幕末・深川・奇人・サーガ 【 第二部 激闘 編】
@AKIRA54
第一章 茂平の依頼
1
「深川白狐組に頼みがあるんだが……」
将棋組の三番隊といわれていた、押込みの組織を壊滅させてから、一月ほどたった朝のことである。太い武骨な杖をつきながら、深川の小さな真言宗の寺、験楽寺の石段を登ってきた、初老の町人髷の男が、本堂前を竹箒で、掃除していた、寺男と思われる青年に声をかけた。
「どちら様でしょう?」
と、箒の動きを止め、作務衣姿のダイゾーが尋ねた。
将棋組の頭目──四天王と呼ばれている──のひとり、飛車の飛炎こと、道念を倒し、その顛末をかわら版に載せて、深川はもとより、江戸市中にばらまいた効果か、『深川白狐組』の名は、世間に知られることとなった。
江戸の庶民は、新しもの好きで、アメリカ国の探偵局のような、この組織に興味を示し始めた。毎日のように、相談ごとに訪ねてくる老若男女が現れたが、どれも、取るに足らない案件ばかり。結局、番屋か、町名主へ差し戻しとなることが続いていたのだ。
だが、この初老の男には、ただ者でない雰囲気をダイゾーは感じとった。ヤクザではないが、場数を踏んでいる?修羅場を経験している?そんな気がしたのだ。だから、白狐組への依頼も、冷やかしとは思えなかった。
「おめえさんがダイゾーさんかい?記憶がないが、剣の腕は鬼神のようだ、と評判の……?」
男は名を名乗らず、ダイゾーに質問をして、左手の杖をダイゾーの正面にゆっくりと持ち上げていく。
「はい、ダイゾーはわたしですが、鬼神のような腕前ではありませんよ」
杖の先がダイゾーの喉の高さまで、上がって、ぴったりと止まった。
「ふむぅ、この杖の位置でも、身構えないか?いつでも、かわすことができるということか……?」
「ご老人、身構えないのは、あなたに突く気がないからですよ。それより、お名前を伺うことが、都合悪いのでしたら、ご用件を伺いましょうか?」
「源吾から、訊いていたが、源吾の話以上のようだ。いや、すまねぇ、おめえさんに興味が湧いて、名を名乗らねえで……、オレは茂平という……」
「茂平さん?ああ、捕物名人の……、ましらの源吾親分の大親分さんですね?足を怪我されたとか?杖があれば、歩けるようになったのですね?」
茂平という初老の男は、数年前まで、本所、深川辺りを縄張りとしていた、目明しで、源吾の親分だった人だ。将棋組のひとり、桂馬の桂三を捕らえようとして、左足の腱を切られ、十手を返上した。
「ああ、左足かい?浄庵先生のおかげで、腱がつながった。それから、少しずつだが、足に力をかけていって、脚の周りを鍛えたり、曲げ伸ばしをして、まあ、元通りにはならねえが、杖があれば、階段も登れるようになった」
「それは良かった。ましらの親分もひと安心ですね?で、捕物名人の茂平さんが、白狐組になんのご依頼なんでしょう?」
「オレの心残りだった、事件を、白狐組にもう一度、調べ直して欲しいのヨ」
「心残りな事件?」
「ああ、オレの女房が疑われた、勘助という、遊び人が毒殺された件ヨ。源吾から訊いたのだが、あの事件には、将棋組のもうひとつの隊、殺しの請け負いをする連中が関わっていたそうだな?」
茂平の女房、お糸は、煮込みものなどの惣菜を自宅で造り、販売していた。勘助という遊び人が、その、お糸が造った、コンニャクの田楽を食べて、亡くなったのだ。死因は毒殺。お糸は、通りかかった、北町奉行所の同心に容疑者として捕らえられ、きつい取り調べのあと、釈放されたが、身体を壊し、帰らぬ人となった。
将棋組の金将の金太を取り調べた折、勘助が、将棋組の第四番隊──暗殺を請け負う集団──の手下であることが判明したのだ。
「勘助殺しの件ですね?ええ、左乃助さんから、訊いています。ましらの親分とふたりで、ずいぶん、調査したけれど、犯人はわからなかったそうですね?」
「ああ、仕事人の一味の仕業なら、あとが残らねえようにしているだろうからな。しかし、犯人は仕事人、しかも、将棋組だとわかったんだ。雲をつかむようだった、前の調査とは、変わってくるはずだ。それと、仕事人の犯行なら、オレもずいぶん関わっていた。それらをつなぎ合わせば、かなり、真相に近づけるんじゃあないかと思ってな。依頼でもあるが、協力させてもらいてぇんだ」
「そうですね!あの当時、仕事人らしき犯罪が多発していて、茂平さんはそれを重点的に調べていなすった。是非、ご協力をお願いします。さあ、座敷のほうへ……、和尚と浄庵先生が将棋をさしていますから……」
※
「おう、茂平親分、かなり歩けるようになったな?」
初春の穏やかな日射しの当たる縁側に、本榧造りの将棋盤を持ち出し、盤面を睨んでいるのは、僧衣の男と作務衣に袢纏を羽織った町医者だ。ダイゾーに案内されてきた客人に禅海和尚が声をかけた。
「相変わらず、ヘボ将棋ですかい?どれ?和尚!おめえさんの王は詰んでいやすよ!攻め手なんぞ考えている場合じゃあないですよ」
「なに?あっ!ここに桂馬を打たれたら、詰みか?」
「おいおい、茂平親分、助言はなしにしておくれよ」
「あっ!こりゃ、すまねぇ!」
「親分、浄庵先生は、その桂馬で王手の詰め手を考えてはいなかったようですよ。銀を手にしていますから……」
「なに?じゃあ、助言をしてもらったのは、浄庵のほうか?」
「まあ、和尚の王はどうあがいても、詰みですね。合い駒が効きませんからね」
「うむぅ!ダイゾー、おまえ、いつ将棋を覚えた?」
「おふたりの対局を見て覚えました」
「岡目八目か?確かに、勝負ありじゃな。投了じゃ」
「まあ、茂平親分が相談事があるそうですから、将棋はそのへんで……」
「相談事?よし、まあ上がってくれ。ダイゾー、お茶を頼む」
ダイゾーが一礼して、台所へ向かうのと入れ替わりに、着流しに羽織を重ねた、二本差しの男が、中庭に入ってきた。
「おお、太田の旦那、久しぶりですなあ」
と、茂平が声をかけた。
「おお、茂平か、歩けるようになったか?」
と、元南町奉行所同心、太田豪左衛門が笑顔を浮かべて問いかけた。
「ええ、こちらの浄庵先生のおかげで……」
「そうか、それは良かった。だが、無理はするな。足の腱は切れやすいというからな」
「へい、それは先生からも訊いています」
「豪左衛門殿、白狐組への依頼のカタはつきましたかな?」
と、浄庵が話題を変えた。
「ああ、大工の頼みで、美人の女房の行動が怪しいってことだったが、なんのことはない。亭主に内緒で、蕎麦屋の手伝いをして、日銭を稼いでいただけだった。亭主にいえば、大工の稼ぎで暮らせないのか!と怒鳴られると思って、内緒にしていたそうだ。子供に習い事をさせてやりたいらしい。まあ、詳しくは、後で話そう。それより、茂平は何の用なんだ?」
豪左衛門はそう言って、腰の刀を鞘ごと抜いて、茂平の横に腰を降ろした。
「ワン、ワン」
と、犬の鳴き声がしたかと思うと、黒毛の柴犬と、背の高い若者が、中庭に駆け込んできた。
「おお、左乃助も帰ってきたか、清十郎は子供の世話か?」
と、和尚が言った。
「ええ、寺子屋の子供に頼まれていた、迷子の猫を見つけまして、清十郎さんが届けにいってます。ハチのおかげで、なんとか探し当てました。メス猫で子供を産んでいまして、子猫の引き受け先を頼んでくるそうです」
「おやおや、夫婦の疑惑に、迷い猫探しですかい?白狐組も大変ですねぇ」
と、茂平が左乃助の顔を見上げながら言った。
「まあ、どちらも、近所の住人の頼みじゃから、無下に断ることもできんでのう」
「大事な檀家筋じゃからな……」
「浄庵!ワシはそのような差別はせぬぞ!宗派違いでも……」
「道念の居った、厳覚寺が、和尚が居らぬし、将棋組のアジトに使われて居ったゆえ、檀家を辞める者が増えているそうじゃ。宗派違いでも、とは、そういう意味かな?」
「じょ、浄庵!そこまで言うと、洒落にならぬぞ!」
「まあまあ、檀家の話は置いておけ。ダイゾーが茶の用意をしてくれた。座敷に上がって、皆で、茂平の話を訊こうではないか……」
2
「勘助殺しか……?」
と、茂平の話を訊いて、禅海が言った。
「左乃助、おまえはあの事件の捜査をしておったな?容疑者とか、怪しそうな者は見つけられなかったのか?」
と、浄庵が言った。
「はい、まったく、五里霧中状態で……」
「でも、勘助を殺ったのは、将棋組の四番隊だとわかったんですよね?銀狼とかいう奴の仕業らしい。毒も特殊なものだったんですよね?そのへんから、再調査をしてみましょう。将棋組はなんとしても壊滅させたいですから……」
「うむぅ、ダイゾー、言うは易いが……、ワシも現役当時、仕事人の仕業らしい事件を追っていたが、解決できたものは……なかった……」
「つまり、奉行所や目明しのやりかたでは、尻尾は掴めないってことですね?」
「ダイゾーさん、何か方法があるんですかい?」
「我々が、依頼人になる、って方法もあるし、我々が、仕事人の仕事を取り上げる、って手もありますよ」
「我々が依頼人になるのは、解りますけど、仕事を取り上げるってことは、我々が殺しを請け負うってことですかい?」
「そのふりをして、新たな殺しの組織ができたと、かわら版に載せるんですよ」
「おお、かわら版を使うか!なるほど、仕事を取られたと、思わすことはできそうじゃな……」
「浄庵!簡単ではないぞ!」
「いやいや、噂になれば、それでいいのだ。実際に、殺しをする必要はない!例えば、大川に浮いた土左衛門の死体を我々が殺したと、かわら版に載せれば良いのだ。死因のはっきりせぬものは、どれも利用できる。町奉行所と示し合わせれば、かなりの死体を仕事したことにできよう」
「なるほど、噂ならすぐにでも広められる。将棋組の仕事を別の組織が請け負いだしたとなれば、将棋組も黙ってはおるまい」
と、豪左衛門が感心したように言った。
「それなら、山田の旦那か、萩原さんに、最近の未解決の死体を教えてもらいましょう。毎日、ひとつやふたつは、江戸の町には、死体がありますから……」
「それを、さも、殺人らしく、左乃助さんが、かわら版に書いてくださいね」
「ワシが、仕事人の元締め役をするかのう?」
「坊主が元締めは可笑しかろう!町医者のワシが元締めだな……」
「どっちもどっちじゃな……」
※
「こいつはどうだい?首つりの死体だ!自死に仕立てた、殺し、って奴だ!」
と、左乃助が言った。
「ダメですよ。そいつは、借金取りに追われて、女に振られて、世をはかなんで首を吊ったんですよ。しかも、誰もそいつを殺したい人間がいないですから……」
と、ダイゾーが応える。
「なるほど、誰かに、恨まれている奴でないと……」
「まあ、そこまでは絞らなくてもいいでしょう。死因があやふやか、死ぬ理由がない人間なら、恨まれているか、いないかは、解りませんからね」
与力の萩原から回ってきた、最近の死体の一覧表を左乃助とダイゾーが吟味しているのだ。
「おっ!こいつはどうだ?小間物屋の手代が食当たり。河豚の毒らしい、ってのは?」
「いいですね!丸を付けておいてください」
「辻斬りってのは?」
「金を取られていますか?」
「ああ、買掛金の回収金を持っていたはずだとよ。金目当てか……、ダメだな」
「いえ、それも丸印です」
「ええっ!恨みじゃねえですぜ?」
「金か?恨みか?書き方で変えられます。それと、そいつは、将棋組の仕事ではないようですから……」
「あっ!そうか、本元の仕業だったら困るよな、嘘がバレるから……」
「女の水死があります。自殺のようですけど、これも使いましょう。あと、ヤクザがいざこざで刺し殺された事件。目撃者がいないそうです。これも使えます」
「しかし、江戸って町は死体が多いんだな。病気もあるが、事件や事故も……」
「人間が多いですからね。あっ!大八車に轢かれた遊び人と、夜中に酔って、川に転けた職人。これも使えそうですよ。目撃証言がなくて、事件とも考えられそうです」
「よし、これくらいあれば、新たな殺し請け負いの組織ができたと、でっち上げられる」
「ええ、事件性がある、と思わせ、曖昧な表現にしましょう。殺しを依頼した人物が、ポロッと、口を滑らしたってことで、仕事人の組織がある、ということが判明したかのような記事にしましょう」
「そこら辺は、大袈裟、且つ、面白、可笑しく……、任してください……」
※
「かわら版の評判は、上々ですぜ」
左乃助が、新たな殺し請け負い業者の存在と、その組織の犯行と思われる事件と、殺しの依頼人の証言を面白、可笑しく、かわら版に載せて、茂平の元手下たちを使って売りさばいた数日後。験楽寺にやってきた、源吾が和尚に告げた。
「うむぅ、あまりに上々過ぎて、ここへ、殺しの依頼人らしき、大店の主人と思われる男と、同じく、町家のお内義が、顔を隠して訪ねてきたワ」
と、禅海が笑って言った。
「それで、何て答えたんです?」
「さて?噂は訊いておるが、ワシところではないぞ。本気で依頼するのであれば、ツテを当たってみるが……、と言って、反応を伺ごうたのだが、どちらも、出直す、と言って、帰っていったワ」
「冷やかしか、まだ決めかねているか、どちらかでしょうね?でも、それだけ、あのかわら版には、真実味があったってことですぜ。それで、左乃助兄ィと、ダイゾーさんは?」
「茂平が当時、追っていた、仕事人の仕業と思われる事件を洗い直しておる。豪左衛門も自分が関わった事件を再吟味している。何処かに、共通点が見つかり、仕事人への橋渡しをする人物が特定できぬかと考えてな」
「アッシもお手伝いしたいんですが、お上の用がありやして、火事が多くて、火付けの疑いがあるそうで、見回りを強化してくれ、とのお達しで……」
それじゃあ、と言って源吾は立ち去っていった。
和尚が、縁側から、腰を上げて、奥に入ろうとした、その背中に、
「あのう、このかわら版に書かれている、事件のことで、お尋ねしたいことがあるのですが……」
と、女性が声をかけてきた。
禅海が振り向くと、中庭に、紫色のお高祖頭巾をかぶった、若い女が立っていた。着ている着物から、町人の既婚者、そこそこ裕福な、お店の内義と思われる。
「かわら版がどうかしましたかな?」
と、禅海は座敷の高い位置から女に問いかけた。
「はい、このかわら版に書かれいる、水死した女のことで……、本当に自殺ではなく、この殺し請け負い業者に殺されたのでしょうか?」
「水死した女?いや、立ち話をする用件ではないようじゃな?」
禅海はそう言って、女を座敷に上がってもらった。
「少し待ってもらえるかな?そのかわら版に詳しい者を呼ぶから……」
禅海は懐から、小さな笛を取り出し、口に咥えた。音のしない犬笛だ。ハチを呼べば、一緒にいるダイゾーか左乃助が帰ってくることになっている。
茶を用意する、と席を立ち、急須を準備したところへハチの声が聞こえてきた。
黒い犬と一緒に、ふたりの若者が駆け込んできたことに、お高祖頭巾の内義は驚いたように、まあ!と言って、腰を浮かした。
「和尚、お呼びですか?」
と、ダイゾーが言った。
「おお、早かったな、かわら版の件で、このお内義が用があるそうだ。ふたりに訊いてもらったほうが良いと思ってな……」
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