1 悪夢

「こんな時はいくら酒を煽っても酔えないもんだな」

 夜の七時過ぎ、出雲いずも一彦かずひこは人気のないビルの屋上に座り込んだまま、遠くに見える街の明かりを見ながら残り少なくなった缶ビールを一気に煽って飲み干した。

 酒を煽ったのは所謂景気づけだ。飲まなきゃやってられない――最愛の妻と子供が行方不明なんだから。

 数年前までこのビルの立つ辺り一帯は景気がよかった。一彦も学生時代、アルバイトとしてこのビルのテナントの店舗で雇われていた事もあった。

 しかし、景気が傾き始めると同時にビルに入っていたテナントは軒並み撤退、辺りの店も同じように店を畳んで去っていった。当時の大人達は再開発事業が失敗したとか何とか言っていたが詳しい事はわからない。

 どこの店も逃げるように撤退していったおかげで管理が杜撰になっているこのビルは勝手知ったる一彦の逃げ場所の一つになっていた。

 そう、今日もまた逃げてきたのだ――現実から。

 一彦は転落防止の柵にもたれかかるとスーツの内ポケットからその現実を引っ張り出した。

 一通の封筒。表には「あなたへ」と丁寧な字で書かれていた。

「やっぱり、何度見ても本人の字だよなぁ……」

 中の手紙を取り出し、ここ数日何度も読んだ内容に目を通す。


 愛理を連れて家を出ます。あなたは自分自身をもう一度見つめ直して。――薫


 それに同封されていた離婚届。

 改めて確認してもため息しかでない。

 最愛の妻の丁寧な字で告げられた別れの手紙。こんな物を突きつけられる日が来るなんて想像もしていなかった。

 厳しい就職戦線を何とか切り抜けた一彦は中堅のスポーツ用品会社に就職した。

 薫とはそこで知り合った。

 というより、彼女の部下として配属され、一彦自身の先輩にあたる。

 彼女はテキパキと仕事をこなし、その有能さは当時から社内でも評判だった。

 部下の面倒見もよく、人当たりもいい。その上、自分に厳しく他人に優しい。

 それもただ優しいだけじゃなく、部下の事を思ってきちんと叱る事ができる。

 そんな自分にも他人にも一生懸命な彼女と一緒に仕事をこなす内に惹かれていくのは男としてもごく自然な感情だった。

 彼女と親交を深め、結婚すると彼女の上司に報告した時に部内が騒然としたのは今でもよく覚えている。

 結婚して間もなく子供にも恵まれ、仕事の面においても業績を認められて昇進する事もできた。

 順風満帆。それを絵に描いたような人生の筈だった。

 結婚から九年後、自分の会社が倒産したというニュースをこの目にするまでは。

 会社の倒産が報じられたその日、帰宅すると薫と娘・愛理の姿はなかった。代わりにテーブルに置かれていたのがこの手紙という訳だ。

「どうしてなんだろう……?」

 子供の頃から夢見た仕事という訳ではないが、それなりにやりがいも感じていたし結果も残してきた。収入も安定していて不自由な思いをさせた事は無かった筈だ。

 一体、何を見つめ直せというのか。

 直接問い質そうにも携帯電話にも連絡が付かず、音信不通の状態が三週間以上続いている。

「もう考えるのは止そう」

 考えて分かるはずもない。だからこそ、この現状なんだから。

 しかし、逆に考えるのを止めたら何だかだんだん腹が立ってきた。

 何で俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ?

 会社に入って! 二人の為に一生懸命働いて! 会社が倒産したらハイ、サヨナラってか!?

 冗談じゃない!

 こうなったら文句の一つでも言ってやらなきゃ気が済まない!!

「……んだけど、連絡が一切取れないんだよなぁ」

 現実に引き戻されると膨れ上がった怒りの感情も空気が抜けた風船のように萎んでいった。

 柵の手摺に手をかけてため息交じりに視線を下の方へと向けるとそこは放棄された再開発地区、人影もなければ明かりもなくただ暗闇が広がっていた。

 じっと見ているとそこに吸い込まれそうな感覚になる。

「そこに飛び込んだら楽になれるのかなぁ……」

 結婚してからこの方、妻と娘の為にがむしゃらになって働いてきた。そうさせるだけのものを二人は自分に与えてくれた。

 いわば、俺の生きがいそのものだ。

 それが自分の元からいなくなった途端、実感したのだ。

 自分が空っぽだという事を。

 結婚する前は確かに自分自身の夢を持っていた。

 プロサッカーチームのプレイヤーになる事。そのトライアウトに向けてのトレーニングも一日たりとも欠かした事はなかった。

 しかし、結婚してからはその夢も遠退き、色褪せたそれは今では自分の心に何一つ響かない。

 自身にとってそれほどのウェイトをあの二人が占めていたという事なのだろう。

 そんな思いから零れ出たのが先程の言葉という訳だが――

「いけません!」

 聞きなれない少女の声と共に右腕をがっちりと掴まれた。

 驚いて掴まれた方に振り向くとそこにはこの場に似つかわしくない不思議な恰好の少女が立っていた。

 薄紫の短衣チュニックの上から深紅の皮鎧を着込み、腰に意匠を凝らした小剣を帯びた長い金髪の少女。

 幾分あどけなさを感じさせる美貌、その紫水晶アメジストを思わせる瞳は今、一彦を責めるように厳しい色を示していた。

 こんな所でコスプレか?

 一瞬、一彦にはそんな馬鹿な考えが頭をよぎったが、よく見ると身に着けた物はどれもかなり使い込まれている。腰に下げた剣の束を巻いている革などちょっと使ったくらいで出る色つやではない、本物の装備だ。

 いや、そんな事はこの際どうでもいい。

 女の子が一人でこんな時間にこんな場所にいていい筈がない。

 一彦の一人娘を持つ父親の良識が何よりも先にそう思わせた。

 一彦は軽く咳払いをすると、たしなめる口調で言った。

「ここはこんな時間に女の子が一人でいていいような場所じゃないぞ? 何をしてるんだ?」

 いかんな。娘をもつ親としてはついつい口うるさい言い方になってしまう。

 そんな一彦の心境を意にも介さず、たしなめられた当人はにっこりと笑って答えた。

「私はリリィと申します。魔族に命を狙われる事となった貴方を守る為、魔界よりやってまいりました。」

 この子は一体、何を言っているんだ?

 笑顔でこんなふざけた答えを返す子だ。関わると碌な事にならない。

「ごめん、そういうの間に合っているから――」

 宗教絡みか? 兎も角、理解し難い面倒事は御免だ。一彦はそそくさとその場を後にしようとしたが、ぐいと服の裾を引っ張られて引き留められる。

 一彦が面倒臭そうに振り返ると案の定、その少女が服の裾を掴んでいた。

「いや、ホント、勘弁してくれないか? そういう悪魔とか宗教とか興味ないんだよ」

 一彦がそう言いながら少女の手を自分の服の裾から引き剥がすと、意外にも少女はきょとんとして答えた。

「宗教なるものが何を意味するのかは分かりませんが、貴方の命が狙われている事は事実ですよ?」

 益々、意味が分からなくなってきた。

 何で自分が命を狙われなきゃならない?

 俺は単なる一会社員でしかないぞ? あ、いや、元・会社員か……。

 命を狙われる心当たりが全くない事を少女に伝えようと一彦が口を開きかけたその時、自分と対峙していたリリィは腰の剣に手をかけ、こちらを睨みつけた。

 今にも切り掛からんばかりのその気迫に思わず背中側になった柵に寄りかかると、今度はそのから声がかけられた。

「リリィ様、勝手な真似をされては困りますな」

 その声を聞いて一彦は全身の毛穴が開くような寒気を感じた。

 それもその筈、柵の向こう側は先程、自分が飛び降りようかと考えたなんだから。

 一彦が恐る恐る振り向くと目の前には信じられない光景が広がっていた。

 空中に浮かぶ黒い円。その奥からヌッと長身の執事姿の壮年男性が姿を現したかと思うとその黒い円は初めから存在しなかったかのように掻き消えた。

 そして残された執事の男はというと、やれやれといった風体で腰に手を当てて立っている――何の足場もない空中に。

 少し頬のこけた切れ長の目をした端正な顔立ち。撫でつけた黒髪は服装、雰囲気と相まって冷たさを感じさせる完璧な執事に見えた。

 それだけに目の前の異常な状況は一彦を一瞬にして思考停止に追い込んだ。

 リリィは驚きで呆然としている一彦を庇って下がらせると自分がその前に出て執事姿の男を威圧するように言葉を発した。

「ブエル、私はあなた方の元を去った身。私に構わぬように主のベリアルに伝えなさい」

 それを聞いてブエルと呼ばれた男はくくっと喉の奥を鳴らして笑った。

「勘違いしてもらっては困りますねぇ、リリィ様。貴女を手放すかどうか、それを決めるのは貴女ではない。我が主です」

 ブエルは不遜な態度でそう言い放つとちらりと一彦を一瞥した。

 その途端、ぞくりと一彦の背筋に冷たいものが走り、全身の毛が逆立った。

 鼓動は早まり、目線はブエルから離せない。

 こ、これが蛇に睨まれた蛙、という心境なのか!?

 不意にブエルの右手が閃いた。

 直後、どんと胸を押され、バランスを崩して倒れこむ。

 それと同時に鋭い金属音が響くと弾かれたそれが一彦の足元に勢いよく転がった。

 投擲ナイフだ。

 刃には何か得体の知れないどろりとした液体が塗られている。

 よく見ようとナイフに手を伸ばそうとしたその時、

「触らないでっ!……毒薬です」

 リリィがそのナイフを弾いた小剣を構えてブエルを見据えたまま一彦を制止した。

 その様子を見ていたブエルはニヤリと不敵に笑った。

「リリィ様、貴女の反応でその男が目的の男なのだと確信いたしました。ならば――」

 ブエルはどこからともなくガラス玉のような物を取り出すと右手に握り、胸の前で印を結ぶ。

「貴女の行動を認める事はできません! 来たれ、我が鎧よ!」

 その言葉を契機に半透明な球状の膜がブエルの周りを包み込んだ。

「いけない! 《高速詠唱ファストチャント》!」

 ブエルの様子を見たリリィはそう叫ぶと高速で口を動かし始めた。

 辺りに高周波が響き、それに伴い空にかざしたリリィの右手に光球が発生する。

「〔空間封鎖シーリング〕!」

 リリィが言葉を発すると光の玉は勢いよく上空へと飛び去り、音もなく花火のように散った。

 するとその散開地点から薄緑色のベールが同心円状に広がっていく。

 一体、何が起こっているんだ?

 目の前で起こっている事に頭が全く追いつかない。

 呆然と立ち尽くしていると右手を掴まれて引き寄せられる。

「しっかり掴まっていてください!」

 リリィはそう言うと掴んでいた一彦の右手を自分の腰に持っていき抱きつかせた。

「はぁ!?」

 一彦は素っ頓狂な声を上げてしまった。

 三十男が少女の腰に腕を回して抱き着いているという色んな意味で危険な姿勢だ。

 慌てて離れようとしたが頭を抱え込まれてしまって動けない。

「装え! 我が光体!」

 そのリリィの言葉に一彦が見上げると、リリィはブエルと同じようなガラス玉の様な物を胸の前にかざしていた。

 ガラス玉の中心が輝きだすと同時に自分達を包み込む様に半透明な球状の膜ができた。

 その半透明の膜はみるみる黒くなり、周りは完全に闇に包まれた。

 何も見えない不安から周りに手を伸ばそうとリリィから離れようとしたら、思いの外、強い力で引き戻された。

「まだ転移中で危険です。離れないでください。」

 有無を言わせない雰囲気のリリィの声に気圧されて、もう一度リリィの腰に手を回す。

 とてもじゃないがこんな姿、かおるさんと愛理あいりには見せられないな……。

 一彦は自分の情けない姿を想像してため息をついた。

 と次の瞬間、パッと周りが明るくなると目の前には先程までの風景が広がっていた――但し、かなり高い視点ではあったが。

 どうなってる? どうやら周りを包み込んでいた膜に映っているようだが……。

「こちらへ。」

 近寄ってもっとよく見たい衝動に駆られたが、焦りの色が浮かぶリリィの声色もあって自重した。

 急いでリリィの呼ぶ方へと向かうとそこには複雑な文様の施された台座とそこに埋め込まれる形で座席シートが備わっていた。

「すぐに補助シートを出しますから、そこに座ってベルトを締めてください!」

 リリィは言うが早いか、台座のシートに座るとすごい速さで手元のパネルを操作する。

 程なくリリィの座るシートのやや左後方の辺りからパイプ椅子状の補助シートが勢いよく飛び出してきた。

 状況はよく飲み込めないが、ベルト付きのシートという事でこれは動く物なのだという事だけは分かる。

 一彦は急いで補助シートに座ると振り落とされないようにきつくベルトを締めた。

 とりあえず自身を固定できた事で少し周りを見る余裕も出てきた。

 自分達を包み込んでいた膜は今や三百六十度、全周囲を映し出すモニターの様になっていた。

 さっき見た風景が気になってちらりと下を覗いてみると結構な高さで驚いた。ビルの7、8階はあるだろうか。

 あまり見ないようにしよう。

 そこで前方、リリィの方を見るとシートの両脇から伸びた操縦桿状の物を握り、前方に厳しい視線を向けていた。

 その視線に誘われるようにそちらに目を向けると――

「うわぁっ!?」

 全身の筋肉が強張り反射的に立ち上がろうとするが、きつく締めたベルトがそれを許さない。

 深緑色の光沢を放つ巨大な鎧。陳腐だがそう表現せざるを得ない存在が目の前のスクリーンに映し出されていた。

 周りの風景と比べても尚巨大だ。

 何しろビルの7、8階といったこの高さですら相手の首元でしかないのだ。

 その首元から上を見上げると古代ギリシャの戦士が被っていた兜を思わせる威圧的な頭部があり、そこから順に下へと目線を下げていくとボディビルダーを思わせる様に逞しく張り出した胸部の装甲、両肩には巨大な円形の盾を思わせる装甲が備わっていた。

 更に異様なのはその下半身だ。

 腰からは短いスカート状の装甲が外に張り出していて、両脚の代わりにあるロケットのエンジンノズルの様な物を保護していた。

 両脚の位置の更に後ろ側にも同様のノズルが見え隠れしていて、それらから噴き出す推力を以てその巨体を空中に浮かせていた。

「これは何だ……?」

 目の前で立て続けに起きた超常の現象。

 それらは一彦の理解の許容量を大きく越え、悲鳴を上げた脳が一彦にその言葉を吐き出させた。

 目の前の風景は徐々に色を失い、起こっている全ての事が何だか遠い夢の中の出来事のように感じられた。

「これは現実です! しっかりしてくださいっ!」

 切迫したリリィの声に一彦の意識は一気に覚醒した。

 どうやら現実を受け止めきれず意識を失う手前だったらしい。

 何やってんだ、俺は!

 今、こんな所で死ぬ訳にはいかないだろっ!

「動きます! 掴まって!」

「分かった!」

 一彦はリリィの声に応えると振り落とされないようにしっかりとシートの手摺を掴み、足置きに足を乗せて踏ん張る。

 と、間髪入れずに急激な横Gが一彦を襲った。前方スクリーンの映像が高速で横へと流れ、シートのフレームが軋む。

 その直後、激しい衝撃音と同時に先程まで自分達がいた廃ビルは派手に土煙を上げるとガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

 次の瞬間、もうもうと立ち上る土煙の中から巨大鎧が飛び出してくると両肩の巨大盾に手をやり、間髪入れずに投げ付けてきた。猛烈な回転を伴って二つの盾が迫る!

 一瞬、リリィの口元が高速に動くとそこから高周波が漏れ――

「〔風盾エアシールド〕っ!」

 リリィの言葉に伴って目の前のスクリーン上に(恐らくリリィの操る)巨大な両手が映り込み、構えられるとその先に風が渦巻く。

 ぶつかる!

 そう思った瞬間、渦巻いた風の斥力フィールドが投げ付けられた巨大盾の軌道を不自然な角度に捻じ曲げて弾き飛ばした。

 それと同時に目の前の不自然に渦巻いた風の盾は掻き消えた。

 直後、投げ付けた盾の陰に隠れるように突っ込んできていた巨大鎧が目の前に迫ると、リリィは左腕に装備された盾を構え、そのまま巨大鎧の懐に飛び込み、そのまま盾で殴りつけた。

 巨大鎧は攻撃を仕掛けたつもりが思わぬカウンターを食らったようで、体勢を立て直すと一旦、こちらとの距離をとった。

 その際、巨大鎧が盾に繋がっていたらしい鎖を引き寄せるとヨーヨーの要領で弾き飛ばされた盾を難なく手元に戻す。

 すると先程の男の声がコクピット内に響いた。

「貴女がデモンを所持していた事にも驚きましたが、いやいやどうして、その操縦技術も大した物ですね」

 どうやら離れていても会話は可能らしい。

「デモン?」

 一彦が疑問を口にすると、リリィは短くこの機体の事ですと答えると、キッと目の前の巨大鎧に目を向けて口を開いた。

「そちらにデモン所持の有無を申告する必要はなかった筈。所持していたとしてもそちらと事を構えるつもりはありません」

 その返答の直後、ふん、と鼻で笑った空気と共にブエルからの返答があった。

「そちらにそのつもりがなくとも、こちらには事構える必要がある、と言ったらどうするのです?」

「……彼の事ですか」

 リリィは歯噛みすると、絞り出すような声で問いかけた。

 リリィのその声を聞くと、ブエルは高笑いと共に交渉を持ち掛けてきた。

「ハハハッ! 分かっているなら話は早い。彼をこちらに引き渡すなら私もこれ以上、貴女に干渉しません。……どうです?」

「お断りします」

 ――嘘だろ?

 この子は何故、見ず知らずの俺の為にこんな化け物と事を構える選択をする?

 一彦はリリィが迷いの片鱗さえ見せずに即答した事に驚きを隠せなかった。

「私はこの人を守る為にここまで来ました。それを阻む者は何者であっても容赦はしません」

「ほう、面白いですね」

 ブエルのその面白いという言葉とは裏腹に声はぞくりとする冷たさを孕んでいた。

「ならば! 我が主、ベリアル様に反逆した罪を悔いながらその男共々、このデモン・ブエルによって惨めな死を迎えるがよいでしょう!」

 デモン・ブエルが両肩の盾に手をかける瞬間、リリィの側から仕掛けた。

「させません!――〔風盾エアシールド〕っ!」

 先程の高周波音がコクピット内に一瞬響くと目の前に渦巻く風の盾が出現した。

 リリィは風盾を展開するが早いか、剣を抜き放って高速で突撃した。

「争いを望まぬ者の行動とは思えませんねっ!」

 デモン・ブエルはリリィの行動に驚きながらも巨大盾を振るいながらこちらに向かって突進、迎撃してきた。こちらが突撃している相対速度と相まってみるみる眼前に迫る。

 それに対して、リリィはかわすどころかそこに向かって更に速度を上げた。

 今度こそぶつかる! 一彦は直後に来る衝撃に備えて身を固くした。

 しかし、またしても迫る巨大盾は目の前であらぬ方向に弾き飛ばされていった。渦巻いていた風の盾が晴れるとリリィは剣を突き立てんと構えてデモン・ブエルに迫る。

「そんな物に当たるわけにはっ!」

 デモン・ブエルは両脚のノズルから勢いよく炎を噴き出すと、急上昇してリリィの剣を逃れた。

「それで逃れたつもりですか?」

 直後、リリィの口元から高周波が漏れたかと思うと――

「〔氷嵐ブリザード〕!」

 コクピット内で一瞬響く高周波音はどうやら呪文の詠唱らしい。

 その詠唱から生み出された氷の嵐がかざした左手からデモン・ブエルに向けて吹き荒れる。

 デモン・ブエルは脚部スラスターを活かして何とかそれの直撃を避けられたものの、右腕をかすり、その瞬間、デモン・ブエルの右腕は氷となって砕け散った。

「何という威力だ……!」

 リリィの魔法の威力に怯んだブエルが見せた一瞬の隙をリリィは見逃さなかった。

 デモン・ブエルに向かって飛び上がるとぐんぐん迫り、その身を翻すと踵落としの要領でデモン・ブエルに蹴りを見舞うとそのまま地上に向けて叩き落とした。

「ぐおぉおっ!」

 デモン・ブエルは苦悶の叫びを上げると体勢を立て直す事もできずにそのまま地上に叩きつけられた。

 リリィは無様に這いつくばったデモン・ブエルの脇に降り立つと剣を突きつけて問いかけた。

「その損傷は戦闘を継続する上で不利にしかなりません。……ここで退いてくれませんか?」

 俺に危害を加える者は何者であっても容赦はしない。

 確かに彼女はそう言った。

 一彦は彼女の表情を窺ったが、その横顔は冷徹そのもので内心を窺い知る事はできない。

 元同僚との命のやり取り。

 そんな境遇に身を置くというのは一体どんな心境なんだろう?

 場違いな一彦の想像は直後のブエルの叫びに遮られた。

「そんな戯言は相手を完全に屈服させてから言うものです!」

 デモン・ブエルは瞬時に損傷した右腕を復元すると同時に後退しながらその右腕を振るって巨大盾で攻撃してきた。

「〔風盾エアシールド〕!」

 リリィが瞬時に唱えた魔法、〔風盾エアシールド〕が正面に風の斥力フィールドを展開し、デモン・ブエルの巨大盾を苦も無く弾くと強力な風の盾は消失した。

 が、その盾の陰から二発のミサイルがデモン・ブエルの背中からの噴射煙の軌跡を伴って眼前に迫っていた。

 間に合わない!

 そう判断したリリィは左手の盾を構え、衝撃に備えた。

 ドドゥン!

 しかし、炸裂音はしたものの大した衝撃はなかった。

 リリィが盾を下ろして辺りを見回すと、炸裂したミサイルが撒き散らしたと思われる煙が立ち込めていて、その機に乗じたデモン・ブエルは姿を消していた。

「……なぁ、リリィちゃんて言ったっけ? 辺りの様子、おかしくないか?」

 一彦は不自然な煙の様子が気になった。

 煙は普通、風などに流されて段々と晴れていくものだが、今のこの煙は晴れる事もなく、徐々にその濃度を増しているように見えるのだ。まるで濃霧のように。

「どうやらこの煙の粒子自体が魔素を帯びているようですね。視界を遮る事が目的なのでしょうか?――成程、そういう事ですか」

 リリィが奥を見据えて防御態勢を取る。

 リリィの視線に導かれるように一彦はその方向を見つめた。

「お、おいおい、どうなってんだ、これ……」

 まるで悪夢を見ているようだった。

 リリィの視線の先にはデモン・ブエルが再び姿を現していた。

 一つ違う状況であるとしたら、それはその数が五体だったという事だ。

 ほんの一瞬前まで圧倒的にこちらが優勢だったのに、今や五対一、かなり不利な状況になったと言わざるを得ない。

 この状況を不利と見たリリィは急速後退しながら呪文を唱える。

「〔氷嵐ブリザード〕!」

 リリィがデモン・ブエル達を薙ぎ払うように魔法を照射した。

 ビュオオオオオォッ!

 凄まじい風鳴を伴って吹き荒れた吹雪が触れた木々や建造物を悉く凍てつかせ、砕いていく。

 その吹雪がデモン・ブエル達に触れるその瞬間、それらはその場から掻き消えた。

「えっ?」

 リリィが疑問を感じた直後、左横から激しい衝撃に襲われた。

「うわぁあぁあぁっ!」

 予期しない方向からの衝撃と横Gに一彦の口から情けない悲鳴が上がる。

「くっ!」

 リリィがすかさず機体の態勢を立て直すと、衝撃を受けた方向を見上げた。

 そこには先程の五体のデモン・ブエルが編隊を組むように宙に浮かんでいた。

「今度はこちらの番です。」

 デモン・ブエルのその言葉と共に左右二機ずつがそれぞれ左右に取り囲むように展開すると、それぞれが先程のシールドアタックを仕掛けてきた。

 左右の二機からの攻撃は何とかかわしたが目の前に前方からの盾が迫る。

「〔風盾エアシールド〕!」

 リリィが一瞬の高周波音を伴って魔法を発動、前方に風の斥力フィールドを形成した。

 しかし敵の盾は風盾の影響を受ける事なく真っ直ぐ突っ込んでくる。

「!?」

 リリィが面食らった次の瞬間、その盾は衝撃も何もなくリリィ達をすり抜けた。

「幻術!?」

 リリィがそう言葉を発した直後、背後から強烈な衝撃を受けた。

「またかよっ!」

 一彦は毒づきながらも、補助シートから振り落とされないように足元のステップに力を込めて踏ん張る。

「後ろからみたいだ!」

「分かってます!」

 リリィは一彦の指摘に短く答えると瞬時に体勢を立て直した。

 間髪入れずにその方向に魔法を照射する。

「〔氷嵐ブリザード〕!」

 操縦しながら魔法を詠唱してたのか!?

 一彦はリリィのその芸当にも驚いたが発動した魔法の規模を見て更に驚いた。

 今度は先程よりも範囲が広い。これなら何機か巻き込む事が出来る!

 しかし一彦の希望空しく、今度もデモン・ブエル達を一機も捉える事なく、その姿は魔法に触れる寸前に掻き消えた。

「どうして……」

 愕然と呟くリリィの言葉を耳にしながら、一彦も目の前の状況を同じ気持ちで見つめていた。

 と、一彦の視界の隅に何か動く物を捉えた。

 あの巨大盾だ!

「左! 左から来てるぞ!」

 一彦の悲鳴にリリィは慌てて魔法を発動させる。

「〔風盾エアシールド〕!」

 目の前に形成された風の盾は今度こそ効果を発揮し、飛来した巨大盾を難なく弾き飛ばした。

 くそっ、どうすればいい!?

 一彦は焦っていた。

 確かにリリィはこのデモンと呼ばれる機械?の操縦技術に長けている。

 咄嗟の際の対処、操縦しながらも魔法詠唱ができるといった事からもそれは感じられる。

 だが、明らかに複数の敵を相手にする戦いに慣れていないのも同様に肌で感じた。

「包囲を突破して逃げよう!」

 多勢に無勢、しかもその多数相手の状況に慣れていないのでは勝算は皆無だ。

 ここは逃げの一手しかない。

「ダメです!」

 圧倒的に不利な状況にも関わらず、リリィは理性的な一彦の案を即座に否定した。

「言ってる場合か!? このままじゃなぶり殺しだぞ!?」

 会話を続けている間も四方八方から来る攻撃を何とか凌いでいたが、幾らかは痛烈な打撃をもらっている。このまま耐え凌げる訳がないのは火を見るより明らかだった。

 それでも、とリリィは歯を食いしばって言った。

「ブエルの標的となったのは貴方です。ここで一時、逃げおおせても必ず追ってきます。その時には貴方を仕留める策を手にして。――そんな事、絶対にさせない!」

 どうして?

 さっき会ったばかりの人間にどうしてそこまで?

 一彦にはリリィの気持ちが全く理解できなかった。

 理解できたのは、リリィは絶対に逃げずにこの場で決着を付ける気でいるという事だけ。

「……分かった。ここで決着を付けよう」

 どうしても逃げないならそう答える他にない。

 ならば――

「どうするにしろ、まずはこの状況から抜け出さない事には対策も立てられない。――何でもいい。奴の視覚を無効化する方法はないか?」

「視覚ですか?」

 リリィは一彦の提案に訝し気な表情を浮かべた。

「そうだ。それもなるべく多くの注目を浴びる状況でそれをやってくれると助かる」

 一彦の言う行動の意味を理解できない様子のリリィに向かって、一彦は更に言葉を繋ぐ。

「奴はいつも有利な場所、有利な方向から攻撃してきている。奴は常にこっちの動きを見て、そういう場所に移動しているんだ。なら見えなくしてしまえば……」

「――! 成程、やってみます!」

 一彦の意図を理解したリリィは周囲を警戒しつつ、自身のデモンを包囲網の中央と思われる場所に向けて動かし始めた。

 

 一彦はデモン・ブエルの行動の傾向が気に掛かっていた。

 数的有利にも関わらず全機一斉攻撃でなく、一機ずつの波状攻撃を仕掛けてくる事と決まって打撃を受けるのが後方である事の二点だ。

 一機ずつ波状攻撃を仕掛けてくるのは、こっちはそれが実体か幻かに関わらずその方向を向いて対処せざるを得ないからだろう。

 それだけではない。波状攻撃の最初の一手は必ずこちらが見える所からだ。

 つまり、そうする事で相手の向きをコントロールしている意味合いが強いと考えられる。

 そうして相手の死角となる位置から本命の攻撃を叩きこむ。

 よく考えられている、と思う。

 しかし、裏を返せばその攻撃方法は相手の向きを常に注視している事に他ならない。

 ならば、それを逆手にとって攻撃の核となっているその視覚を潰せば活路を見出せる筈だ。

「この辺りが包囲の中心かと思われます」

 リリィの言葉で一彦は思考から現実へと引き戻された。

「これから強い光を放つ魔法を使います。使う時は前方スクリーンにもバイザーが掛かって暗くなりますが、それでも強力な光ですので注意してください」

 そう言うとリリィは一彦の返事も待たずに動き始めた。

 デモンを勢いよく宙に舞い上がらせるとコクピット内に例の高周波音が響く。

「〔氷嵐ブリザード〕!」

 氷の嵐が前方下に向かって吹き荒れる。

「こうすればっ!」

 リリィの掛け声と共にデモンがぐるりと回って氷の嵐が眼下の森一帯を薙ぎ払った。

 すると、その薙ぎ払った筈の辺りの二か所から巨大盾が飛んできた。

「何か考えがあっての行動かと思えば! そんな攻撃で私をどうにかできると思ったのですか!?」

 ブエルの嘲笑が辺りに響く。

 それに答えず、リリィは即座に魔法を完成させた。

「〔閃光フラッシュ〕!」

 リリィの説明通り、魔法が発動する直前に前方スクリーンが真っ黒になった――が、

 その直後、目の前に強烈な光の源が発生した。

 殆ど視界が無くなる程の真っ黒なスクリーンを透過する程の強烈な光だ。

「うぐっ!」

 一彦は思わず目を逸らしたが、それでも瞼の裏に残像が焼け付いたように感じた。

「ぐおぉあああぁっ!!」

 尋常ではないブエルの悲鳴が辺りに響いた。

 あの強烈な光だ。直接見てしまえば目に受けるダメージは計り知れない。

「おのれぇっ! どこだ! どこにいるっ!!」

 初対面の慇懃とも言える態度はなりを潜め、内の暴力性が表に出たようなブエルの口調に恐怖を感じた。

 その直後、その暴力性をそのままに全てのデモン・ブエルが闇雲に巨大盾を投げ飛ばし始めた。

 盾に薙ぎ払われる森の木々、破壊される街並み。その光景は凄惨というに相応しかった。

 迂闊に動くのは危険と判断したのか、リリィはデモンを瓦礫の陰に潜ませた。

「あ、あぁ、街がこんな事に……!」

 こんなつもりじゃなかった。

 ここを切り抜けたら奴から逃げられる、それだけを考えてたんだ。

 他の誰かを巻き込むつもりなんてさらさらなかった。

 あの瓦礫と化した建物の中には誰かいたんじゃないのか?

「大丈夫です!」

 叫びだしそうになる一彦の精神を繋ぎとめたのはリリィのその言葉だった。

「だ、大丈夫って……?」

「ここは封鎖空間、私が魔法で物質界を複製した別位相の空間です。ここには私と貴方、そしてブエルしか生物はいませんし、ここで起きた事は空間の外には影響を及ぼしません」

 その言葉に驚いて繁華街の方に目を向けた。

 慌てて避難する様に車を走らせてる様子もなければ、緊急車両が行き交っている様子もない。

 却って静かすぎる程の街の様子と言っていい。

 ここで巨大なロボットが格闘している上に街外れの建物が破壊されたにも関わらず、だ。

「よかった……」

 リリィの言葉が事実だと確認できるとほっとして全身の力が抜けてしまった。

「気を抜かないで。この場を切り抜けないと危険な状況なんですから」

「わ、わかった」

 リリィの言葉に気力を振り絞って暴れ回るデモン・ブエルを見据える。

 闇雲に攻撃を繰り出すデモン・ブエルを見て、一彦は自身がふと思った事を口に漏らした。

「今なら奴から逃げ切れる気がする」

「かもしれません。ですが、彼は必ず追って来ます。そしてその時、私がいなければ封鎖空間を展開する事もできません……」

 リリィがちらりと瓦礫と化した建物に目を向ける。

 一彦はそれで察した。

 ここで決着をつけなければならないと言ったリリィの真意を。

 ここで逃げ出せばこれが現実の物となり、瓦礫の下には多くの死者で溢れる事になるのだ、と。

 街には妻も子供もいる。

 実質、選択肢はない。

 一彦はふぅと息を整えると、ともすれば震えだしそうになる自身の胸をどんと叩いて自身に喝を入れた。

「じゃあ、聞かせてくれ。決着を付けると言い切るには切り札があるんだろう?」

 再び、一彦は暴れまわっているデモン・ブエルを視界に入れる。

 今は闇雲に暴れているだけだが、いつ状況が変わるか分かったもんじゃない。

 一秒でも早く何らかの手を講じる必要がある。

「わかりました。要点だけを手短に話します」

 リリィもそう感じているのか、リリィはデモン・ブエルを見据えたまま話しはじめた。

 

 リリィの話によるとこうだ。

 デモンと呼ばれるこの装光体――このロボットのような機体の事らしい――と操縦者、それぞれが『付与力タレント』、『能力ギフト』と呼ばれる特殊な能力を持っているそうだ。

 相手の場合は幻術による分身と瞬時復元、どっちがどっちの能力なのかは分からないがその二つの能力を有しているのは確かだ。

 こっちは操縦者であるリリィが《高速詠唱ファストチャント》の能力を持ち、それを使って瞬時に詠唱を終わらせて魔法を使っていた。

 魔法の詠唱というのは現象を発生させる手順として絶対に省けない物らしい。

 敵が魔法を使って攻撃してこないのは朗々と詠唱させる隙をこちらが与えないからに他ならない。

 これだけを聞くとこちらがかなり有利に聞こえるが、魔法を発動させる際には魔素を操る精神力の消耗を伴う為、そういう訳でもないようだ。

 このデモンを稼働させるには、少量ではあるが自身の魔素をデモン内の魔素ジェネレーターに働きかけ、魔界からの魔素供給を受ける必要がある。

 更に、魔法による攻撃と防御においても魔素を使用する為、その分、自身の魔素と共に精神力も消耗してしまう。

 魔素、精神力共に時間を置けば自然に回復するものではあるものの、長期戦ともなれば危険な状況になるのは火を見るよりも明らかだ。

 現にそう話すリリィは、攻撃、防御において魔法を連発していたせいもあって、息が上がっているように見えた。

 さて、ここからが本題だ。

 残るはこちらのデモンの付与力タレントだが、リリィの持つ小剣とリンクしているらしい。

 その名も『吸魔の小剣エナジードレイン』。

 突き立てた相手デモンの魔素ジェネレーターの働きを阻害すると共に、デモン各部を巡る魔素を吸収し、己の物とする代物だそうだ。

 つまり、剣を突き立て『吸魔の小剣エナジードレイン』が発揮されれば、相手を行動不能とする事ができる。

「――ん!? じゃあ、目が見えなくなっている今がチャンスだ!」

 森や建物を破壊する事が出来た奴は実体を持っている、いわば本体。

 それが身を隠す余裕を無くして瓦礫を挟んだ向こう側にいる――今なら!

「とはいえ、こうまで不規則な攻撃を繰り返されては迂闊にこの陰から出る事も――」

 リリィは言いかけた言葉を切るとデモン・ブエルの方に目を向けた。

 その視線の先の巨人は先程までの暴れ振りとは打って変わった様子を晒していた。

 両肩に盾を収めたその両腕をだらりと下げ、頭はうな垂れて力尽きたようにその場に浮いている。

 力尽きたのか?それとも――

 一彦が思考をまとめるより早く、リリィがデモン・ブエルに向かって飛び出した。急激な加速に思わずシートにしがみ付く。

「ハアアアアァッ!」

 リリィが剣を突き立てんと構えてデモン・ブエルに向かって突撃していく。

 しかし、デモン・ブエルはそれをいなす様にかわしてすっと後ろに退くとそのまま霧に溶け込むようにして姿を消した。

 隠れるといったレベルではない。

 文字通り、消えたのだ。

「一体、何処に……」

「貴女の後ろですよ」

 一彦の呟きに対する答えは後ろから返ってきた。

 リリィが振り返ると目の前にはデモン・ブエルが五体揃い踏みだ。

「やってくれましたね……」

 デモン・ブエルから聞こえる声が何やら恨めし気だ。

「まさか自分の眼球を抉り出して、再生薬で復元する羽目になるとは思いもしませんでしたよ……。二人とも半死半生にした上、我が主の前に引き摺り出そうと思っていましたが――」

 五体が同時に両手をそれぞれの肩の巨大盾に添える。

「ここで後顧の憂いを断つ! 今、その命を散らすがよいでしょう!」

 全てのデモン・ブエルがそれぞれの巨大盾を放った。

 その全てが異なる軌道を以て迫ってくる。それに対し――

「〔風盾エアシールド〕!――行きます!」

 リリィは前面に風の斥力フィールドを張るとそのまま突撃した。

 ――おかしい。

 一彦は強烈な違和感を抱いた。

 あれだけ死角からの攻撃に拘っていた奴が何故ここにきて正面から真っ向勝負を挑んでくる?

 それとも頭に血が上って必ず殺す決意を胸にこんな真似を?

 いや、必ず殺すつもりなら、やはり――!

「違うっ! そっちじゃないっ!!」

 一彦はシートベルトを外すと、リリィの座る操縦席へと飛びついた。リリィの左手の操縦桿に手を伸ばす。

「えっ!? 何をっ!?」

 驚くリリィに構わず、一彦は操縦桿を掴んだ。

 瞬間、自身の感覚がデモンと一体化したように感じた。

 考えている暇はない。即座にデモンの踵を返すと、先程とは正反対の方向へと突撃する。

「何をしているのですか!」

「いいから備えろ!」

 リリィにきつい返答を返した直後、風盾に何かが当たった衝撃が響く。

 ガラスの様に向こうが透けて見える巨大盾だ。

 一彦はすかさず盾に繋がっている鎖を掴むと力任せに振り回した。

 その鎖に繋がれていたデモン・ブエルは振り回される内に透明だったその姿がみるみると露になる。

「うおぉぉっ!」

 一彦は雄叫びを上げるとそのまま地面に叩きつけた。

 そこで終わらない。一彦は剣を構えると体ごとぶつけるつもりで倒れ伏すデモン・ブエルに突撃した。

 あそこにぶつけるっ!

 一彦がそう意識した途端、背面からの推力が発生、猛烈な勢いでデモン・ブエルが目の前に迫ってくる。

 次の瞬間、ゴズッと鈍い音を立てて剣の切っ先がデモン・ブエルの肩口にめり込んだ。

「リリィちゃん!」

「分かってます!」

 リリィの返答と同時に操縦席の各パネルが激しく明滅を始める。

 先程の説明通り、魔素の吸収とやらが始まったのだろう。

「終わった……」

 脱力して長い溜息をつくと、右手で握りしめていた操縦桿を放そうとした。

 しかし、強張って指が全く動かない。

 一彦は何とか左手で右手の指を開かせようと四苦八苦している所にリリィから声をかけられた。

「どうしてブエルの場所が分かったんですか?」

 暫く考えた後、こう答えた。

「……勘、かな?」

 全く根拠がないわけじゃない。

 ブエルは死角からの攻撃を得意としていた。

 にもかかわらず、勝負を決するこの時に全ての分身を使ってリリィとの真っ向勝負を挑んできた。

 その時に頭をよぎったのが、先程目の前で忽然と消えたデモン・ブエルの姿だ。

 もしかしたら、俺達はブエルの能力を勘違いしているんじゃないだろうか、と思わずにはいられなかった。

 真っ向勝負を挑むつもりなら、わざわざ姿を消して再び現すなんて面倒な事をせずにそのまま分身を呼び出して攻勢に回ればいいだけなんだから。

 もしブエルの能力が、分身を作り出す能力、じゃなく、相手の視覚を騙す能力、なのだとしたら。

 そう思った瞬間、本体と分身合わせて五体、という刷り込みが俺の頭の中でがらがらと崩れ落ちた。

 全部で五体、そう思わせる事に意味があったのだ。

 それらが目の前に出揃ってしまえば、どんな奴だって自然と体はそちらへと向いてしまう。

 そんな考えが浮かんだ頭の中に残ったのは、ブエルは死角からの攻撃が得意、というただその一点。

 とはいえ、半ば自分の直感に頼った判断だった事は否定できない。

 だから勘としか答えられなかったのだ。

「そう、ですか……」

 リリィは一瞬、一彦の答えに何かを期待していたような表情を見せたが、すぐに元の表情に戻って魔力の吸収作業に集中した。

 今のリリィの表情に先程の表情の欠片は微塵もない。

 どういう意味なのか問うべきだろうか?

 一彦がそんな事を考えていると、デモン・ブエルから突き刺さっていた剣が引き抜かれた。

「終わりました」

 リリィの報告に一彦は雑念を頭から振り払って質問を返す。

「こいつの魔素、全てを吸収したのか?」

「いいえ。魔素はその者の精神にも深く関わっていますので、全ての魔素を吸収してしまうと彼が意識を失ってしまいます。」

 意外と制約があって面倒な物なんだな、魔素ってのは。

 しかし、今知りたいのはそんな事じゃない。

「じゃあ、今、こいつはどういう状態なんだ?」

 魔力を残してあった為に反撃を受けるんじゃ、たまったものじゃない。

「デモンの魔素ジェネレーターを機能不全状態にした上、活動不能な程度の魔素は残してあります。――彼にも帰還していただかないとなりませんし。」

 帰還?

 決着を付けると言っていたのに?

 一彦の言わんとする事を肌で感じ取ったのか、リリィが後に言葉を続ける。

「ここまで消耗させれば直ぐに私達を追ってくる事は不可能でしょう。それに、ここで彼を殺せばベリアルの軍勢への宣戦布告とみなされ、今以上に困難な状況となってしまいます」

「しかし……!」

 リリィの言いたい事は頭では理解できる。

 しかし、ここでこいつを帰したら、またいつ命を狙われるか分かったものじゃない。

 リリィは食い下がろうとする一彦を制して小声で言った。

「まず、今はこの状況を脱し、時間を稼ぐ事が必要なのです。分かってください」

 そう言うと一彦の返答を待たず、リリィは倒れたデモン・ブエルに剣を突き付けて迫った。

「ブエル、聞こえますか? ここで退くなら命までは取りません。魔界にお帰りなさい」

「……どういうつもりですか? ここで私の口を封じればそちら面倒事が一つ片付くでしょう?」

 暫く黙っていたがその後、何を狙っているのか、とでも言いたげな口調で返答してきた。その警戒の色は強い。

「他意はありません。……私は彼に普通の生活を送らせてあげたい、ただそれだけなのです」

 何も飾らない本心の言葉。

 うつむき、何を見るでもなくリリィの口から紡がれたブエルへの返答は一彦にとってそう感じさせる何かを含んでいた。

「分かりました」

 ブエルの言葉にリリィがハッと顔を上げた瞬間、デモン・ブエルがこちらに組み付いてきた。

「――貴女が甘ちゃんだという事がね!」

 突然の行動に不意を突かれたリリィは抵抗する事もできずにそのまま組み伏せられる。

 動けるはずがないと思っていたリリィは思わず疑問をそのまま口にした。

「な、何故、動けるのです!?」

「復元したのですよ。魔素ジェネレーターをね」

 そうだ。

 奴の能力は視覚を騙すだけじゃない。先の戦闘中に失った右腕を瞬時に復元していたじゃないか。

 奴は会話で時間を稼ぎながら、残された魔素でジェネレーターを復元し、今、反撃に出た訳だ。

 全ての魔力を奪わなかったのが完全に裏目に出た状況だ。

「魔素ジェネレーターさえ復元できれば、デモンを介して魔界から魔素を得る事ができる。私に魔素を残したのが裏目に出たようですね……」

「卑怯な……っ!」

 リリィは悔しさを滲ませて下唇を噛むとその言葉を絞り出すのがやっとだった。

 卑怯?

 戦いの最中に隙を見せればられる。そこに卑怯も何もない。

 純然たる結果がそこに残るだけだ。

 一彦は自身の危機的な状況をどこか遠くから見つめているような感覚でいた。

 しかし、リリィの言葉に対するブエルの言葉は意外で、一気に現実に引き戻された。

「貴女は優しすぎる。命を奪うべき敵に情けをかけるようでは、いずれ命を落としますよ」

 勝ち誇るでもなく、威圧するでもなく。

 その声のトーンは今までの硬質なものではなく、柔らかく優しい。

 長年の友人を心配するような、という表現がしっくりくる代物だった。

「さて」

 続くブエルの声からは先程の柔らかさは影もなく消え去り、今までの硬質な印象に戻っていた。

「帰還しろ、というのなら帰還しましょう――このままデモンごと帰還石を発動させて、ね!」

「帰還石! そんな物を持っているのですか!?」

 リリィの慌て振りに聞き返す。

「帰還石って?」

「魔界の特定地点への帰還魔法と起動に必要な魔素を封じ込めた物です。起動に使用者の魔素を必要としないので――」

 魔界に連れていかれてしまう!

 冗談じゃない!

「ど、どうにかできないのか!?」

 慌てる一彦にリリィがデモン・ブエルから逃れようともがきながら応える。

「起動前にデモン・ブエルの付近から逃れさえすればどうにか……っ!」

 しかし、リリィの奮戦も空しく、もがこうが背中のバーニアを吹かそうが圧し掛かったデモン・ブエルはびくともしない。

 もう駄目か、そんな諦めの思いが頭をよぎったその瞬間――

 ゴシャッ!、と鈍い音が響くと共に巨大な岩塊がデモン・ブエルの右顔面を押し潰していた。

 ぼたぼたとデモン・ブエルの潰れた顔面から血の様な液体が漏れ出す。

「バカなっ! こんな瓦礫如きがデモンの防御フィールドを貫ける筈が!?」

 全く予想外の事態にデモン・ブエルはこちらを組み敷いていたのも忘れて身体を起こすと慌てて距離を取った。

 何が起こったのか分からないのはこちらも同じだ。

 何せ目の前には巨大なデモンの握り拳程もある岩塊――どうやら崩れた建造物の瓦礫らしい――を易々と持ち上げて宙に浮いている男がいるのだから。

「力を貸そう、大きなお嬢さん」

 得体の知れない男はそう言うと、瓦礫を構えてデモン・ブエルに向き直った。

 どうやら本当にこちらに味方してくれるらしい。

「知り合いか?」

 ブエルを警戒して小声でリリィに尋ねるも、リリィは困惑した顔で首を左右に振るだけだった。

 ふむ、それなら――

「どうする? ブエルさんとやら。これで二対一だ。デモンは復元できたとしても、残存魔素は心もとないだろう。……ここは退いた方が賢明だと思うが?」

 実際の所はどうあれ、相手からすれば邪魔者が一人増えた形だ。なら、この状況を利用させてもらうに限る。

 男が敵か味方かは分からない。

 だが、男とブエル、問題を二つを同時に抱えるよりもこの状況を利用して、片方を片付けておけば残る問題は一つ、この男のみ。

 この男の事はそれからだ。

 そんな一彦の思惑を知ってか知らずか、デモン・ブエルは戦闘態勢を解いた。

「いいでしょう。ここは退くとします。ですが、これで終わりだとは思わない事です」

 そう言い残すとブエルは霧に紛れるように後退すると、みるみる霧は薄れ、晴れた時にはその姿は完全に消えていた。

 脅威は消えたと見るや、得体の知れない男は瓦礫を投げ捨て、宙に浮いていた高度を下げていく。

 その高さが地表付近に近づいてきた時、何かからひょいっと地面に向かって飛び降りた。

 すると、先程まで男が宙に浮いていた理由がその姿を現した。

 男は浮いていたのではなく、透明になっていたに載っていたのだ。

 空飛ぶ車。そう形容するしかない、フィクションの物語中でしか存在し得ない代物。

 とはいえ、それよりも存在し得ない巨大人型ロボットなんて代物の中にいる今となっては驚きも少ない。

 人間って意外と適応力があるものなんだな、などと一彦が思っていると、不意に乗っているデモンが大きく動いた。

 一彦が慌ててシートにしがみ付く中、リリィが剣先を男に突きつけた。

「貴方は何者です?」

 剣を突き付けられた男は慌てるでもなく両手を挙げると口を開いた。

「俺の目的は、とある人物の保護ですよ――出雲一彦さん、あんた、のね」

 

「俺は対魔法生物機甲警察組織、A.M.A.P.エイマップに所属している大神おおがみ志郎しろう特務巡査長です」

 こちらの素性を知る正体不明の男、真意を探る上でも接触する他ないと判断した俺達はデモンから降りた。

 男は両手を上げたままこちらに近付くと、先の名乗りを挙げてから片手を上げたまま、もう片方の手で器用に胸ポケットから名刺を取り出して差し出した。

「拝見します」

 思わず、会社員の頃の癖で受け取ってしまった。

 表面には対魔法生物武装警察組織、Anti-Masic organisms Armored Police Department、特務巡査長、大神志郎、と名乗った通りの事が記載されている。

「成程。英語の頭文字を取ってA.M.A.P.エイマップ、と呼ぶ訳ですか」

 とはいえ、名刺の偽造は容易い。聞いた事もない組織の名刺の何処を信用すればいいというのか。

 濃いグレーと青を基調とした見た事もない制服に身を包んだ大柄な体躯。180cmの俺よりも頭一つ大きく、肩までしか届かない。

 日本人らしい整った顔立ちではあるが、パーマのかかった髪を無造作に刈り込んだような髪型は閉口せざるを得ない。

 もう少し何とかならなかったのか、その髪型。

 ちらっと大神の方に目を向けると視線がぶつかった。

 すると、大神は名刺をもう一枚取り出すと、おもむろにそれを木に向かって投げ付けた。

 名刺は風に揺らぐ事もなく、一直線に木に向かって飛んでいき深々と突き刺さった。

 不自然だ。不自然極まりない動き。これはまるで――

「お察しの通り、この名刺には魔術的措置が施してあり、普通の民間人には偽造は不可能です。これで私の所属する組織の存在証明となりましたかね?」

 こちらの言いたい事を目の動きだけで察するあたり、流石は警察官というべき洞察力。

 まるで全てを見透かされているようでやりにくい。

「あの、カズヒコさん、と呼んでよいのでしょうか?」

 大神に対しての猜疑心が膨らみかけていたところにリリィから名前を呼ばれて驚いた。

「え? 何で俺の名前……」

「先程、オオガミさんがそう呼ばれてたので……」

 そうだった。この子の目の前でフルネームで呼ばれてたんだった。

 俺の名前を呼んだ男、大神志郎。

 所属する組織も本物、わざわざフルネームで俺の事を呼んだ辺り、家族構成などの俺に関する情報は調べ上げてあると見ていいだろう。

 となると、ここで小細工を弄して逃げを打つよりは保護を目的としたこの男に場を任せ、相手の情報を入手する事で状況を把握する事が先決か……。

「大丈夫ですか? ずいぶん怖い顔してますけど……」

「いや、大丈夫。ところで何で俺を呼んだんだ? 何か俺に話したい事でも?」

 考えてる内に随分と深刻な顔をしていたらしい。

 心配そうに覗き込むリリィを留めて話の先を促してみたが、ちらちらと大神の方を気にしてなかなか言い出そうとしない。

「あー、この大神さんの事なら気にしなくていい。……どうせ、俺の身辺なんて把握してる」

 そう言って大神の方を見ると、にこっと笑って手を振り返してきた。

 ……やっぱり食えない男のようだ。

 そんな様子を見てリリィは、それならば、と話し始めた。

「私の目的は一彦さん、貴方を守る事だとお話しました。ですが、もしご家族、血縁者の方がいらっしゃるならその方々も私の護衛対象となります」

「どういう事だ?」

 話が見えない。そもそも自分が狙われる理由すら身に覚えがない。

 それなのに、何故、家族まで危険な目に遭わなければならない?

 一彦の責めるような視線にリリィは言い出し辛そうに言葉を続けた。

「貴方の血縁者全てが、先程のブエルの抹殺若しくは捕獲対象となっている為、です……」

「ちょ、ちょっと待ってくれっ! どういう事だ!? あれか!? 家族ってのがマズいのか!? じゃあ、今すぐ離婚届に判を押す! それならもう妻と娘は狙われないのか!?」

 リリィは苦い顔で首を横に振った。

「形式上ではなく、血の繋がりが問題なのです」

 何だ? 何を言っている?

 妻と娘が殺される?

 ただ血が繋がってるって理由だけで?

「冗談じゃないっ!!」

 この事を一刻も早く知らせて、守ってやらなきゃ!!

 だが、二人は家を出てからは音信不通で住んでる場所も知らせてくれてない。

「リリィちゃん、二人が何処にいるのか知っているのか!?」

「知ってますよ」

 リリィの魔法に僅かな望みをかけて尋ねた問いに対する答えはリリィとは別の所から返ってきた。

「……大神さんか」

「そんな怖い顔で警戒しないでくださいよ。大方、あんたの予想通りなんだろ?」

 確かにその通りだ。その通りだが――

「……知らない内に自分の素性全てを調べ上げられていたらこうもなるさ」

 大神は肩を竦めると後ろを振り向き、何かを操作する素振りを見せた。

 すると、何も無い空間が機械の駆動音と共にスライドして黒い口をぽっかりと開けた。

「ほら、乗って。奥さんと子供、護らなきゃならないんだろ?」

 大神の促す声に穴の中をよく見ると座席が見えた。車のリアシートの様な形といえばしっくりくるだろうか。

 その乗り込み口の周りもよく見ると完全な透明という訳ではなく、意識して観察する事で薄っすらと輪郭を把握する事ができた。

 光学迷彩。表面に当たる光を屈折させて反対側に逃がす事で、あたかも光が透過しているように見せる迷彩。フィクションと思っている物の半分くらいは実在している、というのが世の中の真実なのかもしれない。

 そんな事を思いながら体をリアシートに滑り込ませると、間を置かずにリリィも隣に乗り込んできた。

「急ぎましょう!」

 リリィの急かす声に大神は、はいはい、と答えながら上着を脱いで振るうと、付着して固まったデモン・ブエルの体液がばらばらと剥がれ落ちた。

 大神が上着に袖を通しながら、運転席側に回って乗り込むと開いていた後部ドアが閉じられた。

 一瞬、辺りが暗闇に包まれる。

 暫くすると、微かな駆動音と共に運転席の各種パネルが点灯し始めた。車でいうフロントガラスにあたる部分にも火が灯り、外の映像が映し出される。

「映ってるの、赤外線カメラの映像だから見辛いかもしれないけど我慢してくださいよ」

 大神はそう言いながら後部席を振り返って二人を確認すると、出すよ、と声をかけて車を発進させた。

 ヴゥンと一瞬、低い駆動音を発したかと思うと、後は音も立てずにスルスルと上昇していく。

 その間に前部席の横、下、とディスプレイが点灯していった。

「まるでヘリコプターに乗っているのかと勘違いしてしまいそうだ……」

「実際、この機体、『crowクロウ』はそんな感じですよ。……ほら、操縦系統は似たようなもんだし」

 大神は前部席の映像を見て思わず漏らした一彦の感想に、自らが操作する操縦桿を示しながら答えた。

「ところで――」

 大神はリリィを見ると、外を示しながら尋ねた。

「この妙な空間は移動に支障はないのかな?」

「そうですね。解除しておいた方がいいでしょう」

 リリィはそう言うと魔法を詠唱し始めた。

 ん? 解除だって?

 そんな事したらデモンが普通の人に見られてしまうんじゃないのか!?

 一彦は慌てて前部席に身を乗り出すと、自分達が降りたデモンがあった場所へと目を向ける。

 が――

「――!? デモンが?」

 ない。影も形も。

 さっき、間違いなくあそこに降りたのに。

「デモンは搭乗者が降りてしばらく経つと格納場所へと自ら戻るんです」

 リリィの言葉に振り返ると、当然の疑問を口に出す。

「何処に?」

 その質問にリリィは人差し指を口に当てるとこう言った。

「内緒です」

 当然か。

 切り札の所在は秘中の秘。他者に情報を与えない事がセキュリティ上、最も安全なのだから。

 三人を乗せたクロウは封鎖空間が解除されると、破壊される前の姿を留めた廃ビルをかすめて街の方へと向かった。

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