ふたりの恋は不器用すぎて足りないものが多すぎる 〜令和配信者恋愛炎上禄〜
筒井津あおば
第一章 汚部屋にメイドは立ってた、天使みたいに?
①汚部屋にメイドは立ってた、天使みたいに?
12月の寒さは引きこもりには容赦なく、ベランダに煙草を吸いに行くのも億劫で部屋の中で吸ってしまう。
持ち家でよかった、と思う瞬間はそれくらいだ。
スマホの時計を見ると14時。
昼間なのにこんなに寒いとは、何も予定のない日でよかった。
一般的な世の中で、配信業--ストリーマーがどう思われているか知らないが、
意外に忙しいと河北は思っていた。
少なくとも、少ない社会人経験の中の、コンビニの夜勤よりは忙しい。
河北は煙草を吸い終わると二度寝を楽しむはずだった。
しかし、玄関のチャイムが容赦なくその計画を破壊する。
「……はぁ、月初の定期イベントだこれ」
ベッドサイドに転がったパーカーを羽織り、薄暗い部屋を出て玄関に向かう足取りは、まったくやる気のないものだった。
だらだらしていたら二度目のチャイムが鳴った。
これまで何度か聞いてきた不愉快な音。
AmazonもUberも置き配にしている河北家のチャイムを鳴らすのは一人だけ。
そう、“メイド”が来た合図だ。
優勝賞品の1年間住み込みメイドサービス。
河北にとっては嫌がらせ以外の何物でもなかった。
とある大会で「優勝賞品でほしい物は?」と司会者に聞かれ「自由な時間が欲しいです」と答えたがために、所属事務所が用意した嫌がらせだ。
どうでもいい仕事ばかりを入れてくる事務所への当てつけだったが、まったく効いていないことが腹立たしい。
これまでの派遣メイドは全員、玄関先で追い返している。
マネージャーにも、要らないと伝えたが、普段の怠惰さを指摘されるばかりだった。
「時間は守らない、態度は悪い、あげく競技はやらない…数字に反映されてますからね、いいかげん生活なんとかしてくださいよ」
まだ20代の若いマネージャーにはっきりとそう言われるのは辛かった。
配信者が避けては通れない「数字」の話。
プロゲーム業界も配信業も、どんどん若手が入ってくる。
30代半ばの河北は、この業界ではすっかり古参の老害だ。
「マジでそろそろ諦めてくんねえかな…」
河北は二度と来ないようにと、毎度営業と寄こされた女(先月は男だった)を怒鳴りつけて帰らせ、その後しっかりとクレーム電話を入れている。
にもかかわらず今月もしっかり、訪問日は訪れたようだった。
「めんどくせぇなぁ、はいはい!」
ドアを勢いよく開けた河北の前に、妙にアンバランスな女が立っていた。
紺色のジャージ姿に、足元はドクターマーチンのローファー。
後ろでリボンのついた髪飾りでまとめた長い髪は太陽光を浴びてわずかに紫色に光っていた。
冷たい風が吹き、膝が隠れないスカートがヒラヒラと揺れていた。
(……あれ、誰だこれ)
これまでの派遣メイドとは雰囲気も服装も違いすぎる。
女の顔――小動物のような瞳が、冷たい風と共にこちらを睨んできた。
「こんにちは……いつもあなたのお側に、ハートフルマインド派遣事務所より参りました」
控えめだけど、妙に耳に残る柔らかな声。
河北はどこかで、この声を聞いた気がしたが思い出せない。
「いや、メイドだよな?マジで迷惑してるから帰れって!」
とりあえず吐き捨てる河北。
だが、女は一歩も引かなかった。まっすぐに河北を見つめている。
「お、お呼びいただいてそれは…」
「えーっとね、話せば長くなるんだけど…俺呼んでないんだわ。ってか一人?」
「はい。私の直属の上司と営業が同行する予定でしたが…なんか二人とも体調悪いって…それで住所を聞いて来ました」
スマホを握る女の手に目がいく。ピンクのネイルが控えめに光っていた。
「ええ、それはアレだけど…、いや!申し訳ないんだけど…間に合ってんだわ」
「間に合っては…いないのではないですか…?」
女は靴とごみでぐちゃぐちゃの玄関を見て少しほほ笑む。
「……うるせえなあ」
「まずお気持ちとして、弊社の人材がお気に召さないことは重々承知しているつもりです、申し訳ございません」
女の態度は堅い仕事のそれだった。
今まで来たメイド候補は元グラビア、AV女優、たぶん水商売みたいな女。
営業に二度と来ないでほしいと言うたびに女の種類は変わった。
女の質の話ではないと言うと、今度はきれいな顔の男が来てさすがに河北も驚いた。
そしてその次が目の前の、ちぐはぐな女だ。
河北は女のかわいらしい顔を見つめていた。
気温のせいか女の顔は真っ青だ。
このまま倒れるんじゃないかというほど青い。
太陽は出ているが、風が強く、容赦なく二人を吹き付ける。
「……ま、入れば?入れるかは知らねえけど」
河北は半ば無意識に口を開いた。
玄関から振り返るとリビングへ続く廊下が見えるが、荒れ放題だ。
正直なところ、河北もちょっと、掃除しなきゃなと思うレベルだった。
女は小さく、お邪魔します、と言い靴を脱ぎ、自分の靴をそろえ、
ついでに河北のサンダルも揃え、黒いタイツが汚れることも躊躇せず上がった。
当然スリッパなどはない。
河北は、その度胸に少し驚いた。
そしてその瞬間にふと、遠くに香水の匂いを感じたが、すぐに部屋に漂うヤニとインスタント食品の臭いと混ざる。
「いや、お前メイドなの?一人でさ…。とりあえず会社の人の迎えでも呼べよ」
「はい…今日付けでメイドになりました」
「ええっと…新人さんなの?」
河北はダイニングの椅子を引き、乗せてあるコンビニの袋をどかして女を座らせた。
女は手をこすりながら、すみません、といい座る。
やたら薄着の気もしたが、河北には女のファッションが分からない。
暖房のスイッチを入れ、河北も正面の椅子の上のゴミを片付け、座る。
「あの、私、あなた…河北様…からお話があったため…、昨日、私の…直の上司である遠藤と、総括の上司と、担当営業と…河北様の事務所の方とお話をして…」
「俺の事務所の人?」
「そうです、赤眼鏡の…」
「あー、柴崎?マネジの?」
「ですかね、赤眼鏡の」
赤眼鏡なんて事務所外でも滅多に見ない。柴崎だ。
河北は冷蔵庫を開けて、エナジードリンクを取り出し、女にも渡す。
女は会釈をして、飲み物には手を付けず、話を続けた。
「お気遣いなく…です。で…その、電話の録音…1時間以上あったのを5人で聞いて…もう配置換えするかどうかって話になって」
「…電話の録音って何?」
「一昨日の、です」
「…?」
「あの、赤眼鏡の方から…話とか…」
「あ、ああー、ちょっとわかんねえってか…電話もメールも見てないや…」
「……」
女がさらに眉間にしわを寄せて、手をさすりながら話を続けた。
「…あの、まあ、それで…私がメイドになるかどうかっていうか…って話になって」
女の声は震えていた。それが怒りなのか寒さからなのかの判断がつかない。
「待って、待ってごめん!ちょっとメール見るわ」
河北は慌ててスマホでメールを見た。
柴崎マネジから「昨日の電話の件ですが良好でした。明日14時訪問予定です!これで決めてください」というメールが昨日の夜入っていた。
合わせて電話の履歴を見ると、昨日に柴崎から3回着信があって取っておらず、
一昨日、河北が夜に柴崎に発信した跡があった。
そしてその、柴崎に発信する前の履歴は、メイド派遣会社の営業への発信履歴と、同コールセンターへの発信履歴があった。
営業との電話は通じなかったようで、コールセンターとは2時間近く話していた。
「あの、河北さん…?連絡来てます…よね?」
女の声は震えていた。
その意味を、河北は女の目を見て分かった。
いまにも涙がこぼれ落ちそうだった。
「おまえは……」
「はい、ハートフルマインド派遣事務所・システム開発3部お客様寄り添い部マネージャーの…」
「待って、ちょっと待って、泣かないで!頼む」
「泣きませんよ…お仕事ですから」
河北は記憶を遡る。
配信してるかチェックしてから電話をしろと言ったにもかかわらず、メイド派遣の営業から配信中に何度も電話があり、折り返したら不在で腹が立ったこと。
そして、その勢いでコールセンターに電話をしたら、めちゃくちゃなオペレーターと電話が繋がったこと。
そこからビールを飲みながら、そのオペレーターに上席に電話を代われと言ったことまでは思い出せた。
しかし、その先が思い出せない。思い出せないが、今のこの状況から分かる。
--俺は一人の女の配属先を変えてしまったのだ。
「ええっと…」
「あの、電話のイメージと違いましたよね。やっぱり」
「いやまあ…けっこう開発部ってゆるい?んですね、髪とか…服とか…」
「嫌なら染めますけど…。その、1年間一緒に暮らすと聞いて、あんまり無理していくのもどうかと思って」
「あー、確かに…それはそう…」
河北は一切会話の内容は思い出せないが、この静かだけど知性的な声と、誠実な語り口だけは心に刻まれていた。
間違いなく、話したことがある。
「…いや、髪とか以外も、ふつうに嫌…ですよね。断っていただけたら…」
「いや、いやいやいやっ…、むしろこんな家…めちゃ嫌でしょ?」
「ええっと…。やりがいに溢れています…ね?」
女は少し笑って、どこか冗談を受け流すように返す。
笑うと頬の端に小さなえくぼがあった。
「……契約書」
「えっ」
「サインするんで、契約書出してください」
「えっ、えええっと…私で…?いいってことですか?」
「いや、俺が呼んだ…んだよ」
「そ、それは、そうですけど…」
会話がかみ合った。そうだ、やっぱりそれで合っているんだ。
俺が、酔って、電話担当の女にお前がメイドになれって言って…。
そしてそれが、大ごとになって、配属まで変えてしまったんだ。
河北は、うなだれた。
まさか自分の発言で一人の人事を変えてしまうとは思わなかった。
こんなやつクビにしろよ、と言うことはあっても、クビになったあと、その人が何になるかなんて考えたこともなかった。
そして女もそうだ、きっと苦労してナントカマネージャーまでなった女が、
やっかいなクレーマーに札束で殴られて、配置換えになるとは思わなかったはずだ。
あげく謎の職種の成金の男の汚い家に一人ぼっちで行けと言われて、第一声で金髪の男に怒鳴られて、泣きもするだろう。河北なら朝の時点でバックれる自信があった。
「いや、1年でしょ、契約書出して」
「は、ええ…でも…」
「あ、それとも、そっちが…嫌とか?」
「いえ、いえいえいえいえっまさか…ど、どうぞ受け取ってください!」
女はクリップボードを河北に差し出した。
「ま、別にすぐ嫌になって出ていくなら…それでいいけどさ」
適当に名前を書きなぐる河北を見て女は声を上げる。
「いやっ、それはないですけど、契約内容!読まなくていいんですか?私も説明できますし」
「いいよ、お前がこの家きれいにして、メシ作ってくれれば他に文句は……たぶんねぇよ」
クリップボードにボールペンを挟み、女に返した。
「は、はぁ」
女は書類をチェックし、封筒に入れ、ちらりと河北を見る。
「封しちゃいますよ…?」
「おう。で、お前家事とかできるの?」
「もう封しちゃいましたよ!…でも、家事は普通よりはできると思います、こんな見た目ですけど」
女の頬に赤味がさしている。
暖房が効いてきたからか、契約が成立したからか、どっちなのか河北にはわからなかった。
河北は何の実感も湧かず、ただ柔らかそうな、女の頬を眺めていた。
「改めて、よろしくお願いしますね、ご主人様」
女の頬はもっと赤くなった。
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