1章.25歳の男①
隣室から若い男の歌声が漏れてくる。音程が外れているのが気になるが、重苦しい静寂よりはましだ。
「最後まで見られたお客様は、まだ一人もいらっしゃらないんです」
店長の言葉が頭の中で繰り返される。拓海は乾いた喉を潤そうとウーロン茶を口に含んだ。
美咲が、いつもより静かだ。普段は遠慮なく饒舌な彼女が黙り込んでいることに気づき、拓海は少し安心した。
暗いスクリーンに、赤い模様がじわりと滲んだ。それは血のように広がり、やがてV字型の竹のロゴと共に、【 Bamboo ⑤ Five 】という見慣れない文字が浮かび上がる。
「初めて聞く制作会社だね」
美咲が呟く。
「確かに。どんな会社か調べたいよね」
拓海は手元にスマホがないことを改めて悔やんだが、終わるまではしょうがない。
画面が切り替わり、黒い背景に赤い文字が躍った。
【 ▶︎ PLAY THE GAME ◀︎ 】
チープなBGMが響く中、メッセージテロップが現れた。
────────────────
この後登場する彼らが、もし「今」生きているとしたら、どうしますか?
彼らは自分がビデオの中にいるとは思っていません。
彼らは、普通に自分の人生を生きています。
あなたとは画面を隔てていますが、彼らはあなたの目の前で生きています。
ビデオは、いつでも自由に止められます。
────────────────
約15秒の沈黙。
テロップが消え、男の名前が映し出された。
────────────────
今日の最初のお客様
(千葉県・25歳・会社員)
────────────────
カチッという音が響き、スクリーンに狭い部屋が映る。真上からのスポットライトが、中央を照らしていた。周囲は薄暗く、光の帯の中で埃が静かに舞っている。ノイズ混じりの映像に、ときどき走査線が走る。VHS画質は荒いが、妙に生々しい。
部屋の中央。
金属製の椅子に手足を拘束された男が座っていた。目を細め、周囲を警戒するように見回している。押し黙ったまま、微かな息遣いだけが聞こえた。
機械音が低く響き、無機質な合成音声が流れ出した。
『ゲームの部屋へようこそ』
男は何も言わず、こちら側をじっと見つめている。
『小山さん、今からあなたが
ゲームの主人公です!!』
テロップと音声が、冷たく告げた。
「……これは一体、どういうことですか?」
小山が、戸惑った声で尋ねる。
『それでは、早速始めましょう
【 ■ ストップ・ザ・ゲーム ■ 】』
「え?ちょっと待って、どういうことなんですか?ここはどこですか!?」
『これから小山さんに
ルールを説明致します
わかりましたらお返事をお願いします』
「ここはどこなんですか? こっちの質問には答えてもらえないんですか?」
『ルールを説明しますので、
わかりましたらお返事をお願いします』
小山の訴えは無視され、テロップと音声は機械的に進んでいく。
『ルールはとてもシンプルです
小山さんは、何を言っても構いません
このビデオを見ている人に
停止ボタンを押させたら、あなたの勝ちです
制限時間は10分です』
「……え?」
その言葉と同時に、モニターの右下に『10:00』のデジタル時計が表示された。
『「え?」ではなく
ちゃんとお返事をお願いします』
「……ええと、それは……」
『「わかりました」とお答えください
もし答えなかったら……』
「……いや、そもそも詳しい状況を教えてもらえないと、納得でき……」
ガキンッ!!
「いっ!!!」
金属音が響き、小山の両足の間から火花が散り、白い煙が立ち上がった。小山は悲鳴を上げ、体をよじる。
「!! いっっ! あっ! ちょっ、マジで!?」
『……発砲しますので
お気をつけください』
小山は目を見開き、レンズのこちら側を見つめた。
「は、はい! …わかりました!」
『ご理解ありがとうございます
目の前にある銃は
殺傷能力がある本物です
制限時間を過ぎると
自動的に頭に向けて発砲します』
小山の顔から血の気が引いていくのがわかる。彼の視線は画面下の銃口へと吸い寄せられていった。
「……マジか……たぶん、あの時の……なんで……」
独り言の後、小山はこちらを見て懇願するように言った。
「あの、今これ見てるのって、一体誰なんですか……? てか、これって本当にビデオなんですよね?」
『あなたが勝てば
我々が命を保証します』
テロップと音声は感情を含まない。
「そもそも、僕が勝つ条件って、見てる人が停止ボタンを押したかどうか、どうやってわかるんですか? これ、ビデオ映像なんでしょ?」
『あ、そうそう
このビデオを見ているアナタ
いつでも止めて下さいね』
◇ ◇ ◇
小山とテロップの噛み合わないやり取りを聞いているうちに、拓海は自分がゲームの中に引き込まれているような錯覚に陥った。もちろん、拓海たちは「一万円ゲーム」に参加しているだけで、ビデオ内のゲームとは無関係のはずだ。でも、その境界が曖昧に感じられる。
隣の美咲と目が合った。拓海は動揺を隠すようにスクリーンに視線を戻す。
──大丈夫だ。止めようなんて、絶対に言わない。
拓海は、ウーロン茶をもう一口飲んだ。グラスの中で氷がカラリと音を立てた。
◇ ◇ ◇
『小山さん、画面の向こうに
あなたの気持ちをぶつけてください
後悔していること、誰かに謝りたいこと
何でも構いません
あなたがなぜここにいるのか
本当は気づいているはずです
ありのまま話し、ゲームに勝ってください』
『それでは時間になりましたので
早速始めましょう
ゲームスタート!』
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