1‐10

「まあ、どんな受け取り方でもいい。とにかく最低でも六十日に一度、規則上四十日に一度は三時間の透析を行うということだけ覚えておいてくれ」


「最大で六十日まで大丈夫だけど、余裕を持って四十日に一度、か。けど俺、まだダンピールになってそんな時間経ってないけど」


 リリアはスツールに座り直し、膝を組み替える。タイトスカートから覗くむちっとした健康的な太腿に目が行き、慌てて目を逸らした。


「ダンピールは基本的にツーマンセル。二人一組だ」


「それは知ってる」


「片方が透析をしている最中にもう片方が別のことをしている、じゃ、いざというとき任務の際に透析があってチームが組めないなんてことになるだろう?」


「あ、そうか……」


「だから、チームは二人一緒の日に透析を行うんだ」


「へえ」


「四十日に一度、各チームが透析を受ける。十日目、二十日目、三十日目、四十日目と受けるチームを決定し、透析中も任務を問題なくこなせるように運営している」


「じゃあ、瑠奈も?」


「ああ。帰ってきて透析を受けた。しかし、糖尿病患者の透析と比べれば随分いいぞ。腎臓透析は週に二、三回、四時間以上を拘束される。それを思えば四十日に三時間なんて天国だろ」


「俺は寝てたから退屈しなかっただけだ……実際三時間もなにもするな、なんて状態になったらなぁ」


「携帯でサイトを漁っていれば案外あっという間だぞ」


「その携帯が俺にはないんだ」


「安心しろ、もう部屋に用意してある。明日の朝、着替えるとき瑠奈に色々訊くといい。彼女は少し、事務的で冷たく、近寄りがたいかもしれないが……ああ見えて仲間思いだ」


「……ちょっと、スパルタだったけどな」


「はは……まあ、悪く見ないでやってほしい」


「ん、ああ。別にそんなこと思ってないし、実際質問にはいろいろ応えてくれるし……」


「……あの子については、今後色々知ることになるだろうが。あんまり軽蔑してやるな。できれば、友だちになってあげてほしい」


「……? あいつ、なにかあったのか?」


 間が生まれた。耳に痛いほどの沈黙が降りる。


「その内話すよ」


 リリアはそう言って、席を立った。機械が電子音を鳴らす。


「ちょうど終わったな」


 慣れた手つきでチューブの針を外し、小さな絆創膏を貼り付ける。治癒力があるのだからいらないと思ったが、黙っておいた。


「具合は?」


「悪くない。けど、少し腹が減った」


「残念だな、食堂はもう閉まってる。明日の朝を楽しみにしていたまえ」


「そうするよ」


「じゃあ、立てるかな。部屋を案内する」


 ずっと寝ていたから足元がふらついたが、体に痛みはないし、嫌な頭痛もしない。強いて言うなら腹が減っていて、胃がしくしく痛む程度だ。


 ここが何階なのか全くわからなかったが、途中のプレートを見ると地下五階だということがわかった。シャワールームや食堂など、各私室がある居住区画は地下二、三階らしい。


 エレベーターで地下二階へ上がり、リリアについていく。


「基本、私室はない。同性で四人で共用する。けど君は瑠奈と二人部屋だ」


「は? 瑠奈って女だよな」


「うん。間違ってもおかしなことはしないように。まあ年頃だし、わからんでもないが、君たちは大切な始祖――第三世代だ」


 リリアは目を細め、


「これから色々仕事をしてもらおうってのに、妊娠されて産休を取られたら困る」


「そんなことしないって!」


「まあそうだろうね。瑠奈も恋愛には興味のない子だし、君が欲望に耐えられず狼にならなければいいだけだ。そんなに溜まるんなら、私が相手になってもいい」


「冗談でもやめろよ……俺、そういう経験ないし、よくわからないから……」


「はは、悪かったよ。けどまあ、ダンピール内での恋愛が禁止されてるわけじゃないんだ」


「どうして?」


「むしろダンピールの子供は潜在的にブラッドアームズへの適合性を持つから、ダンピールの結婚自体は奨励されてる」


 そういえば、と奏真は思い、


「学校でも、キスとかしてるやつがいても先生が怒らなかったな。風紀を乱してるって怒る真面目ちゃんがよくいたけど……」


「外部居住区でも恋愛や結婚は奨励されている。かつて八十億いた人口は今や約八千万人。百分の一だ。ヴァンパイアを殲滅できても、人類がいなくなったんじゃ意味がない。それに、」


「それに、子供が増えればそれだけダンピールになれる人員も増える?」


「そうだね。この東海支部には二百四十六人のダンピールがいるが、戦死者も出るし新しい子が入って来るから人数は安定しない。大体二百四十、という認識でいいだろう」


「この街の人口が、確か……」


「三十二万人だね」


「千三百人くらいに一人がダンピール?」


「まあ、単純に計算するとそうなるかな。プレッシャーを与えるのは良くないんだが……君たちは一人で千人以上の命を背負ってる。その意味をしっかり考えるのも、君たちの仕事だ」


「うん……」


 部屋に着くと、リリアがほら、と言って奏真を前に出した。


「どうするんだ? 俺、鍵とかないけど」


「この施設は最新のバイオメトリクスを導入している。指紋、掌紋、顔紋、網膜、それらが鍵の役割を果たす。これ」


 リリアが指差したのは、扉の隣にあるインターホンのような機械だった。


「ここに指を押し当てると指紋を認証して、扉を開く仕組みになってる。君の生体情報は既に登録済みだ。……じゃあ私はまだ研究があるから戻るよ。おやすみ」


「あ、ああ。おやすみ」


 指紋リーダーに人差し指を押し当てると、扉のロックが解除され、僅かに内側に開いた。


 部屋に入ると、シトラス系の芳香剤の香りに出迎えられた。瑠奈の趣味だろうか。部屋は暗く、光はない。


 もうこんな時間だし、寝ているかもしれない。そう思って奏真は足音を消してこっそり部屋に入る。


 抜き足、差し足……、


「なにやってるの」


「うわっ」


 闇の中から白い亡霊が立ち上る。


 ように見えたが、それは白いキャミソール姿の瑠奈だった。


 肌の色といい髪の色といい、幽霊に見えた。


「寝てるかな、って思ってさ……起こしちゃ悪いし」


「別に、寝てはないから。電気、つける?」


「いや、いいよ。俺すぐ寝るつもりだし」


「その恰好で?」


「着替え、全部孤児院だし……」


「……こっち」


 部屋に入ってすぐ、左右に部屋がある。左はトイレで、右は着替え室だった。クローゼットが二つあり、一つには『神代瑠奈』というプレートが。


 そしてもう一つには『獅童奏真』というプレートが打ちつけられている。


「必要な着替え……部屋着や携帯なんかはそのクローゼットに入ってる。それじゃあ、おやすみ。私は寝るから」


「あ、ああ。ありがとう」


 奏真は着替え室から出ていく瑠奈を見送ってから、まずジャケットを脱いだ。このスーツは不思議と寒くも暑くもない。そういう生地で出来ているのだろう。


 グレーのベストを脱いでクローゼットを開ける。


 すると中にはブラックスーツの備えが三着と、よくわからないカーボンラバーぽい素材の黒いボディスーツの上下がが三枚。


 それから黒地に紫のラインが走ったジャージの上下が三着ある。


 空いたハンガーにベストとジャケット、ズボンを引っ掻け、ネクタイを取ってワイシャツを脱ぐ。脱いだ衣類はどうすればいいのかと思っていると、洗濯籠があった。


 しかしそこにはすでに先客がいて、瑠奈のものと思われる下着が入れられていた。


 ここに、自分の汚れものを入れていいのだろうか。


(どうすればいいんだ?)


「奏真」


 部屋の外から声を変えられて、奏真はびっくりして息を飲んだ。


「な、なんだ?」


「汚れものは一緒に入れていいわよ。洗濯は私が洗濯室でやるから」


「手間だろ?」


「一人二人増えてもなんでもない。その代わり、仕事の方では期待してるから」


「え?」


「あなたには恐らく、先天的に授かった戦いの天賦がある」


「そうかな……わかんないけど」


「羨ましいことにね。いきなりというわけじゃないけど、これからの仕事であなたには壁役や囮役もこなしてもらうことになると思うから、日常生活の面倒は私が引き受けるわ」


「……ありがとう」


「礼はいらない。ギブアンドテイクってだけ。じゃあ、私は本当に寝るから」


「うん」


 トランクスを脱いで、新しいものに穿き替え、薄い白いTシャツの上からジャージを着る。


 部屋に戻ると、左右にシングルベッドが一つずつ置いてあった。左側を瑠奈が使っていて寝息を立てている。


 よく見ると中央には液晶テレビがあり、その下に小型の冷凍・冷蔵庫が置いてある。


 奏真は空いているベッドで横になり、シトラスの香りを嗅ぎながら目を閉ざした。


 すぐに夢を見た。


 夢の中で、父は奏真に謝っていた。


「ごめんな、ごめんな。けどお前じゃなければならないんだ。『■■■■』になって、この世界を――」

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