第2話 別の自我

「えっ、スペルク様」

 突如カナタの意識はスペルクの身体へ転移した。事態がつかめず混乱したが、ピンチであるということだけは分かる。

「すまない、記憶が錯綜していて……」

 また、嘘を吐く。道化を演じる。

 なんのために俺は生きているんだ。スペルク、スペルク、やっと記憶が回復してきた。確か、十年以上も前に魔王討伐のために共に活動していた奴だったはずだ。結局、仲間の一人が裏切ることで簡単にパーティは瓦解したが。

 だが、何故今になって俺に助けを求めたんだ。しかも、ここはどこだ。少なくとも、あの時俺と交わした盟約が関係していることは間違いないが。

「スペルク様はS級勇者パーティの僧侶で、魔王を後少しのところまで追い詰めて、それで、牢屋に」

 目の前の少女の声が尻すぼみになっていく。そもそも存在自体があやふやで、触れるとすぐに消えてしまいそうなくらいだ。きっと魔力が足りないのだろう。

 ああ、まだ君は魔王討伐を掲げていたんだな。思わず笑みがこぼれそうになる。しかし、一刻の猶予もない状況だ。まずは、ここから脱出しなければ。

 ふと、地下牢の外に続く長い廊下から足音が鳴っていた。音は少しずつ大きくなり、微かだが落ち着いた息遣いも聞こえてきた。

「ああ、まだ息があったか」

 赤い瞳に、大柄な身体、黒を基調とした高潔な衣装の男が凍てつく視線を送ってきた。一目見るだけでも分かる。勝てるわけもない。

 隣の少女が睨み付けている。恐らく魔王であろう男は全くそのことを気にしていない。

「お前、俺の臣下として働くつもりはないか」

 そう言って、魔王は乱暴に魔物肉を牢の中に投げ捨てる。血の匂いが強く、所々まだ動いている。確か、聖典には魔物肉を食すべからず、とか書いてあったような気がする。理由は凡そ人間と体質的に魔物は合わないため食べることで腹を壊したり、病原菌の問題などだろう。

「ああ、喜んでお引き受けいたします」

 跪いて頭を深々と下げる。服従の意志だ。少女の顔は青ざめていた。何かを言いたそうに口をもごもごさせている。

 鉛の鎖と手錠が外されて、牢屋からやっと解放される。地上へまでの階段の脇に灯る松明が揺らめいて魔王に恐れをなしていた。

 魔王は俺の少し先で無防備にも背中をさらしている。きっと俺(スペルク)の身体に魔力がないのを見越しているのだろう。それか、万全の状態でも負けないという慢心かもしれない。

「お前には魔王に屈服するということが悔しくないのか」

 魔王が俺に問うた。

「いいえ、きっとそうなる運命だっただけで何も悔しくはありません」

「あの独房では数々の戦士が舌を噛んで自殺したそうだ」

「きっと未知が怖いだけでしょう」

 俺の答えにヴィルヘルムが足を止めて、俺の方へ振り返った。俺は笑顔を取り繕う。うまくいきますように、というおまじないだ。経験上効果はあった。

「そ、そうか」

 重たい沈黙が空気を支配した。ヴィルヘルムの有無を言わせぬ威厳が俺の身体を締め付けた。恐怖心だ。だけれども、それは隠さなければならない。忠実な部下を演じて、この少女を救う。それが、最期にスペルクが俺に託した願いなのだろう。

「お前は今まで会ったどの人間よりも狂っているな。しかも、根幹には愛とか友情とか魔族には理解できない感情も秘めている。違うか」

「はい、私は普通に愛とか友情とかは持っております」

「だけど、それをひた隠しにしている」

「さあ、私には皆目見当もつきません。人間の感情というものは不条理すぎるもので」

 ヴィルヘルムは訝しげな目を向ける。また俺は微笑む。実を言うと、このやり方はスペルクから教わったものだ。俺よりも数倍偽ることに卓越した技能を持っていた正直者だ。

 ヴィルヘルムは溜息を漏らす。地上への階段の脇にある石レンガに反響しておどろおどろしい音が流れた。怖い。

「まあ、いい。今からお前には魔王軍四天王の座を明け渡すことにする」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る