第3話 3度目の正直



「……姉さま」

「なに?」


 エクリプス公爵邸、食堂。

 ここにいるのは私と弟のアレックスだけ。


 起床時の混乱は何となく薄まりつつあったけれど、20年ぶりの弟から「姉さま」と声をかけられ、反応に遅れてしまう。


 それでも平静を装っていれば、アレックスは訝しげに尋ねてくる。


「今日は、どうされたのですか」

「どうって?」

「その。格好とか、顔とか」

「何かおかしい?」

「いいえ。むしろ、今までのほうが――」


 そう言いかけて、アレックスは「しまった」と言わんばかりの表情をした。


 言葉の途中で口を噤む様子からは、私への遠慮が感じられる。


(そういえば……)


 いまだ具体的な年数を確認できていないものの、1度目のローザリアのときの私は、あまりアレックスと仲が良くなかった。


 私の高慢ちきな性格に嫌気がさして会話はおろか、顔を合わせることもなかったのだ。


 皇太子妃教育の一環として私の住まいを皇城内に移してからはさらに疎遠になってしまい……思えば私が悪女と呼ばれるようになって死ぬまでどれだけ迷惑をかけたのだろう。


(そっか。またローザリアに戻ったのなら、お父様とお義母様にも会えるってことよね)


 女傭兵リアとして生きていたとき、1度目のローザリアの記憶は何一つ思い出さなかった。


 だからリアとしての人生を存分に生きていたつもりだし、こんなふうに1度目の自分を振り返って家族に思いを馳せることもなかった。


 この状況が夢じゃなく現実に起こっていることなのだとしたら、私はまたローザリアとしての人生を歩まなければいけない。


 未来の皇太子妃として、帝国一の淑女として、悪女ローザリアとして――


(って、別に悪女になる必要はないじゃない)


 一人で悶々と考えながら、それは違うでしょと振り払う。


 そもそも今はいつで、私は何歳ぐらいなんだろう。

 朝の身支度を整えてもらっているときは、聞くだけの余裕がなくて案内されるまま食堂に来たけど。


 アレックスの見た目は10歳以上15歳未満といった感じで、そこから推測すると私は……。


「やっぱり、昨日のことがあって可笑しくしたんじゃ……」

「昨日?」


 私はアレックスの小さな呟きを聞き逃さなかった。


 思えば支度を手伝ってくれていたメイドたちもどこか腫れ物を扱うような態度だった気がする。


 アレックスに関してもそうだ。

 私が食堂に姿を現したこと自体、最初は驚いている様子だった。


「昨日のこと……アレックスはどう思った?」

「え、どうって」

「思ったことを言って欲しいの。ここには私とあなたしかいないから、構わないでしょ?」


 昨日のことが何のことだかまったくわかっていない。

 回りくどい会話だけど「なんのこと?」と質問して不審に思われるよりは、こうして反応を見つつ進めた方がいいと思った。


「……そりゃ、あの方は何を考えているんだろうと思いましたよ。隣国の立太子の儀から戻ってきたと思えば、ハイネリア公爵家の令嬢を連れてくるだなんて」

「ぶっ」


 思わず食後の紅茶を吹き出しそうになった。

 まさか、と背筋に冷や汗が流れる。


「というか、姉さまはどうしてそんなに落ち着いているんですか。昨夜はあんなに荒れて荒れて手のつけようがなかったのに。憑き物が取れたような顔をして」


「ね、寝たら少し落ち着いただけよ」


「……ディミトリアス殿下が婚約者候補を連れてきたというのに、落ち着いた、ですか」



 結局、不審な目を向けられてしまった。


 私はというと、今が一体どの時期なのかはっきり分かってしまい頭を抱えたくなった。




 ***



 朝食後、一度自室に引っ込んだ私はベッドに突っ伏した。

 ゴロゴロと何度か横に転がり、天蓋に視線を投げてため息をつく。


(さすがにアレックスも心配そうにしてたな。不仲とはいかなくても、この時期はもうあの子に好かれていなかったのに)


 挙げ句には「僕も部屋までついて行きましょうか……?」と言われてしまった。


 11歳の弟に部屋までついてきてもらうなんて。それほど私の挙動がおかしかったのだろう。


(本当は優しい子だって、知ってる。ただ、あの時の私が皇太子妃の座に固執していたばかりに……蔑ろにしていた)


 もう一つ理由をあげるなら、私とアレックスが異母姉弟ということにある。


 私は前妻の子で、アレックスは後妻の子。

 それもあって複雑な心境だった私はアレックスを嫌煙していたけれど、前妻後妻の事情はアレックスがどうこうできる問題じゃない。


(私が理不尽な敵意を向けていたから、アレックスもそうするしかなかったんだわ)


 こんな形で本来の弟の優しさに触れられるとは思わなかった。

 その事実を噛み締めつつ、私は先ほど話に上がったことを思い出して今度こそ頭を抱えた。

 

「昨日って、最悪のタイミングじゃない……」


 ディミトリアス殿下が隣国からフェリシア嬢を連れてきた翌日に、2度の人生の記憶を思い出すなんて。


 どうせなら生まれた瞬間からとか、そうでなくても幼児期に記憶を思い出していたらもう少し選択肢もあったのに。


 私は今年で18歳。これから悪女としての評判は徐々に広まり、2年後には自暴自棄になって最後は殺されてしまう。

 

 1度目は、それこそ人の道から外れたこともしていた。

 毒を使ってフェリシア嬢を殺そうとしたし、その道の人間を雇って危害を加えようと計画を企てた。


 なんとか次期皇太子妃の座にしがみつきたくて。挙げたらキリがないほどに、私は過ちばかりを犯していた。


(……ああ、本当に。私は、なんてことを)


 1度目の自分を思い出すと後悔ばかりが付きまとう。

 あれは予知夢などではなく、確かに私が起こしたものだ。


 確証はなにもない。それでもあれはすべて起こったことで、私はリアという人生を間に挟んで、ローザリアとして時間を遡った。それが今のところしっくりきている。


 なぜそう思うのかと問われると、正確に説明できるだけの根拠は答えられないけれど。


(あの時の私は、皇太子妃になることがすべてだった。でも、今は違う)


 1度目は悪女ローザリアとして殺され、2度目の傭兵人生で知らなかったことをたくさん学べた。


 皇太子妃だけが、人生のすべてじゃない。


 むしろ世界は多くの可能性で溢れていて、どんなに難しくても自分から踏み出せば、生きる場所は山ほどあるんだ。


(……ディミトリアス殿下が、フェリシア嬢を皇太子妃にと望むのなら)


 私は喜んで与えられ続けた立場を放棄できる。

 人の道を踏み外してしまう前に。


 そして、もし、思い通りに事が進んだとして――


「婚約解消して皇太子妃になり損ねた私の醜聞は相当なものになるだろうし、皇都を離れるのも手よね。今はもう結婚願望も特別あるとは言えないし、この際折を見て行方不明扱いとかにして、どこか別の土地で生きていくのもいいかも。そのためには、新居も探さないとね!」


 3度目の人生、3度目の正直。

 私はこの生を全力で歩み、今度こそ死を回避したい。




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