槍の数は、百や二百では到底きかない。

「《竜脈術りゅうみゃくじゅつ》……仕方ないわね」

 黒槍の下、ドラセナが細く長く息をつく。

「貴公の《昂翼海化》は攻防一体の妙技。だがそれ故、破壊のみに特化した私の術を受け切ること能わず」

「あら、やってみなきゃ分からないわ」

 ドラセナは挑戦的に目を細め、竜脈を解き放った。解放した竜脈の量に比例し、今や翼の大きさは彼女自身の身長と大差ないほどにまで伸びている。

 エルギスの漆黒の槍と対照的な光の羽根が舞い上がり、レオノティスたちの頭上で幾層もの壁をなしていく。

 先ほど警備部隊へ浴びせたものとは比較にならない規模。一帯を満たす竜脈の強大さに、生物としての本能的な畏怖がレオノティスの身を震わせる。

 マナを用いて常識外れの力を振るうのが《精霊術》ならば、《竜脈術》は竜脈をもって人智をも超越した力を行使する。

「《黒子夢槍ベネヴォレント・ファーウェル》」

 エルギスの声を合図に、漆黒の槍が驟雨の如く降り注ぐ。それに呼応して壁も光を増し、二つの《竜脈術》が色を奪われた虚ろな空で衝突する。

 両者の術は互角のように思われたが、徐々にエルギスが押し始める。漆黒の槍が突き刺さるたびに羽根が霧散し、眩い光の海は密度を低下させていく。

「私は貴公の竜脈に、底のない強靭さを感じていた。全ては竜神と竜神圏りゅうじんけんのため――純粋な滅私の果てにある、無我の境地。これ正に武門の鑑というべき有り様が、貴公の竜脈をどこまでも鋭く研いでいた」

 触れる羽根をことごとく穿っていく槍の下、エルギスの声が戦場に力強く轟く。

「だが今の貴公の竜脈は、それとは程遠い。何があったかは問うまいが……迷いを孕んだ刃で私に敵うなどと、夢にも思わぬことだ」

「……まだまだ……っ!」

 ドラセナは顔を歪めながら、さらに銀の羽根を生み出す。しかしそれを一笑に伏すかのように、黒塗りの空を覆う槍も数を増していく。まるで豪雨の中の一瞬を、静止画として切り出したかのよう。

「戦いの結末は見えたはず。どうか退いてはもらえまいか?」

 エルギスは苦悶の表情を浮かべるドラセナへ、冷淡に再提案する。

「最早リルムリット王国が歩める道は、これ一本のみ。然ればこそ、私は陛下の御名を守るためにどんな汚名も甘んじて背負おう」

 全ては己が信念のため。竜脈の強大さが、磨き抜かれた絶技が、エルギスの意志の固さを雄弁に語る。

「聞けない相談ね……。私にも、竜神様と竜人族の負託に応える義務がある……!」

 それでも竜脈を収めないドラセナの姿に、エルギスは項垂れるようにして視線を切った。

「陛下に……リルムフェーテ家に刃向かうものを、許すわけにはいかぬ」

 冷徹な戦士の声で言い切り、黒槍の第二波を降らせる。ほどなく落雷のような轟音が響き、とうとう羽根の海が突き破られた。

「くっ……!」

 竜脈を酷使した反動で無防備になったドラセナへ、槍の黒雨が羽根の残滓を踏みにじって迫る。

「ドラセナッ!!」

 そこへレオノティスが身を滑らせ、《神託の剣》で受け流しの構えを取った。

《竜脈術》でさえ防ぎ切れなかったものを、《精霊術》で止められるとは思えない。だからといって、ただ指をくわえて見ているなどできるはずもなかった。

 だが激烈な竜脈の圧は、マナの剣など薄ガラスのように粉砕してしまう。

「ぐ、ぁ……っ!」

 凄まじい衝撃にレオノティスは回避行動すらとれず、気付いた時には腹部を黒い竜脈の塊が貫いていた。

 熱した刃を突き立てられ、臓腑を焼き焦がされるかのような感覚。

 卒倒してしまいそうなほどの激痛に、レオノティスは歯を食いしばって辛うじて意識を繋ぎ止める。腹に手を当てると、生温かい血がべっとりと付着した。

「レオ! ……っ!」

 ドラセナは治癒術をかけようとするも、傷を見るや手を止めた。

 当然の判断だろう。これだけのダメージを癒す間、どうしてエルギスが何もせず待っていてくれるというのか。

「さすがにいいマナだな。並の使い手ならば、人の形を保っておらぬところだ。だが――見えるか? レオノティス・アイギスフレシェ」

 途方もない威圧感をたぎらせるエルギスの頭上で、黒槍が再び無数に垂れ下がる。

「我が竜脈これ全て、力への意志の権化。例え天上天下が私に背を向けようと、竜脈は私の軌跡に決して背かず」

 ――これが《竜脈術》……これが、《竜脈術師りゅうみゃくじゅつし》……!

 痛苦を振り撒きながら死の足音が迫る、暗い恍惚の中。レオノティスを支配していたのは、《竜脈術師》という力の権化に対する羨望と憧憬だった。

 ――俺も《竜脈術師》だったら、ドラセナを守れたのか……?

 そんな思考が、ドラセナの身から解き放たれた夥しい量の竜脈によって断ち切られる。

「大丈夫。レオは、私が必ず守るから……っ」

 ――違う……

 守りたいのは、俺の方なのに……!

 レオノティスはそう言葉にしたつもりだが、実際にはただ鮮血を吐き出しただけだった。

 銀の羽根を模したドラセナの竜脈が、弧を引きながら二人を包むように方陣を描いていく。

「これは、《幻翼飛躍ファンタズマル・リープ》……その若さで空間跳躍術まで修めているとは、さすが《竜師》……か。が、むざむざ逃がすと思うか?」

 エルギスは竜脈を放出しつつ、巨躯を駆って猛然と距離を詰めてくる。

「お願い、間に合って……!」

 ドラセナが祈るように見つめる中、方陣が完成して一際強い光を放つ。

 同時に光芒を呑み込まんばかりの漆黒からなる竜脈が、レオノティスたちへ迫った――

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