スーツを脱げば、あなたは甘口

水鳥ざくろ

第1話、失敗続きの面接の中で

「……はぁ」

 目の前のテーブルの上には、揚げたてのフライドポテト。それからチーズバーガー。喉を潤すためのホットコーヒー。

 食欲を誘う香りを嗅ぎながら、葉山仁は盛大な溜息を吐いた。

 昼過ぎのファストフード店は、空席が無い程度に混雑している。そんな店内の一番隅っこで、仁は吊るしの安っぽいスーツ姿で小さくなって座っていた。

 今日は、面接の日だった。

 大切な、就職活動の面接。

 今はどこも人手不足だと言われているが、仁は今までに一度も内定をもらったことがない。どうにか面接までは辿り着けるが、いざそれが始まってしまうと「履歴書とイメージが違うね」という理由で落とされてしまう。

 原因は、仁が極度に緊張してしまう性格だからだ。何度も志望動機、自分の長所、この先のビジョンを心の中で練習しても、面接の本番では頭の中が真っ白になってしまい、何も答えられなくなってしまう。

 今日もそれが原因で、面接の手応えは無かった。気がつけば大学を卒業してから、もうすぐひと月だ。そろそろ、アルバイト生活から離脱したい。

「……」

 仁は、フライドポテトを一本手に取って口に運んだ。少し辛い塩分が、疲れた心に染み渡る。もう一本、もう一本と食べ進めていけば、落ち込んだ気持ちが、ほんの少しだけ晴れる気がした。

 仁が食事をしていると、隣の席の男性のスマートフォンがプルル……と鳴った。ちらりと仁はそちらを見る。男性は、スマートな動作で画面をタップして、何やら小声で通話をし出した。

 ——格好良い人だな。

 仁はコーヒーを飲みながら思う。

 隣に座っていた男性は、仁の安っぽいものとは比べ物にならないと一目で分かるような生地のスーツを着ていた。オーダーメイドというものかもしれない、と仁は思う。丈も完璧に身体にフィットしていて、素敵だ。こんなスーツが似合う大人になれるだろうか。仁はまた溜息を吐く。まずは、正社員として働く場所を見つけないと、立派なスーツは買えない。その現実が、仁の胃を重くした。

「ええ、ではそのように……」

 通話を終えた男性は、スマートフォンをスーツのポケットにしまうと、テーブルの上のカップに手を伸ばした。コーヒーだろうか。仁は思う。この人にはブラックコーヒーがお似合いだ、と。

 ぼんやりと男性を観察していると、向こうも仁の視線に気が付いたのか、ばちんと目が合った。仁は慌てて、小さく無言で頭を下げた。男性は苦笑する。

「すみません、うるさかったですよね」

「いえ……」

 きっと男性は、自分が通話をして迷惑をかけたと勘違いしている。仁はそう思い否定しようとしたが、上手く言葉が見つからない。仁はぐるぐると回る頭で、どうにか声を出した。

「そのスーツ、格好良いですね!」

「え? スーツ?」

「あの、えっと……」

 緊張でからからになった喉で仁は続ける。

「僕、就職活動中なんですけど、すごく素敵なスーツだなって目に入って……見惚れちゃいました」

「それは……ありがとう」

 男性は少し驚いたような、照れたような、そんな表情で仁に言った。あまり感情が顔に出ないのだろうか。急に変なことを言ってしまい怒ってはいないだろうか、と仁はどきどきしながら、男性を見つめる。男性の目は切れ長で、どこかクールさを感じさせて、少しだけ怖いと思った。

「……就職活動、お疲れ様です。まだ若いですよね。転職希望ですか?」

「あ、いえ……まだどこからも内定をもらえないまま大学を卒業しまして……」

「そうなんですね。お疲れ様です」

 表情を崩さないまま男性が言う。

「良かったら、俺に履歴書を見せてもらえませんか?」

「え?」

 仁は驚く。もしかして、この男性はどこかの会社の偉い人なのかもしれない。これはチャンスだ、と仁は急いで鞄から履歴書を取り出して男性に渡した。男性はじっとそれを真剣な表情で見つめる。

「……葉山仁さん。ああ、失礼。俺は駿河玲一と言います」

「駿河さん、ですね」

「……なるほど。大学ではクッキングサークルに入られていたんですね。お料理が得意なんですか?」

「そんなに得意、という程ではないのですが……両親が共働きでして、簡単なものは自分で作ることを子供の頃からしていて……料理は好きです」

「それから色彩検定もお持ちですか……なるほど」

 仁は自分の履歴書を丁寧に読む男性——駿河玲一のことがとても気になった。どんな会社で働いている人なのだろう。どのような立場の人なのだろう。もう、なんでも良いから雇って欲しい!

 そんな気持ちを悟られないように、仁は震える手でコーヒーをひとくち飲んだ。緊張で味が分からない状態で飲むコーヒーは、すでにぬるくなっている。

「……葉山さん」

「は、はい!」

 玲一はそっと履歴書を仁に返すと、無表情に近い顔で仁に言った。

「俺の秘書になりませんか?」

「はい! ありがとうございます!」

 仁は深々と頭を下げた。

 その数秒後、顔を上げて玲一を見る。

「……え? ひ、秘書ですか!?」

「そうです。もちろん、正社員」

 玲一は、初めてふっと軽く笑った。

「勤務先は俺のマンションです。大丈夫。難しいことはしなくて良いです。ただ、俺の生活のお手伝いをお願いしたいんです」

「生活の、お手伝い……」

 いったい、何をすることになるのだろう。

 怪しさを感じた仁の背中に冷たいものが走る。断った方が良いに決まっている。決まっているが……。

「……よろしくお願いいたします」

 正社員、という言葉に負けて仁はまた頭を下げた。きっと、安全だ。きっと……。そう自分に言い聞かせ、仁は残りのコーヒーを飲み干す。先程は味のしなかったコーヒーは、今度はやけに苦く感じた。

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