第2話 漢、高島津竜也の恋が実るまで 下


時は経ち、大学生になった高島津竜也と美穂である。

あれから何度となく竜也は美穂に告白をしたが、美穂は上手にあしらっていた。

その度に竜也は体の水分の93%を吐き出すほど泣いた。


 美穂も美穂で、そんな竜也の反応を楽しんでいるところがあった。


 竜也は焦っていた。

どうしても美穂が振り向いてくれない。何をすれば美穂は自分を好いてくれるのだろう。

有象無象の男性なら諦める。根性のある男なら、「二度まではガチの告白をして、潔く諦める」。

だが、竜也はどちらでもなかった。メンタルが強かったわけではない。馬鹿だったのだ。


 ある年の、冬のことである。


 男性アイドルグループのライブ映像を見ながら、


「歌がうまい人ってさ、やっぱ格好いいよね」


 と、美穂が何気なく発したこの言葉で、竜也は目覚めた。

これだ!! 突破口はここにあったのだ!!

そこから……竜也の涙ぐましい努力がはじまったのである。


 まずは肉体改造だ。声が通る人間の条件、それは頑丈な体躯である。

日本人には、実は音痴はいない。その人を音痴たらしめているのは、「自信のなさ」と、「声の小ささ」である。

つまり! 音痴は! 治せる!!

……今のは、竜也の持論であるので間に受けないでいただきたい。

しかし、爆発的なエネルギーを喉から発すると言う作業。そのエネルギーを支えるために体を鍛えると言う部分に限っては頷ける。


 竜也の肉体改造が始まった。

まずは、環境づくりからだ。

竜也は、自室に、ブルース・リーと、チャック・ノリスのポスターを貼った。

目指す人間の体格を毎日眺めることで、その肉体に近づいていくということらしい。

 そして何より腹筋だ。彼は大声で往年のシャンソン『愛の讃歌』を永遠と歌いながら腹筋を一日4時間こなした。

回数ではない。時間なのだ。


 そして、腹筋のみが歪に発達した竜也は、レコード会社に自身のデモテープを送った……。







 S Sレコード、プロデューサーの舛添は、一枚のエントリーシートと送られてきたデモテープに注目していた。

高島津竜也。19歳。

真面目そうだが端正な顔立ちは、いかにも女性の母性本能をくすぐりそうだったし、

その歌声に衝撃を受けたのだ。

多少荒削りだが、裏声に頼らないブルース・スプリングスティーンを彷彿とさせるパワーボイスに好感が持てたし、

何より、歌に感情を乗せる技術に秀でていた。

送られてきた音源は『粉雪』と言う言わずと知れた冬のヒットソングだが、高島津竜也が歌うと演歌に聞こえた。

舛添は、彼に興味を持った。


 後日、レコード会社に竜也を呼び出した舛添は、竜也に「なぜ歌うのか?」と質問をした。

それはこのレコード会社の扉を叩いた幾人もの歌手志望の人間に聞いてきた言葉である。

それに対し、竜也は一点の曇りのないまなこで、こう、答えた。


「聞いて欲しい人が、いるからです!」


 舛添は、竜也をますます気に入った。彼を売り出そう! 彼を世に出すことが自分の使命だ! 

竜也の歌声は、一人の人間の心に火をつけた。


 それからはトントン拍子に話が進んでいった。SSレコードは広告会社と連携して高島津竜也を売り込み、

彼のデビュー曲『ノーマル・ラヴ』のミュージックビデオは一ヶ月で1千万回再生された。


 彼の歌声は海外に届き、有名R&Bコンポーザーが『タツヤに曲を書きたい』と申し出た。


 若きアーティスト、高島津竜也の誕生である。


 そして今日、下北沢のライブハウスにて、彼のデビューワンマンライブが開催される。

300人は収容できるこの箱でもすでに消防法違反ギリギリの人数で埋まっていた。

もちろん、VIP席には達也が呼んだ人物がいる。美穂だ。


 美穂は、今日までどれだけ竜也が苦労したかを知っている。そんな彼が誇らしかったし、なんだか自分まで感動してしまいそうになっていた。


「今日は来てくれてありがとう。大切な人のために、歌います」


 影マイクで、竜也の声が響いた瞬間、会場は満雷の拍手が鳴り渡った。そして、ライブの一曲目のイントロがかかり、

会場のテンションは沸点に達した。

それはカバー曲、「粉雪」だ。

美穂は、思わず涙ぐんでしまった。


「粉雪 舞う季節は、いつもすれ違い♪」


 竜也がステージに現れる。会場には、悲鳴に近い声が響いた。

その声にも勝る力強さの歌声で竜也は美穂に歌った。


「ささいな言い合いもなくてララライ ララライ 同じ時間を、生きてなどいけない♪」


 ステージの上の竜也は、すでに「仕上がって」おり、目には何者かが乗り移ったようだった。美穂は感動の半分、少しだけ嫌な予感がした。


「素直になれないなら 喜びも悲しみも 虚しいだけ♪」


 そこで美穂は確かに、「ブチン」と言うギアが入った音を確かに聞いたと言う。そこから、竜也の『覚醒』は始まった。



 歌に入り込み、激情の渦中にいる竜也は、マイクケーブルを引きちぎった。



「こなああああゆきいいいいいねえ!!!!!!」






 

  今まで、歓声を上げていた観客は一瞬にして静まり返った。

 竜也の顔は豹変し、もはや自身の制御を失っていた。

俗にいう『ゾーン』に入っており、彼の理性も意識も失われており、歌に入り込むあまり狂気的な何かが宿ったのであった。

……要するに、『彼の悪い癖』が出てしまったのである。


「こおこおろむぁでしぃろくぅ!! そぉめるるるるぁれたぁぁなるぁ!! あ”あ”あ”あ”!!」


 竜也は、マイクスタンドを床に振り下ろし、何度も叩きつけ、真っ二つに折り、それが終わると、

立てかけてある サイド、サスライトにハイキックを食らわせて倒し、

馬乗りになって床に打ち付けた。


 美穂は目を伏せた。観客は、何が起きなのか呆然としている。


「ふたあありのおおおお!!あが、あがあが、あがあがあがあが、あがががががが」

 

 後半は、もはや歌ではなかった。馬乗りになった灯体に、アドレナリンが爆発した竜也が噛み付いたのだ。そして、

鉄製の灯体を、竜也の顎は食いちぎった!!

口が切れた竜也は、血を流しながらも、一曲を歌い切った………。


 この日のライブは、ある意味伝説となった。

しかし意外なことに、この事件でますます竜也の人気は上がってしまうことになった。観客は今まで見たことがないパフォーマンスに圧倒されて、言葉を失ったのだ。

まるで落語の名作、『中村仲蔵』のような事件が本当に起きたのである。





「好きです」


 これで何度目になったかわからない竜也の愛の告白は、口から血を流しながらだった。

 その様を見て美穂は、


「たっちゃんは、本当にばかだね」


 と、言った。その後……


「いいよ。私の負けだよ。付き合おう」


 竜也の歌声(!?)は、信じられないことに、一人の女性の心を動かしたのだ。

その夜、下北沢の空に、その日一番の竜也の咆哮が響いたとされ、冬眠をしていたクマを起こしてしまったという。

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