▶︎PLAY 〜密室の第三者〜

木月 大羊

序章.プロローグ

 私は、なぜここに座っているのでしょうか?

 ……もう、よく分からなくなってしまいました。


 締め切られた部屋を見渡しても、何もありません。無機質な空間に、換気扇の音だけが静かに響いています。


 本当に、一万円のために、あんなものを見るんじゃなかった……。

 どうか、黙って見ていないで、ここから私を助け出してください……。



 ◇ ◇ ◇



 乗り気じゃなかった。


「こちらの部屋になります」


 栗山くりやま拓海たくみ片野かたの美咲みさきが店長に案内されたのは、カラオケルームとは思えないほど高級感漂う八畳ほどの部屋だった。深紅のカーペットが敷かれ、壁一面を覆う大画面スクリーンが堂々と鎮座している。


「わぁ、まるでミニシアターみたい!」


 美咲は目を輝かせて部屋に飛び込んだ。一方、拓海はどこか落ち着かない様子で周囲を見回した。ラグジュアリーな映画館の雰囲気の中、隣室から漏れるカラオケの歌声が奇妙な違和感を添えていた。


「この部屋は特別仕様でして」

 店長はにこやかな笑みを浮かべ、テーブルにウーロン茶のグラスを二つ置いた。

「プロジェクターと本格的な音響設備を備えており、時々映画の上映会にも使われるんですよ」


 拓海が見上げると、天井にはプロジェクターと複数のスピーカーが配置されていた。


「……別に普通のカラオケでもよかったけどな」

 拓海の小さな呟きは、美咲の耳には届かなかったらしい。


「ここで上映するの? いいじゃん!」

 彼女は嬉しそうに部屋を見回し、拓海の袖を引っ張った。


 本来の目的はカラオケだったが、受付のポスターを見た瞬間、美咲が「やっぱりコッチが見たい!」と盛り上がり、シアタールームへ急遽変更になったのだ。


「……まぁ、美咲が良いなら、構わないけど」

 拓海の小さな抵抗は、彼女の熱意に瞬く間に飲み込まれた。美咲は「面白い」と思ったら一直線で、周りのことなど気にしない性格だ。


 付き合い始めた頃も、そうだった。子供が引っ掛けた風船を取るため、彼女は迷わず高い木に登った。ところが、降りられなくなり、高所が苦手な拓海が勇気を振り絞って助けたのだった。


『拓海なら、きっと助けに来てくれるって思ってた!』

 木の上で屈託なく笑う美咲に、拓海は呆れつつも安心したのを覚えている。いつも彼女の勢いに巻き込まれ、楽しそうな笑顔を見ると断れない。


「それにしても、こんなタイプのビデオ上映会って、あるんですね」

 美咲は店長に話しかけると、店長はにこやかに答えた。

「ええ、この配給会社のキャンペーンが少し変わっていて、うちでも初めての試みなんです」


 ポスターにはシンプルなフォントでこう書かれていた。


【 ▶︎ PLAY THE GAME ◀︎ 】


 タイトルか選択肢かも分からないその言葉のすぐ隣に、小さな文字でこう書かれている。


【 このビデオを最後まで見ることができた方には、一万円を差し上げます 】


「絶対ヤバいやつだよね! 楽しみ~!」

 美咲が信じられないことを言った。


「……全部見るだけでお金がもらえるって、どういう仕組みですか?」

 拓海は平静を装い、明るく尋ねた。

「実は、うちの店からお金が出るわけじゃなくて、ビデオを制作した会社が支払うんです」店長は笑顔で答えた。


 まるで「30分以内に食べ切れば1万円」のチャレンジのようだが、ビデオでそんな企画を聞いたことがない。


「面白そうだけど、今どきわざわざVHSって逆に怖いよね。映像で見るのも初めてだし、呪いのビデオみたい。せっかくの大画面なのに、なんでブルーレイじゃないんだろ?」

 美咲は純粋に疑問を口にした。

「制作側の意向で、テープの残量で視聴確認をするため、だそうです」

 店長が答える。


「でも、それってズルできちゃうんじゃないですか? 上映時間だけ部屋にいて、早送りすれば……」

 拓海が尋ねると、店長はニヤリと笑った。

「ご安心ください。このビデオ用に、停止しか出来ない特別なビデオデッキを用意してあります」


 店長が棚を開けると、そこには、スイッチが停止ボタン以外取り外された無骨なビデオデッキがあった。

「ちなみに再生は、こちらのリモコンで押します」と手元のリモコンを見せた。


「でも、テープって手で巻けるよね?」

 美咲は茶目っ気たっぷりに、指を回した。

「ははは、まぁ不可能ではないでしょうが、機械の方が速いですし、防犯カメラも設置してあるので不正は難しいですよ」

 店長の指差す先には、部屋の隅で赤いランプが光るカメラがあった。


「最後まで見られなかった場合は?」

「失敗料としてお一人様千円、お二人で二千円いただきます」

「なるほど。でも、ただ見るだけで一万円って、信じられないですね」


 店長は遠い目で頷いた。

「私も最初は、こんなのすぐクリアされると思ってたんですよ。でも、最後まで見られたお客様は、まだ一人もいらっしゃらないんです。皆、途中で青ざめて帰ってしまうので……。一体どんなビデオなんでしょうね。私は怖がりなので、絶対に見ませんが」

 店長は声を潜め、「正直、このテープに触るのさえ、少し怖いんですよ」と付け加えた。


 拓海が隣を見ると、美咲は目を輝かせていた。いったい彼女の頭の中は、どうなっているんだろう。流血ドバドバの内臓グチョグチョなんだぞ。たぶん。


「二人で見るから、クリアしたら二万円ですよね?」

「ええ、お一人ずつの挑戦という形ですので」

「じゃあ、最後まで見れたら、拓海の分を払ってあげる!」

 美咲がいたずらっぽく笑った。

「いや、俺だってちゃんと最後まで見るし!」

 拓海が慌てて言い返した。


「ただし、いくつか挑戦終了になる事項がございます」

 店長はメモに視線を落としながら言った。紙が微かに震えているように見えた。


 ・途中で停止ボタンを押したり、電源や配線を抜いた場合終了。


 ・いかなる理由があろうと、途中で部屋を退出した場合終了。


 ・途中で店員を呼んだり、携帯等で外部と連絡した場合終了。


「結構制約が細かいんですね……。携帯電話は、電源を切っておけばいいですか?」


 拓海が尋ねると、店長は軽く首を振った。


「申し訳ありませんが、賞金のかかるイベントですのでルールは厳密に、今回はお二人とも携帯電話の電源をお切りいただき、封筒に入れていただきます。もしパソコンなどをお持ちでしたら、同様に入れ物を用意しています」


 二人は、スマートフォンの電源を切り、店長が差し出した封筒に、二台を重ねて入れた。店長は封筒に糊付し、境目に封のシールを貼った。


「はい、確かに。万が一に備えて、封筒はこちらに置いておきますが、封を破いた時点でゲームオーバーとなります。トイレも禁止なのでご注意ください」


「えっ、マジっすか。俺、もう一回トイレ行っとくかな」

「何回行くつもり? さっき行ったばかりじゃない」

「まあね、確かに。美咲こそ、さっき行ってなかったけど、大丈夫?」

「ダイジョブ、ダイジョブ」

 美咲は呑気に答えた。


「まぁ、上映時間はせいぜい50分弱ですから。テープが最後まで行けば、皆さんの勝ちです。是非、最初の勝利者になってください」


 店長に軽く肩に触れられ、拓海は肩に力が入っているのに気づいた。


「終わりましたら、コールボタンでお呼びください。他にご質問はございませんか?」

「……特にありません」

 拓海は美咲をチラリと見て答える。


「それでは、再生します」

 店長がテープをセットしようとした瞬間、美咲が遮るように声を上げた。


「ちょ、ちょっと待って! 心の準備が……!」

 彼女は深呼吸を二度、三度と繰り返し、ゆっくりと息を吐き出した。拓海もつられて、息を整える。

「……よし、OK!」


 店長は苦笑いしながらテープを差し込み、リモコンで再生されているのを確認すると足早に部屋を出て行った。

「店長、絶対見たくないみたいね」

 美咲が楽しそうに笑う。

 拓海も笑ったが、少しだけ店長が羨ましかった。


「……まあ、せっかくだから、楽しもうぜ?」

 そう言いながら、美咲が無邪気に拓海に拳を差し出す。


「……ったく、美咲すげえな」

 拓海は覚悟を決めるように美咲とグータッチし、ゆっくりとスクリーンに視線を向けた。



 小さな機械音と共に、ビデオが静かに始まった。

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