1‐6
「生き残りの村の周辺に出た魔人の掃討、ね」
十六歳になったばかりのレナードは、三歳上の兄の顔を覗き見、その表情を窺った。いつもより暗い雰囲気だが、生真面目な顔立ちにはすぐに曇りもなくなり、弟の目を見返す。
「ああ。厄介な相手だけど、悪魔人でないだけマシだろう」
兄は刃渡り七十センチ弱の直刀を片手に、弟は刃渡り百三十センチほどの両手剣を手に森の中を進んでいた。互いに高機動遊撃員、というレヴナンツで最も過酷と言われる兵科に身を置いているだけあり、装備も気を遣っている。
レナードは鋼鉄製のヘルムにアイホールが掘られたバイザーをつけ、同じく鋼鉄製の胸甲と肩当てとガントレット、腰鎧、脚甲と揃えている。腰には道具袋をたくさん吊るし、背中には背嚢。その上から黒い外套が躍っている。
兄の方は軽装で、ギガジオダイナスという黒い色をした立った
兄が裸族なのは昔からだ。さすがに人前では下半身は隠すものの、同性しかいない相部屋の基地ではパンツも穿かないことも珍しくない。
夜の森を進んでいく。この先は確か崖になっており、兄がザイルを持っているので問題なく降りられる。
「兄さん、どこに魔人がいるんだ?」
「その捜索も俺たちの仕事だ」
調査員は獲物の調査、討伐員はその討伐を請け負うが、高機動遊撃員はその両方を任されることが多い。最も困難な任務に従事するといえば聞こえはいいが、要するになんでも屋だ。あれもこれもやれと、器用貧乏みたいなことをさせられる。
先頭を歩く兄が、不思議なことを訊いてくる。
「なあ、レナード」
「ん?」
「俺たちは、どうなると思う?」
質問の意図がわからず、レナードは思ったことをそのまま口にした。
「……? 騎士に取り立てられるんだろ? みんなそのために戦ってる」
「本気でそんなことを信じているのか?」
「どういうことだよ、兄さん」
「今年完成予定の超長射程列車砲のことは知ってるな?」
「まあ有名な計画だし、概要くらいは……」
「落ち着いて聞いてくれ、レナード。俺たちレヴナンツは、一ヶ所に集められて、それで吹き飛ばされる」
マグナスが足を止めた。振り返り、こちらを睨むように見つめる。その視線に冗談を飛ばすような気軽さは見受けられない。
「なんのために……?」
兄は嘘を言わない。それは兄弟だし、ときどきいたずらされたりもするが、こんな真剣な表情で話す兄が自分を欺くことなどありえない。
「俺たちはみんな魔物の血を引いてる。皇帝は俺たちが謀反を起こすのではないかと疑心暗鬼に陥っている。そのための列車砲だ。あいつらは作戦という名目で俺たちを一ヶ所に集め、あれをつかって俺たちを殺そうとしている」
「なら……どうするんだよ」
「逃げるんだ、レナード。俺の力が目覚めるまでは、お前は逃げろ」
「兄さんの力……?」
「ああ。どうも俺には魔物を操る力がある。理由はわからないが……俺たちが
「天魔人? なに馬鹿なこと言ってんだよ。それって世界に三人しかいない魔人だろ?」
魔人は三種類いるというのが定説だ。魔人、悪魔人、鏖魔人。
だがそれを超える、幻の、不老不死の『天魔人』なる存在がいることは、ほんの風説程度で語られているくらいだ。そんな実在するかもわからない魔人の血を自分が引いているとは到底思えない。
「俺たちの父さんは研究機関に捕らわれていた。母さんと交わった後、僅かな隙をついて脱走したって話だ」
「どこで聞いたんだよ」
「俺はレヴナンツを抜けるために仲間を作った。その仲間が集めた情報だ」
「……どうして俺には言ってくれなかったんだ」
兄はしばし黙って、青い月を見上げた。ややあってから、口を開く。
「お前を巻き込みたくなかった」
「兄弟だろ」
「兄弟だからこそ巻き込みたくないんだ。この任務で、お前は死んだことにしておく。山を越えるなり海を渡るなりして、二度とアケルダマには近づくな」
「兄さんはどうするんだよ」
「戦うさ」
そのとき、ぴくりとマグナスの眉が動いた。レナードも気づく。
「お前は東だ。俺は西側をやる。……じゃあな、レナード」
兄は、多分もう戻ってこない。だからこその『じゃあな』であり、去り際の寂しそうな視線だったのだろう。
――俺は、兄さんの足手まといでしかないのか?
マイナス方向へと進む考えがぐるぐると頭の中を渦巻く。だが考えるよりも前に切実な問題がある。
先ほど感知した、魔物の気配だ。
森を東に進むと切り立った崖に出た。こんなところに魔物はいないだろうと思ったが、直後耳を圧する咆哮が轟いた。
「来たか……」
両手剣をフォム・ダッハに構え、夜闇の森から現れる巨体を望む。
背丈は四メートルはあるか。筋骨隆々の肉体に雄牛の頭部を持つ魔物――ミノタウロス。
右手に無骨な二メートル近い大剣を持ち、ブルル、と唸りながら迫ってくる。
大きさだけなら、この倍はあるサイクロプスの方が断然恐ろしいが、しかし圧倒的に脅威なのはミノタウロスだ。サイクロプスよりも素早く、攻撃性が高い。数ある魔物の中でも強敵と認識されている。
レナード自身、まだ一人でミノタウロスと戦ったことはなかった。
生唾を飲む。汗が頬を伝う。鼓動が速くなるのをどうしても止められなかった。
「ブルルルア!」
ミノタウロスが腐葉土を蹴った。ドン、と大気が破裂するような音がして、気づいたらミノタウロスは目の前にいた。レナードは瞬時に両手剣を盾にする。ミノタウロスは二メートル以上はある大剣を軽々振るい、レナードを弾き飛ばした。
腕から肩へ衝撃が抜け、体が浮く。振動で強化した剣は折れなかったがレナード自身は衝撃に負けて吹き飛び、巨木に叩きつけられた。
「がは……ッ」
息が詰まる。早く起き上がらなければ、と思っているうちにミノタウロスが肉薄。胸に拳がねじ込まれる。
「ぐぉおおおおおッ!」
レナードはミノタウロスの拳と巨木の板挟みになり、その間で痛みに呻く唸り声を上げるしかなかった。
先に限界を迎えたのは、振動で強化していた胸甲だった。
バキン、と音がして砕け、ミノタウロスが再び腕を振り上げ、拳が胸に達する。『ストロングブースト』で肉体を強化したが、相手の威力は殺しきれない。
レナードの肉体は負けなかったが、拳の衝撃がレナード越しに巨木を圧し折った。
さらに吹っ飛ぶ。肉体が耐えられない。地面を転がり、なんとか立ち上がる。
「ブルルルオオオオオ!」
大剣が迫る。レナードはそれを振動剣で受け、衝撃を逃がすように剣を捻る。縦横無尽に振るわれる相手の剣を次々いなしていき、隙を窺う。猛攻の壁を前にレナードの攻撃の余地はない。
だが、剣が届かないのなら魔術を届かせればいい。
レナードは右順手に剣を握る。並の人間では刃渡りだけで百三十センチもあるようなこんな剣、片手で持ち上げて満足に振るうことなどできない。レヴナントだから――兄の言葉を信じるならこの世に三人しかいない天魔人の血を引くから――こそできる芸当だ。
片手で相手の攻撃を捌き、左手に魔力を集中。
「『ショックフィスト』!」
相手の剣を横に流した直後、レナードは左手を相手にかざした。そこから大気が波打つような現象が発生し、凄まじい速度で相手に打ちかかる。目には見えない巨大な拳が相手に突っ込んだ。
ミノタウロスが吹き飛ぶ――その間に剣で心臓を抉るなり頭を潰すなりして大打撃を、と思っていたが、驚くべきことにミノタウロスは『ショックフィスト』を耐えた。
「!」
倒れるものと前提として駆けていたレナードの足が一瞬止まる。本能的ともいえる判断で剣を左手に持ち、右手に魔力を集中し、衝撃波シールドを展開した。
そこに、ミノタウロスの大剣が激突する。
想像もできない破壊力が迫った。まるで蒸気エンジンジープに激突されたかのような――いや、それ以上の馬鹿げた力。
畢竟、衝撃波シールドはすぐに限界を迎えた。腕を失いたくない一心で『ストロングブースト』を右腕に全力発動し、剣の一撃を受ける。
皮膚は裂けなかったが、衝撃は殺しきれず、骨が砕けたのが涙をにじませるほどの激痛で理解できた。
「ぐぁ……」
左で剣を捌かなければならない。だが、これまで左手だけで剣を振るったことなど一度もなかった。
どう振るえばいいのかさえわからない。
殺される。
そう思った直後、足下で底の見えない穴の蓋が空いたような、言いようもない恐怖が押し寄せた。
死ぬことへの本能的な恐怖。
兄の言葉を信じようとしなかったのも、つまるところそういうことだ。
死ぬのは怖い。そんな当たり前な思いがレナードを突き動かした。
気づけば遁走していた。兄の言う通り、こんな危険な国からは逃げるべきかもしれない。
背後からミノタウロスが迫ってくる。剣を背中のフックに引っかけ、蒸気式圧搾注射器を取り出すが、慣れない左手でまさぐっているうちに落とした。拾おうと足を止めたのがそもそもの間違いだった。
「が――ッ!?」
レナードの足が止まったのを見計らって振るわれた大剣が、レナードのチェインメイル越しに激突し、体を吹き飛ばした。
そして、運が悪いことに崖を越え、落ちる。
浮遊感の最中に感じたのは、兄に必要とされなかった不甲斐なさと、兄に見捨てられたのかもしれないという絶望だった。
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