第24話 覆面作家フェリクス
本屋と一緒に軍団長の執務室を出る。
本屋は興奮した様子で話しかけてきた。
「やりましたね、フェリシアさん。これで僕の本屋はぐっと大きくなります。もう背負子を背負って町から町に移動せず、帝都に店を構えて売り込めるようになりますよ!」
「良かったですわ」
にっこり微笑み返すと、本屋は少し息を呑んでから言った。
「これも全てフェリシアさんのおかげです。僕、本当はこの物語が売れるかどうかは半信半疑でした。フェリシアさんとリリアさんの熱気に当てられたのを、後悔した時期もあります。でも……」
彼は語る。
おっかなびっくり物語を持ち込んだ先は、ある貴族女性の文学サロン。
小さな本屋が出入りするくらいだから、貴族としてそう格は高くない。
その女性に物語を売り込んだ。
フェリシアとリリアと相談した通り、男性同士の絆と情念を要点にして、有名な英雄叙事詩を再構築したものと謳って。
帝都では英雄叙事詩は男性人気が高く、女性は悲恋などのラブロマンスを好む傾向にあった。
だから最初はサロンの女性も難色を示したそうな。私に戦記物は分からないわよ、と。
けれど戦いのシーンはあくまで二の次で、男性同士の人間ドラマを主軸にした物語だと粘り強くアピールしたところ、手にとってもらえた。
手にとってもらってからは早かった。
サロンの女性はあっという間に物語の虜になり、今では日々「王子が、王妃(美少年)が、知将が~」と語っているのだとか。
その人が熱心に布教してくれたおかげで、ネズミ算式にBLの虜になる人が増えた。
今では帝都の文学を嗜む女性の多くがこの物語を愛好している。
一部では男性すら魅了している!
なんと、このユピテル帝国でも腐男子が誕生した。
となると先ほど、恥ずかしがらずに軍団長に紹介してやればよかったかもしれない。
まあいずれ試してみよう。
「これでフェリシアさんの名が、作家として帝都に轟くことになるでしょう。でも、フェリシアさんは僕と優先契約を結んでいますからね。よろしく頼みます」
「あ……それなのですけど」
一つ思い出した。
「作家として『フェリシア』の名前は出さないでほしいのです。その、少々いろいろありまして」
皇太子の元婚約者だとか、元聖女だとか、実家との兼ね合いとか。
皇太子や実家の連中があの物語を読むタイプとは思えないが、万が一にもバレて難癖つけられたら困る。
絶対、馬鹿にしてくるもん! ムカつくでしょ!
「そうですか……? あれだけの支持を得た物語です。その作者というのは、大変名誉なことですが」
「私は名誉を求めて物語を書いたのではありません。ただ心のままに書き、同じ感動を共有してくれる読者に届けたかっただけです」
内心のムカつきを表に出さないよう静かな口調で言えば、本屋は感心したような顔になった。
「フェリシアさんは本当に無欲な人だ。お金も、名誉すらいらないなんて。しかし作家としての名義は必要です」
「では、筆名を作りましょう。そうですね――」
ペンネームは何がいいだろう。
ちなみに前世のペンネームは『かに』だった。当時の最推しの星座が蟹座だったからだ。
今現在の状況で『かに』はないな。意味不明すぎる。
なお英雄叙事詩の一番のお気に入りキャラは、王子の兄である王。渋くてかっこいい大人の男なのよ!
それはともかく、あれこれ考えた末に私は言った。
「フェリクス、でお願いいたします」
フェリクスとは幸運の意味。
フェリシアの名前自体がフェリクスの女性形である。
フェリシアという名前は本当のお母さんがつけてくれた。私の今の名前であり、同時に小さいフェリシアの名でもある。
皇太子や家族にバレるのは嫌だけれど、フェリシアの名前自体は大事にしたい。
だから、フェリクス。
「分かりました。では、作者は『フェリクス』にしましょう。性別不明でミステリアスな雰囲気になりますね」
本屋はうなずいてくれた。
「斬新で大人気の物語の作者が、正体不明の謎めいた人物。覆面作家とでも言いましょうか。ますます人気が出ますよ!」
「ふふっ。これはしっかりと続編を書かないといけませんね」
私の物語を待ってくれている人が大勢いるなんて、作者冥利に尽きる。
本屋はさっそく帝都に旅立ち、私は紙束とペンを握りしめたのだった。
+++
【本屋視点】
金貨の入った袋を大事に抱えて、本屋は帝都への道を急ぐ。
写本の手配ができるだけのお金が入ったのは、望外の幸運だった。
(それにしても……)
本屋はフェリシアを思い浮かべた。
金の卵を生み続ける物語の作り手である人を。
(フェリシアさんは、不思議な人だ。辺境の要塞町のメイドにすぎないのに、英雄叙事詩を深いところまで読み解く教養を持っている。男性同士の恋は、僕にはちょっと分からないところも多いけど。それでも古典作品に新しい解釈を与えて、一人ひとりの登場人物に改めて息を吹き込む手法は見事としか言いようがない)
零細とはいえ本屋は書物、とりわけ物語のプロである。
フェリシアが書いた物語は、英雄叙事詩の本質を理解していなければ書けないものだと知っていた。
(そして彼女は、どこまでも無欲で清らかな人だ……。お金を欲しがらず、名誉すら不要という。写本をするのは版元の仕事なのに、彼女は私財を投じて援助してくた。本当に不思議で――美しい人だよ)
だからこそ思う。
既に人気のこの物語を、さらにしっかりと広めていこうと。帝都だけでなく地方都市や属州各地まで、広げる余地はまだまだあるはずだ。
フェリシアは物語を読んでもらえるのが何よりの喜びだと言っていた。
であれば彼も、全力でその思いに応えたい。
懐の金貨はずっしりと重く、その分だけ本屋の足取りは軽い。
帝都までの道が、フェリシアと彼女の物語によって明るい光に照らされているようだった。
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