10-2 躾

「――うぅん……あらぁ……ここ、は……?」


 目の前に広がっているのは石の壁。そして足元にはまだ滴り落ちるばかりの赤い紅い血液。自らの足はまるでかのエルフに施したように筋が断ち切られ、歩行はままならないことがうかがえる。両の手は鎖を介して天井につるし上げられ、一切の身動きが取れないことがうかがえる。


 ――ベルデールは、衛生などとは無縁の地下牢に拘束されていた。


「……思い、出した……」


 自分は敗北したのだ。圧倒的な実力差を前に、神父に敗北したのだと、ベルデールは思い出した。


「……神父だから、凌辱はしないのかしらぁ……?」

「いいえ。単純に我が主から何も命ぜられておりませんので、貴方を拘束しているまでです」


 ベルデールがハッとした表情で顔を挙げると、そこには石の壁を背にした神父の姿と、ボロ布で刺繍されたフードつきローブを身に着けた男の姿がそこにあった。


「……で? 第一騎士団は皆殺しにできたのか?」

「いえ、まずは足がかりを得るために一人捕らえただけです」

「そうか……まあ、いつものごとくだな」


 ベルデールは二人の会話の内容のほとんどが理解できなかった。ただ一つ分かることは、これからが尋問の始まりなのだということ。


「ベルちゃんを捕まえてどうする気ぃ? 拷問とかしちゃっても、ベルちゃん口割る気無いしぃ」

「ほう、それは楽しみだ」


 フードの男――エニグマは、歪んだ口元だけを捕らえられたベルデールに見せつけると、その場に背を向けて去っていく。


「――選ばせてやれ。“女郎”か、“陰鬱な躾役ベビーシッター”か。どちらに詰問されたいのかを」

「何それ? 隠語? ママが叱ってくれるのかしらぁ?」


 神父ほどの強さを感じられず、かつ思ったよりも話が通じそうな相手だと思い込んだベルデールは、余裕が出てきたのか軽口を叩いてエニグマを挑発した。しかしエニグマは一切挑発に乗らないどころか、この期に及んでいまだに威勢がいい相手に対して賞賛の言葉と挑戦状を送りつける。


「クククク、この状況でその言葉を吐けるとは素晴らしいな。後はそれが最後までもてば、解放してやらんことも無いがな……」

「ッ! ……その言葉に嘘は無いわよねぇ?」

「この程度のつまらん嘘をつくほど、俺は格下では無いのでな」


 まさかの展開に、拷問を耐えきれれば解放されるとの言葉にベルデールはますます増長した態度でもって両手を拘束する鎖をジャラジャラと鳴らし始める。


「こっから解放されたら、まずあんたを殺しに行ってあげるわぁ! それまで余裕ぶっこいてればいいわぁ!!」


 そういって神父が主と呼ぶエニグマを愚弄していると――


「ごっ!?」

「口を慎め。下郎が」


 大きく開いた口を下顎から聖書で殴られることで強制的に閉じられ、そしてその衝撃によって舌を噛んだベルデールの口元から、血がだらだらと垂れ流れ始める。


「びっ……!」

「本来ならば私が直々に殺すところを、主は拷問にかけるという慈悲をくれてやっているということを深く噛みしめなさい」


 そう言い終えると、エニグマが出ていった鋼鉄の扉から後を追うように神父もその場から姿を消す。


「……あんたも、いずれ殺してやるんだから……!」


 そうしてまたも独りとなったベルデールであったが、先ほどの会話のおかげか頭が冴え始め、今度はこの部屋からの脱出を図るための思案を巡らせ始める。


「それにしても、足を斬られているから逃げられないとでも思っているのかしら? ベルちゃんも随分と舐められたものね」


 ベルデールに、敵に捕らえられたことが一度も無いという実績はない。同時に、ベルデールには脱出をできなかったという実績も無い。つまり捕まってもすぐに、その場を離脱する手段を、彼女は隠し持っている。


「……転移魔法の、巻物……それさえあれば……」


 一般的に捕虜を捕まえた場合、通常は全ての装備を剥いで文字通り全裸でつるし上げるのがこの世界においての常識である。それは隠し持ったもので脱出を図られることのないようにという意味と、恥辱ゆえにそれから逃れようとすぐに自白する者もいることから、道理に叶っているかのように考えられる。

 しかしそれこそが、ベルデールの脱出にあたっての盲点となりうる。


「……んっ……やっぱり、ここには手を付けられていないわね」


 エニグマ達の拘束はこの世界の常識とは外れているのか、殆ど痴女に近いベルデールの衣服を剥ぐこともせず、ナイフ二本と手袋に仕込んでいた自爆覚悟の爆薬だけを抜き取っている。そしてそれはベルデールの隠し玉を、絶対に取られていないという証拠になりえた。


「……流石にここまで弄る人って、中々いないわよねぇ」


 棒状に丸め込んだ羊皮紙に防水魔法をかけ、それを下腹したばらに仕込む者など、ベルデールを除いて誰がいるであろうか。この世界において捕虜となった女性に手を出さない、などというルールなど存在しない。しかしベルデールはその魔の手を受ける前に、何度も何度も脱出を図ってきた。


「……後はぁ、この手錠を外すだけぇ……」


 そう言って天井の方へと目を向けていると、重い扉が開く音が再び屋内に響き渡る。

 扉から入ってきたのは二人の女性だった。片方は下半身が絡新婦クモとなった女性、ヤマブキ。そしてもう片方は、プルーティア帝国の正式採用のものとは違うものの、所謂メイド服を着て片手に鞭を持っていた。

 メイド服姿の女性は、まさに先ほどエニグマが言っていた“陰鬱な躾役ベビーシッター”の異名の通りというべき風貌をしていた。けっして明るい表情を浮かべず、かといって被虐的でもない。むしろベビーシッターとして、躾役としてきちんとした服の着こなしと身のこなしをしていた。モノクル越しに見ることが出来る片目は蛍光的な青色、そして反対側の目はくすんだ赤色をしている。

 その両の目で女性はベルデールを一目見るなりため息をつき、折りたたんでいた鞭を手元でパチンと鳴らす。


「……キモッ。あのフードの奴、見境無しってことぉ……?」

「クスクス、貴方が私達の殿方に刃向かった愚か者ね……」


 ベルデールは敢えて同じ女性に拷問をさせようとしているフードの男エニグマに対して反吐を吐くことで挑発を仕掛けたがヤマブキはそれを軽く受け流し、そしてメイド服の女性の方はもはや相手の言い分を聞く必要すらないと、拷問を始めるための仕度をその場で始める。


「では、わたくしとヤマブキ様のどちらで躾を?」

「ごめんなさいねイザベル。実はもう既に私が手をつけちゃってるの」


 ヤマブキが少しばつが悪そうに吐露するも、イザベルと呼ばれたメイド服の女性は眉一つ動かすことなく業務的に質問を返す。


「それは我等が主人マジェスティは御存じで?」

「実は内緒で勝手にやってしまっているのよ。イザベル、できれば内緒にしてくれるかしら?」

「……内容次第で、報告することになるかと」

「あら、残念」


 イザベルは至って生真面目な応対をするが、それに対してヤマブキは悪びれるにしても少々芝居がかかっているかのような、ワザとらしい態度をとっている。

 それを見ていたベルデールは下らないといった様子でそっぽを向いたが、次にヤマブキが放つ言葉によって強制的に注目せざるを得ないことになる。


「しかしどのような事を施したのです?」

「それは至極単純よ。あの子が気絶している間に蟲の卵を子宮の中に入れさせてもらっただけだから――」

「なっ!? どういうことよそれぇ!?」


 身の毛のよだつ話だった。己が体内に蟲の卵を植え付けられたなどと聞かされたら、大抵の者は吐き気を催すと共に、身体的危機に平常心が乱されてしまうだろう。そしてそれはベルデールも例外では無かった。


「はぁっ!? 何!? 蟲の卵ぉ!?」

「そうよ。大体今から三時間前くらいだから……そろそろ孵化して多数の蜘蛛が貴方の身体を食い破って出てくるはずなんだけど――」

「ふざけんじゃないわよ!! こんなの拷問じゃなくてただの虐殺じゃないの!!」


 ベルデールが言うのももっともだった。普通ならば痛めつけるだけ痛めつけて、苦痛と引き換えに情報を引き出すのが拷問であり、単に惨たらしく殺すことを目的としたものを拷問とは呼ぶことはできない。

 しかしヤマブキはあくまで死を回避する方法ならあると、ベルデールに仕出かした事とは裏腹の優しい笑みを浮かべている。


「あら? でも貴方にはそれを回避する手段があるはずでしょ?」

「何よ!? そんなもの――」

「貴方、下の方に隠し事してるじゃない?」

「ッ!?」


 主であるエニグマの目はごまかせても、【複眼】スキルを持ったヤマブキの目をごまかすことはできない。このスキルにより、空間に透過した物質から本来なら不可視であるはずの壁越しの存在、はたまた同じ座標上の別次元に隠されたものまで全てが手に取るように視認できる。そんなヤマブキにとって、体内に隠し持っているものを見透かすなど児戯に等しいものであり、そしてこのような事を奥の手として取っていたベルデールに対してただただ嘲笑を浮かべるのみである。


「それを使えば助かるんじゃないかしら? ほらイザベル、早く手錠を外してあげて」


 ヤマブキはクスクスと笑っているが、内心ベルデールの方も笑いがこみあげていた。

 一体どこの国に脱出を促す拷問官がいるというのか。しかもそれを、わざわざ手伝うようなことになれば殊更にである。

 両の手錠を外されたことによって解放されたベルデールは、お望みどおりといわんばかりに股の間へと手を伸ばしては奥の手である転移魔法陣が描かれた羊皮紙を引きずり出して嘲り笑う。


「あんたバァカねぇ本当にぃ! このまま撤退して、国で治療を受ければ――」

「それなら先に忠告しておくわ。その卵の中身、オーク程度なら軽く食い荒らせるほどの凶暴性を持っているから、気をつけて」

「ぐっ……」


 エルフの村に連れていくことすら一苦労だったオークを軽く食い荒らせると言われた今、ベルデールの脱出するという手立ては自身の死と同時に第一騎士団に獰猛な子蜘蛛の群れを放つことと同意義になってしまう。


「で、でもこの魔法陣の転移先は既に設定されていて――」

「ヤマブキ様は選択肢を与えているのです。国に戻って己の死体と共に死をばら撒くか、それとも己だけ生き残るか、はたまたここで栄誉の死を選ぶか。選びなさい、と」

「クスクス……」


 ヤマブキはひたすらに笑っていた。それはいつだって、この瞬間が大好きで大好きでたまらなかったからだ。あの時も、あの時も、絶望の末にキャラロストしていく冒険者を見て、殿であるエニグマと共に勝利に笑うのが何よりも楽しかった。

 だからこそ、今目の前で極限の選択肢を与えられた暗殺者ベルデールの絶望に歪んでいく表情がたまらなく大好きだった。


「い……いや、嫌ぁ!!」


 ベルデールは耐えられなかった。己が死に、身体を食い荒らされ文字通り抜け殻となるのに耐えられなかった。故にベルデールは、自分が生き残るために全てを捨てる選択肢を選ぶことに。


「っ、【転移テレポート】!」


 恐らく自分の体の中に隠されているだろう卵をイメージし、それを羊皮紙に念じて遠くへと飛ばす。ベルデールはこうして、国を、第一騎士団を裏切ることとなった。


「――終わった……」

「何が終わったのかしら? まだ序の口じゃないの」

「へっ……?」


 ヤマブキが満足げにその場を後にするのを、ベルデールは呆けた表情で見送った。そしてその場に残ったのは、“陰鬱な躾役ベビーシッター”とベルデール、つまり拷問官と捕虜だけ。


「後は任せたわよ、イザベル」

「承知いたしました、ヤマブキ様」

「えっ……? へっ……?」


 みじめにその場にへたり込むベルデールに黒く深い影が落とされる。


「ではこれより、貴方を改めてマジェスティの前に差し出すべく、躾を始めさせていただきます――」

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