ANALYSIS 6

 さてと、西野さんに頼まれて滝岡さんに午後少しだけコーヒーブレイクをしてもらいましたが。

 感染症専門医である神尾の職場にいまなっている滝岡総合病院内にある検査室。

 セキュリティ上、指紋認証と虹彩認証を通常は行ってシールドされた室内に入り、顕微鏡の置かれた定位置に座る。

 ウイルスや細菌による感染症を専門とする神尾の此処での仕事は、患者が感染しているウイルスや細菌が一体何であるのかを同定するという、検査技師と共に行う仕事と、感染症により引き起こされている病態を診断し治療を行うこと等になる。

 様々な事情から、感染研に籍を置きながら、臨時にこの滝岡総合病院に出向という形で勤務している神尾は、患者と最初に向き合う外来担当はしていない。救急で運び込まれた患者等、感染症が疑われ処置が緊急に必要な場面や、集中治療室等で術前術後管理の必要になる難しい状態の患者を中心に診ているのが中心的な仕事になる。

 勿論、その他に当然ながら、出向してのテーマにもなる感染症に関する分析を行う為の資料作成等に研究もまた主導しているのだが。

 …永瀬さん、大丈夫でしょうか?

滝岡が心配していた濱野さんという患者の知り合いらしいことと、停電した地区が集中治療室専門医師である永瀬の居住しているマンションとほぼ同じであることが気に掛かる。

 まあ、御自分でちゃんと冷房が効かないなら冷えた場所に移るくらいのことはしていてくれると思うんですが。…

妙に永瀬さん、そういう処は疎いですからね、…と。

困りましたね、と神尾が思いながら、技師と共に培養結果等を確認しはじめた頃。






「瀬川ちゃん、ひどいー」

長身の瀬川が永瀬に構わず、背を向けたまま何事かをしているのに、あきて駄々を捏ねている永瀬の声がワンルームに響く。

 白いベッドが突き当たりにある窓の下に置かれていて、ワンルームといっても物が少ない室内はすっきりとしていて広く見える。

 瀬川のベッドに座って、永瀬が真っ直ぐみえるキッチンに向かって何かしている瀬川の背に。

「あきたー、なにかしようー、なー」

「…―――」

少し眇めた視線で瀬川が永瀬を振り向く。

「オセロしたでしょう」

「…う、それはな?けど、…何でおれ負けんだろ、…」

つぶやいているのは、瀬川に勝つ為に姑息に駒を動かしたというのに、結果簡単にひっくり返されて負けたことだが。

 軽く嘆息して瀬川が飲み物を手に振り向く。

「ほら、飲んでください」

「…――瀬川ちゃん、本当におれの保護者?…ありがと」

鮮やかな緑にすっきりとした香りの美しい飲み物に、困りながら永瀬が受け取る。

「別に飲み物なんていーのに、わりい」

瀬川も飲み物を手に、ベッドの脇、床に直接座るのに困った顔をして永瀬がみる。

 ベッドに座ってしまっているのに、足をぶらぶらさせてみて。

「えーと、…うまいな、これ」

「そうですか」

瀬川が先にくちをつけているのに、永瀬も恐る恐る飲んでみて驚く。

「アルコールのないモヒートみたいなものです」

「モヒート、…よくわからんけど、確かミントとか?すっきりはこれ、ミント?」

うまいな、と飲み出す永瀬に、瀬川がちら、と視線を向ける。

「ミントです。ミントというか、ハッカですけどね。おれ、北海道出身なので」

「そーいや、何かそういうこといってたっけー、ハッカがとれるの?」

「とれます。…」

視線をハッカを淹れて爽やかな風味にして炭酸で割った飲み物に向けて、少しずつ飲む。

 永瀬が、ベッドから足をぶらぶらさせて、ゆったりと笑む。

「わるくないな、…瀬川、ありがとー」

「上司に倒れられたら面倒ですからね」

醒めた視線で瀬川がみていうのに、永瀬が眉をあげて少し抗議を。

「えー、おれ、責任者っていっても、最終責任者は滝岡だしー」

「それをいいますか」

あきれてみる瀬川に永瀬がにっと笑う。

 モヒートもどきの、アルコールゼロの爽やかな飲料を片手に。

「勿論!だって、おまえさんだって、責任負うのはいやだろー?」

「まあ、それが一番の動機ですからね。あなたを助ける」

「…そ、そこがひどいっ、瀬川ちゃん」

「どこがですか」

あきれながら視線を伏せる瀬川に、緑の爽やかな飲料を気に入って飲みながら、足をぶらぶらさせている永瀬。

 と。

「え?」

「…――――」

事態に、瀬川が無表情のまま険しい気配になる。

驚いて周囲をみた永瀬が、その瀬川をみて凍り付いて。

「…あ、あの、瀬川ちゃん、…?」

 こわいんですけど、…?

と、おそるおそるみていう瀬川の気配が怖い。

 無言で、瀬川が携帯を取り出し、チェックを始める。

 永瀬が上から覗き込む画面には。

「…あー、停電してるんだ?この地区?」

 おれのマンションも近いよね、と何かいわないと沈黙が怖いんだけど、と思いつつ永瀬が続けていると。

「永瀬さん」

 いきなり、瀬川が画面から顔を上げていうのに。

「は、はいっ、…?」

緊張して瀬川を見返す永瀬に。

「移動しましょう。腹が立ってきました」

「…腹が立つのと、移動とはどこでつながってんの、…?

いやいい!とりあえず、行こうっ、」

無言で見てくる無表情な瀬川の迫力に、壁に背をつけて後退する場所がないことに気付いて永瀬が頷く。

 大きく頷いて、繰り返す。

「うん、うん!瀬川ちゃん、行こうっ!て、どこへ?」

「黙って付いてきてください」

 淡々という瀬川に、無言で永瀬が大きくひとつうなずく。

 でも、どこへ?って聞いたらまた機嫌悪くなりそー…。瀬川ちゃん、なんでこんなに迫力あるんだよー、…。

 と、内心ぐちりながら、永瀬が瀬川について、当然部屋を出るものだと思って行こうとすると。

「何処へいくんです、こっちです」

「へ?」

先に立っていた瀬川が、ドアを開くのは。

「…バスルーム?」

 ワンルームにしては広めのバスルームは白で統一されていて清潔感がある。

 そして。

 つまり。



「何するんだよー!瀬川ちゃんー!」

「いいから、おとなしくしていてください」

 冷たい目線でいう瀬川が、浴槽に放り込んだ永瀬に上空から冷水のシャワーを掛けて見下ろしていうのに。

 永瀬が、くちびるを噛んで、目一杯の抗議をする。

「だって、おれ、もう濡れ鼠じゃんー!」

 白いTシャツに穴の開いたジーンズが水でびしょぬれになった永瀬が、涙ながらに抗議するのに。

「まったく」

あきれた声でいい、瀬川が高い位置にシャワーを固定して永瀬にのしかかるようにして肩に手を置いていた。






「…せ、瀬川ちゃんっ?」

「救急車呼ばれるのと、ここで体温下げるのとどちらがいいですか?」

淡々と無表情なまま迫られて永瀬がごくり、と息を呑む。

「…救急車はやめて」

「いざとなれば、病院から来てもらいます」

「そ、それだけはやめてっ、…!」

「冷えたら着替えがありますから、着て体温を測ってダメなら運びましょう」

「運ぶって、おれをどこへ?…――根性で体温下げるからっ」

「根性で下がる訳がないでしょう」

滝岡先生に診てもらいます、確か主治医でしたね、といいながら、うだうだ抵抗している永瀬に構わずことを進める瀬川。

「滝岡、うるさいんだってばー!いやだー!」

「おとなしく協力して体温を下げようというつもりはないんですか」

「だってー!滝岡にバレたら、また怒られるー!」

「怒られることをする方が悪いんです」

 駄々を捏ねる永瀬に、冷たくあしらう瀬川。

そうした攻防が繰り広げられていたりとした一方。






 深夜、終わらない作業に薄暗い照明にモニタが闇に灯を浮かび上がらせるように見える。灯火が何かを導くのなら、濱野達の作業は何処かに辿り着くことがあるのだろうか。

 西野と濱野、二人が没頭している傍、カウンタにスツールを借りてタブレットを使い必要な作業をしながら監督している秀一だが。

 …僕、いなくてもいいんじゃないでしょうか。…

真剣に作業を続けている二人が一体何の思惑で休憩も殆ど取らず、モニタに向き合い続けているのかは不明だ。

 それで監督しているといえるのかは、なお不明だが。

 ――帰りたーい。関が作る晩ご飯、結局食べそびれたし。

しみじみ落ち込んで思うのは、関が作ってくれる晩ご飯。お昼にあれだと、きっと夕飯にはもっと凝ったご飯が出てくるんだよね、…。関、非番だったんだから。

しみじみ、くっすんと思うのだが。

 家に帰って晩ご飯って、コミュニケーションの基本っていうか、家庭崩壊を招かない為の大事な要素だよね。…そういうの、おろそかにするから、色んな問題が起きると思うんだけど。

 …関のご飯、…。

と、一番真剣に考えつつ、必要な書類仕事や諸々を結構優秀にこなしていたりはするのだが。

 感情と別の処で仕事はしながら。

 でも、考えていることは。

 ――関のご飯、食べそこねた、…。

 鯛、昆布締めにしてくれてるかなあ、…。

綺麗な鯛の切り身を、丁寧に仕事をして冷蔵庫に仕舞うのをちらりと見たから。

 あれ、食べたーい。

 しかし、戻ってみれば、停電はさせている上に、どうにも二人とも自身の体調にさえ気を配らない、極限的な集中モードになっていて。

 …放置して、体調を崩されたら、にいさんに怒られるよね、…。

 西野さんの病院での業務を考えたら、確実に無事に帰さないといけないものね。それに、濱野さんも、一応にいさんが途中まで診てたから、…放置はまずいよね。…

 本当は大人なんだから、体調管理くらい自分達でしてほしいんだけど。

思いはするが、一度集中すると、特に先輩でもある濱野がどれほど世界から帰ってこないかは。

 …集中すると、世界から帰ってこない率ナンバーワンですものね。

下手をすると三日三晩くらいは平気で、モニタに向き合って何事かをして、動かずに集中して作業を続ける何て普通では考えられないことも平然とやってしまう集中力が、ある意味この世界で濱野を特異な存在にまでしているのだが。

 …壊れられたら、困りますものね、…――。

そして、西野。

 ――西野さんまで、その類いの人だとは思ってもみませんでした。…

遥か遠くを見つめる気持ちになるのは、その一点。

 二人の傍に、補給の為に嗜好品だと調査済みのペットボトル入り飲料を置いたのは秀一自身だが。

 先輩はともかく、…。

西野まで、ボトルを傍に置こうと、まったく反応がなく本能的に水分を必要としたのか、モニタから視線も外さずにボトルを手にして。

水分補給をする間もモニタから一瞬も視線を外さずに、片手で素早くボトルを開けると、すぐにキーボードに手を戻すのが。

…人間やめてる感じが、凄くします、…。

 水分を取りながらも、一瞬たりとも視線をモニタから外さない西野。

 黄緑のボトルから炭酸飲料をとりつつ、モニタから視線を外さずに首を捻り、伸びらしきものをして、少しくちをぽかんとあけてから、またぐいっと飲んでボトルを股の間に置き、両手を組んでねじるように左右に動かして、ぼーっと画面を見つめている濱野。

 家に帰ろうかな、帰ったらダメかな?

人間やめてる人達が本当に廃人になる一歩手前で止めるべく、待機して体調管理をしている中間管理職。

 この人達、本当に能力は凄いんだけど、…。

既に、作業に入って十二時間が経過している。その間、少なくとも、秀一が昼から戻り、永瀬が瀬川に連れられて退去してからは、二人とも人語らしきものは一言も発していない。

 濱野は無言で、何か口の中でもごもごとつぶやいているらしいが、音声としては発声せず。

 西野もまた、何か呟くようにしていることはあるが、これも何故か、独り言としてさえ声に出さない。

 薄暗い室内で、床にあぐらをかいて座り、低い台においたモニタに、ひたすら向き合い何事かしている二人。

 その周囲を林立する、座っている成人男性程の大きさはある駆動する発電機や冷房装置に、とぐろを巻く太い配線。

 カーテンを閉め切った室内で黒々とした配線が渦を巻く中で作業に没頭している二人は、どうみても怪しくしかみえない。

 結局、この二人の為に三百世帯、停電に巻き込みましたしね、…。

 始末書書かないと、と。

そして、適度に停電を回復させて、目立たないように、どうやら彼らが目的とした方向で一部の機器を故障させたまま停電したと同じ状況に持ち込んでいるのだが。

 その辺り、話してくれないと、推測で動くのも危険なんですよね、…――。

 それに始末書、と。

 既に今回の案件で、業務上仕方なく停電を発生させた事に関しての始末書を作成済ではあるのだが。

 ペナルティはともかくとして、いやな予感はするんですよね、…。

 夜中から、既に日付は変わり、作業を止めずに何かを探求しつづけている濱野達を見て思う。

 助っ人がさらに必要になるかもしれませんね、…。

出来れば頼みたくない方面の有力な助っ人が必要になる悪い予感が、ひしひしとしている秀一は。

 あんまり、この手の予感が外れたことはないんですよね、哀しいことに。

哀愁と共に、先輩と西野がちょっと人間の道を外れて、普通の人には理解しがたい世界に嵌り込んでいる姿をみながら。

 帰りたーい、と。

家に帰って、お布団で寝たい、と真剣に思いつつ。結局は、寝袋を用意して、カウンタを背にスーツ姿のまま仮眠を取る秀一がいるのだった。

 そして、秀一が仮眠を取り始めても。

 機械とまるで一体化したように。

 深夜、モニタから漏れる光に顔を照らされながら、追跡とプログラムを新たに走らせながら、深い処までを掘り続けている濱野達がいる。



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