キャッチ・テスト

錦木

キャッチ・テスト

 そろそろ帰るか。

 下校のチャイムが鳴る前に学校を出ることにする。

 そういえば今日朝家を出るときに母さんが何か買ってきてと言っていた気がしたがなんだったか。

 考えながら靴箱から靴を取り出す。



「こんにちは」


 校門を出てすぐ声をかけられた。

 黒いパンツスーツの女の人だ。学校の先生ではないなと思う。

 ばっちりメイクした顔にスタイルのいい美人のお姉さん、といった印象。こんな先生がいたら目立ちすぎのはずだ。


「ただいま模擬試験を行なっています。ご協力いただけませんか?」


 にっこりと愛想よく笑って女の人はそう言う。

 ああ、塾の勧誘か。厳密には禁止されているのだろうが、チラシやティッシュを学校近くで配っているのをたまに見かける。

 キャッチセールス、という言葉を思い出した。

 相手にしないのがいいんだろうけど面倒臭いな。

 もうこうやって話しかけられちゃってるし断るのは苦手なのだ。

 それでもなんとか目をそらしながら言った。


「あのー。帰りに買い物行かなきゃいけないんで」


 これは嘘じゃない。それでも女の人は慣れた調子で食い下がる。


「すぐにすみますので。お時間は取らせません」

「いや、タイムセールがあるので」


 そうだった母さんに頼まれていたのはタイムセールの卵だった。

 これはいよいよ急がなくてはならない。


「あの」


 ええい、このさい仕方ないと開き直った。


「すぐにすむんですよね?」

「はい」


 今年は受験生なので無料で受けられる模擬試験ということなら受けてみてもいいか、と思った。

 校門前だし人目もある。

 強引に契約などを持ちかけられたりはしないだろう。いざとなったらダッシュで学校に戻ろうと思った。


「少しならいいですよ。どんな試験ですか」

「ご了承いただき感謝します」


 女の人がとても嬉しそうに微笑んだ。

 唇が裂けるくらい横に広がる。


「乙女心に関する試験です」


 そう言った瞬間、あたりの様子が一変した。



 気づくとテレビ番組のセットのような場所にいる。自分が移動したというか、一瞬のうちに出現したように思えた。


「な、なんだこれ……」


 白いテーブルの前に立たされている。

 前には空間をはさんで白いテーブルが三つ並んでいて、真ん中のテーブルでは女の子が座って泣いていた。

 うわーん、と。人目もはばからぬその勢いに唖然とするが驚くのはそれだけでは終わらなかった。

 真ん中のテーブルを挟んで両脇のテーブルでは白い面を着けた女の人が何人もひそひそと囁き合っていた。

 白い面はのっぺりとしていてまるで一見顔がないように見える。


「えー、静粛に」


 大声ではないがよく通る声がするとあたりがしんと静まり返った。

 ビールの音を響かせながら歩いてきたのはさっきの女の人だ。


「あ、あんた……」

「はじめまして」


 微笑んでから毅然と告げる。


「これから試験をはじめます」


 そしてびしっとこちらを指差して言う。


「今回試されるのはあなた。合格なら何事もなく帰して差し上げます」


 何事もなくというのは不穏だ。

 なにを勝手に、と言う前に話が続けられる。


「あなたは話すことを許されていません。まずはみほりんさんの話を聞いてください」


 みほりんって誰だ。

 そう言うと真正面に座った女の子がぐすん、と鼻を啜った。

 なかなかかわいい子だ。

 なかなかというのは失礼だが、ギャルというやつかメイクが濃すぎて顔の原型がわからない。

 服もアクセサリーも派手でどこか苦手なタイプの子だと思った。


「本当、ひどい」


 ぐすっ、と湿った声で女の子は口を開いた。

 お前がみほりんか。


「もうすぐでかれぴと一周年記念日なのに忘れてたって。せっかく楽しく過ごそうかと思ったのになにも考えてないってそんなのアリ?最悪なんだけど」


 そんなのアリ、かと言われても……。

 なんとなく状況はわかったけれどこれをどうしたらいいんだ。


「あなたはこれから聞かれたことだけに答えてください」


 女の人がそう言ったので逆に助かったと思った。

 というかこれのどこが試験なんだ。


「では、問題です」


 女の人は機械が読み上げるような棒読みで言った。


「あなたなら恋人の記念日にどんなことをしますか?」

「はあ?」


 女の人は気の抜けた返事をしたこちらを少し不快そうに見ると腕時計を見て言った。


「制限時間は三分」

「いやいやいや……」


 自分は混乱する。


「そんなことを急に言われても」

「無回答ということでしょうか。それならそれであなたはここに置き去りですが」


 無慈悲な女の人の言葉に冗談じゃない、と思う。こんなわけのわからない場所に置いていかれてたまるか。

 ない頭をなんとか絞り出して言う。


「一周年……一周年か。ちなみに付き合って一周年なんですよね?」

「今そこが重要ですか?」

「かれぴと初めてカフェで話したのが一年前でえ。付き合って三ヶ月だよお」


 惚気た口調でみほりんはそう言う。

 それで一周年?

 それは覚えていなくても仕方ないのでは……。

 けれども、このみほりんとやらを満足させるシチュエーションとやらを今は答えないといけないわけか。腕を組んで考えることしばし。

 それなら……。


「綺麗な夜景の見えるタワーの最上階のレストランで、デートとかですかね……」


 ドラマのワンシーンのようで素敵だろう。

 恋人の記念日とはこういうものなのではないかという勝手な想像だが。

 そう言うと女の人がきっぱりと言った。


「はいっ、有罪」

「え?」

「こいつ女たらしです」


 答えがお気に召さなかったのだろうか。というかそんなこと言われても困るんだが。

 そしてなんだか女の人から黒いオーラがたちのぼる。

 なんだなんだなんだ。

 目を妖しく光らせて女の人は言う。


「私は悪魔」


 いきなりそう名乗って低い声で俺にぴしゃりと言った。


「あなたのようなろくでもない男に罰を与えるのが仕事なの。これからあなたをめくるめく恐怖の世界にお連れします」


 一歩こちらに足を踏み出した。


「みほりんさん、この人があなたの彼氏なんですよね?」


 再びはあ?である。

 へ?とみほりんも言う。


「違うよ。こんなもさい子かれぴじゃないし」


 女の人、悪魔は固まる。


「年下だって言ってましたよね?」

「うん」

「自分より背が高くて、ここの高校に通っていると。それで苗字がタナカ」

「通っているんじゃなくて通ってただよお」


 それにタナカなんて割とどこにでもいる苗字だ。

 ここに至って悟る。

 自分とみほりんは同時に言った。


「人違いです」

「人違いだよ」


 一瞬虚をつかれた顔をして。

 こちらとみほりんを見比べてはあ、と悪魔は額に手を置いた。

 ようやくここにきて理解したらしい。いや、遅くないか?


「でもそんなことされたらみほりんグラッときちゃうかも。ねえ、あんたフリー?」


 年上の見ず知らずの女性にグラッとこられても困る。


「そこまで」


 パチンと悪魔が指を鳴らした。

 ふっとテレビのセットみたいな周囲がかき消える。

 呆然と学校の前に立ち尽くしていた。


「では合格でも不合格でもなくあなたはそもそも受験資格がなかったということで失格」

「えっ……でもそれじゃあ」


 慌てふためくと悪魔は安心して、と言った。


「私としては合格あげる」


 そして背を向ける。こちらを少し振り返って言った。 


「これからあなたがどんな恋愛をしていくか知らないけれど、女泣かしたらこわいからね」 


 それはわかりました。

 もう十分に。


「頑張ってね、色男くん」


 そう言って悪魔の姿はかき消える。

 全く、とんだとばっちりである。

 そのとき、下校のチャイムが鳴るのが聞こえた。

 あまりの急展開な出来事に呆然としていたが今度は別の意味であることに気づいて打ちのめされた。

 タイムセールの時間に間に合わない。




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キャッチ・テスト 錦木 @book2017

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