雨の日に君と二人

@kunimitu0801

雨の日に君と二人

 その日、雨が降り始めたのは、ちょうど放課後のチャイムが鳴った瞬間だった。

 僕は今日は傘を持っていなかった。天気予報じゃ夕方から雨が降るって言ってたけど、それはあくまで予報に過ぎないと思っていた。まさか、学校が終わって外に出ると、どしゃ降りになるなんて思いもしなかった。

「あーあ。失敗したな」

 呟いて、僕は学校の前で立ち尽くす。だって、今から家に帰るには、かなり遠回りをしなきゃいけない。もちろん、雨に濡れる覚悟で走って帰ることもできるけど、それじゃ風邪を引いてしまう。それに、こんな天気じゃ、どこにも避難できそうな場所なんてない。

 少し焦りながら、どうしようか考えていると、ふと前方に傘を持って歩いてくる人影が見えた。それは、クラスメイトの由美(ゆみ)だった。

由美は、いつも冷たい目をしている、ちょっとよそよそしいタイプの女子だ。学校ではどこか近寄りがたい雰囲気を持っていて、僕ともほとんど話すことがない。だから、特に気にすることもなく、ただ通り過ぎるのを待っていた。

でも、彼女が僕に気づくと、足を止めて、なんとなくこっちに向かって歩いてきた。

「あれ?翔太。どうしたの?」

 僕はその声に驚いて顔を上げる。

「え、ああ……ちょっと、傘がないんだ」

「そうなんだ」

 由美は、あっさりとした調子で言った。そのまま歩みを止めて、何も言わずに僕を見ている。

「どうしようかと思ってね。走って帰るには遠いし」

「なら、一緒に帰る?」

 その一言に、僕は目を見開いた。

「え?」

 由美が、少し照れたように顔をそらす。

「だって、雨降ってるし。翔太。濡れて帰るの嫌じゃない?」

 そう言われて、僕は無意識に頷いていた。

正直、こんなに素直に、しかも気軽に誘ってくれるとは思っていなかった。由美はいつも冷たくて、一歩引いたような態度を取っているから、まさかこんな風に僕に声をかけてくれるなんて。しかも、普段の彼女を知っているだけに、その気遣いがちょっと意外だった。

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」

そう言って、僕は由美の隣に並んだ。彼女は、傘を僕の方に少しだけ差し出してくれた。

「ありがとう。でも、そっちが濡れるよ」

「大丈夫。それよりも翔太が濡れて風邪ひいたら困るし」

僕は、そんな優しさを受けて、少しだけ恥ずかしくなった。

「そ、そうだね」

 沈黙が少しだけ流れた。傘の下、二人は何も言わずに歩き続けた。雨音が、周りの音をかき消すように大きく響いていた。

 最初のうちは、特に何も話さなかった。僕も、由美も、どう会話を始めればいいのか分からないままだった。普段の由美は、あまり話すことがないし、僕もそんなに話すタイプじゃないから、自然に言葉を交わさないまま、歩き続けるだけだった。

 と、言うよりも、由美が僕の事を名字ではなくて名前の方で呼んでいる事に今更ながら驚いた。

 確かに幼稚園の時は「翔太」と「由美」で呼び合っていたけどもう十年近く前の事だ。小学校からは話す事も無くなってきた。

そんなことを考えていたが、次第に気まずさが増してきて、僕は意を決して口を開く。

「…なんで、急に一緒に帰ろうって言ってくれたの?」

「雨降って困っていたから」

 まあ、それはそうだろうけど。

「雨降って困っている男がいたらだれでも助けてやるのか?」

 由美は一瞬考え込む。

「それもそうね。人によるわ」

「だからだよ。何で僕と?」

 由美はちょっと顔を赤くして、答えを返すのが遅れる。

「うるさいな、そんな深い理由なんてないよ。ただ、翔太が困ってるから、ちょっと手伝おうと思っただけ」

 その言葉を聞いて、僕は少しだけ胸が温かくなった。由美は普段、冷たくて近寄りがたい雰囲気があったけれど、今こうして一緒に歩いていると、なんだかその背中が少しだけ優しく見える。それこそ小さい頃に一緒に遊んでいた時のように。

「ありがとう」

口に出して言うと、由美が顔を赤くして少し黙った。そして、少し照れたように言う。

「別に、ありがたがらなくてもいいけど」

 でも、その言葉に、なんだか僕は心が温かくなった。

 それから、少しずつ話しながら歩き続けた。幼稚園の頃の話が中心になったが、懐かしい話で僕達の会話は盛り上がった。雨がひどくなったり、傘が小さく感じるくらいだったけれど、二人で歩くその距離が少しだけ心地よかった。

家の近くになった頃、由美が急に顔を上げて言った。

「……翔太」

「ん?」

「私、少しだけ、翔太の事が気になってた」

 その言葉に、僕は驚いた。由美がそんなことを言うなんて、まるで想像していなかったからだ。

「……気になってた?」

「うん。幼稚園の時はあんなに仲良かったのに。小学校になってクラスが違くなってから話しする事も無くなったし。どうやって話しかけていいかわからなくなって」

 由美も僕と同じように思っていたようだ。

「でも、やっぱり翔太は翔太のままだった。なんだか今日は、とっても楽しい」

 その言葉を聞いて、僕は少しだけ笑顔になる。

「僕も、なんだか楽しいよ」

 そう言って、僕は由美を見つめた。彼女が少し照れて顔を赤くしているのが、なんだか可愛く思えてきた。

 その瞬間、心の中で何かが変わった気がした。

「じゃあ、これからも一緒に帰ろうか」

 由美が少し驚いた顔をして、けれど嬉しそうに答える。

「うん、いいよ」

 雨が静かに降り続ける中で、僕と由美の距離は、少しずつ縮まっていった。

「ねえ。翔太。私の名前覚えているよね」

 ふいに由美がそんなことを言い出した。

 たしかに昔話をする時も由美の名前を言っていなかった。

「由美」

 僕は由美の名前を呼んだ。

「十年ぶりに名前を呼んでくれたね」

 由美はそう言って満面の笑顔を見せてくれた。

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