八重桜レイコの二度咲き恋中
結城辰也
第1話 桜恋の散り際
まさしく桜が散る想いですわ。この世界において恋路ほどに悲壮なことなんてなくてよ。そう分かっていたはずなのにわたくしこと八重桜レイコは見るも無残な姿と化していましたわ。
「どうして……ですの?」
放課後の桜が散る木の下でわたくしは趣くままに声を出しましたわ。
恋の行く末なんて誰にも分からない。いいえ。重たすぎた愛だけが辿り着ける領域ですわ。これこそが真の恋路とわたくしは想っていますわ。
「真の恋路とかさ。俺には重たすぎるんだよ。……悪いけど別れてくれないかな?」
確かに重たすぎたかも知れません。反省しても手遅れなのでしょうか。一年越しの愛が散るのはなんとしてでも避けたいのですわ。
「そんなに口にすることがいけなくて? わたくしはただ」
好きになった先輩の男子生徒に愛を伝えたかっただけですのに。まさかこんなことになるなんて思いもしませんでしたわ。
顔を引きつる先輩ほど無様なものはなくてよ。
「あのな。恋路に愛はいらないんだ。なによりも説明臭いのがな。もう駄目なんだ」
なんていうこと。
恋の始まりが桜の木の下なら終わりもまた桜の木の下だなんて酷すぎますわ。もっと場所があったでしょうに。
名門校の桜庭高等学院において名が廃れますわ。
やはりここは言わなくては。
「見損ないましたわ。後輩としてではなくてよ。一人の女としてですわ」
実はわたくしも分かっていますの。自身の行いが災いを起こしていることくらい。でもそれでもわたくしは誉れ高き桜庭高等学院の一員として。
「見損なってくれて困らない。ただ俺は……純粋に楽しみたかっただけなんだ」
そうだったのですね。もう元には戻らない無粋なわたくしでは大任すぎますわ。純粋こそ口にして初めて伝わる言葉ですわね。
だから一人の先輩をここまで追い詰めていたなんてわたくしにも非がありますわ。
「分かりましたわ。区切りをつけましょう。ただしもう二度と付き合わないことを前提に」
こんなにも心苦しいことはありませんわ。でもそれでも束縛ほど虚しいものはなくてよ。ここは潔く桜恋の下で散りましょう。
「ありがとう! なんか済まない! ……期待に応えられなくて」
いいえ。期待以上でしたわ。大人への道はもっと険しいはずですもの。今のわたくしにはちょうど良いお相手でしたわ。
「そう頭を下げないでくださいませ。わたくしが惚れた顔が台無しですわよ?」
この恋路は桜の木の下でわたくしが始めましたの。今となっては終わりにここで最後に出会えたのも逆に良い判断だったのかも知れませんわ。
「とにかく済まなかった、二年生の八重桜にこんな想いをさせてしまって」
いいえ。先輩は西園寺の名に恥じない立派な桜恋の散り際を見せてくれましたわ。初めて告白した時と今では見る景色が違いますわね。これが大人の景色。
「西園寺家として確かに頂戴しましたわ。慎んでまいりますわ」
もうこれ以上に話すことはありませんわ。こんなにも悲壮な出来事なんて味わえるものではありませんわね。後は先輩が去ってくれるのを待つだけですわ。
「本当にありがとうな! 八重桜レイコ! んじゃ」
去ってしまいましたわ。これでわたくしの恋路は終わりましたわ。
桜恋の散り際が刹那としてわたくしの心を占めつけますわ。これが失恋の味。
改めて見ると空が見えない木の下は鳥籠のようですわ。いいえ。それよりももっと鳥は悲しんでいるのかも知れませんわ。
負けない。
そんな気の持ちようが映し出す世界はいつでもわたくしを刹那に舞い込ませますわ。残された敗者とはこのような気持ちなのでしょうか。
もう嫌われたくない。
やはり残された限りではトラウマになりますわね。今のわたくしではまず男性から好かれることはないのでしょうから心変わりしなくてはいけませんわね。
できますか、このわたくしに。
まずは堅苦しいわたくしを私に変えるべきなのかしら。なによりも最後にわを言うのをやめることから始めないといけませんわね。
いけない、普通の女生徒にならなくては。同じ轍は踏みません。私はもう前のわたくしではないのです。
「あの! その! 八重桜さん!」
急な呼びかけに籠の中の鳥もビックリでしょうに。私は振り返り声の主を見つめました。
「あら?」
声の主は庶民出の
堅苦しい言葉遣いは不要な空気に思わず私は続けて口を挟み始めました。
「どうかしましたか? 猪野瀬さん?」
余りの突然の登場に言葉が追いつかず訊くことしかできません、この感じからして遠目で私たちのことを見ていた可能性がありますけど。
「確かに俺は堅苦しい空気が似合わない男かも知れない! でも! それでも!」
急になにを言い出したのでしょうか。私の心が読めるとでも言うのでしょうか。
「俺は! ……俺は八重桜レイコが好きだ! 俺と……付き合ってくれ!」
吹き荒れる風が心の中だけではなく現実の恋の桜葉を一気に舞い上げました。いいえ。それだけではありません。きっと籠の中の鳥も飛び立ちたいと願ったことでしょう。
けれど籠の戸は開いていません。それはまるで私の心の扉を反映しているようでした。なによりも急な告白に無言を貫いてしまいました。
「たまにはさ! 堅苦しいことから解放されるべきなんだよ! そうだろ?」
心なしか疑ってしまいました。皮肉にも私は猪野瀬さんとは対照的です。確かに堅苦しいとは無縁でしょう。
「俺となら解放される! 断言できる! な? 俺と付き合ってくれないか! 八重桜さん!」
どうしましょうか。同級生の猪野瀬さんとなら確かに良い練習相手になりそうです。でもそれでも私の心の扉は開きません。ただ社交辞令でお相手をしてしまいました。
「分かりました。お付き合いのほどよろしくお願いいたします」
社交辞令というのに猪野瀬さんは凄く嬉しそうに頭を掻きながら照れ臭そうにしていました。なんだか私には幸先が良いのかが分かりません。
「そこだよ! 八重桜さん!」
思わず木のように硬直した私。
「なにがですか!?」
声を荒げた私に猪野瀬さんは悪びれる様子もなく続けて言い放ちます。
「俺たちは同級生なんだしタメでいいんだよ! 付き合うからには堅苦しい表現はない方がいいよね?」
確かにそうなのかも知れませんがこれは私の癖なんです。そう簡単には直るとは思いません。ただ自助努力はします。
「済みません」
辛うじて口にした発言が猪野瀬さんの気にとまったのでしょう。鋭い目付きで私を見つめてきました。
「ごめんでいいから」
そうなのですね。猪野瀬さんに対してはごめんでいいと言うことです。
「ご……めん」
なぜでしょうか、凄く恥ずかしいのですが。これが庶民感覚と言う縁遠い言葉なのでしょうか。それなのに今は身近に私は感じられます。
「うん! ありがとう! 堅苦しい表現をやめてくれて!」
なんだかホッとしました。こんなにも庶民感覚で感謝されたのは初めてです。
恥ずかしくて発言はできませんが猪野瀬さんのお陰です。これからは私も庶民感覚に慣れていかなくてはいけません、猪野瀬さんの彼女として。
この感じは心の扉が開いたと言うよりはようやく私の扉の前に立ちお互いに認知し始めた頃のようです。
「その……猪野瀬さん」
やはり同級生とは言えさんを付けてしまいます。これでは社交辞令並みに失礼になってしまいます。どうしましょう。
「付き合うからには下の名前で呼んで欲しいんだ。だから大河でいい」
呼び捨てだなんてそれもそれで失礼のような気がします。でもそれでも社交辞令よりは失礼になりませんよね。
ここは意を決し下の名前で。
「大河……さん」
如何せん慣れません。結果としてさん付けしてしまいました。恥ずかしさの余り赤面しています、私が。
「慣れるまでには時間がいるか。それでも呼んでくれてありがとう。嬉しいよ」
なぜかもっと赤面してしまいました。時間経過でどうにかなるはずがなんと言うことの有り様でしょうか。
「わ……私はどうすればいいのですか? どうしてこんなにも恥ずかしいのですか?」
もう堅苦しいとは別に私の気持ちに整理がつかなくなりました。それもこれもお相手が悪いのです。
「落ち着いて。とにかく俺と付き合ってくれればいい。少しずつでもいいから心を開いてくれ」
駄目です。心の中までもが熱いのです。もう手遅れかも知れず思わず反論したくなりました。けれど発言を慎み耳を傾けることにしました。
「大丈夫、きっと時間が解決してくれるから。俺を信じてくれ」
確かに時間が解決してくれそうでした。次第に気も心も落ち着き赤面は消えたように感じました。なによりも大河さんの発言に救われました。
「応え合うだけが愛じゃない。支え合うことが恋の第一歩なんだ。難しいけど俺はそう思っている。だから」
この時に私は気付いたのです、応え合うだけではなくて支え合うことも恋の上で必要なのですねと。
「だから……俺が教えてやる! 恋路に愛はいらないってことを!」
大河さんの発言に私は驚きました。もしかして大河さんは失恋した私に花束を持たせようとしているのではと勘繰ってしまいました。
それはそれで恥ずかしいを超え嬉しいが勝り私は息を呑むだけで反論しませんでした。
普通とはなんなのか。
それはきっと今の私たちでは理解できない未踏の領域なのでしょう。でもそれでも私たちは辿り着かねばならないような気がします。
それが今の私たちの最善と信じて。
八重桜レイコの二度咲き恋中 結城辰也 @kumagorou1gou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。八重桜レイコの二度咲き恋中の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます