ANALYSIS 5
薄暗い室内に、高い場所から瀬川の声が響くのに、永瀬がぐったりとしていた顔をあげて、目を輝かせる。
室内はカーテンが閉め切られ直射日光が射さないようになっている分だけ、多少はましといえるのかもしれないが。
「それで、何故停電なんです?事故報告はHPに載ってませんでしたけど」
「あ、ありがとー瀬川っ!あいしてる!」
大袈裟にいって手を伸ばす永瀬を冷たく見下ろすのは、ポーカーフェイスが身についていると評判の永瀬と同じく滝岡総合病院に所属する集中治療室専門看護師である瀬川一平。長身細身の瀬川が手にしているのは、六缶パックが入るサイズの保冷バッグ。
床に座り込んで手を伸ばす永瀬にあきれながらバッグを開けて、一缶取り出す。
「はい、ノンアルコールのビール風飲料です。本当にこれ、好きなんですからね」
「ありがとー、瀬川ちゃんー。冷たいー、うれしいぞー」
いいながら、たらりとカウンタを背に座ったままの永瀬にノンアルの缶を渡して、瀬川が周囲を見回して眉を寄せる。
「停電してるのに、窓は閉めているんですか?」
「こいつら、開けちゃいけないっていうんだもん。家主の意志無視なんだぜ、無視。うまいなー!」
一気に缶を煽って実にうまそうな顔をしていう永瀬に、眉を寄せたまま瀬川がその前に座ってあぐらをかく。
六缶パックの背から、白いビニール袋にくるんだ何かを取り出して。
床に直置きされた緑色をした盤、携帯オセロに永瀬が目を見張る。
「オセロ?瀬川ちゃん」
「時間潰しに丁度良いと思いましてね。しかし、電気はきてませんが、扇風機とあれで室温を下げてはいるんですか」
瀬川が表情の読めない顔でリビングを振り向いていうのは、先から無言でモニタに向き合って何かをしている二人。
西野と濱野の二人は、瀬川が入室しても気付かない勢いで何事か集中してモニタを前に操作を続けているのだが。
その周囲に、どうやって設置したのか、小型発電機がうなりを上げていて、相当うるさい中で、扇風機が発電機から電源を取って回っている。さらに扇風機の前に置かれた格子状のコンテナに何か氷でも入っているのか、風が過ぎる度に涼しい風が届く。
そちらを見ても驚く表情すらみせず、瀬川が手許の計測器で温度と湿度を測る。
「…―――」
無言で瀬川が向き直るのに、一缶飲み切って永瀬が次に手を伸ばそうとして驚いたようにみる。
「何?瀬川ちゃん」
「とりあえず、僕が勝ったら、夕飯は奢ってもらいますから」
「…――ひどいっ!瀬川ちゃん、それが目的っ?」
「当たり前です。突然人を呼びつけておいて、しかも、停電しているとか。…このノンアルの代金はそこで回収します」
「親切にノンアル買ってきてくれたと思ったらー、おれのメシ代目当てなのね?酷いわっ、もう」
いいながら、オセロの駒を並べて、最初の駒を手に取ろうという永瀬に瀬川が冷たくいう。
「どうして、黒なんですか」
「ハンデ」
大人気なく負けないようにハンデのある方を取ろうとしている永瀬に、無表情なまま瀬川が。
「わかりました」
淡々という瀬川に、永瀬が駒を手に。
「よーし!勝つぞ!」
無邪気に目を輝かせてオセロに挑戦する永瀬を前に、冷静に盤に視線を落とす瀬川。
そして、そこまでうるさい永瀬にも全く構わずに、薄暗い室内でモニタに無言で向き合っている西野達がいる。
「うわっ、暑!どうしたんですか、…って、瀬川さんまで?一体どうしたんです?」
戻ってきた秀一が驚いて声を上げるのに、瀬川が振り向いて淡々という。
「停電してるらしいです。おれはこの人に呼び出されました」
「永瀬さん、…。瀬川さんまで巻き込まないでくださいよ、永瀬さんだけならいいですけど」
「おれってそんな扱い?そりゃ、瀬川ちゃんの方が大事だけどさ」
オセロの駒を何処に置こうかな、とみていた永瀬が顔をあげて秀一に抗議にならない抗議を。
「当然です。にいさんも、瀬川さんと永瀬さんだったら、瀬川さんの方が大事だっていってましたからね。瀬川さんに被害が及んでからでは遅いんですよ?もう、どうして呼び出すんです」
「だって、ひまだったんだもーん。こいつら、人の家乗っ取って、しかも停電させるし」
「そうですね、…。どうして停電を?機器にも悪いでしょう」
二人を向いていう秀一に、淡々とこれまで聞いていた瀬川が視線を振り向ける。
反応がない二人に秀一が眉を寄せて。
「…――僕です、そう。ええ、室温二五度を保てる独立電源の冷房機器をすぐに、ええ、…はい、お願いします」
冷房の手配をして、無言で視線を向けている瀬川に秀一が気付いて見直す。
「あ、すみません。どうしました?瀬川さん」
「これ、移動させてもいいですか?そろそろやばいので」
「あ、構いません、気付かないで、…」
恐縮する秀一に、瀬川が無表情に一つ頷く。
「あ?…これって、なに?瀬川ちゃん、おれ?」
どうみても既にかなり負けが込んでいるオセロの盤をじっと睨んでいた永瀬が、秀一と瀬川の会話に気付いて視線を向ける。それに振り向いて。
「撤収ですよ。おれの部屋にいていいですから、後で夕飯は奢ってもらいますからね」
「えっ!まだ勝負ついてない!って、瀬川ちゃんの部屋?なんで?おれも?」
瀬川が温湿度計を永瀬に見せる。
「熱中症になられると厄介なので」
「えー?瀬川ちゃん、おれの保護者?」
困り切った顔で抗議してみせる永瀬に向き合ったまま表情をかえずに。
「上司ですからね。上司に不具合があったら責任者がいなくなるでしょう。責任者がいないのは困りますから」
「…せ、瀬川ちゃん、…」
なおも抗議しようとする永瀬に、無表情なまま瀬川が迫る。
「それに、あなたは肝臓を壊しているのに自覚もなく、体温を保全しようともせずに、冷房のない締め切った部屋を撤収しないとか。…おれ、怒ってるんですよ?」
「ええと、あの、…肝臓壊したって、おれがまるで飲む人みたいじゃん。おれ、アルコール元々だめなんだぞー?」
「…―――」
的外れな抗議をする永瀬を至近距離で無表情に眺めて。
「これ、回収してもいいですか」
否を云わせない気配で瀬川が永瀬の後ろ襟首をつかんでいうのに、西野達の様子をみていた秀一が、少しだけ視線をむけて。
「どうぞ、至らなくてすみません。この場所を借りたいだけで、人物はいりませんから」
「だそうですよ、…。まったく、無駄な意地を張って」
「えー、だって、おれの部屋におれの休日に勝手に来ていすわってるんだぞー?おれだってさ、」
「いいから、行きますよ。…」
冷たい視線で見据える瀬川に、永瀬が息を呑む。
襟首をつかまれたまま。
「―――それ以上、抵抗するようでしたら、あなたの勤務時間に二度とシフトは入れませんよ」
「…―い、いきます、瀬川ちゃん、行くからっ!」
慌てていう永瀬に、表情を変えずに、バッグを右手に、永瀬の襟首を左手にしたまま瀬川が立ち上がる。
「うわ、瀬川ちゃん!」
「オセロは持ってください」
「えー?うん、うん、もつってば!」
いいながら、懐に抱えた盤に張り付いているマグネットの白黒の駒をみて、そーっと有利になるように動かそうとしている永瀬。
ちら、とそれを見ながら無視して、永瀬の首根っこを捕まえたまま連れて出る瀬川。
しっかりご飯食べてきて良かったな。
熱中症対策には、ちゃんとご飯を食べるのと睡眠は大事ですからね、と。
涼しげな外見で淡い麻のグレイのスーツにベスト姿の秀一が、額の汗を軽く麻のハンカチで抑えながら考える。
配送業者の格好をした部下達が、西野達の周囲に臨時の冷房設備を整えているのを監督しながら。
それにしても、床が丈夫で良かった。にいさんの病院が用意してる寮は、建物も優秀だよね。
滝岡総合病院に勤務している者が使用できる寮でもあるこのマンションの床が丈夫で良かった、と思いながら。
でも、瀬川さんにも迷惑を掛けたし、このマンションは病院関係者も多く入居してるから、具合が悪くなる人がいると困るんだけど、停電どうにかならないかな?
等と考えながら、移動式の冷房機器とそれに電源を供給する機器が林立して、すっきりと何もなかったリビングの面影もない状況を見渡して。
据えられた温湿度計を確認しながら思うのは。
これで、機器の誤動作は避けられそうですが。
そして、これだけ周囲で騒がしくしていても。
難しい顔をして画面に集中したまま、端からみてもまったく解らない操作を続けている西野と濱野。
懐から青麻に涼しげなトンボの描かれた扇子を取り出して、さら、と煽いで。
「さて、でもあまり停電が続いても怪しまれますからね、どうしようかな」
ちょっと考えてから。
そうだ、と連絡をする秀一に。
「停電か、…大変だな。こちらに影響がないか調べてくれ。そう、非常用発電をチェックしてくれ。
それに患者さん達に情報提供を。暑い日中に帰るのはよくないからな。体調面で考慮する必要がある方には、しばらく休んでいかれることも提案してくれ。…そうだな、診療アラートに回して」
外科オフィスで西野にいわれた通り決済に必要な書類を画面で確認していた滝岡が、病院から少し離れた場所で三百世帯程が停電しているというアラートがPCの画面に現れたことに反応して、総合病院の管理を行っている部署に連絡をしていう。
それに、休憩に来ていた感染症専門医師であり、滝岡の同居人でもある神尾が、ココアを入れたマグを片手に振り向く。
「どうしたんですか?」
外科オフィスの休憩コーナーには、給湯の湯沸かしポッドの他に、各人が持ち込む昆布茶や何かが充実していて、外科以外の部署からもよく利用しにくる。
神尾の言葉に、滝岡が視線を向けずに頷いていう。
「停電だそうだ。心配だな。この暑さだ。あまり長引かないといいが」
いいながら滝岡が電力会社のHPを確認する。
「調査中か」
「ここ、そういえば前に住んでいたマンションも近くですね」
「…ああ、そういえば、先輩の部屋もこの近くだな」
「先輩、永瀬さんですか?どうぞ」
「ああ。ありがとう」
滝岡が、神尾の手渡してくれたコーヒーをうれしそうに受け取って、画面から目を離す。
コーヒーを一口飲み、軽く息を吐く。
「西野がいま秀一の仕事を手伝って出ているんだ。はやく片がつくといいんだが」
「心配ですか?」
神尾の言葉に、少し困った風に天井をみて、滝岡が苦笑する。
「うん、…。元々過保護だといわれるからな。秀一もだが、西野も、それにあの濱野さんという人も、少し血圧が高めだったからな、…。先輩が少しは様子を見てくれているだろうから、…―――何にしても、はやく終わるといいんだが」
困った風にいう滝岡に、神尾が穏やかに微笑む。
「そうですね。処で、今日は珍しく何事もなければ早く帰れそうですか?」
「そうだが、…。どうした?神尾」
見あげる滝岡に、立ったままマグから少しココアを飲んで神尾が微笑む。
「いえ、久し振りに、少しゆっくり食事の時間をとりませんか?時間があるようでしたら、少し凝ったものを出してみようかと思いまして」
「…おまえの凝った料理か。それはうれしいな。確かに今夜予定はない。しかし、いつもありがとう、神尾」
「いきなりどうしたんです?」
「いや、…同居してから、おまえに食事は全部作ってもらってるだろう?何も礼が出来てないと思ってな」
少し困った風にいう滝岡に神尾が微笑む。
「でも、家賃をもらってくれていませんよ?元々は僕が住む処がなくて始まったことですからね。それに、料理をするのは趣味ですから」
柔らかに微笑んで神尾が云う。
「おまえはいつもそういうがな。…家賃くらい、おまえの作ってくれる料理からすると、物の数にも入らないと思うぞ?家は古いしな。さてと、そろそろ休憩時間が終わるな。神尾、楽しみにしておく」
滝岡が明るく笑んで、マグをデスクに置いて神尾を見あげる。
「何事もないのが一番だからな」
「そうですね。…先日の培養結果は数時間後に出ますから、そのときまたご連絡します」
「頼む」
微笑むと滝岡がモニタに向き直り、そこに記された記録に、労働に対して必要な休憩時間を、いま僅かにだが取ったことが表示されているのに苦笑する。
もしかして、神尾は、西野に頼まれておれを休憩させる為にいま来てたのか?
神尾が既に出ていった扉の方をみて、微苦笑を零して。
「すまんな」
そういえば、デスクワークが続くときには、西野がいつも半ば強制的におれに休憩をとらせに来てたな、と。
気をつけないとダメだな、と。
滝岡が柔らかに微笑を零して、仕事に向き直る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます