ANALYSIS 17

 機長は、乗客が降りてバスで運ばれるのを確認し最後に機を下りていた。

 着陸を許可された滑走路に降りた機体を、周囲をまだ赤い消防車の集団が取り巻いている。

 少し機体から離れた場所まで来て、それらを眺めていて、機長はふとオートパイロットの赤いランプを思い出していた。

 まるで何か、意志を持つような、―――。

 まさか、な。

背を向けて、機長が歩き出す。

 その瞬間。

「…――――ばかな、」

振り向いて仰ぎながら咄嗟に下げていた鞄を手に頭を庇う姿勢を取って伏せる。分厚いブリーフケースは頭痛の種だが、この際これの厚みがあることに感謝することになるとは。

 伏せる前に、機長の眼はエンジンが突然回転して爆発するのを眼にしていていた。






「エンジンが突然回転して爆発?…――そうか、そこに隠れてたか。…西野、爆発までの時間は?」

「濱野さん、二十五分十五秒ですね。着陸して機体が静止してから。再起動してからの時間では、二十八分二十五秒です」

「感染したオートパイロットを停止しておく上限だな、…。次は急がせる必要がある。コントロールを取り戻して、オートパイロットを殺してる間に乗客を降ろして遠ざけないといけない」

「自爆阻止は出来そうですか?」

「時限装置があることが解ったからいまから作ってみるが、引き延ばししか出来ないかもしれんな。…」

西野の質問に濱野が答え、軽く首を揉んで。

 目を閉じて濱野が紙パックの牛乳をストローから一口だけ呑む。白いパッケージにオレンジでニコニコマークに似た模様が一筆書きで描かれた牛乳を飲んで目をあけると、大きく両手を組んで伸びをする。






 JAL4762――国際線パリ―成田発着路線に就航する飛行機は、上空一万二千メートルで日本へと近づき、最終目的地である成田の管制する空域に近付こうとしていた。

「機長、アメリカン航空が着陸後爆発したそうです。いまスペインの機を降ろすそうですが、次は乗客を速く降ろす必要があると」

「パーサーを呼んでくれ、打ち合わせをしよう」

既に管制域に入った成田の管制官から無線で入った情報を副操縦士が機長に報告する。さらに機長の要求にパーサーを呼びながら、副操縦士が不安気に前方を見る。

 日本列島は雲に遮られて見えず、青空を雲の上を飛ぶ機体に、いま異常は見られない。

「本当に、そんな何かプログラムとかに感染してるんでしょうか?」

いまは何の異常も見られない計器類に、高度を示す機器にも速度計にも何も異常がみえない状況に副操縦士が疑念を漏らす。

 それに、機長が返す。

「次はスペインだ。飛んでいる位置からして、私達の機は最後になる。問題点があれば、それまでに解るだろう」

「…―――それにしても、もう管制も受けられるんですから、先に下りても、…―――」

雲の下に見えないが、成田はすぐそこにある。通常のフライトなら、三十分もせずに着陸態勢に入り、もうしばらくすれば乗客は長旅から解放され、機体は次の飛行に備えてメンテナンスに入り、乗員もまた次のフライトに備えて移動しているはずだ。

 当たり前の工程が、当たり前でなくなる。

緊張して強い不安を覚えている副操縦士を隣に、機長が告げる。

「次は、旋回を指示される。地表の準備にも時間が掛かるだろう。成田に降りられるとは限らない。燃料を確認しよう」

「…はい、このまま成田に降りない可能性があるんでしょうか?」

「非常事態だから、可能性はある。残燃料を確認しよう」

「はい、――…」

長距離を飛行してきた旅客機には、既に燃料はあまり残っていない。






「成田に降ろせないっていうのは、どういうことだ?」

濱野がずれた黒縁眼鏡を直しながら、意外そうに画面に映る人物を見る。

「爆発が起きるから無理なんだそうです、――」

取り次ぐ西野に濱野が眉を寄せる。

「無理って何で?人を降ろした後なら仕方ないだろ。成田には消防がいないのか?」

不思議そうに問う濱野に、その人物が何かいう。音声が良くない為に、字幕ソフトを出してみているのだが、理解不能な内容に濱野が困惑して。

「西野くん、翻訳プリーズ」

「…一応、意訳しますと、成田では近隣に火災が燃え移る可能性があるから避けてほしいということみたいです」

西野も微妙なあきれを隠さずにいうのに、濱野がやはり理解不能という顔を。

「でもさ、時間勝負なんだよ?燃やすのダメっていってたら、タイムアウトして墜落するけど、どーすんの?」

何処かの非常事態用の制服らしい水色と灰色を混ぜたような作業服ぽい服を着て何か名札をつけた人物がまた何か繰り返しているのに、濱野が字幕を切り、画像を右隅に一番小さくして下げて、西野を見る。

「西野くん、秀一くん呼んでくれ。話にならない」

「僕もそう思ってました。最悪、アレックスさんから話を通してもらいましょう。米軍基地では受け入れの準備があるそうです」

「あれも住宅地近い気がするけどね。敷地内で燃える分には大丈夫だろうになあ、…。横田だったら、成田の方が広くないか?」

「羽田から申し出はありますが、あそこは僕の計算では地上の風向きとこれからの風速が対処するには不向きですね。…」

「成田つかえねー」

あきれて濱野が息を吐きながら、ロンドンの結果に視線を送る。

「よし、ロンドンは成功した。ヒースローで円陣組んで盛大に消火作業始めてるな、…。スペインのときに博打で燃料捨てたのが成功したのを向こうのスタッフが応用したな。鎮火はアメリカンのときより速いだろう」

濱野が画面に映る時刻をみながらうれしそうにいう。

「で、何処に降ろす?茨城で百里基地か、…米軍さんが受け入れるといってる横田か」

「ハマノの為なら、ドリョクするね!」

呼ばれたのを知ったように突然画像が割り込み、にこにこと笑顔で画面からこちらを見てくるアレックスに濱野が胡散臭いものを眺める目付きでみる。

「アレックス、…久し振りに見るが、変わらねーな、その口調」

「ハマノも復調してきてるようでナニヨリ!ゴハンタベテ復調シタ?」

画面に映る笑顔も眩しいアレックスを濱野が胡乱な目で見返すが。

 手許にある白い牛乳パックと、食ってしまったカツサンドが美味かったことは確かな事実だ。

 それが、アレックスからの差し入れであったことも紛れもない事実だった。

 手に握る牛乳パックを濱野がしみじみ見つめる。

 いくらアレックスでも、食い物の礼をいわないのは仁義に反するよな。…

「…―――うまかった、礼をいう」

捻り出すようにいう濱野にアレックスが笑う。

「セイヨーケンのカツサンド、うまいでしょ?ハマノ、ニンゲンやめてプログラムするのもイーケド、ゴハンは食べナイトネ!」

微妙に日本語を崩すアレックスに、微妙な表情を濱野がする。

 牛乳パックをつい一口飲んで。

「…――ありがとう」

視線を遠くに泳がせながらいう濱野にアレックスが笑う。

 そして。

「ハマノ、モーリタニア二十四人乗り、ナビゲート終了したよ」

「ありがとう、…。くそっ、これで、後は」

「オーストラリアはもうすぐ終了します、…――着陸しました。」

西野が息を吐く。着陸後、素早く車両が近付き、緊急脱出装置で降りた乗客達を収納していく様子を見ながら。

 大型モニタに映し出されている機体は、残る一機。

 日本航空4762L――便名でいえば、JAL421便だけとなる。

 成田上空を周回する軌道をとっているJAL421便に。






「だから、茨城はどうだ?百里があるだろ?あっちで燃やせば」

「静岡はどうでしょう?」

「静岡は狭すぎる。滑走路が要件を満たしていない」

濱野があきれながらいうのに西野が提案する。あっさりと却下する濱野にまた西野が。

「では、小松は?」

「日本海側だな。いまは天候が悪い。低気圧が接近してきていて崩れてきてるだろ」

「確かにそうですね、…。横田にしますか?」

せっかく受け入れてくれるといってますし、と西野がいうのに。

 うーん、と濱野が考える。

「仙台にするか、…」

「仙台ですか?でもあそこは、狭いですよ?」

西野が空港データを読み出して見ながらいうのに、濱野が記憶しているデータを思い出しながら即座にいう。

「狭いが長さは充分にある。それと、周囲に人家が無い。スペースがあるから、誘導して燃やせば充分だろう。問題は消火設備が間に合うかどうかだが、…―――。」

「人を降ろして待避させるスペースがあるかも問題ですね、…北海道は?」

「札幌も千歳も遠すぎる。これ以上時間は掛けられない。仙台に降ろそう。」

濱野の決定に航空機の残燃料と飛行速度、上空の風――飛行機の重量等を計算して航続距離を割り出すソフトを走らせていた西野がうなずく。

「確かに、その通りですね。それに、北海道は日本海に近付いてきている前線の影響で、降下時に問題が起きる可能性があります。前線の南下にはまだ時間がありますから、仙台までは影響しないでしょう。――…」

気象予報の取り寄せと独自に組んだ気圧配置等の情報を利用して天候を予測するシステムからの予測を西野が比べてみながらいう。

 西野の言葉に濱野が首の後ろに腕を組んで天井を見ながらいう。

「成田の方が、消防車両とかは充実してるんだけどな」

「延焼を問題にしてますが、実際は経済効率が理由でしょうね。…少なくとも二本、滑走路は封鎖になりますから」

「…人命と秤にかける要素じゃねーぞ」

アホなのかよ、とくち悪くいいながら、濱野が醒めた目で成田上空の天候と最後に残る航空機の位置、そして。

 カウントダウンを見る。

「かわいそうだが、仙台までは海だからな、…」

「濱野さん?」

暗い眼で黒縁眼鏡の奥から濱野が機体を示す光点をみる。

 いま計算した提案を纏めて西野が送るのを見ながら、意志決定までに掛かる時間を考える。

 のんびりしてる時間はねーんだけどな。

 成田空港での着陸を拒否された機体は、すでにタイムリミットが近付いている。

 そして、この機体が最後になった理由もそこにある。

 航行時に墜落プログラムが感染していると判明した地点。パリ東京間を飛んでいる機体は、一番着陸予定地への距離が遠かった。

 今回、墜落プログラムの規則外になる危険を避ける為に、原則目的地の空港での対応が求められた為、対応は一番最後になっていた。それだけでも危険要素だが。

 目的地の成田に、いまそして拒否された。

 墜落プログラムに対抗する処置が効果をみせている現在、それはまったく不可能な要求ではないが。

 或いは、それは穿って考えれば、…―――。

 より墜落の危険が増した機体を周辺人口の多い成田に近づけることは出来ない、という醒めた計算でもあるのかもしれない。

 墜落する危険性の高い機体、時限爆弾を近づけるな、と。

 ――いま降ろせば、まだ間に合う。

 だが、成田を拒否されたとなれば、…。

 墜落プログラムを回避する方法は確かに用意されたが、

安全面を考慮するなら、人外の要求としか濱野には思えない。

 墜落プログラムが当初の目的以外の空港への着陸等で発動することは、アリタリア航空の例で解っているのだから。

 あきれるねえ、経済至上主義には。

 成田らしいっちゃあ、そうだが。

建設反対が多かった経緯のいまだに残る成田らしい、とあきれて思いながら。周辺に延焼する可能性が問題らしいが、人命とどちらが大事なのかと。

それに、成田の空港設備は飾りなのかね?航空消防隊の随分立派な部隊がいるはずなんだがな、と。

 だからって羽田は狭すぎるしな。

受け入れ表明をした羽田で少し滑走路を外れれば機体は海に沈む。そして、沈むだけでなく、爆発炎上することになるのは確実になる。

 段々、パターンが読めてきたからな、…。

口許で手を組んで、息を吐きながら濱野が思う。

 視線は、前を見ているようで見ていない。

「悪い予感がするな」

 濱野達は結局は提案はするがオブザーバーの位置だ。

 アレックスは米軍の立場から強行に意見を通すことも出来るが、だからこそ、強硬な立場を通すことはない。

 学習しないねえ、…。

 あきれを飼いながら、濱野が結論を待つ。

 この浪費される数分は致命的に成り得るのを胃の腑が抉られるように数えながら。

 眼を閉じて拳に額を預ける。

 これまでがうまく行きすぎたんだよな、…。

 世界規模で航空機を着陸させるプロジェクトが此処まで時間の無い状態でスムーズに進んだのは、一重に秀一の根回しと引っ張ってきた多くの顔、特にNASAで国際プロジェクトを推進する教授を連れて来てその発言権を利用した事が大きい。

 何せ、あの人はしゃれじゃなく、一度世界を救ってるからなー。

 秀一くんの人脈って、怖い。

 割とリアルでマジでそうだよなーと。

 アレックスもマジで考えたらそうだよな、と濱野が考える。あれであの人格で合衆国政治に強い影響力を持つ建国当初からの名家であり、軍人の家系に生まれた次男坊だ。兄は政界への進出も噂されている若きエリートで既に准将の位にある。しかもアカデミックの世界でもアレックスは有名人で、数学者であり言語学者としても脳科学と関連づけた研究を幾つも発表しているのは紛れもない事実だ。アレックスには誰が読むかといったが、実は既にその幾つもの論文総てを読んで、言語学に関する理論の一部を人工言語を作成する際の参考にしたのは内緒の事実だ。

 数分は、――致命的になる。

 組織的な特徴として、意志決定機関の鮮明でない場合に起きる危険性の一つが、意志決定の遅さだ。

 秀一くんが動けないってことは、…そういうことだろうな。

此処へ来て、急に動きが不鮮明になった。

航空機を一斉に地球上で運用されている全機を降ろすなどという、前代未聞の計画がすんなり動いたのも。

 誰か、を。事を動かすのに必要な要の誰か、を秀一が動かしたからだろう。

 けど、物事には反発ってあるもんだ。…

強引に事を進めた秀一に対する反発が当然湧き起こるのは読めていた。

 アリタリアは救えなかった。…

 そして、六機の内、五機を救えただけでも良かったとしなくてはいけない覚悟をする必要があるのかもしれねーな、と。

 はらわたを抉られる心地で、濱野が拳の背を口に当てて、諦めと焦りが光る眼で、連絡を待つモニタを見つめる。



 



 成田上空。

「どうして、着陸に関する連絡が来ないんでしょう?」

燃料消費を出来るだけ抑えるようにしながら、機長が慎重に旋回ルートとその周辺の天候を確認する隣で副操縦士が思わずも不安をくちにする。

 成田の管制からの連絡は途絶えている。

 地球上で唯一機取り残された機体。

 JAL421便、乗員乗客423名。

 その生命は、いまだ不安定な要素の中に宙に浮いていた。



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