人類の親戚

どですかでん

 

 引越しを余儀なくされた人間の前に、ほうきに乗った女の子が空から飛んできた。それは青い長靴を穿いた引越屋で、つば帽子をかぶっていた。ひとが少なかったから、すぐその引越屋と友達となった。

 引越作業をするから手伝ってくれないか。と、頼まれた。ふたりでほうきにまたがって飛ぶと、いい気持だった。空気がうすいから、星の色がよく見えた。ネオトウキョウ通りの国道沿いに郵便局の屋根が見えた。まもなく豪邸になる建物は、しろくて、まばゆかった。建物の足には大型トラックのタイヤがいくつもついている。こんな建築をいつかどこかで見たことがある。湘南のあたりかもしれない。

 ほら。

 引越屋は宙の荷台から芭蕉をかかえて降りていった。たしかにこんな建物には竹林なんかが必要かもしれない。とおもいながら、サボテンの鉢をかかえた。すでにアロエが植わっている。

 おーい。ありがとう。

 玄関から男の人が顔を出してねぎらってくれた。

 近づくと、隠し持っていたヤクルトを一本渡してもらった。

 また、しばらく部屋に入って作業していると、今度は階下から、どうも。ありがとう。と聞えた。さっきと同じひとだった。

 お昼になったので食堂で休憩した。さっきの人がそばをごちそうしてくれた。

 たぶん自分の祖先は教科書に載ってるとおもう。

 箸を口もとまで寄せて引越屋がいった。

 ブラジルに行った日本人。

 まさか。

 たぶん。写真あるよ。

 それはとうもろこし畑に立っている家族の白黒写真だった。たぶんブラジルだった。だから、

 たぶんブラジルだね。

 といった。

 そう。だから境遇が似てるなって。そうおもうと不思議なかんじがする。

 ほんとうにブラジルかな。

 怪訝な顔をしてみせた。

 すると、そばを作ってくれた男の人が

 たしかめてみる?

 といった。

 人間の行動の3割は遺伝子で規定されているんだよ。たとえば、遺伝のために先天的に目が見えなければ、目が見えないゆえの行動をする。遺伝のために耳が聞えなかったら、耳が聞えないゆえの行動をする。こう極端でなくとも、自分たちは先天的な遺伝の影響のもとで行動をしている。

 もしきみがバッハの遠い遠い子孫だったら、一族が全員音楽家だったように、きみも音楽家。なのかもしれない。

 もし音楽家の素質があったとしても、子供の頃からの一度だって楽器に触れたことがないなら、開花はしなかった。かもしれない。

 素質があることと実際に活躍できることには、運という調味料と機会という味付けがいる。親がすごくても子がパッとしない理由の大半はそのせいだろうし、親もすごくて子もすごい理由の大半はそのせいだろう。

 むかし、自分のDNAを調べたら祖先はチンパンジーだったなとおもった。父親の祖先はアメーバとバクテリアと水とアミノ酸だった。

 要するに有名な人物はおらず、そして、それだけだった。

 そのとき、バイオリンの音がひびいてきた。天井から震えつたわってきて、一瞬階上に目が釘づけになった。三つ編みを背に垂らした八つぐらいの女の子が、あごにバイオリンをくっつけて立っていた。女の子はこちらをじっと見つめた。

 わたし、エドガー・アラン・ポー。パパ、紫式部。

 女の子はそういうと、また柱の影に隠れてしまった。

 エドガー・アラン・ポーのパパはこういった。

 私の友達に太宰治が祖先のひとがいて、そのひとは今でも生きてます。

 ポー。というのはあのポー? と引越屋がいった。

 どのポー?

 そのポー。

 そう、このポー。

 彼女はうなずいた。

 エドガー・アラン・ポーのパパさんは、なんで火星にきたんですか?

 移民ですよ。あなたの祖先のブラジル人。それを聞いて、いっしょだと思いました。

 地球は人口が増えすぎたんでしょうか。

 いや、その逆。地球は人口が減りすぎて、火星が先に発達しました。

 自分は二世なので、その事情にはうとかった。

 生物は皆、自分の遺伝子を遺し種を増やそうとします。でも、その自己増殖の意志はどこからきたと思いますか?

 そんな質問をぶつけると、エドガー・アラン・ポーのパパはこういった。

 いい例え話があります。もし私がこの世にたったひとつだけの小説を書いた先駆者だったとして、それが「モルグ街の殺人」だったとする。それを読んだ人々はこれをミステリだと思うでしょうか? いやきっと思わない。なぜなら、この世にはたったひとつしか小説が存在しないからです。つまり、ジャンルという概念は小説がひとつ以上あることが必要条件であって、多様的であることが十分条件で初めて存在するのです。

 自分はしばらく考えた。

 つまり、生命が増殖をつづけるのは、多様的になるようにプログラムされているということですか?

 エドガー・アラン・ポーのパパはこう答えた。

 もし人間がこの世にたったひとりだけだったのなら、それは人間とは認識されなかったでしょう。しかし人間はたったひとりでもないし、ましてや分子レベルの構成でも、完全に同一のものはひとつもないのですから、したがって人びとは人間を人間として認識することができるわけです。

 つまり、世の中には数について、四つの概念しかないのだという。一つ目は「存在しないので見えない」こと。二つ目は「存在するけど見えない」こと。三つ目は「存在しないけど見える」こと。四つ目は「存在するから見える」こと。

 つまり、と自分は聞いた。生命が増殖しつづける理由は、認識するようにするためですか?

 そうです。

 いったい誰のために?

 そのとき、また階上からこどもの声がした。

 自分で自分を見るため!

 なるほどな。とおもった。バクテリアは自分を自分で認識できない。人間は自分を自分で認識できる。

 でも。

 すると、引越屋もおんなじことをおもったのか、こういった。

 でも、そしたら生物が増えつづけるのはおかしくないですか? もうとっくに目的は達成したのではないでしょうか。

 ああ。

 パパはそばをひとくち啜ってからこういった。

 だから、もうこれからも人口は減りつづけるんですよ、と。

 火星にはそもそもひとがそんなにいないのだった。

 そして、それだけだ。

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