He Killed My Summer

けむり

1

 恥の多い生涯を送って来ましたという書き出しを思い出していた。

 大学の構内は、夏休みだからか、それとも灼熱の日差しの中わざわざ外出する気にならないのか、人の姿はまばらだった。敷地のはずれにある背の高い草むらの中を汗だくになりながら歩いている。

 俺は今から死のうと思っている。


 一浪して入学した美大にはろくな思い出がなかった。

 第一に創作に対する劣等感が俺を嬲るのだ。現役合格できなかった自負はあるから、俺は予備校で絵を描くマシーンになっていた。その数年間から解放された喜びもつかの間、自分の立ち位置を実感したのは最初の講評でのことだった。俺は井の中の蛙だったことをこれでもかと思い知らされた。

 第二に人間関係に対する劣等感が俺にとどめを刺す。人付き合いというものへの苦手意識はある。それでもクラスの端で過ごしてきた中学や高校とは違うだろう、同じ志を持って門戸を叩いている者同士だ。正直俺みたいなオタクが多いだろうとも思っていたからなんとかなる……と思っていた。思っていたが、グループ授業での自分の疎外感と無能さに心が折られた。

 周りの奴らは課題でも友達づくりでもどんどん先へ進む。追いつけないまま置いていかれる。「待って」と声をかけることもできないまま、遠くなる背中を見ながら息切れしていく日々。


 暑い。太陽がじりじり照りつける中、歩き回っているうちに体力を奪われていた。


 大学で失敗を続けるうちに、俺はどんどん駄目になっていった。

 人とかかわることがひどく億劫になったし、頭の中も身体もデバフがかけられているように無気力な感覚だ。気怠い日々を過ごしてうまくいっている同級生に羨望と嫉妬を抱いた。自分が醜くくすんでいくのを感じるようだった。

 目標を叶えたはずなのに、憧れだった場所のせいで俺は俺でなくなってしまった。

 だから俺はこの生き地獄のような場所に復讐がしたかった。俺の死は事件になり、世間に衝撃を与え、大学の名前にきっと傷を残すだろう!

 首を吊るためのロープは構内にある画材店で買った。適当に購入したが千円札を出してお釣りが来た。それが俺の人生を終わらせるのだ。


 無駄に広いこの大学には染料植物を育てる施設があり、テキスタイルの授業で使用する以外はほとんど人が立ち入らない。その近くにある頑丈そうな木を使おうと思っている。

 植物園のドーム型の屋根を臨む場所で足を止める。

 のろのろと準備していたロープを枝の上の方にくくりつけた。見上げると汗が目に入って不快だった。

 覚悟はできていたはずなのにいざとなると足取りが重くなる。臆病な自分にまた嫌気がさして首を振った。

 固く締まったロープは強く握ると痛いくらいだった。力が入らなくなるような感覚がして、二、三度手を開いたり閉じたりする。

 後悔はないかとか、これまでの人生を振り返ってとか、そういった隙は作らない。ただ殺意をたぎらせて、ぐつぐつになったところで地面を蹴る。

 そのイメトレを繰り返して、繰り返して、繰り返して……。


「何やってんの」


 突然かけられた声に大げさに背中が跳ねた。

 振り返ることができない。俺はこの声を知っている。

 文字どおり硬直していると草を踏みしめる音がして、人の気配を感じた。


「死ぬならもっとマシなところでやりなよ」

「っ……!」


 絶句。

 思いもしなかった針で刺すような言葉につられて振り返ってしまった。

 隣に立って先ほどまでの俺のように結び目を見ているのは同級生の茉莉だった。


 茉莉霊二まりれいじ

 同じ油画専攻。

 現役生。

 肩までつく明るく脱色した長髪をいつも結んでいる。

 会話したことはないがよく知っている。講評でいつも褒められているから苦手だった。

 自分にないものを全部持っている人間だと決めつけて遠ざけていた、エリートの奴。


「油画の人?」


 俺の顔を見て、確かめるように眉をひそめた表情で問われた。個人として認識されていないような物言い(いや絶対そうだ)が思ったよりショックで緊張が吹っ飛ぶ。わなわな震えていると、茉莉は勝手に話を続ける。


「こんな場所で死なれたら俺が第一発見者になりそう」

「……」


 とっさに言い返そうとしてもまったく言葉が出てこない。

 嫌になるくらいまっすぐで切れ味の鋭い視線が、怖いと思ったら、あまりにもみじめで視界が暗くなってくるようだった。


(……あれ?)


 比喩ではない。視界がどんどん暗くなる。衝撃があって背中に地面を感じる。打ちつけて痛い、と思うのに息が漏れるだけで、茉莉の声が頭上から降ってくるのを聞きながら、目の前は黒く塗りつぶされた。

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