第2話 どうせ、彼女とかいないんでしょ?

 な、なんで茉莉が……。


 保坂恵吾ほさか/けいごは、目の前で生じていることが現実だと理解したくなかった。


 教室の黒板前には黒髪ツインテールな稲垣茉莉いながき/まりが、前の学校の制服を着て佇んでいる。その現実から逃れられない運命にあるのだろう。


 朝のHRの時間。

 普段は短く感じる時間なのに、物凄く長く感じる。

 それほどにも、恵吾の中で過去のトラウマが蘇っていたのだ。


 思い出したくない記憶であり、目を背けたくなる。


「稲垣さんの自己紹介も終わりましたし。どこの席にしましょうかね」


 女性の担任教師は、教室内を見渡していた。

 今日の朝から不自然にも、恵吾の隣の席が空いているのだ。

 昨日まで隣だった席の子は、恵吾の斜め後ろの席へと移動している。


「あの席にしましょうか。稲垣さん、あちらの席でもいいかしら?」


 先生は恵吾の隣の席を示していた。


「はい、分かりました」


 茉莉は愛想よく頷いた後、空いている席まで歩いてきたのだ。

 彼女は席まで到着すると恵吾の事を見て、不自然すぎる笑みを見せ、よろしくねと言っていた。


 茉莉は、恵吾だと把握した上で、その笑顔を見せているのだろう。


 茉莉の存在に、平穏な高校生活が崩れていくような音が聞こえてくるようだった。


「では、そろそろ本題に入りましょうか。今日はですね――」


 先生は茉莉が席に座った瞬間を確認すると、元気よく今日のスケジュールについて話し始めるのだった。




「ねえねえ、稲垣さん。前までどこに住んでたの?」

「なんで、今の時期に転校してきたの?」

「好きな食べ物って何?」

「趣味は?」

「音楽とかって聞く?」


 朝のHRが終わった瞬間から、茉莉の周りにはクラスメイトの連中が集まってきていたのだ。

 茉莉は笑顔で、複数人の話を聞きながら返答していた。

 彼女は八方美人なところがある。

 それが厄介なところなのだ。


「そんなに質問攻めばかりじゃ、稲垣さんも困るでしょ! それに、今から移動教室なんだから、早く準備しないと」


 クラス委員長の女子が、仏頂面で皆に言っていた。

 移動教室に一人でも遅れたりすると、怒られるのはクラス委員長なのである。

 些細な事で、先生から指摘されるのが嫌だからこそ、強気な姿勢で発言しているのだろう。


 周りにいる人らは委員長の話は怠いとか、面倒な奴だとか、そんな不満を零していた。

 クラスメイトらは、しぶしぶと移動教室の準備をしてから再び茉莉の周りに集まる。

 それから、茉莉はクラスメイト達と教室を後にしていく。


 一気に大勢の人がいなくなった事で、すっきりとした感じがする。

 先ほどまでが人が多すぎて、少々圧迫されていたからだ。


 彼女との過去を知っている恵吾からしたら、茉莉とは積極的に関わりたくないと思う。


 これからの学校生活が最悪なモノになると考えると、ため息しか出てこなかった。

 恵吾は席に座ったまま準備を整え始めていたのだ。

 そんな時だった――


「恵吾、昨日の話は後でもいい。昼休みとか、放課後とかさ」

「う、うん。わかった」


 クラスメイトの渋谷遥香しぶや/はるかが、恵吾の近くまで来て話しかけてきたのだ。


 昨日の件について、まだ会話できていなかった。


 遥香は話し終えると笑みを見せ、軽く手を振って教室の入り口まで向かって行く。


「というか、あいつといつから仲良くなったんだ?」

「まあ、昨日から」

「へえ、そうなんだ」


 遥香は別の陽キャらと会話しながら、一緒に教室を後にする。


 恵吾が準備を終えた時には、誰も教室には残っていなかったのだ。

 教室の電気を消した後、一人で移動教室先へと向かって行くのだった。




 現実とは残酷なモノだ。

 茉莉が転校してきた事実は変わらない。

 どうすればいいものかと、恵吾は廊下を歩きながら頭を悩ませていた。


 ようやく人生が上手く行き始めているのに、どうしてこんな目に合ってしまうのだろうか。

 本当に最悪だ。


 恵吾が少々俯きがちに歩いていると、曲がり角でバッタリと誰かと出会う。


「恵吾。やっぱり、まだここにいたんだね」

「え?」


 恵吾は彼女の声に反応するように顔を上げた。

 そして、顔を背けたのだ。


 目の前にいる子は、茉莉だった。


「な、なんでここに? 他の人らと一緒に行動してたんじゃないのか?」

「そうなんだけど。忘れ物をしたって言ってきたの」

「忘れ物かよ」

「って、私がそんなわけないでしょ。あなたと会話する為よ」


 茉莉は二人きりの時、明らかに態度が変わった。


 一年が経過して大人しくなったのかと一瞬思ったが、やはり、茉莉は茉莉である。

 昔のような性格は直っていないらしい。

 偏差値の高い高校に通った経験があるからと言って、人柄までは変わらないのだろう。


「でも、俺は君と関わるつもりはないよ。それに俺らの話はだいぶ前に終わったはずだろ」

「そうね。確かに終わった関係よ」

「じゃあ、なんで俺と会話したい事があるんだよ」

「それは、何となく」

「じゃあ、関わる必要性もないだろ」


 恵吾はため息交じりに言った。

 何を考えているのかわからず、彼女の姿勢に呆れてしまう。


 恵吾が立ち去ろうとすると、茉莉は通せん坊してきたのだ。

 彼女は悪戯っぽく笑う。


「なに?」

「私は、あなたと会話したいの。恵吾って、どうせ彼女とかいないんでしょ? どうせ、寂しかったんでしょ?」


 茉莉は上目遣いで見つめてくるのだ。


「そんな事はないよ」


 恵吾は彼女の意見を否定するように言う。


 友人がなかなかできず、寂しい期間は確かにあった。

 けれど、この頃、それが改善されつつあるのだ。

 ただ、茉莉がいる事で、それが阻害されようとしている。


 だからこそ、弱い姿は見せたくなかった。絶対に茉莉は付け込んでくるからだ。


「そんなの嘘ね。どうせ、彼女なんていなくて強がってるだけなんでしょ?」

「そ、そんな事はないよ」

「本当かしらね?」

「俺には彼女が……付き合っている人はいるし」


 恵吾の脳裏には、遥香の顔が浮かんでいた。


「え? そ、そんなわけないじゃない。中学時代だって、恵吾は全然モテてなかったし」


 そのセリフはかなり、恵吾の心に突き刺さる。


「つ、つい最近できたんだ」

「う、嘘でしょ? そんなわけ。中学時代から勉強以外、何の取り柄もない人だったじゃない」


 また、恵吾の心を痛めつける言葉が、茉莉の口から飛んでくるのだ。


「そういう言い方はよしてくれ。昔の事はあまり思い出したくないんだ。それと、彼女がいるのは本当なんだ」

「……じゃあ、証拠を見せて」

「証拠って」

「どの子と付き合ってるか、教えなさいよ」

「なんでだよ」

「だって、本当かわからないし、恵吾が嘘をついてる場合もあるでしょ」

「それは――」


 恵吾が言い返そうとした時、誰かがやってくる足音が聞こえてきたのだ。

 数秒後――


「稲垣さん、こんなところにいたんだね。アレ? 忘れ物は持ってきたの?」


 二人がいるところまでやって来たのは、先ほど教室で茉莉と会話していた男子だった。


「うん、見つかったよ」

「そういえば、誰かの声が聞こえていたけど。他に誰かいたの?」

「うん。でも、その人なら別の場所に行ったよ。それより、一緒に行こ!」

「そ、そうだね」


 茉莉はクラスメイトの男子に色目を使い、恵吾を背にするようにして立ち去って行くのだ。

 彼女は外面だけは物凄く良いのである。


 今は何とか耐えきったけど、渋谷さんと付き合っている証拠を見せつけないとな。


 後で、遥香に相談しようと考え、恵吾も移動教室先に向かって歩き出すのだった。

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