第七章 佐渡屋清右衛門の依頼
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「こちらが、『深川白狐組』の屯所のある、験楽寺ですかな?」
葛木欽史郎を捕えて、三日後、験楽寺の本堂前の庭を箒で掃いているダイゾーに、そう声をかけたのは、大店の主人か、番頭なら、一番番頭と思われる、上等な着物に羽織袴、茶系統で統一された上品な博多帯も高級感がある。
「はい、左様です。何か、お困り事のご依頼でしょうか?」
「あなたは、白狐組の方ですかな?」
と、男は寺男にしか見えない、ダイゾーを見下したかのような、視線を向けて、尋ねた。
「はい、ダイゾーと申します。お上から、白狐組の一員と認められております。普段は、このような仕事をしております。寺の居候なもので……」
「ほう、では、話を訊いていただけますかな?」
「では、中のほうへ……」
ダイゾーは箒を片付けると、男を屯所代わりに使用している、禅海和尚の居宅の居間に案内した。
「少し、お待ちください」
男に座布団を勧めて、ダイゾーは座敷をあとにする。和尚は、読経中。浄庵と豪左衛門は、大師堂のお栄を診ている。清十郎は最近、近所の寺子屋の臨時教師を頼まれて、子供に囲まれている頃だ。
左乃助と竜斎とお市は、元、嵯峨屋の事件現場を再調査している。銀狼と一緒にいた、主人風の男と、殺された三人を土蔵に運んだ子供たちを調べているのだ。
左乃助の養父の小林亮吾郎は、大師堂裏の空地で弓の稽古をしている。江戸へ出てこい、と誘いをくれた、同門の男と落ち合う日時が近づいており、弓の腕前を披露することになるであろうと考えてのことだ。
ダイゾーが亮吾郎に声をかけて、大師堂の前で、柏手を叩いて、何やら、願い事を述べる。中にいる、浄庵への秘密の伝言(メッセージ)だ。浄庵は地下道を経由して、本堂に向かう。和尚と合流し、一堂──豪左衛門は、お栄の護衛に残り──が居間に集まった。
「お待たせしましたな……」
と、和尚が言った……。
※
「わたしは、佐渡屋清右衛門と申します。今は、両国にて、両替商を営んでおりますが、半年前は、嵯峨屋と申す両替商の一番番頭を務めておりました」
と、験楽寺の和尚の居宅の居間に正座している、商人の客が自己紹介をした。
「嵯峨屋といえば、半年前、押込みに入られ、一家、使用人が皆殺しにされた、あの嵯峨屋ですかな?」
と、和尚が尋ねた。
「はい、その嵯峨屋でございます」
「使用人もひとり残らず、まだ、子供の丁稚まで殺されたと訊きましたが……?」
「はい、ご疑念になるのはもっともでございましょう。わたしは一番番頭で、通いでございました。やっと妻を娶り、暖簾分けの話も出ていたのでございます」
佐渡屋は、半年前、嵯峨屋の大番頭であり、妻と別所帯を構えていた。そのおかげで、押込みの難を免れた。ただひとりの生き残りであったため、事後処理に追われ、嵯峨屋の数少ない親戚に頭を下げ、両替商の組合の面々にも、それなりの手立てを施し、嵯峨屋の跡を継ぐ形で、両替商『佐渡屋』を立ち上げたのだった。
「幸い、組合の中でも大店の加賀屋さんが後押しをしてくださいまして、嵯峨屋の親戚から、番頭、手代を集めまして、嵯峨屋の取引先の何割かを引き継ぐことができました。やっと、商売を始められるようになりました……」
そこまで語って、清右衛門は膝の前に置かれた、茶碗を手にして、一口喉に通した。
「私事が長くなりました。今のわたしの立つ位置をお話せねば、今からのお願い事の理由がわかりづらいと思いまして……」
「その願い事とは?」
「はい、先日の嵯峨屋の屋敷跡で見つかった、三名の死体の件でございます」
「うむ、土蔵に刀傷のある死体があった事件じゃな?南の奉行所が調べておるはず。何か心当たりがあるのであれば、奉行所に申し出すればよい」
「いえ、心当たりではございません。嵯峨屋を襲ったのは、将棋組とかいう、凶盗であったそうでございます。恩ある主人の家族、店の仲間を殺した賊どもは、ここの『深川白狐組』が退治いたしたそうでございますね?まずは、主人の仇を討っていただいた、お礼を申し上げます。しかし、土蔵に棄て置かれた三人は、どうやら、将棋組の別動隊の仲間割れとか、目明しの親分に訊きました。ならば、まだ、仇討は終わっていない。しかも、主人の屋敷が賊に利用されていたとは、許しがたいことでございます。わたしの願いとは、将棋組を壊滅していただきたい、それだけでございます……」
北町の同心、葛木欽史郎が将棋組の銀狼という仕事人であり、元、目明しだった茂平親分がお縄にしたことは、箝口令が出ており、庶民には知られていないはずだった。しかし、人の口には戸は立てられぬ。朝の時間帯に、縄付きの同心姿が、南町奉行所に引き立てられた様子を目撃した者もいれば、箝口令が敷かれる前に、目明しの間では、評判になっていたのである。
どうやら、佐渡屋は善三親分に訊いたものだと思われる。自らが働いていた店で起きた事件である。善三親分が佐渡屋に訊き込みをして、三人の身元や、嵯峨屋の屋敷を利用している者がいないか、確認したはずだ。町奉行所では、盗賊一味の仲間割れによる、殺人として、調査している。そこに、将棋組のひとりが捕まったことで、その賊が将棋組だったと、噂が拡がってしまったのだ。
「商売が順調に運ぶようになりました暁には、白狐組の後ろ楯をさせていただきます。今は、些少でございますが、調査にかかるご費用にあててくださいませ……」
と言って、佐渡屋は丸餅を四つ、百両を袱紗に乗せて差し出した。
「これはこれは、痛み入る。金はないよりあるに越したことはない。まあ、将棋組のことは、白狐組としても捨て置けぬことと考えておる。佐渡屋殿のご期待に応えられるよう、調査を続けるつもりじゃ」
「何とぞ、良しなに……」
そう言って、佐渡屋は帰っていった。
その背中を見送りながら、ダイゾーが傍に立っている亮吾郎に呟いた。
「嵯峨屋の屋敷に銀狼と一緒にいた、商人風の男、おそらく、将棋組の幹部のはず。その男、嵯峨屋と関係があった人間のような気がします。今の佐渡屋のような……」
2
「わたしは、嵯峨屋の屋敷にいた主人風の男の顔を見ていないのです。声と、座敷に三人と向かい合っているところを、床下に入る前に、障子の僅かな隙間から覗いただけですから……」
そう言ったのは、町娘姿のお市だ。佐渡屋の店先から主人の顔を眺めていたのだ。
傍らには、ダイゾーが、ハチを連れて立っている。佐渡屋清右衛門が、嵯峨屋の屋敷にいた主人風の男ではないか?と疑ったダイゾーが、お市を連れて、首実検にきたのだった。
「ハチもその男の臭いは知りませんから……、では、わたしが佐渡屋さんに話しかけます。その声を訊いてもらいましょう」
ダイゾーはそう言って、店先で丁稚らしい子供に指示をしていた主人に近づく。
「佐渡屋さん、先ほどのご依頼の件で、少し、お訊き逃したことがありまして、いえ、簡単なことです。嵯峨屋さんのお屋敷は、事件後どなたが管理していましたでしょうか?」
「ああ、それは、目明しの善三親分にも訊かれました。嵯峨屋の親戚のひとりが一応管理することになっておりました……。が、なにぶん、皆殺しがあった場所。地元の番屋のかたと、あの辺りで家主をしているかたに、火の用心だけを頼んでいたそうでございます。そのことで、盗賊一味に屋敷跡を利用されたとして、何かお咎めを受けるでしょうか……?」
「いや、善三親分に些少の付け届けをしておけば、問題にはなりませんよ。では、またお訊きすることがあれば、伺います」
ダイゾーがそう言って、背を向けると、清右衛門が袂に一分金を入れようと差し出した。
「ご主人、わたしに、心付けは要りませよ。目明しではないので……」
「さようで……?」
と、清右衛門はその金を懐に仕舞った。
ダイゾーがお市のほうを見ると、お市は首を横に振った。嵯峨屋の男ではない、ということだった。
「確実ではないですが、声は違っています。嵯峨屋の男がわざと声を変えていたのなら解りませんが……。今の主人はまだ、番頭時代のしゃべり方が抜けていませんね?嵯峨屋にいた男は、上からものを言う感じの、根っから、主人か、盗賊なら頭のような口調でした。葛木という同心にも、命令調で『銀狼、引き払うぞ』と言っていましたから……」
「なるほど、銀狼と同等の四番隊の四天王か、その上の頭……角の角山かもしれませんね……?」
※
「佐渡屋ではなかったか……」
と、禅海和尚が言った。
「だが、ダイゾーの勘は的外れではないようじゃ」
と、その傍に座っている浄庵が言った。
「お市の言ったとおり、銀狼より格上の者なら、其奴の世間での顔も、ただの町人ではあるまい。三番隊の頭、飛炎が大寺の住職であったように、四番隊の頭となれば、それなりの地位の者。大店の主人ということもあり得る……」
「なるほど、将棋組の組織の形を考えれば、上位の者は、それなりの地位の者だろうな……角山という頭は、大商人か……」
「ならば、嵯峨屋、佐渡屋、その辺りから探りを入れるのが、常套手段であろう」
「豪左衛門さん、捕えた、見張り役のふたりの浪人は?」
と、ダイゾーが尋ねた。
「どちらも、小物だった。嵯峨屋の屋敷跡で殺された浪人に誘われて、楽な割りに金になる仕事がある、という話に乗ったそうだ。ただ、まだ怪しい点もあり、金太を預けた、寺社奉行の松平能登守さまの屋敷牢に入れている。葛木という同心とは、面識はないようじゃな。雇い主の顔も知らぬと言っている」
「松平さまは、金太の取り調べから、道念を死体ではあったが、捕えられて、寺社奉行の間で評判が上がっておるそうだ。配下の河原三十郎が、礼を言いにきておった。あやつ、褒美を貰うたはずじゃが、我々には回って来ぬな……」
「禅海、坊主が欲ばったことを申すな!佐渡屋から、たんまり、貰うたではないか、寺社奉行には、この寺の格付けなど、目に見えぬ恩恵を受ければよいのじゃ」
「こんな末寺に格付けは要らぬワ!竜斎殿にお市さん、亮吾郎殿と、新たな隊員ができたのじゃ、タダ働きにはできまい!金はいくらあっても腐りはせぬワ!」
「まあ、組織の運営には金が要る。しかし、坊主の言うセリフではないのう……」
「まるで、大店の主人のようですね?」
と、浄庵の言葉を補うように、ダイゾーが言った。
「ああ、禅海が将棋組の頭といわれても、誰も驚かぬであろう……」
「浄庵!それは冗談でもいい過ぎじゃ!お主のほうが、疑われるワ!」
「どっちも、どっちじゃな……」
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